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意識低い系女子。  作者: 門川とき
番外編1
12/15

番外編 待ちわびた春(彼視点)1

続編を、と言ってくださった皆様、ありがとうございます。

再会の4月をUPいたします。

 ファッションは今の自分を発信する鏡だ。

 朝起きて、シャワーを浴びて、髪を乾かし、クローゼットを開ける瞬間はいつだって胸が躍る。

 特に今日。俺は自分がどこか浮き上がるような心地になるのを感じていた。

 新作のライダースジャケットは、肩章(エポレツト)の部分に小さく貝のモチーフを入れた。色は黒に近いが茶系で、春のシーズンに合わせた。

 サングラスは薄いイエローのティアドロップ型。これはこの出張でデザイナーから直接もらったものだ。

 時計はアンティーク風の懐中時計をベルトループにくぐらせる。ゆっくり待ちたかったから、腕時計はしたくなかった。

 靴はレザー生地を使ったスニーカー。持ち物は財布と携帯、スケッチブックと、ペン類を入れた布ケースを、手持ち鞄(クラツチバツク)に入れた。それだけ。パソコンは置いてきた。仕事はしない。

 平日の昼間。すいている電車を乗り継ぎ、目的の店へ。

 金色のバングルをした手で扉を開けた。カラン、カランとドアベルが味のある音を鳴らす。


「ああ、甲斐さん。お帰りなさい」


 馴染みの若い店長がコーヒーのドリップポットを傾けながら一瞬だけこちらを確認し、再びフィルターを真剣に見ながら、口元だけで微笑んだ。

 コーヒーの匂いが染み込んだような、飴色に光る一枚板のカウンター。背後に並ぶティーカップ、コーヒーカップは客の雰囲気に合わせて店長が選んでくれる。

 いらっしゃい、ではなくお帰りなさい、と言ったのは、俺がつい昨日海外から帰ってきたことを知っているからだ。

 俺の名前は、甲斐マコト。日本でも海外でもファッションブランド”Coquillage(コキアージユ)”、総合デザイナーKAI(カイ)として、名が知られるようになった。

 ”Coquillage(コキアージユ)”はフランス語で「貝」。名字の”かい”から取ったモチーフだ。

 店長はちらりと俺の方を見て、白磁に金のラインが入ったカップをさっとお湯で温め、拭き取る。一連の所作は5秒もかからない。

 コーヒーサーバーから注がれたコーヒーが、カップに入るとふわっと匂いと湯気がたつ。


「K&Gデパート、70周年イベント。成功おめでとう」

「どうも」


 老舗の喫茶店のような構えだが、彼はデンマークでバリスタの修行をして、5年前に帰国。日本におけるサードウェーブコーヒーの先駆けとして、隅田川沿いの店舗を開店した若手起業家の一人だ。

 俺は彼とSNSを通じて知り合った。若手起業家の何名かのグループで時折異種業界の情報交換やビジネスチャンスを探して、飲み会や朝食会を開催しているうちに、妙に気が合い、時折は友人として2人で会うようにもなった。

 一通りの近況報告をしたあと、不意に思い出したように店長が言う。


「この間、甥御さんも来ましたよ。女の子連れて」

「生意気な」


 甥の甲斐(かい)亜門(あもん)は、親戚の中で唯一俺と同じファッション業界に進出した人間で、中学の時にスカウトされて以来、モデル業をやっている。事務所はタレント業も併用させたいみたいだが、奴としてはモデル一本でやりたいらしく、時折その愚痴を聞く。

 ただテレビに出るとクラスメートが喜んでくれるのが嬉しい、とか言ってるあたりはやっぱり子どもなんだなと思う。後輩に俺のファンがいるらしく、そいつが校内でファッションショーをやりたいからアドバイスがほしい、と言ってきた時は、レンタル含めいろいろ協力してやった。まだまだ、日本の高校生も面白い。


「彼女、どんな子?」


 俺に言わずに、この店の予約を取ったんだ。そのくらいの情報収集はかまわないだろう。

 遅くなったが、彼の高校の卒業祝いは明日渡す予定だ。


「真面目そうな子でしたよ。彼女の大学の入学祝いとかで。慣れないリクルートスーツとヒールを履いていたのを亜門君がエスコートしてました。

 彼女は嬉しそうに桜をずっと見てて、亜門君はその彼女をずっと見てて。あれは、亜門君の方が惚れてる感じでしたね」


 聞いてるだけで恥ずかしくなる、初々しいお付き合い。からかい甲斐がありそうだ。

 店長のことだから幾ばくかのサービスもしてくれたんだろう。

 お礼を言って、頭を切り換えるためにコーヒーを一口飲む。


「で、甲斐さんもデートですか?」

「俺のは、来るのかすらわからないけどな」


 一方的な約束だった。返事すら聞いていない。

 12月。道に氷が張っているような底冷えする冬。海外での大きな仕事を控えてナーバスになっている時期に会った奴。

 ノーメイクでぼろぼろの格好をして、疲れ切った顔でラーメンをすすってた。

 仕事柄、着るものに気を遣わない奴は、基本的に好かない。

 自分自身に無頓着で、仕事や生活に振り回されるような様子の人間には魅力を感じない。

 だけど。


『それでも、生き延びたらあたしの勝ちだ』


 俺の目を見て、きっぱり言った。目には生命力があって、ぼろぼろでも言葉が胸をつく。

 その時。俺は、彼女のために服を作りたいと思った。

 同じ時代を生き延びようとしている女性へ、敬意と共感を込めて。

 (ひよう)が混じった雨の中、傘も差さずに歩く彼女は、どこかかっこよかった。


「しかし、残念ですね。桜は先週が見頃だったのに、今はもう葉桜だ」

「いや、間に合ってよかった」


 俺は散り時の桜も好きだ。花びらが舞ってドラマチックだし、(やわ)く瑞々しい光を帯びた若葉も嫌いじゃない。

 桜の花は別れを連想させるが、若葉は出会いと新しい始まりを予感させる。

 去年の冬。日本を発つ時に。なんでもいいから春の約束が欲しかった。

 なんでもいいなら。彼女がよかった。

 ビジネスが成功していても、失敗していても。仕事を終えて、彼女に会ってみたかった。


「待ちわびた春だ」



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