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玻璃の娘 黒の王~カイン、あるいは殊魂の話~  作者: 実緒屋おみ@忌み子の姫は〜発売中
第Ⅳ幕:暗澹たる記録に一筋の光を

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4-9.最期の会話


 他の人間を巻きこまぬよう、デューを引き離すことが先決だ。

 

 いつの間にか雨が降っていた。冷たい雨粒に理性が働くと、途端カインの思考はめまぐるしく動く。ソズムたちの元より、遠くへ。できるだけ遠くへ。貧民区の路地裏を行く己の後を、デューは家屋を破壊しながらついてきている。適度な距離を保ち、屋根を伝ってそれを追いかけるのはノーラだ。

 

 デューの体には黒き風がまとわりつき、木でできた家々を破壊し、こちらに向かってくる速度は桁違いに速くなっている。地離れの術を使ってもなお、間合いを詰めてこられる程度には。

 

 小さな広場に出た刹那、瓦礫を踏んだデューが突撃してくる。蹴りの一閃を剣で受け止める。次いで、二撃目。まるで宙に浮いたままの姿勢で繰り出される型は、めちゃくちゃだ。なのに隙を捉えることができない、それほど速く剛勇で、一つ一つの蹴撃は重かった。

 

 こんなもの、と体を捻り、剣で応戦しながら本能の動きに身を委ねていく。こんなものは、デューの動きではない。別物になった何かに苛立ちをぶつけ、赫怒を放つように咆哮を上げる。

 

 宙に浮いたデューが着地する瞬間、そこを見計らって一歩踏みこむ。


 狙うのはまだある片手。叩きつけるように剣を振り下ろした刹那、手首のない左腕が右手をかばう。肉を裂いて骨を砕き、舞ったのは左腕だ。黒と化したものに痛覚などあるはずもない。間髪入れず、手刀が左のこめかみ目がけて飛んでくる。首をそらしてそれをかわし、左腕を切り落とした剣と共に後ろに飛ぶ。

 

「宴と供物在りて水っ、『凍矢』!」


 デューの背後にいたノーラ、彼女の周りに無数の氷の刃が浮かぶのが見えた。巨大な氷柱みたいな刃の群れがデューの背中を穿とうとした直前、再びデューが漆黒の風をまとう。風は氷を吹き飛ばし、氷柱は狙いを違い、広場のあちこちに突き刺さる。

 

 第二等殊魂術(ジ・アシェマト)程度ではろくに攻撃は通らない。だが、屋上から降り立つノーラが微かに笑みをこぼした。


「坐にいまし天体神(クリウス)の御手にて巡らすは水!」


 手を打ち鳴らす音が大きく響く。風に浮かされていた氷の刃が、デューを囲うように動いた。氷塊が地面に突き刺さる。描くは五芒星。そうカインが気づいたときには氷のそれぞれが強く、藍色の光を放っている。


「創造、形成、生誕、宴、供物、五大によりて顕現せよ、『氷錠(ひょうじょう)の檻』っ」


 剥き出しになった地面に立つ氷柱、そこから凄まじい勢いで霜柱がわき起こり、デューの足下を捕らえた。

 

 黒き風が舞う。ノーラが祈るみたいに手を組み合わせ、波動を高めた。波動は天にも昇る勢いで強まり、土や小石、瓦礫となっている木材をも巻き上げる。両足を広げ、手を組むノーラの鼻からまた、血が漏れている。黒き波動と青き波動がぶつかり合い、嵐にも似た暴風がカインをも襲う。荒れ狂う波動の中、一歩、足を後退させたそのとき。

 

 今度はノーラの波動が勝った。押されていた霜柱が黒き風の妨害を突破すると、先端がデューの足先に触れる。瞬く間に霜柱は分厚い氷の層を作り、二の足まで閉じこめ、その場に縛りつけた。

 

 カインは駆け出す。躊躇することは許されない。慈悲も悼みも、もう持ってはならない。

 

 涎を垂らしながら足掻くデューまで、一気に距離を詰める。足に気を取られているのか風がない。近づいた己を見て、デューが右拳を繰り出す。滑りこむように懐に入る。


 ――お前は希望。

 

 脳内で誰かがささやいた瞬間、空いた隙間、脇腹へ大剣を突き刺す。骨を砕き、内臓を潰した確固たる手応え。デューの体が大きく痙攣する。剣から伝わるのは、底冷えするほどの冷気とおぞましさ。叫んだ。

 

「お前の絶望を、俺によこせ!」


 口から勝手に言葉がほとばしる。直後、脳髄へ氷の塊がぶつけられたような悪寒に見舞われた。黒い光が見える。腐臭もする。それらを目いっぱい、躊躇することなく吸いこみながら、剣から手を離す。

 

 黒い鮮血を吐いて暴れるデューを後ろから羽交い締めにし、蛍のように輝く黒の光を飲みこんだ。

 

 不吉な蛍みたいな光は明滅を繰り返し、デューの全身から己の方へとまとわりついてくる。心臓を掴まれ、撫でられている感触。臓腑の全てが凍てつき、体の内部が浸食されていくような感覚はレフィナのときと同じく、極寒の海に沈む感覚をもたらしてくる。かじかむようなこわばりに耐え、瞼を降ろす。

 

 黒い固まりが力をこめる腹に、足に、手に伸びて皮膚を押し広げ、血管を通じて全身に割って入る。冷え冷えとした無数の黒は頭蓋をも揺さぶり、脳にまで浸食してくる。体から熱が奪われ、汗すらも冷たい。心臓の鼓動だけが大きく聞こえる。鼓動を脈打つ心臓だけが、今、生きていることを教えてくれていた。腐臭は次第に甘さを帯び、瞼の裏にまぶしい黒い光の中、無数の光景が浮かび上がる。

 

 馬で邸内を駆け抜ける風の感触。酒場で仲間と飲み合い、歓談したときの酒精の香り。ソズムに叱られながらつまむ、木の実の味。幼心にもわかる、星霊湖(リム・テルシュケ)の壮大な自然。フィージィの泣き顔とデューの名を呼ぶくぐもった声音。

 

 無関心という冷酷さを隠そうともせぬ、キュトスス撲公の顔がある。デューの首を絞め、狂ったように笑う女の顔がある。泣きじゃくる幼いデューの横、麺麭を渡すフィージィの困ったような顔がある。

 

 黒い光がまたたくたび、時系列が違う様々な光景が弾けていく。笑い、泣き、怒り、悲しみ、喜ぶデューの過去がそこにはあった。ソズムがいた。仲間の傭兵たちがいた。シェパトがいた。ミルスィニがいた。カインがいた。ノーラがいた。ハンブレがいた。フィージィがいた。会話から酒場でのやり取り、戦いの最中の記憶、全てが黒に包まれている。

 

(殺してくれ)

 

 デューの声が響く。全てを諦観し、どこまでも穏やかな、風一つない草原を思わせるような口ぶりだった。

 

「お前は馬鹿だ、デュー」


 思い出という過去があるのに。記憶を、例え辛いものだとしてもちゃんと持っているというのに。羨ましくて仕方ない、そんな思いが口から漏れ出る。


(わかってる。でも、どうしようもなかった)

 

 次いで、脳裏に流れるのは巨蛇人(テュポン)の姿。憎しみと、怒りと恐怖とがない交ぜになって心を揺さぶってくる。黒に堕ちた<妖種>の感情、そう気づいた。

 

 黒き触手がもたらす甘い夢を、共有する記憶の中で見る。優しい母親、偽りの母の姿を。まどろみにも似た幻影にデューがつられたことは、共感できた。もし、己がそうなったとき、なくした記憶という誘惑に手を差し伸べられたら? きっと同じ目に遭っていた。だからこれ以上、デューを責めることはできなかった。己にはその資格もない。彼を罰せられるものは、どこにもいない。それが肉親だろうとも。

 

(親父に気をつけろ)

 

 それがまるで遺言かのように、デューの声が溶け消えた。目をそっと、開ける。

 

 デューはすでに抵抗せず、ぐったりと半身を己に預けており、動く素振りは微塵も見当たらなかった。だがその髪は黒いままで、皮膚も同様にどす黒い。半開きになった口、大剣で抑えられた脇腹からは粘着質な泥のような黒の液体が漏れている。銀の胸板に包まれている背中が、かろうじて上下していた。デューはまだ、死んではいない。

 

 身を離すと、重い大剣を下として上半身が傾いた。まるで人形みたいだった。

 

 押し潰されそうな倦怠感と凍てつく感覚にカインは膝を突く。呼気をするのが辛い。垂れ下がった横髪を見ると、濃緑から、芽を出したばかりの草木みたいな新緑に変わっているのがわかった。

 

「何をしたの、あなた」


 安全だと悟ったのか、ノーラが近づいてくる。濃淡を描く瞳には純粋な疑問だけがあり、忌避感はない。でも、強い疑念は針のようにこちらをつついてくる。

 

「わからない。ただ、レフィナのときのように黒い光がまたあった。だから、それを」

「それを?」


 吸った、としか言いようがなく、気怠さを押し殺して立ち、呟く。惚けたような声音だな、と思う。

 

「……そう」


 ノーラはそれだけを答え、デューの体に触れた。嫌悪もなく、ためらうこともなく。足に張りついていた氷が消え、デューの肢体が力なく崩れ落ちる。それを支え、横たえる。

 

 周囲を囲んでいた氷塊も消え去るのを眺めていたカインは、ふと気づいた。魂をも握りつぶそうとしていた圧迫感、不穏な気配が霧散していることに。

 

 空を見上げた。まだ<妖種>たちはいたが、後退を始めている。海側へと逃げ去るものもいた。

 

 黒の王、『詞亡王(しむおう)』の気配が、消えている。それでも汚染された場所は、黒に呑まれているままのはずだ。きっと、とデューを見下ろしながら思う。デューが死んでも、その場所は黒のままあり続けるだろう。それがデューの遺した最後の軌跡だ。あまりにも寂しい痕跡に、自然と吐息が漏れた。

 

 今にも倒れてしまいそうな疲労の中、ノーラが立ち上がり、こちらを見つめてくる。

 

「フィージィを呼ぶわ。このままじゃ、いつ死ぬかわからない」

「本当に彼女にやらせるのか」

「言ったはずよ、家人の失態は身内でないと正せないって」

「フィージィができるとは思えない」

「そうね。でも、やらせなければキュトススは途絶える」


 妙にキュトスス家の存続にこだわるようなノーラへ、目をすがめた。

 

 それほど大事なのだろうか。家が、例え公爵の地位にある名家だとしても、それは一人の個人を苛むような存在として許されるのだろうか。わからなかった。

 

 わからないことばかりだ、そう感じ、黒い半目をしたまま動かぬデューを見つめる。それはレフィナを彷彿とさせ、胸の奥を痛ませた。

 

「親父に気をつけろ、そうデューは言っていた」

「……巨蛇人を捕らえさせたのは公爵閣下らしいわよ」


 ノーラは影から布を出し、手が汚れることも厭わずデューの脇腹を押さえる。黒い筋みたいな血の跡が、ノーラの白い手甲を伝って地面に落ちた。


「<妖種>の負の念、それに誘われて黒の王がやって来た。そして彼も汚染された。死人も大勢出たし、公爵閣下がただで済むとは思えない」

「なぜ、そんなことをしたのだろうか」

「さてね。どちらにせよまともなのは、フィージィ以外でいないでしょう」

 

 言いながら、彼女は胸元の、罅が入った赤い象徴媒体へ片手をやる。声を直接本人へ飛ばす気だと、ぼんやりしながら思った。

 

 フィージィが来たとき、それはデューが本当の意味で死ぬときだ。

 

 すまない、と心の中で謝る。デューの最期の声にすら、まともに応えることができなくて。

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