7.脱出
二人は無言で梯子を降りて行く。
カンカンという金属音だけが暗闇の中を響く。
クミナが見上げる。そこには夜空の星のように、明るい点が一つだけあった。
「あ、ここで終わりみたい」
サザリカの声が反響して響く。
その少し後、クミナも到着する。
「真っ暗だねえ」
「電気とかないのかな」
真っ暗で何も見えない空間に、二人の声だけが存在している。
世界全てが黒で塗りつぶされてしまっている。
「手、繋ぐよ」
「うん」
二人はそのままゆっくりと壁沿いに歩いていく。
クミナが壁に手を触れ、サザリカは手を前や横にかざす。
壁も床もツルツルとした物で出来ていた。
外に比べると空気はひんやりとしている。
音は無く、静かな空間だけがそこにある。
そのまま左周りに1分程歩く。
「あれ、これなんだろ」
クミナの手に今までとは違うものが触れる。
「どした?」
サザリカが隣にいても見えないクミナの顔の方を向く。
「なんかザラザラしてデコボコして……」
「んー?」
サザリカもその壁に触れ、軽く叩く。
ガンガンと音がして、壁自体が振動する。
「これ……シャッターじゃないかな」
「シャッター……てことはここ、開くのかな」
クミナは手を広げて辺りを触っていき、サザリカはしゃがんで床と壁の境界に指を触れる。
「あーやっぱりそれっぽいね」
サザリカは立ち上がる。
「なにも見えないからなあ、灯りを持ってきておくべきだった」
「そうだねえ」
「まあ、まだ一周してないみいだし、ひとまず後にして回ってみよう」
「わかった」
二人は再び手を繋ぐと、壁沿いに歩き出した。
その後10秒ほどで、入って来た場所まで戻ってくる。
「ぐるっとしてきちゃったねえ。じゃあこんどは真ん中の方に行ってみない?」
「そうだね」
ふたりは同じように手をかざしてゆっくりと前に進む。
「ん?」
「あっ」
同時に声を出す。手ではなく体になにかが当たった。
下へと手を伸ばす。
「なんだろう、これ」
「硬くて……なんだろう」
二人は手を這わせる。
「わっ」
クミナの声が響く。
「どうしたの?」
「なんか急に柔らかいのがあってびっくりしちゃった」
クミナがそのまま手を左右に揺らすと硬いものにぶつかる。
「ここは硬いんだねえ」
「んー、あれ、これ」
サザリカがその全体を触りながら確かめる。
「鍵か?」
「鍵?」
「うん、たぶんそうだと思うけど」
「これって鍵がかかってるの?」
「たぶんね……これ、回してみてもいいかな?」
「いいよー」
クミナが即答する。
「ははは……まあいいや、じゃあいくよ」
サザリカは苦笑いをすると、手に触れたものを右に回す。
その瞬間、なにもなかった空間に突如として明るい光が飛び込んでくる。
「えっ」
「うわっ!」
二人は目を閉じる。
そして、振動音が室内に響く。
「目がー」
「電気、付いたのか……」
二人は閉じた目を少しずつ明かりに慣れさせながら開いていく。
そして、完全に開かれると、目の前には大きな物体が存在していた。
「これ……なに?」
クミナが目の前に現れた物を凝視する。
「これのことね……」
サザリカが鍵から手を離して全体を見回す。
それは流線型の形をしている。
白い色をしているが長い間外に放置されていたのか錆びている箇所も多い。
屋根のない、車だった。
「プレゼントって、これのことだったんだ……」
サザリカは辺りを見回す。室内は幅は20m、高さは7m程だ。
天井に付いているライトが部屋全体を照らす。
車以外には何もない。鈍い銀色が光る空間だけがあり、そこにエンジンの音が響いている。
「うわーすごいねえー」
クミナはしゃぎながら車の周囲を周る。
サザリカはドアを開けると運転席へと座る。ハンドルを握るとしばらく前を見つめていた。
クミナもぴょんとジャンプして助手席へと座る。
「ねえすごいねこれ!」
「確かにね。こんなところにこんなもんが置かれてるとは、思ってなかったよ」
「手紙の人はこの車で外を走ってたんだねえ、楽しそうだなあー」
クミナはさっきからずっと興奮した様子だ。
「ああ、でもあのシャッターを開けないと出られないね」
クミナはサザリカの横で辺りをいじっている。
サザリカは車から降りるとシャッターへと近づく。
「でも、開けられそうなもんがないんだよなあ」
サザリカはシャッターに手を掛け力を込める。
「ぐぐ……」
びくともしない。
「ねークミナも手伝ってー」
サザリカは振り向き今だに車をいじっているクミナに声をかける。
「んー」
クミナは下を向いたまま空返事をする。
「はあ……相当お気に入りみたいだね」
サザリカがトボトボと車へ近づく。
「クミナーてつ……」
「ねえサザリカ、こんなの見付けたんだけど」
クミナは皺だらけになった紙を広げている。
「紙?」
「うん、なんかねここに」
クミナがエアバックに空いた小さな穴を指差す。
「"たまごひとぱっくきゅうじゅうはちえんおひとりさまひとつかぎり"って言うと……」
その瞬間ピーという音が車内で鳴り響く。
「え?」
同時に車前方からガラガラという音が聞こえてくる。
「え、なに?」
それはシャッターが上がる音だった。
二人は驚いた顔をしながらも、ゆっくりと上がり続ける様子を黙って見つめる。
外の景色が現れてくる。
生暖かい風が中へと流れ込み、二人は眩しそうに目を細める。
そこには今まで二人がさんざん見てきた砂の世界が広がっていた。
一番上まで上がると、最後にガシャンという音を立てて止まる。
音が響き、やがて完全に聞こえなくなっても二人は外を眺め続けている。
砂が室内に入り、閉ざされていた空間が汚れていく。
中と外が繋がり一つのものになる。
境界線はなくなった。
「わー! 気持ちいいねー!」
「うん、本当に」
二人は砂の中を駆けていた。
車が通る跡には砂煙が舞上がる。
ガタガタと揺れながらも二人は風を受けて走ってゆく。
シャッターは二人が登ってきた崖の反対側、その一番下にあった。
シャッターの開閉にはエアバッグに付いている穴に"卵1パック98円お1人様1つ限り"という必要があった。
言うたびにシャッターが開閉する。
外から見るとシャッターは周りの崖と同じような色、形状になっていた。
完全に開いたことを確認すると、クミナは早く車に乗って外へ出たいと言い出した。
サザリカは車の運転をしたことがなかったが、クミナも出来ないので仕方なく運転することになった。
クミナが見つけた紙にはシャッター開閉に必要な言葉以外にも、周辺の簡単な地図、車の燃料は真水で、それだけで動くことが書いてあった。燃料は満タンに入っていた。
二人は地図を見ると、シャッターを出てそのまま前方へと走り出した。
荷物は後部座席へと置かれている。
「車が手に入ったから、野宿もしやすくなるね」
運転するサザリカが周辺を見渡しながら言う。
「食べ物もけっこう詰めてきたから安心だねー。あー、気持ちいいねえ」
クミナは助手席で目を瞑りながらもたれている。
サザリカはハンドルをしっかりと握りながら前を見つめる。
「……それにしても、これが塔の人間の物だったとして、そいつはここに自分達以外の人間が存在すると思ってたのかな」
クミナは目を開けて周りを見る。
「少なくとも今は誰かが住んでるとは思えないよねえ」
周りには砂、所々に黒いガラクタが転がっている。遠くには崖が見えている。
二人以外に生きているものは見えない。
「まあこれが大昔のものだったら、当時はそれなりに人間がいたのかも。それにしたってあんな面倒くさいところに手紙を隠すって、性格悪かったんだろうねえ」
「あはは、そうかもね」
クミナは再び目を閉じる。
「でも、これのおかげで、もっと遠くに、いろんな場所に行けるようになるよ」
「そうだね、必ず喜ぶって書くだけのことはある」
「……」
クミナがサザリカの横顔を見る。サザリカは前を向いたまま運転をしている。
「サザリカぁー」
クミナがサザリカの腰へと抱きつき顔を押しつける。
「ちょ、何してんの!今運転中だって!危ないって!」
「ふっふっふ、運転してるから振りほどけないでしょう?」
クミナがサザリカの体に顔を埋めたままモゴモゴと言う。
「ははっ! くすぐった……ちょっと、ほんと、はははっ! 止めてって!」
そう言ってもクミナは離れずにすりすりと顔をこすりつける。
「サザリカの体気持ちいいなあ」
「ちょ、分かったから! 離れろとは言わないから、ははっ! あんまり動かないで!」
車は左右にグラグラと揺れながら走り続ける。
そのまま2時間ほど車を走らせると、目的地へと付いた。
二人は車を降りて、目の前の光景を見る。
サザリカが地図を確認するとそこには、第1廃棄場、と書かれていた。