3-13.誰がために
「あれ、カイン。もう帰ってきたの?」
傭兵組合から出、近くの酒場で早めの晩飯を取ろうと外に出たとき、ちょうどこちらに向かっているハンブレと出会した。
彼は両脇に娼婦と思しき女性を数人連れ歩いており、いぶかしげな視線が己へ注がれていることにカインは気づく。今噂の、とか、二つ名もらう予定の、とか、女たちは密かに何事かをささやきあっている。ちょっと待ってね、と露出も多い女性たちを置いて、組合の扉を閉めたカインへハンブレが近づいてくる。ハンブレを半分、ねめつけるようにカインは見た。
「まさか君が来ないとは思っていなかったみたいだが、イル・フィージィは」
「だって仕事が入ったからね。僕だって、生活をしていくためにはお金を稼がないといけない。それは君も同じでしょう?」
「確かにそうだが、あれはだまし討ちみたいなものだ」
「言うようになったね、君も。お得意様に呼ばれていたんだよ」
それから周りを見渡すように眺め、ノーラやデューがいないことに気づいたのだろう、癖のある、いつもの狐みたいな微笑みを浮かべた。
「二人は一緒じゃあないんだ」
「ベリとは酒場で待ち合わせをしている」
「ならちょうどいいや、晩ご飯一緒に食べようよ」
ハンブレの言葉を聞き止めて、女性の一人が抗議の声を出した。ハンブレはいなすように巧みな話術で女性たちをなだめ、渋々といった体で彼女たちを戻らせる。女性の数人がカインをにらみつけてきたが、正直己に当たるのは勘弁してほしい。それに、まだ返事すらしていない。けれどハンブレの中では、すでにカインたちと食事をすることに決まっているようで、帰って行く女性たちに愛想笑いを浮かべながら手を振っている。
ノーラと一旦別れたのは、医者に首の捻挫を見てもらうつもりだからだそうだ。彼女が寝泊まりする宿場まで送ろうとしたのだけれど、すげなく断られた。何かあったら大変だと言ったのだが、ノーラのかたくなさは相変わらずで、もう大丈夫とも言っていた気がする。そこにカインのつけいる隙はなかった。彼女は孤独を愛する隠者のような静けさで、カインが踏み込む一歩をやんわりと拒絶する。その姿を決して嫌いになれない己がいるのだけれど。
「デューはどうしたの?」
「その、ある人と一緒に、今はいる」
「パードレウ伯爵」
小さく笑ったハンブレが、まるで心の先を読み取ったかのように続けたものだから、カインは目を丸くする。一体、どこでその名前を聞いたのだろう。
「お得意様だからね、あのご老体は。今日、珍しく機嫌が良かったから話を聞いてみたんだよ。デューの知り合いなんでしょう?」
「そうらしい」
言って、カインは雑踏の中へと歩き出す。ハンブレが後をついてくる。ノーラとの約束があるから同業者からの誘いも断ったというのに、結局これだ。撒きたいという気持ちが先行し、大股で歩くけれどハンブレは水鳥のような動きで巧みに人混みをかわし、カインの後ろにぴったりとついて離れない。
別に、とカインはこっそりため息をつきながら思う。嫌いなわけではないけれど、またノーラが機嫌を悪くするだろうなと遠い目で、山の向こうに沈んでいく夕日を眺めながら。
◆ ◆ ◆
「いや、邪魔だから帰れ」
貧民街より少し、組合側に近い酒場でベリに扮したノーラが放った一撃は、しかしなんの効果もハンブレには与えなかったようだ。邪魔、といわれたのにもかかわらず、ハンブレは壁側をふさぐようにノーラの横へと座る。頭巾をかぶったノーラの顔が嫌そうに歪んだ。
こちらを見るノーラの瞳はすがめられていて、でもカインに非はないと悟ったのだろう、大きなため息を出して運ばれてきた葡萄酒を口にした。カインも仕方がないから、ノーラと対面するような形で机を挟み、腰かける。麦酒と適当な料理を給士人に頼み、しばらく喧噪だけが響くに任せた。
「随分暗いね。そんなにデューのことが心配?」
「どうしてわた……僕がデューの心配を?」
「パードレウ伯爵のことなら知ってるから、話してくれても構わないんだよ」
ノーラが諦めたかのように大きく、ため息をつく気持ちがカインにはわかる。そういうことではない、とカインも心中で頭を振った。
フィージィが去り際にくれた報酬は、予定していたものよりも多いものだった。湖で起きたことの口止め料、ノーラは渡された金額を確認しながらカインにささやいてくれて、それで納得がいった。主とされる大王亀を殺したとあっては、爵位持ちの連中からなにを言われるかわかったものではない。それをフィージィは懸念したのだろう。
もう一つ、カインが気になっているのは去り際に見たデューの顔のこわばりだ。突然競馬会に出てくれ、などといわれ、彼もずいぶん困惑したことだろう。部外者は余計、そうパードレウ伯爵に追い払われるようにして出てきてしまったが、彼とフィージィを一緒にしたまま、おいてきて本当に良かったのだろうか。カインには善し悪しの判断がつかない。
「パードレウ伯爵ってどんな人なの」
「偏屈なおじいさんだよ。僕の美声もけなすほどにはね」
「それなのに君を呼ぶのか」
「わかってないなあ、カイン。けなしておきながらも認めてるんだよ、僕のことを。それを表に出さないだけで。ああ、片目は失明して、もう一つの目もだめになってきてるみたい」
ノーラと二人で顔を見合わせ、うなずく。
赤茄子の汁で煮込んだ挽肉と、油で揚げた茄子などの野菜を合わせた料理をつつきながら、それならいささか合点がいくとカインは思う。彼、パードレウは、今年の競馬会が最後だと考えているのだろう。己の目で見るものとしては。だからこそデューに頼んだ。曰く付きのデューに、それでも狙いを定めたというのは彼自身の老いがそうさせたのか。ノーラは牛酪の欠片を飲みこんでから、ちょっと迷った末に口を開いた。
「フィージィはお願いされていたみたい。悩んでいたようだけれど」
「では、残る問題はデュー自身ということか」
「それだけじゃないと思うけどね」
「キュトスス公爵」
ノーラの言葉に、ハンブレは小さく笑みを深めた。蛇にも狐にも見える、不可思議な笑み。場違いなようなものに思える笑みが、なぜか煩わしく思えるのはなぜだろう。
「当然でしょう? いくらパードレウ伯爵がデューと懇意にしていたっていっても、それは昔の話」
「キュトスス公爵が競馬会に出てこない場合もあり得るわよ。伏せっているみたいだし」
「内緒で事を進める気なのかな、イル・フィージィは」
だとしたら、とハンブレはきのこを食べ、咀嚼してから微笑んだ。甘いとしかいうほかないよね。
そう言ってしたり顔で水を飲むハンブレに、カインは少し苛立ちを覚えた。それが顔に出てしまっていたのか、いたずらっ子が浮かべるみたいなおもてを作り、ハンブレは細くしなやかな人差し指を振る。
「考えてもごらんよ。あの姉弟の確執は、今に始まったことじゃあない。たくさんいろんなものが積み重なって現在に至るわけでしょう? それなのに突然、第三者が入ったからって、はいそうですか、なんて笑いながら手を取り合えると思う?」
「それを決めるのはお前じゃない、ハンブレ」
「ベリ、そうだよ。僕も無理だし君でも無理。カイン、君でもね」
「ならば結局、二人の問題ということになるのではないか?」
「三人の問題だね。父と娘と息子の問題。それに入り込むには、いくらパードレウ伯爵がデューに目をかけてていても、無駄かな」
ハンブレの言葉にカインは押し黙るように口をつぐんだ。ノーラもため息をつき、手元の羊肉をつついている。近くにいる集団から漂う、酔っ払うほど濃い酒精の香りがやけに鼻をつく。
渦中にあるデューは一体、どうする気なのだろう。帰り間際、声をかけたが彼の気はそぞろだった。難しい顔で何もいわず、ただ小さく頭を振っていた記憶がある。
カインは彼の本心を湖で聞いた。フィージィと距離を置きたい理由も、その意味も。しかし当のフィージィといえば、どちらかといえば距離を詰めていきたいような、そんな行動をとって彼を惑わせていた。二人の距離は脆い橋の上にあるような危ういもので、どちらかが踏みこもうとすればするほど心は揺れ、下手をすれば致命傷を負うことになりかねない。デューはまだ、とカインは珍しく麦酒をあおりながらほろ苦さを味わった。橋に乗ろうともしていないようだけれど。
だが、同時に思う。私人として交流するだけならば、公爵を除いて姉弟二人、当人同士の問題だろう。人の心はたやすく他者に命令され、決められるものではない。今回の件は公人としての関わりがあるから難しいのであって。
「パードレウ伯爵と公爵の関係は、どういうものなんだ?」
「おじいさんの方が、ご意見番みたくキュトスス公にあれこれ口を出していたみたいだね。結構発言力はある方じゃあないかな」
「それは今でもという意味? それとも昔?」
「最近、キュトススのことを考えるのは、イル・フィージィと皆は見ている感じかな。他の町でもそう。彼女は『キュトススの支柱』って呼ばれてるくらいだからね」
ハンブレは琴を持たない両手を広げ、大げさに肩をすくめてみせる。芝居がかった演技もハンブレが行うと妙に似合うのはなぜだろう、彼の持つ美貌がそうさせるのか。
「僕たちが考える意味ってあるのかな。カインは同業者だから、心配する気持ちはわからないわけではないけれどね」
「だから別に、デューを心配なんてしてない」
「じゃあ、イル・フィージィの方?」
ハンブレの揶揄するような笑いに、ノーラは黙って塩を多目に振りかけた羊肉を頬張る。すくめた肩を揺らし、ハンブレは小さな、鳩のような笑いを漏らした。
「随分優しいね。彼女が気に入りでもした? お友達にでもなりたいのかな。ベリに友達がいるなんて話、僕は知らないけど」
「僕を全部知った気がしているなら、それはお前が傲慢に過ぎる」
「本当に?」
粘っこい、含みを持った笑いの追求をノーラは無視した。それこそ氷の仮面みたいな顔になって、カイン側の方にある野菜を食刺で貫き、口に入れる。代わりといわんばかりに羊肉が空いた皿に載せられる。ノーラの一連の動作によどみはなく、狼狽の様子も見当たらない。これは、ともらった羊肉を一つ食べて、塩の多さに顔をちょっとしかめる。どちらかといえば、怒りの感情を抱いているときの彼女だ。そう思うカインは、己が思った以上にノーラを理解できている心の動きに動揺した。
確かにノーラとは寝食を共にし、戦いも一緒に何度かこなした。命も救った。そして救われた。それでもまだ、ノーラが言うとおり、彼女を全部理解できたなんて微塵も考えてはいないのだけれど。そこがもしかしたらハンブレと己の違いなのかもしれない。長年付き合いがあるというハンブレと己とでは、あまりに分が悪いが。
分が悪い、と一瞬感じた気持ちがわからなく、ともかく口の中の塩気をごまかすため、麦酒を飲んで窓の外を見つめる。人通りは未だ多く、暗い空には月が薄曇りを帯びて出ていた。目線を外しかけた一瞬、見慣れた翡翠色の髪と銀の胸板を認めてカインは思わず立ち上がる。
「カイン?」
「デューがいた」
ノーラの言葉にそれだけを答え、椅子を蹴るように駆け出した。外に出、人の流れを掻き分け、翡翠色の頭を追って無理やり体をねじ込ませる。罵詈を受けながらもなんとかゆっくり歩くデューへその手を伸ばし、肩に手をかける。
よっぽど惚けていたのか、デューは体を震わせ、驚いた様子で振り返った。カインの腕を払うようにして。数人何やらこちらを見る視線が気になったけれど、それどころではない。デューの動きは緩慢で、表情に乏しく生気がないように思えたから。
「なんだ、お前か」
カインの姿を見、どこか安堵した様子でデューは肩から力を抜いた。人の波がカインとデュー、立ち止まる二人の間を割って流れていく。中には露骨に顔をしかめるもの、舌打ちをしてくるものもいるが、デューがその場から動こうとしないものだからカインもまた、それに従う。
「大丈夫か、デュー」
「別に。なんともないぜ」
薄笑いを浮かべるデューにはやはり、覇気がない。何があったのだろう、カインは一瞬迷い、それでも一歩、勇気を振り絞ってデューの心に踏みこんだ。
「どうなったんだ、話は。例の」
「ああ……あれね」
デューは頭を何度も掻いて、迷った末に困ったような笑いを浮かべた。でも、その瞳の奥にある意思は、強い。
「オレ、出るわ」




