3-15.雛の行方
こめかみに鈍痛が走り、カインは目覚めた。見慣れぬ石の天上がぼんやりとした視界に入ってくる。普段泊まっている宿場は木でできていて、だからこそ違和感を感じ、カインは頭痛をこらえて体を起こした。知らない部屋に転がされ、毛布をかけられていただけの状態だった。剣はすぐ真横に置かれていて、手がぶつかる。窓からは朝日が昇るまぶしい光が入ってきており、それを直視したものだから余計、頭が痛む。
なにか盗まれているものはないか、気になってカインは懐の隠しなどをまさぐった。身分証である板金も、金も無事だ。昨日のことがあまり思い出せなくてぼんやりした頭のまま、剣を腰に差して机だけがある部屋から出る。そこいらにいろんな本や巻物があるが、見覚えはない。酔いがまだ残っているのか、足取りが少しおぼつかなく、ふらふらとしてしまう。扉を開けるともう一つ部屋があり、かまどや小さな机、椅子などがこじんまりと置かれている場所に出た。やはり、知らない場所だ。
「どこだ、ここは」
「あら、起きたの、カイン」
つぶやいたカインに呼応するかのように、入り口と思しき扉が開かれ、頭巾をかぶったノーラが入ってくる。手には大きな紙袋があり、買い出しをしてきたのだろう、そこから野菜や果実が覗いていた。後ろ手で扉を閉め、荷物を机の上に置くノーラの声は低いもののままで、でも髪の毛は見慣れた青紫だ。カインはちょっと迷い、己がいた部屋とノーラを見比べる。
「ここは?」
「私が借りてる家。あなた酔ったのよ、昨日。麦酒じゃなくて蒸留酒飲んだから」
「誰と?」
「ハンブレと。覚えてないの?」
林檎や梨、その他諸々を机の上に置いてたずねてくるノーラはどこかあきれ顔だ。いわれてカインは小首を傾げた。確か、なにかの勝負をして酒をあおった記憶がおぼろげながらよみがえってきた。内容は、己の勲歌を作らせるか否か。結果は負けたような気がして、ぞっとした。それが顔に出ていたのだろう、ノーラは皮肉げに唇をつり上げながら、手にした梨を一個、カインに向かって投げてきた。
「自業自得ってやつ。あんなのと勝負をする方が悪いのよ」
「どうにかしていたとしか思えないな」
「ハンブレ、強いのよ、酒に。水で割らないで飲むなんて、あなたたち本当ばかだわ」
ノーラの言葉にため息をつき、梨を囓る。少し重さのある甘味が口の中に広がって、渇いた喉を潤してくれる。座っていいわよ、と二つある椅子のうち一つを勧められたから、机の側にあった木の椅子に座った。
頭巾を取り、見た目的に少し多めだが一日分の食料をかまどの側に置いて、ノーラは外套を脱いで服掛けにかける。二の腕とふくらはぎを途中まで覗かせる、ぴったりとした中衣と下穿に体の線がはっきりと見え、カインは慌てて天井を仰いだ。ノーラは気にした様子もなく、紙袋から一個の林檎を取り出して机を挟み、カインの眼前に腰かけた。目に悪い、そう思うも彼女はなんら気にしていないようだ。確かに外出できる格好ではあるけれど、とカインはあまり体を見ないよう、ノーラの顔に集中した。
「あなたの宿がわからないから連れてきたの。感謝してね」
「それほど酔ったのか……ありがとう、ノーラ」
どういたしまして、とすげなく返されるが、その言葉に棘はない。少し心地よい沈黙に身を委ねながら、辺りを見渡してみる。石でできた無骨な作りの部屋が、三つある。一つはここで、もう一つはカインが寝かされていた場所、もう一つの閉じられている部屋はきっと、ノーラの寝室だろう。どれも狭く、大人二人が限度のように思う。窓から入りこむ日差しは明るく、角灯や蝋燭がなくても十分すぎた。
カインはノーラを伺うようにそっと見た。林檎をゆっくり食べている彼女の髪は染められておらず、声も今は元に戻っている。ここに入ってきたときはベリの声をしていたけれど。
「髪染めをしなくてもいいのか?」
「そろそろ神殿の建築祭があるでしょう。旅人が増えててね、おかげで買い出しも楽よ」
「祭……『栄護神メターデ』の、だったか。どんなものなんだ?」
「建築祭だから小さいわよ。神殿のお偉いさんが祝福の花を投げたり、みんなが踊ったりする程度。どうせ来月は『栄護神の月』なんだから、一緒にしちゃえば無駄な出費、省けるのに」
梨を食べ終えたカインはどう答えていいかわからなくて、残った芯をかまど近くの屑籠に放り投げた。入った。大分酔いが薄れてきたらしい。こめかみを襲う鈍痛も大分収まってきた。神殿がある領地は、と少し回ってきた頭の中で読んだ文献を思い出す。対応する神の月に神殿祭という大きな行事が行うこと、その程度はカインも知っている。淀になった記憶の縁を必死でかき回してみると、ほんの少し、手応えがあった。
凱旋よりも華やかに行われる行進、花冠をつけた女官たちが厳かに、それでも喜びを全身に表し踊りながら街道を行く心象が浮かんだ。思い描けた記憶の中で、誰もが楽しげで幸せそうだ。大神官が人々に、神前へ捧げた清めの花を振るまい、子供たちは宙に浮かぶ花弁を取ろうと躍起になっている。これはどちらの祭だろう、とカインは顎に手をやった。建築祭か、それとも月例祭か。記憶の中に浮かんだ柔らかで優しい見知らぬ思い出は、小さな町で行われているみたいだ。花のむせかえるような香りまで想起できて、カインはしばし、それに惚けた。
「祭、楽しみなの?」
林檎を食べ終え、カインと同じように芯を捨てるノーラが微かに笑ってそんなことをいうものだから、カインは我に返る。楽しみ、そう問われてカインは眉を寄せる。取り立てて信仰する神というものが見当たらず、あまりぴんと来ないのが本音だ。ただ、幸せそうな思い出は、ぬくもりをともなってカインの胸に降りてきている。少なくとも己を悩ます記憶や声ではないことに安堵した、そういった方がいいかもしれない。カインの心境を置いて、ノーラは意地悪い笑みを浮かべてみせた。
「ハンブレのことだから、あいつ、祭であなたのこと歌うでしょうね」
「それは……嫌だ」
「負けたんだから諦めなさい。やけっぱちになったあなたが悪い」
む、とうなってカインは腕を組み、どうしてそんなことになったのか思い出そうと躍起になった。ノーラは立ち上がり、かまどの方でなにか作業をし始めた。
確かデューを非難するかのような、揶揄するかのようなことをハンブレにいわれ、なんとなく気分が悪くなって反論しはじめたのがきっかけだったように思う。反論といっても、ほとんど口の上手いあの琴弾きに言い負かされていたような記憶がおぼろげながらにあるが。己でも、なぜそこまでむきになったのかはわからない。そこから話をそらされ、酔いが少し回ったところで勝負を挑まれた。瓶に入った蒸留酒を数本あおったところで、記憶が途切れている。
よろめきながら、ノーラに肩を貸してもらいあまり見覚えのない道を通って、それからどうしたか。寝たんだろうな、とカインは少し自己嫌悪に陥った。ノーラにまた、迷惑をかけてしまった。ため息をついて彼女の後ろ姿を見ると、なにやら野菜や肉を切っているようで、その音が耳に小気味よかった。
「水入れに水入っているから、顔洗うならそこでね」
「わかった、借りる」
視線に気づいたのだろう、ノーラがかまどの右横にある洗面どころのような場所を指さしてくる。カインは立ち上がり、小さな洗面どころで顔を洗い、塩で歯を磨くとかけられている薄汚れた鏡に目をやった。黄色い目は胡乱げではなくしっかりとしているものの、ノーラやフィージィがいうとおり少し日に焼けたのか、明るくなった髪の毛が無造作に跳ねている。櫛は宿場に置いてきてしまったから、水に濡れた手で適当にほぐしておいた。それから調子が外れている鼻歌を歌いながら、鉄鍋に橄欖油や野菜を豪快に投げこんでいくノーラの方を見た。
「なにを作っているんだ?」
「朝食。あなたも食べていく? 組合に行くんでしょう?」
「……いいのか?」
「なにが?」
きょとんとした、無垢な幼子のような顔で返され、カインは言葉に詰まる。いつものノーラだったら、いや、知っているノーラだったら、金銭か対価を要求してくるはずなような気がして。でもそんな様子なんて微塵もなくて、カインは少しまごついた。そんなカインを尻目に、ノーラはできあがった肉と野菜の炒め物を皿に盛りつけ、二つの食刺を机に置き、水入れと筒盃を手際よく準備していく。邪魔といわれ、カインはそれでも大人しく、違和感をそのままに再び椅子に座った。湯気から立ち上る香辛料の香りは少し強いが、腹を刺激する程度には美味しそうだ。
「ハンブレが奢ってくれたからね、昨日は。あいつに借りを作るのは嫌だけど、財布と思えば楽よ、楽」
「どおりで」
「だからなにが?」
機嫌がいいと思いました、とは口が裂けてもいえそうになく、カインは筒盃を取って水を飲んだ。冷たい水に頭がしっかりと覚めていく。二人で肉と野菜の炒めを食べながら、途中、今まであった出来事や黒い光のことなどを話した。二人きりで食事をとるのは久しぶりで、なんだかカインは嬉しくなる。レフのことを思うとやはり胸は疼くのだけれど。自分の分に胡椒をやはり、これでもかとかけながらノーラは食刺を持ったまま頬杖をついた。ちょうど、フィージィとデューの話題を出したときだ。
「どうしてそんなにデューのことが気になるの?」
「ノーラこそ。フィージィとあんなに仲良くなっているとは思わなかった」
「別に仲良くなったわけじゃあないわよ。女同士っていうのは大抵、共通する敵がいれば結束が強まるだけだから」
「敵?」
「ハンブレ」
ああ、と、塩が適度に振られている野菜を口に入れて納得した。フィージィが湖で発した言葉を覚えている。ハンブレのだまし討ちのような手腕に、一本取られたとフィージィも思ったのだろう。事実、カインも一本取られた気がする。己の歩調に相手を乗せ、手のひらで転がすかのようなやり方にまんまと引っかかったことを、今では後悔している。
「心配しなくても、十分あなた、町中で噂になってるから。二つ名持ちがもう一人、その名はカイン、って」
「そっちのことを心配しているわけではないんだ」
「二つ名をもらって、デューと衝突するのが嫌なの?」
衝突、そういわれてカインは素直にうなずいた。別に対抗意識を持っているわけではないが、デューはどうだろう。ソズムがいっていたように歩む道が重なったとき、デューは己のことをなんと思うか、それが心配の種だった。けれどノーラは肉を一口食べて、器用に片眉をつり上げる。
「あなた、これからのことって考えてる?」
「これから……?」
「そう、キュトススに残るのか、それともどこかへ旅に出るとか。この領地にある傭兵組合が全てじゃあない」
ノーラの言葉はもっともで、己の将来を熟考するためひとまずカインは食刺を置いた。
己の過去のこと、とりわけ黒い光についてはなにもわかってはいない。師のことも、どこから来たのかも。だからというわけではないが、上手く将来のこと、先のことが見通せない。このまま傭兵をキュトススで続けるのかも、あるいは旅に出るのかも。天護国は広い。王都領を入れても十の領地があり、傭兵として稼ぎながら行っても、全て回るには一年以上はかかるかもしれないということくらいまでは想定できるが、地図を思い起こしてもどこに行けばいいのかさっぱりだ。正直手詰まり感があり、知らぬ間にため息ばかり出る。
このまま慣れたキュトススにとどまる、そんなことも一瞬考えたりもしたが、デューの顔が浮かんで消えた。そして思う。己は、デューに、遠慮をしているのかもしれないと。なにから来るものかはわからない。勝手にこちらが、デューの境遇を哀れんでいるのかもしれない。それを表に出すのはだめだ、とカインは少しうつむく。それを出したとき、己は己を許せなくなるだろう。嫌気がさし、カインは自分の分を食べ終えて水を飲むノーラをじっと見つめた。
「ノーラは、どうするんだ」
「私?」
「キュトススにどうして、わざわざ来たんだ。六年前の件があるというのに」
「『栄護神の月』にいい<妖種>が出るのよ、ここいらに。それを狩りに来ただけ。終わったらまた旅に出るわ」
「そのときが、さよならか」
「そうね、さようならかもね」
なんてない口調でいわれて、カインの中に少し寂しさの風が吹く。さようならという言葉は嫌いだ。レフを思い出し、己の無力さに囚われてしまいそうになるから。でも、それよりももっとほの暗さをともなった寂しさがカインの心に宿り、思わず口を歪めた。まるで、親離れできていない雛みたいだ。まだ己の路とやらは見えてこず、無数にある選択肢のうち、どれもを選べていないのは、きっと大人ではない。
「あなたの腕ならきっと、どこに行ってもやっていけるわよ。私がいえるのは、ここに固着する必要なんてない、それだけ」
「流浪の傭兵か。それも悪くはないな」
カインは気楽な口ぶりで笑うノーラに、苦い笑みで答えた。そして気づく。旅立つときを連想した際、隣にノーラがいないことを落胆している己に。いつの間に、彼女の存在がこんなに大きくなったのだろう。いや、初めて会ったときから彼女には助けてもらってばかりいた、そのせいもあるのかもしれないけれど。想像するだけで悲しくなって、カインは残った炒め物を再び口にしながら、塩味と香辛料の辛さを噛みしめる。本当に、迷い子のようで嫌になる。迷い、悩み、まごつくことしかできない己はきっと、まだ子供なのだと思い知らされるような気がして、食べ物の味を堪能する体でごまかす。
結局は己次第。己に与えられた自由の重さと責任の大きさを持て余しながら、カインはまたこっそり、ため息をついた。




