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玻璃の娘 黒の王~カイン、あるいは殊魂の話~  作者: 阿住しおみ(実緒屋)/忌み子の姫は〜発売中
第Ⅲ幕:過去と現に流れる記憶

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3-1.変わらないもの


「あれが戻った」

「そうであったか」

「いかがする」

「捨て置け。ひとときの戯れでしたこと、お主の一撃を食らうとあらばその程度よ」

「……」

「不服か。予定の報酬はくれてやる、この話はこれで仕舞いじゃ」

「……確かに受け取った。だが、最後に忠告してやる。あれを放置していれば、いずれ痛い目を見ることになるぞ」

「所詮近いうちに死ぬ身よ。それまで生かそうとしてやるのは恩情というもの。のう、わしは良き領主ではないか、名のごとく、平凡素樸に過ぎるがな」


  ◆ ◆ ◆


 雷に切り裂かれたような姿で棒立ちになっている案山子かかしの足下には、切られては散った藁がいくつも散乱しており、しかも転がっているのは一体だけではなかった。肩で息をしているカインは薄茶色の中衣と股下を着ていて、そのあちこちに汗がにじんだ後がある。闇雲に切り続けて、陽が真上間近に昇ってもなお、カインには夜明けから始めた行為をやめる気はない。


 ――お前は希望。

 ――希望にふさわしい行動をとった。


「黙れ」


 踏みこんで案山子の腕を切り上げる。束ねられた藁が音を立て、地面に落ちる。その音もむなしく森の近くに響くだけで、延々と響く頭の中の声は声音を変え、カインの頭蓋を揺さぶる。


 ――正しいことをしたのに。

 ――どうして怒っているの?


「黙れ!」


 稽古用の大剣を型すらなっていないままに振りかぶり、案山子の胸を裂く。物に当たってもどうしようもない、そんなことはわかっている。けれど体を動かしていなければ、脳と心を震わせる声はひっきりなしに己を苛むし、人ともうまく話せない。


 実質、キュトスス領都に戻ってから約七日、ノーラと別れ、一週が過ぎたがどの組合にも顔を出していない。けれどノーラが払ってくれた契約金は多額で、組合からも遠く、中央通りからも少し離れている安宿で簡単な食事をしたり、泊まり続けるのなら、他の仕事を入れずとも構わないほどである。なんとなく人と話すのはおっくうな気がして、こうしてただ、宿場の裏庭を借りて稽古と呼べる代物を繰り広げている日々が続くことに飽きる暇すら許さないというように、脳裏の声はひどくなっていく一方だ。


 唇を噛み、もう何体目になるかわからぬ案山子を完全に地面に倒したとき、宿の方から聞こえる一つの足音を鋭利になった聴覚が捉える。剣を持ったまま振り返れば、そこには見慣れた琴弾きが目を丸くして立っていた。


「……ハンブレ」

「すごい顔してるよ、君」


 一体いつ、こちらに向かっていたのだろうか。気配を感じさせぬハンブレの言葉に、それでもカインは取り繕える状態にない。そんなことを意に介さぬ琴弾きは、いつもの謎めいた微笑を浮かべていて、まるで作られた彫刻みたいだな、と痛む頭の端でぼんやりと思った。


「うふふ、久しぶり、カイン。どこにも姿出さないんだもの、こっちから来ちゃった。宿探すの、大変だったんだよ」


 言われて、カインはようやく少し落ち着かない気持ちで視線を外した。頭痛がひどい。一度に疲れがどっと押し寄せて、無理を続けたためか体の節々が痛んだ。剣を持つ手が自然と垂れ下がり、先が下にあった小石を撥ねさせる。


「何か用があってきたのか?」

「つれないなあ。ノーラ、っと、ベリも調べ物とかで忙しいみたいだから、どうしてるのか見に来てあげたのに」

「調べ物……?」

「それも教えてくれなかったよ。カインに聞け、だってさ」


 切り株に腰かけて手を蝶のように振るハンブレは、つまらなさを前面に押し出してため息をついている。どうやら好奇心いっぱいの彼には、ノーラが何を調べているのか知りたくてたまらないみたいで、子供のように拗ねるハンブレはどことなく、ベリになったノーラを彷彿とさせた。多分、と掻いた額の汗を手の甲で拭いながら、カインは痛む頭で思案する。彼女が調べてくれている物事は、黒い光についてのことだろう。共有した秘密を簡単に明かさないところがノーラの誠実極まりなく、カインの印象をより良くしたし、ありがたいとも思う。


「全然相手してくれなくてね、今も酒場で本ばっかり読んでるよ」

「そうか」


 久しぶりに話す相手がハンブレであったことは、少しカインの緊張をほどかせ、稽古用の大剣を地面に投げさせるまでした。ソズムであったらすぐに組合に連れて行かれるだろうし、デューとはうまく話せる自信がない。ノーラであったらどうしたか、は予想がつかない。ハンブレは散らかしっぱなしの裏庭を呆れたように見て、目を数度、瞬かせる。


「ずっと剣の練習?」

「一応、そんなところだ」

「宿屋のおじさんが気味悪がってたけどね。ずっとぶつぶつ言いながら剣を振ってるって。少し続けすぎじゃあないのかい? 体、壊すよ」


 カインは何も言えなかった。確かに、端からして見ると気狂いの類いに思われても仕方ない。朝だろうと夜だろうと、構わず剣を振り続けていたのだから。


「そろそろやめて、ご飯でも食べようよ。君はお腹が空いてない? 奢ってあげるからベリのところに行こう。話、聞かせてほしいし」

「ふむ……」


 腕を組んで、少し迷う。確かにここ数日、カインはろくなものも食べずに剣を振るっていた。せいぜい口にしていたのは果実と木の実くらいのもので、少し肉を恋しく思い始めていたところだ。食べ物に釣られるわけではないが、ノーラが調べていてくれているであろう黒い光について、なんらかの進展は見受けられただろうか。ノーラから連絡はなかったけれど、もしかしたら傭兵組合の方に書簡でも入れているのかもしれない。どのみち、とカインは収まり始めた動悸の中、ようやく聞こえなくなった声に安堵しつつうなずいた。ノーラの居場所はなんとなく把握しておきたかったし、組合の方にもいい加減顔を出さなくては、ソズムの気を病ませることになる。悩みやあった出来事をハンブレに話すべきかで悩んだけれど、ノーラがいてくれるのなら上手くごまかしてくれるだろう。


「ここから近いのか?」

「少しだけ距離はあるけど。ああ、ベリは宿を取っていないよ。家も違う場所を借りてるからね、前の隠れ家に行っても会えない」


 カインの心中を先に読んだかのように、ハンブレは狐にも、蛇にも似た独特の微笑みを浮かべた。なるほど、ハンブレが言っていたように準備は怠っていないようだ。刺客はエペーサに出立してからというもののすっかりなりを潜めていて、それでも念には念を、といったところだろうか。万が一ノーラが襲われた場合、カインには駆けつけたい気持ちがある。やはりここはハンブレと共に行くべきだと感情が告げた。


「わかった、一緒に行こう。案内してくれ」

「その前に」


 ハンブレはまじまじと、まるで品物を見定めるような目つきをしてからわざとらしく鼻をつまんだ。


「君は湯浴みと着替え。汗臭いのは僕、嫌いなんだ。きっとベリもね」


  ※ ※ ※


 領都の活気は、エペーサと比べることができぬほど明るく盛大で、中央通りの人の多さにはやはりまだ慣れそうにない。石畳を盤の目に見立てて遊ぶ子供たち、大道芸人や商人たちが張り上げる声にはやかましさと同時に力強さもあって、カインはなんとなく心が穏やかさを取り戻していくのを感じていた。人混みは苦手だが、活力を分けてもらったような気持ちだ。共に歩くハンブレが露天商を指しては流行りの氷菓子とか、最近人気の玩具おもちゃだかを紹介してくれて、話題に事欠かない。湯浴み上がりのほてった体を優しい秋風が撫でていき、心地よさすら感じる。


 人の波をかき分け、中央通りを海岸に出る道に行くと、途端人数が減った。道の端に作られた溝でうごめき、排泄物やごみを食べる不定形の<妖種ようしゅ>が見えるほどまでには人影がなく、開けた視界にほんのり赤みがかった紅葉がまぶしく映る。あばら屋程度に作られた民家が多く、中央通り付近で見かけた石造りの精巧な建物はひどく少ない。


「ベリは本当にこっちに?」

「爵位持ちの家からは遠いし、検問官もあまり来ない。何かあっても逃げる機会が増えるからね」

「なるほど」


 たわいない会話を繰り返すことで、カインの心は完全に平穏を取り戻す。こんなことならもっと早く組合の方に顔を出していれば良かったかもしれない、そう思った刹那、レフとレフィナの顔が脳裏をよぎり、心臓が締めつけられた。レフが己を憎むのは許せる。けれど、心のどこかでまだ、カインは己を許せそうにない。そう感じる気持ちが何から来ているかわからず、欲求の行き場がなくなり、稽古のまねごとばかり繰り返させることになったのだけれど。


「あれ? ベリだ」


 ついうつむき始めた顔を反射的に上げると、そこには頭巾をかぶり、書物や巻物を携えた人物がちょうど酒場と思しき建物から出て行く姿があり、颯爽とした歩き方でようやくノーラだと判別がついた。一瞬だけ迷ったのは、彼女がいつもの甲冑を外し、緑色に染められた筒型の衣に身を包んでいるからだ。


「ベリ、どこ行くの? 調べ物は終わり?」

「ハン……」


 良く通るハンブレの声で瞬間、周りの注目を浴びた彼女は肩を怒らせたが、何かを言おうとした口は途中で止まった。多分、己を見てのことだろう。辻馬車が通るのを見計らってから、大股でこちらに近付いてくる彼女の頭巾から覗くのは染めていない濃紺の髪で、声は確かに低い少年らしいものになってはいるのだけど、なぜかカインは少し安心する。


「大声を出すな、ばか」

「どこかに行こうとしてたから、声をかけるのは当然のことだよ。ねえ、カイン」

「そうだな」

「カイン、君は連絡も入れないで何をしていた」


 二色が広がる瞳で睨まれて、カインは一瞬押し黙る。正直に話したら怒られるかもしれない、そんな風に萎縮してしまう己がいることが少し、情けない。


「剣を、その……いや、あの、稽古をしていた」

「……そう」


 想像していた叱咤が飛んでこなくて、カインはちょっと驚く。しかもその声音には哀れみにも近い優しさが含まれている。それきりノーラは黙ってしまった。様子をうかがうように己とノーラを交互に見返したハンブレが、気まずさにも似た空気を拭い去るようにとりわけ明るい声を出す。


「ベリは調べ物、まだするのかな」

「ここで話すことじゃあない。適当な店、知ってる?」

「ぴったりの店があるよ。カインもそこでいいよね」

「あ、ああ。どこでもいい」


 話を振られ、動揺しながらもうなずく。店や食べ物については遙かにハンブレの方が知っているだろう、彼に任せれば大丈夫だという安心感は確かにあった。


 ついてきて、と先頭を行くハンブレの後ろを、ノーラと共に歩く。陽の日差しすら高い建物に遮られ、どこか薄ら寒い裏通りを歩く間、ノーラは何もしゃべらなかったし、カインも何から話せばいいのかわからず、口を閉じていた。内心、居心地の悪さは感じてはいる。ノーラからもらった金を無碍に使ったことに対する罪悪感だ、とカインは思う。ハンブレは最近貴族の間で流行っていること、今から行くらしい酒場の料理のことを話していたが、ノーラは答えず、ただカインだけが相槌を打っていた。しばらくすると誰もが口を閉じ、奇妙に降りた沈黙の中、ほどよい喧噪が間を走り抜ける。どうやらある程度、人気のあるところには出たみたいだ。


「あなたの気持ち、少しわかるわ」


 歩き方を緩め、ハンブレとの間を絶妙な距離で開いたとき、ノーラがごくごく小さな声でぽつりとこぼした。


「初めて人を殺したとき、私もそうだった」


 慰めにも似た台詞が、人の声でかき消される。それでも声に残った柔らかさがカインの心を解きほぐす。そして理解した。己のやり場のない感情は、そこから来ているものなのだと。初めて人を殺めたことに対する無力感と悲しみが、カインを責める要因になっていたことを。きっと、ノーラは慰めだけで言ったわけではないことはカインにだってわかった。それほど彼女の声は真剣味を帯びていたし、陰惨としたほの暗さがこめられた言葉にどう答えようか迷ったとき、ノーラが静かに、遮るように腕に触れた。気づけばハンブレは足を止めていて、筒盃フィッザの看板を掲げた二階建ての建物を見上げていた。ハンブレは初めて振り返り、こちらを見て微笑む。


「ここ、地下もあるんだよ。料理も美味しいしね。さ、中に入ろう」


 ハンブレが木の扉を開けて中に入ると、ノーラも何も言わずその後に続いた。道端で一人になって、カインは初めてため息をつく。知らずのうちに頭の中で繰り返されていた声はひっそりと沈黙を保っている。誰かと話すことで気晴らしができるとは思わず、今はただ、ノーラとハンブレの存在に感謝した。変わることのない存在がどれほど貴重なものか、なんとなくわかった気がして。

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