9月(1)
ひとり牛丼。ひとり回転寿司。ひとりファミレス。ひとりで宅配ピザもした。ひとり映画館も余裕だし、3年前から夏休みはひとり旅に行っている。
(いーい時代になったもんだ)
9月も半ばを越え、ようやく暑さが和らぎ、夜は肌寒くなってきた深夜1時。
あたしは、近所の家系ラーメン屋にひとりで入り、注文したチャーシューメンを待っていた。一本向こうの通りのコインランドリーに洗濯物をぶち込んだ待ち時間。とりあえずテーブルのゴミも、冷蔵庫のゴミも、もしかしてまだ食べれたかもしれない食材も、みんなまとめて、ゴミ袋につめた。
そして、ベッドに突っ伏して、夜まで眠って。いま。
ビール以外に何も食べていない。なのに消化にいいとかじゃなく、こういうジャンクで肉食なものが食べたくなるのはなんでなんだろう。
どうしてか、散々寝たはずなのに、寝過ぎた日の方がぼーっとする。
今日はもう、朝まで寝られないだろうな、と思いながら積んである灰皿に手を伸ばす。
ぼさぼさの髪をかき上げて、カチっという安いライターの音が響く。数年前まで付き合ってた彼氏はいつの間にいなくなって、煙草の癖だけがあたしの中に残ってる。
閉店まであと30分。ラストオーダー前に駆け込み、という時間帯。店には誰も客がいない。
カウンターの向こう側、麺を茹でる、小麦粉の匂いを含んだ蒸気をぼんやり見ながら、ふう、と煙を吐く。
吸い上げた煙草を死ぬほどうまい、と感じる日もあれば、紙みたいに薄っぺらい、と思う日もある。
(いずれにしろあれだ。生きている気がしない)
ちょっと前までは、良くも悪くも情緒不安定で、浴びるように酒を飲んで、徹夜で騒いで、でも家に帰ってきたら号泣、みたいなことを繰り返していた。
しかし20代も半ばを越して、いまは涙も枯れ果て、飲みに行くのも疲れるから面倒くさい。
28歳。友達の結婚ラッシュを横目で見ながら、いま、あたしのそばに友達も男もいなくなったことに、一応焦りは感じている。だけどどこかそのことが他人事のようだ。いま、あたしは、あたしのあの部屋に誰も寄せ付けたくはなかった。
誰かを受け入れる隙間なんて、どこにもない。ゴミと洗濯物と、煙草の煙で人生の余白が埋まってく。
一本煙草を吸い終わった頃、厨房の奥側から赤いどんぶりが近づいてきた。
「はい、チャーシューメンの方」
塩と油を含んだ、ラーメン独特のねっとりとした湯気が頬にかかる。
ポケットに入れっぱなしのゴムで髪を適当に結わいて、割り箸をぱきり。
もたっとした太麺をつまむと、ずぞっと一気に吸い上げる。
(うまい)
一気に食べて、鼻水と一緒に息をすする。
オレンジに近い茶色のスープ。踊る6枚のチャーシュー。肉と肉の間を埋めるようなメンマと、細く、まっすぐ、均等に切られた白髪ねぎ。二つに割れた半熟卵は、とろりと黄身が溶けている。
(うまい、うまい、うまい)
食べていると、あたしは何かを忘れる。忘れると、生きている気がする。
動物的に、ただ、生きていると感じる。
それでいいか。生きてる理由なんて。ただ飯がうまいで。それでいいか。
ラーメンがうまい。それでいいのか。
そんな風に生きている実感を込めて味わっていたさなか、カラリ、とガラス戸の開く音がして、外の風が一瞬、店内に入り込んだ。
「お客さん、今日はもうおしまい……ってお前かよ」
「いつものね」
カラリとガラス戸が開く音がして、入り口近くの席に誰かが座る。
どうやら、常連さんのようで、いつも黙々と作業をしている、店長さんの口調と表情が崩れる。精悍な顔つきだと思っていたけど、どこか幼さが漂い、あたしは彼が意外に若かった事を知る。
麺を掲げて、ふーと冷まして、店長さんの顔を見ていたあたしは、一口食べて思わずむせた。
「げほっ」
店長さん肩越しに見えた、友人風のお客さん。
(カタギの恰好じゃない)
あたしよりも年下。10代か。いや、20歳はいってるか。小柄な体つきなので、年齢は判断できない。
その子は、色鉛筆の朱色みたいに真っ赤な髪にサングラスをしていた。紫に近い闇のような深い青のレザージャケットを椅子に掛けると、手のひらの骨格をモチーフにした派手な黒いTシャツが現れる。身長はあたしと同じくらい。小さい背丈に、原色の派手なファッションが、妙に合っていた。
その子は不機嫌そうに、口をへの字に曲げて、唐突に店長にこう言った。
「お前、女の子の部屋が汚いの、どこまで許せる?」
「なんかあったのか」
水が入ったコップを差し出しながら、店長さん。
「一点もののボタン紛失事件」
「ありゃ」
「全然悪びれずに、“家も汚いんですー”だと。
なんの言い訳だっつーの。俺はないね。全然ない。ちょっとでも汚かったら百年の恋も冷める」
「言うねえ……」
話題が話題なので、思わず食べる手をとめて聞き入ってしまった。
雑誌からそのまま抜け出た衣装か、と思うほどこのラーメン屋で彼のファッションは浮いていた。だけど、着せられている感じはしない。こういう服を着慣れているっていうのは、芸能界的な「非日常」を送っている人なんだろう。
彼にとって、皺だらけのTシャツと、洗いざらしの2800円のジーンズを履いているあたしは、まるで理解できない異世界人か。
ただあたしはこの恰好。女子としてはどうかと思うけど、この店にふさわしい衣装をまとっていると自負してる。
(ほっとこ)
気になる話題ではあったけど、気にしないふりをして、あたしは食べることを再開した。何を言おうと相手は異星人。気にしていたらラーメンが伸びる。
なのに、そのさなか。
「つーか俺、意識低い系女子、マジ無理だから」
すっごい単語が聞こえた。
(意識低い系女子、だと?)
ラジオからこの言葉が聞こえて、ムカッときたのはノンフィクションです(笑)