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玻璃の娘 黒の王~カイン、あるいは殊魂の話~  作者: 実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
第Ⅴ幕:寂寥たる風の記憶

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5-5.風が花を攫う日に

 霜が降ったのだろう、歩くたびに街道から飛び出た草が小気味よい音を立てている。己の髪を攫う風は少し強く、冬の混じった匂いがした。

 

 季節はすでに麗智神(アヘナト)の月に入り、空には流れるうろこ雲。隙間から差しこむ陽射しが暖かい。快晴と言わないまでも、旅立ちの日には十分いい秋晴れの日だ。


「眠れなかったのか」

「え? ええ。なんか変な夢を見た気がして」


 カインは隣であくびを噛みしめ、歪んだ顔を作るノーラに尋ねた。空色の瞳が少し充血していて、何度もそれを擦る姿に、しかし弱々しさはない。

 

 二人が歩いているのは、天護国の主都、すなわち王都アステールに向かう街道だ。天護国の道は基本、どこも整備されてはいるらしい。確かに石畳はしっかりと己の体重を支え、多少欠けてはいるが、踏みこんでもびくともしないだろう。時折見かける乗り合い馬車も、難なく己の横を通り過ぎていった。


「馬車を使わなくていいのか?」

「町とか、村とか、あったら通っていった方がいいでしょう。あなたのこと、知ってる人に会えるかもしれないんだから」

「それもそうだな」


 どうやら、半日歩いたところには町があるらしく、そこで宿を取る予定のようだ。下手に口を出すより、天護国(ここ)に詳しいノーラに任せておけばいい、そんな信頼があった。事実、地図を見なければ右も左もわからない。

 

 とりあえず王都へ、そう提案してくれたのはノーラだ。他の領都とは段違いで人の量も多く、また、文献も揃っているらしいから。

 

 ノーラとは新しく護衛兼相棒として契約を結び直した。念の入った書類に目を通すのも、書物を読む癖がついたためか容易くできた。基本の取り分は六対四でノーラが上。ただし、護衛についてはこの限りにあらず。数月前に現れ、彼女に毒を放った存在はまだ、ノーラのことを狙っているらしい。キュトススを出る際に聞いた。

 

 それもあってか行商人や馬車が通るたび、どうにも身構えてしまうのだけれど、ノーラは相変わらず腫れぼったい瞼を何度も瞬きさせている。弱々しくはないが、隙だらけだ。武器も影に片づけているせいか、急襲されたらどうする、そんな思いが去来する。


「大丈夫よ」


 ノーラは小さく笑う。最初に見たときより、気を許しているような笑顔。


「ここで襲ってくるような馬鹿じゃないと思うわ」

「……どうして考えていることがわかる?」

「あなた、思っている以上に顔に出やすいわよ。それに、一人になった時を見計らってくるでしょうね。随分な手練れだもの」


 確かに、と、もう遙か昔のように過ぎ去った記憶を辿ってみる。

 

 思い出深い、ノーラとの邂逅。それより過去の記憶はぷっつりと途切れ、深い闇の底で眠っている。いろんなことがあった、とため息が出た。そう、色々ありすぎた。

 

 デュー、フィージィ、ハンブレ。様々な人との出会いと別れ。ハンブレはどうやら後々王都へ来るらしいが、フィージィとは結局、別れを告げることができなかった。それでいいのかもしれない。デューのときのような寂しいさようならは、嫌いだ。

 

 しかし、完全とまでもいかないが、大分気持ちは切り替えられた。デューが見られなかった分、この世界を見て歩く。それが目標で、はっきり目的ができたことによって地面に足がついた気がした。

 

 それを大人になった、とハンブレなら言うだろう。まだ己が進むべき道はわからずとも、当面のきちんとした目的があるなら、それに向かって歩き出せる。前を向ける。いつまでも現在に留まって丸まっている暇などどこにもない。いくつも分かれているうち、一つの道に向かって進むことができるようになったのは、成長と呼んでもいいだろう。

 

 ノーラが不意に足を止め、森の方を見た。


「ちょっと寄り道しましょうか」

「どこへ行くんだ?」

「眺めのいいところ。近くに丘があるのよ」


 考えるカインをよそに、相変わらず鳥のような軽い足取りで、ノーラが街道から外れた。そのあとに黙ってついていく。

 

 鬱蒼と梢を茂らせる森は、静かだ。時折、落ちた枯れ葉を踏む、二人の足音だけが響いている。神経を研ぎ澄ますと、小動物や鳥の気配が僅かにした。すっかり色を変えた広葉樹の香りを吸いこむ。どこか物憂げな秋の気配は、悲しさを伴って胸の内のしこりとなる。混ざっている針葉樹だけは真緑で、いやでもデューの姿が浮かんだ。

 

 あれでよかったのだろうかとこの数日、何度も繰り返し、己に問いかけた。ああするしかない、そればかりが答えとなって谺する。黒になった青年を助けるために、己ができることといったらただ、戦うこと。


 そう、ああでなければならなかった。他の誰にもデューを『退治』させたくなかった。彼がどう思っているかはわからなくとも、はじめて友と感じた彼を討つのは己でありたかったのだろう、今ならそう思える。それを増長と取られてもいい。

 

 考えていくと、どこか己がやけに尊大な人間であるような気がして、思わず唇を歪ませた。気付かぬ間に、随分と自信も、自我も肥え太ったものだ。

 

「ついたわよ」


 暗い淵に落ちそうになる思考を救ったのは、ノーラの声だった。

 

 気づけば森が開け、なだらかな丘の上にいた。青紫のアキギリ草が一面に咲いており、踏み場に困るくらいに満開で少し、先を行くのを躊躇う。


「何してるの、早く」

「ああ」


 誰かが通ったためか、踏まれてできた平らな部分を歩き、ノーラの元へ向かう。そこは、絶景だった。

 

 遠くに見えるキュトススの都、広がる森に陽光を照り返す海。風が吹くたび海は白波を立て、森の木々は揺れる。海の中央には汚染された不定形の黒があり、そこだけ景観を損ねてはいたけれど、美しいと言っていい景色に、思わず圧倒された。生唾を飲みこみ、今までいた場所の大きさに目を見張る。

 

 ノーラが唇をほころばせ、一人うなずく。


「こうしてみると、キュトススもまだやっていけそうよね」

「そうだな。とても、広い」

「海は少しだめになったけど、まだ山や川が無事だもの。フィージィなら、きっと立て直すわ、ここを」

「ああ、俺もそう思う」


 フィージィは一体、どんな領主になるのだろう。想像が全く及ばない。でも、最後にあったときの彼女の様子を思い描けば、きっと何かを成し遂げると感じられた。あれは、戦うものの目だった。デューとは全く似ていないはずの顔つきが、想起するほど重なるように思う。

 

 ただじっと思いを馳せ、景色を眺めながら、空を飛ぶ鷹の鳴き声を聞いていたときだった。

 

「……あなたには色々、お礼を言わなくちゃいけないわね」

「礼?」


 唐突にノーラがささやいた。気恥ずかしそうな、それでも真摯な声で。


「あのままあそこにいたら、私、きっと死んでたわ」

「そう、だろうか」

「デューとは一人で勝てる相手だと、思えなかったから。だから、ありがとう。そしてごめんなさい」


 はじめて聞いた謝辞の言葉に、思わず目を見張る。ノーラがこちらを向いた。


「あなただけに背負わせて、ごめんなさい」


 濃淡を描く瞳が、じっとこちらを見つめている。その目は、好きだ。ノーラから漂う清廉な香りも。まるで生き様を現しているような清浄な香りが、花の匂いをかき消して、風の向きで鼻をつく。

 

 何を言えばいいのかわからなくて、でも、謝られる理由はないと、無意識に首を振っていた。


「ノーラが謝る必要はない。俺は、俺の意志でデューを倒した。それしかできなかったから」


 黒を扱う術があるなら、その手でデューを救いたかった。しかし現実は無情で、剣を振るうしかなかった。隠された力がもっとあったなら、別の方法も採れたかもしれないのに。

 

 そのために必要な何かが、己に欠けている。記憶そのものと共に。本当に己を希望と呼ぶなら、誰かを救う手立てを教えて欲しい、そう思うのは傲慢だろうか。間違いだろうか。頭の中でささやいてみても答えは出ず、静謐な沈黙が返るばかりだ。いつも己を苛む謎の声たちは、必要なときに大切なことを教えてはくれない。そのことに苛立ちはすれど、それはノーラの責任ではない。

 

「君がいてくれたからこそ色々俺は学べた。礼を言うのはこっちだ、ノーラ」

「……じゃあ、おあいこね。お互い様っていうことで、どう?」

「そうだな、きっとそう考えた方がいい」


 珍しくノーラが破顔した。無垢な幼子のような笑みを向けられ、なぜか胸が一瞬高鳴った。理由なんてこれっぽっちもわからないのだけれど。

 

 今、新しい一歩をノーラと共に踏み出す。彼女との出会いがなければ、本当に、今頃どうなっていたかわからない。だから、と腰につけた大剣の鞘を握る。今度こそは守ってみせる。デューのように討つのではなく、ノーラを守る。護衛として雇われた身としてではなく、裡からこみ上げる何かが決意を固くさせた。

 

 二人並んで、再び眼下の光景を見つめる。キュトススで得たのは辛い思い出ばかりだ。でも、かけがえのない出会いもあった。己のことは何一つわからずじまいだが、彼らとの思い出は記憶となって、新しい自分を作る糧となっている。それでいい、今は。

 

「そろそろ行きましょうか。宿に着くの、遅くなるわ」

「ああ」


 ノーラが踵を返し、元来た道を戻っていく。陽に白い甲冑が照り返り、眩しくて目を細めた、刹那。

 

 強い風が一瞬、吹いた。髪をかき乱すほどの秋風が。アキギリ草の花弁が揉みくちゃになって、空に舞う。風に乗った花びらがキュトススの都へと飛んでいく。カインは振り返り、飛んだ花弁の先にある都を見つめた。

 

「……行ってくる」


 誰にだろうか、自然と口をついてそんな言葉が飛び出した。誰でもいいのかもしれない。ここはもう、故郷のようなものだから。

 

 いつでも出迎えてくれるであろう都を背に、カインは一つ、大きく足を踏み出した。

 

 選んだ道が険しくとも、立ち止まることは許されない。今は、まだ。

これにて、玻璃の娘 黒の王~殊魂、あるいはカインの話~は一旦終了です。

正確には『第一部(チュートリアル編)』が終了となります。

『第二部』となる「玻璃の娘 黒の王~天穿、もしくはノーラの話~(仮)」は来年以降の掲載を予定しております。

主人公がW主人公になること、話が本格的に動き出すこと以外変わりはありません。

【玻璃の娘 黒の王シリーズ】として続きを綴っていく予定です。

読んで下さっている皆様、応援して下さっている皆様、本当にありがとうございます。

これからもこのシリーズをご愛顧頂けましたら幸いです。

(続きを連載しはじめ次第、こちらの後書きにリンクを張る予定です)

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[良い点] めっっっちゃくちゃ面白かったです! 最後、海辺の所はカインと一緒に泣いてしまいました。 [気になる点] これがチュートリアル……だと……? [一言] 比喩を織り混ぜた文章がたまらなく好きで…
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