11月(1)
真夜中のその店には、そいつしか客がいなかった。
そのちっさいのの、今日の恰好は、真っ赤なフード付きのレザージャケット。
それは椅子にかかってて、いま見えているインナーは、黒いチェックのTシャツ。背中にはボロボロに崩れた白い天使の羽根がプリントされている。下はシンプルに紺色のチノパンだ。
ラーメンを待っているカウンターに肘を置いて、組んだ手の指にはごついドクロのシルバーアクセサリー。
とにかくその恰好は、真っ赤な髪によくフィットしていた。
彼はあたしの方を振り向かないし、あたしに気づいていない。
ラーメン屋の扉を開けた瞬間に、げって思ったけど、だからといってUターンして引き返すのも癪だし、入り口近くにいる彼の死角になるように角の席に座った。
彼の後ろを通った時、ふわっとラーメンじゃない匂いがした。甘いけど、薄荷みたいにすっとする。
(あー、煙草吸いたい)
その香りからメンソールを連想するあたしは、やっぱり女子として駄目だろうか。
つーか、ラーメン屋でも感じられる香りって、どれだけ香水をつけたくってるんだろう。
その子のことを意識しつつも、あたしの指は無意識に灰皿を引き寄せていた。
「ご注文は」
「……、めん」
彼はまだあたしに気づいていない。だからなるべく小さな声で言った。
「はい?」
裏目に出た。聞こえなかったようだ。
「チャーシューメンっ と餃子セット……ください」
だけど今度は、声がでかすぎて、不自然だ。
「あ」
そいつが、顔を上げたのがわかった。
視線に気づかないふりをして、あたしはようやく煙草をくわえて、ライターを鳴らす。
ひゅっと息を吸い込むと、フィルターに火が移る。
灰色の煙が一筋上がって、店の換気扇に吸い込まれていく。
息を吐くついでに、ちらりと視線を向けると、そいつはあきれるように眉をひそめていた。
彼はあたしを覚えているんだろうか。覚えていて、あきれているのか。それとも、だらしない恰好した女がひとりラーメン食っているのに、あきれているのか。
(ええ、ええ。真夜中に、ラーメンと餃子食って、煙草吸ってますよ)
だから、なんだっていうんだ。
「ほい、いつもの。」
先にきていた彼の麺は“いつもの”。またあの真っ赤なラーメンだろう。
灰皿に、小さなオレンジ色の火の粉が落ちる。それが焦げ付いた黒にくすぶるまで見届けてから、そろそろ彼もラーメンに夢中だろう、と顔を上げる。
(うッ……!)
彼は、挑むようにあたしをぎ、とにらんでいた。
そして、見せつけるように。どんぶりから麺を持ち上げたと思うと、ようやくラーメンに視線を戻し、一気にすすった。
(こいつ、あたしのこと覚えてる……っ)
その様子を見て、あたし確信する。
こいつは、あたしが、そのラーメンを馬鹿にしたことを覚えてる。
「はい、こちらもチャーシューメン、お待ち」
温かい店内で、なぜか薄ら寒さを感じながら、自分のどんぶりに集中する。
(ラーメンは美味しい、美味しいんだ……!)
自分に言い聞かせながら、必死で美味しさを追おうとする。だけど意識が、どうしても持っていかれる。
彼を意識して、彼に持っていかれる。
それが、悔しい。だって、あたしは。ここに美味しいラーメンを食べに来てるのに。
味わわないと、損じゃない。
なのに。どうして、こんな嫌な気分にさせられるんだ。
意識したら負けだ。自分をみじめに思ったら負けだ。
そう、言い聞かせているのに。
「おおい、お会計」
あの男の子の声だ。
あたしはどんぶりを見ている。顔なんか上げてたまるもんか。
「なんだよ、レシート?」
「いや、別に」
早く帰ればいいのに、ドアがなかなか開かない。
気配がした。肩の。すぐ後ろに。
息が、かかりそうに近く。
(……ぐ、)
あまりに耐えられなくて、錆がはえたロボットみたいな感じで、首をゆっくり動かす。
根元まで鮮やかに染められた紅い髪。
伏し目がちな目には、長いまつ毛がびっしり生えていて、人形のようだった。
彼はきっと自分がいま、どんな顔をしているか、ちゃんとわかってるんだろう。
ゆっくりと唇の端を片方あげて、顔を歪める。
計算されつくした嘲笑は、ある意味美しかった。
「……はッ」
香ったのは、ミントの香りじゃなくて。唐辛子のスパイシーな吐息。
馬鹿にされたように笑われて、あたしは彼に、前回の逆襲をされたことを知る。
ようやく再会してくれました。お互いを意識しています。