9.塔
サザリカが目をゆっくりと開け、そのまま上を見る。
まっくらで微かな光も無い。
サザリカの隣ではクミナが小さく寝息をたてている。
ゆっくりと上半身を起こすと動きを止めて目を閉じる。
30秒ほどして、再び開ける。
右に手を伸ばして壁に触れるとゆっくりとした動きで床に足をつける。
そのまま立ち上がり壁伝いに歩く。
入口までたどり着くとクミナの方へと振り返った。
消え入りそうな寝息が響くが、姿はまったく見えない。
前を向き、1階へと降りていく。
手を前方へ伸ばしながらテーブルに触れると、上にあるリュックサックを手に取って背負う。
そのまま外へと出ると焚火の後が残っている付近でリュックを降ろしてしゃがむ。
ファスナーを開けると手を入れ、さらに中にある小さなファスナーを開ける。
中にある小さな箱を取り出すと、蓋を開ける。
そこには小さなボタンだけがあった。
サザリカはボタンに指をかけると指を動かして表面をなでる。
そして力を入れて押し込むと、小さくピーと音が鳴った。
蓋を閉じるともとの場所へと仕舞い、ファスナーを閉めて背負うと立ち上がる。
手を伸ばして近くにある大きな金属の箱に触れると伝いながら歩いていく。
手が離れるとそのまま真っ直ぐ進み始めた。
ひたすらに何も見えない闇の中を歩き続ける。
「いだっ」
4時間ほど歩き続けた頃、サザリカは目の間にある何かに激突した。
それは黒く高い壁だった。
壁を手さぐりで探ると、凹みを見付け手を引っかける。ピ、と小さく音が鳴った。
するとガラガラと大きな音を立てて壁が横へと開いていく。
開いた先では微かに光る赤い点がいくつも空中を移動している。
サザリカは内側へと入るとそのまま真っ直ぐと進んでいく。
赤い点はただ空中を移動している。
進んだ先にははまた大きな壁があり、壁の全体は微かに発光している。
壁に沿って右へと移動する。5秒程移動すると立ち止まり、壁に顔を近づける。
「帰りました」
そう言うと壁が振動し、ガガガと何かが移動する音が響く。
音のした場所へと向かうと、壁の一部が開いており、中には所々小さなライトが光っていた。
サザリカは中へ入ると中央へ歩いていき、三角の形をしたボタンを押す。
間もなくすると、正面の扉が開く。中は明るい。サザリカが入っていく。
内側にもボタンが付いており、その中の2000と表示されたボタンを押す。
すると扉が閉まり、小さな音を立て始めた。
約20秒後、音が止まり扉が開かれ、サザリカが外へ出る。
そこには昼と変わらぬ明るさが広がっていた。
幅10m、奥行25m程の長方形の地面には全体に緑の芝生が敷き詰められていて、奥には丸太で組まれた小さな家と小さな池と小さなテーブルと1本の木がある。
周囲は天井まで透明なガラスで半円状に覆われていて、その向こうは辺り一面真っ白な雲がゆっくりと移動している。
風がどこからか吹き込み、サザリカの髪と草木を揺らす。
サザリカは地面を見ると何回か芝生を軽く踏み、ガラスの向こうにある雲を眺める。
歩き出すとサクサクと草を踏みしめる音がする。
小さな家の前に辿り着くと、木星の扉をノックする。
「帰りましたー」
「はいはーい」
すると中から声が返ってきて、扉が開かれた。
そこには白いワンピースに白い髪の小柄な女性がいた。
「だいぶ遅かったですねえ」
「確かにね」
女性は笑顔でサザリカを見上げる、サザリカは普段の表情のままだ。
「まあ、じゃあ入ってください」
そう言うと女性が家の中へと戻り、サザリカも後に続く。
中に入って正面には左の壁に向けられた机、中央にテーブル、右奥には本棚と食器棚の2つが置かれている。
テーブルの真ん中にはインスタントコーヒーの入った瓶とポットがある。
椅子の前には開かれた本が伏せて置かれており、横にはコーヒーの入ったマグカップがある。
「どうぞ」
女性は本の前に置かれた椅子に座ると、その向かい側に置かれた椅子へ手を差し出す。
サザリカは椅子を引くと座る。
女性がマグカップを手に取りコーヒーを一口飲む。
「元気そうですね」
「まあね」
「どうでした? 下は」
「結構面白い場所だったよ。何もなさ過ぎて面白い所だった」
サザリカは腕をテーブルの上に乗せて指を組み、置かれた本を見ながら答える。
「ふふふっ、そうでしょうそうでしょう」
女性は本を手に取って読み始める。
後ろにある開かれた窓から風が入り込む。
サザリカは女性の右斜め後ろにある開かれた窓から白い雲を見る。
「ここってほんと不思議なところだね、世界が違うっていうか、ここだけは平和な時間が流れてる感じがするよ」
「ええ、綺麗でお気に入りの場所ですよ」
葉擦れの音が聞こえる。
雲がゆっくりと左から右へと流れていく。
「はぁー、眠くなってくるよ、ただでさえ歩き通しだったし」
「どのくらいです?」
「んー、4時間くらいかな」
「たったそれだけでへこたれてるんですか、情けないですねえ」
「そういうあなたはどうなの」
「私は30分もすれば限界です」
「あー、っそ」
サザリカは立ち上がると棚の中のマグカップを手に取りテーブルに戻る。
テーブルに置かれているインスタントコーヒーをスプーンで取るとマグカップへ入れ、ポットからお湯を注ぐ。
湯気が微かに立つコーヒーを一口飲む。
「ふう、久しぶりに飲んだね、コーヒー」
サザリカがカップの中の黒い液体を見つめる。
「下には、まあ無いでしょうね」
「……」
本がめくられる。
それから10分ほど会話は無く、ページをめくる音と風の音だけになる。
サザリカが飲み終わったコーヒーのカップをコトンとテーブル置く。
「なんか崖の上にここと同じような家が建ってたんだけど、あれってあなた?」
「ええ、調査の際にあのような感じにしてもらいました。砂に囲まれて野宿生活なんて嫌ですからね」
女性がページをめくる。
「はあー、で、地下まで作って車を置いたの。しかもあんな手紙を残して放置するって」
サザリカが椅子にもたれ天井を見上げる。
「回収してもここでは使えませんし、面白そうだなと思って残しておきました。もしあなたが見つけてくれた時の為にね。というかよくあそこまで行けましたね、下から見える位置でもなかったはずですか」
「相棒を見付けたからね」
サザリカは天井を向いたまま目を瞑る。
「相棒ですか」
女性は本を開いたままコーヒーを取り口に付ける。
「ええ、あなたによく似てた」
サザリカが顔を正面に戻し女性を見る。
「あれってあなたのクローン?」
「ええ、そうです」
女性はページをめくる。
「死んだと思ってたけどまさか生きてたとはね。どうりで似た顔だと思ったよ、性格は全然違ったけど」
「ふふふっ、そうでしょうね」
女性が手で口を押えながら笑う。
「なんであんな所にいるの?」
「ちょっと作成時に失敗してしまいましてね。処分してもよかったんですが、下でどういう行動をとるのか見てみたくなったので落としてみました」
「じゃあどこにいるかわかってたんだ」
「位置も聞いたものも見たものも、全て機器を通してここに送られています」
「たちの悪いストーカーだね」
「ふふふっ」
「……てことは、箱の事もしってるの?」
「箱、箱ですか。ええ、もちろん」
「じゃあ聞くけど、あれってここのもんなの?」
「いいえ、下に人が住んでいた頃に作られたもののようですね」
「大昔に住んでたってのは知ってるけど、実際に下を見て回るととても信じられないね」
「そうですね」
「何であれをここに持ってこないの? あれがあればゴミを食べ物にだって変えられるでしょ」
「そうですねえ……、私この場所好きなんですよ」
「は?」
「もしあの箱があれば計画は見直され、私もこの場所を立ち去る事になるでしょうね」
「そりゃそうだろうね」
「それが嫌なのであれはそのまま放置しておきました。こんな綺麗な場所から離れるなんてまっぴら御免です」
女性は本を開いたまま腿に乗せると、椅子を後ろに押し、体を左に傾けて窓から外を見る。
「……そんな理由?」
「はいそういう理由です」
女性はサザリカを向いて笑顔になる。
サザリカは大きく息を吐いて首をガクッと下げる。
「ちょっと自分勝手すぎない? バレたらどうなるんだか……」
「もう計画は実行されてますし、再び調査しに行くことなんてありませんよ。調査が私に一任された時点で上の人間は下への興味なんてないんですよ」
「そうかもしれないけどさ……ああ、そうえいば蜘蛛みたいな形のでかい機械に襲われたんだけど、あれも下で作られたやつなの?」
「昔の兵器ですね、まだ動くものがあったんですか」
「へえ。まあ、限界に近かったのか止まっちゃったけどね」
「で」
女性は腿の本をパタンと閉じるとテーブルに置き、サザリカに向き直る。
「どうします?」
「ん? ああ、そうだね」
サザリカが髪をくしゃくしゃと掻いてから姿勢を正す。
「下に戻るよ」
「……下はこれからゴミでどんどん埋められていきますよ」
「ゴミしかない世界だったら安楽死の方が楽でよかったんだけどね。あなたが色々残したせいで、もう少し生きていたいと思っちゃったよ」
「ふふふっ、本当に大丈夫ですか? もうここに戻ってくることはできませんよ?」
「頼れる相棒も居るし、それに同じクローン同士だからね、仲良く生きていけるさ」
「……分かりました、ではそのようにしましょう」
女性は立ち上がると扉へと向かい、サザリカも続いて外へと出る。
二人は並んで上を向き、ガラス張りの空間の向こうにある白い雲を見る。
「ここともオサラバかあ、少しさびしいねえ」
「じゃあ私とここで暮らしていきますか?」
女性がサザリカを向く。サザリカがはっと息を吐く。
「んなことしたら殺されるっての。まだ生きてたいってさっき言ったでしょ」
「そうですね、ふふふっ」
女性が小さく笑う。
サザリカが深呼吸をする。
「じゃあ、そろそろ行くよ」
「はい」
サザリカは芝生を踏みしめながら出口へと向かう。女性も後を追う。
出口までたどり着くとサザリカは振り向く。女性も立ち止まりサザリカの顔を見る。
「じゃあさよならだね、いや、でも常にストーカーされてるのなら違うのかな」
「人聞きが悪いですねえ、監視ですよ、監視」
「それも悪いと思うけどねえ」
二人が笑う。
「次は死後の世界で会おうか」
サザリカが手を差し出す。
「そんなものがあれば、ですけどね」
女性がその手を握る。
しばらくすると二人は手を離し、サザリカはその平和な世界を後にした。




