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意識低い系女子。  作者: 門川とき
番外編1
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番外編 待ちわびた春(彼視点)2

 隅田川を渡る遊覧船を見ながら、俺は何を描くでもなくスケッチブックを広げ、色鉛筆をもてあそんだ。水面を覆うように漂う桜色の花びらが、曇り空と合わせて、どこか哀れっぽくてセクシーだ。

 ふと、ほんの少し茶色くあせたピンクのシャツと、グレーのスカートをデッサンする。

 次から次へと舞い込む仕事に追われる日々だが、時折スケッチブックだけを持って町に出る。誰に頼まれた仕事でもなく、リラックスした状態で、思いつくままにデッサンをする時間を俺はずっと大事にしている。


『クリエイターには、自由になる時間が必要だ』


 初めて日本のファッション雑誌に服が載った時、カメラマンが俺に言った。

 業界が長いカメラマンで、モデルの服を着付けたり、冗談を言ったり、怒らせてみたりして、いろんな表情を引き出す人だった。

 そこで俺はモデルが服を着こなした時、服の力が最大限引き出されることを知ったし、写真というのはシチュエーションや背景だけでなく、様々な作り手の物語が重なり合い、新しい世界を創造する作業だということを教えられた。


『自由とは、何にも捕らわれない状況で、大事なものを見つめることだ』


 会ったことは数回。飲みに行ったのは成人して会った2回だけ。

 だけど、俺は勝手にその人の教えを守っている。


『男だとか、女だとか。20代とか、50代とか。日本人だとか、外国人だとか。

 この服にいくらかけただ。成功したらどうなるだ、失敗したらどうなるだ。

 そのことから解放されて。ただ、大事なものを見つめるんだ。』


 恋人でも。家族でも。友達でも。ペットでも。

 あこがれのファッションビルや、読み過ぎてすり切れた雑誌、絶対に捨てられない勝負服だっていい。


『何にも捕らわれない心で、大事なものを見た時、そこにインスピレーションが降りてくる』


 がむしゃらに技術を磨き、どうにか市場を獲得し、人に求められるようになろうとしていた頃には気付かなかった。

 今持っている創造力をすべて出し尽くしてなお、新しいものを作り続けなければいけない局面になって初めて、その言葉の重みに気付く。あの頃の自分は今持っているものでさえ、差し出してはいなかったと。

 もう60になるかという、大ベテランのカメラマンは人懐っこく、スタッフの誰もに笑いながら昔話をする、そんな人だった。

 赤い生地のドレスをまとったモデルに、片足で立つように指示をし、今にも脱げそうなハイヒールの揺れる瞬間をカメラに収めて、笑う。


『生きている限り、何かが変わっていく。その変化の中の生命力が、世界を創る』


 インスピレーションとは、その変化を捕らえる人間の本能だ。

 結局のところいつだって、人間は本能で仕事をする。

 桜がきれいだとか。人を待つ時間が、穏やかだとか。

 そういうものへの情緒的な共感性と、生きていく時代の未来が合致する時に、化学反応が起こる。新しいデザインは、「前からずっとそこにいました」とでも言うように、そこにいて、自分の中の焦点が合った時、電撃のように体に感動が走る。

 結局のところ創造性とは、それを見つけ続ける力に過ぎない。見つけたものを「形にする技術」も、そのための素材やお金をもぎっとってくる権力や政治力も、絶対不可欠だけれども、それだけではだめなのだ。それだけではきっと、いまを生き延びられない。

 懐中時計をぱかりと開くと、時間は14時20分。

 間ち合わせは14時だから、彼女はもしかしたら、来ないかもしれない。

 連絡先も知らないから、確認するすべはないけれど。


(会いたかったな)


 もし会えたら。自分の中に新しいインスピレーションがわき上がる予感がしていたのに。


「甲斐さん」


 こんこん、と個室の扉が叩かれ、店長が部屋に入ってきた。


「お節介かもと思ったんですけどね」


 手にはテイクアウト用の紙袋。

 背中で個室の扉に寄りかかり、押さえながら入り口を指す。


「外に女の子がいて、声をかけたけど、中には入りたがらない」


(来た)


 俺は立ち上がった。


「ありがとう」


 落ち着いていたつもりだったが、思っていたよりも、自分がすごく緊張していたことに気付く。

 会いたいという俺の気持ちは、幻かもしれない。勝手に美化されていた像は、現実にはいないかもしれない。

 だけど。きっと彼女は。俺の送ったショールを着ている。


(見たい)


 椅子に掛けていた上着を羽織って、紙袋を預かった。


「中身。片方はココアにしといた。緊張してそうだから、ほぐしてあげて」


 そう言って、彼はいってらっしゃい、と手を振る。


(これは、亜門のこと笑えないな)


 彼女の元に走る俺は、たぶんきっと、間抜けな顔をしている。




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