番外編 待ちわびた春(彼視点)1
続編を、と言ってくださった皆様、ありがとうございます。
再会の4月をUPいたします。
ファッションは今の自分を発信する鏡だ。
朝起きて、シャワーを浴びて、髪を乾かし、クローゼットを開ける瞬間はいつだって胸が躍る。
特に今日。俺は自分がどこか浮き上がるような心地になるのを感じていた。
新作のライダースジャケットは、肩章の部分に小さく貝のモチーフを入れた。色は黒に近いが茶系で、春のシーズンに合わせた。
サングラスは薄いイエローのティアドロップ型。これはこの出張でデザイナーから直接もらったものだ。
時計はアンティーク風の懐中時計をベルトループにくぐらせる。ゆっくり待ちたかったから、腕時計はしたくなかった。
靴はレザー生地を使ったスニーカー。持ち物は財布と携帯、スケッチブックと、ペン類を入れた布ケースを、手持ち鞄に入れた。それだけ。パソコンは置いてきた。仕事はしない。
平日の昼間。すいている電車を乗り継ぎ、目的の店へ。
金色のバングルをした手で扉を開けた。カラン、カランとドアベルが味のある音を鳴らす。
「ああ、甲斐さん。お帰りなさい」
馴染みの若い店長がコーヒーのドリップポットを傾けながら一瞬だけこちらを確認し、再びフィルターを真剣に見ながら、口元だけで微笑んだ。
コーヒーの匂いが染み込んだような、飴色に光る一枚板のカウンター。背後に並ぶティーカップ、コーヒーカップは客の雰囲気に合わせて店長が選んでくれる。
いらっしゃい、ではなくお帰りなさい、と言ったのは、俺がつい昨日海外から帰ってきたことを知っているからだ。
俺の名前は、甲斐マコト。日本でも海外でもファッションブランド”Coquillage”、総合デザイナーKAIとして、名が知られるようになった。
”Coquillage”はフランス語で「貝」。名字の”かい”から取ったモチーフだ。
店長はちらりと俺の方を見て、白磁に金のラインが入ったカップをさっとお湯で温め、拭き取る。一連の所作は5秒もかからない。
コーヒーサーバーから注がれたコーヒーが、カップに入るとふわっと匂いと湯気がたつ。
「K&Gデパート、70周年イベント。成功おめでとう」
「どうも」
老舗の喫茶店のような構えだが、彼はデンマークでバリスタの修行をして、5年前に帰国。日本におけるサードウェーブコーヒーの先駆けとして、隅田川沿いの店舗を開店した若手起業家の一人だ。
俺は彼とSNSを通じて知り合った。若手起業家の何名かのグループで時折異種業界の情報交換やビジネスチャンスを探して、飲み会や朝食会を開催しているうちに、妙に気が合い、時折は友人として2人で会うようにもなった。
一通りの近況報告をしたあと、不意に思い出したように店長が言う。
「この間、甥御さんも来ましたよ。女の子連れて」
「生意気な」
甥の甲斐亜門は、親戚の中で唯一俺と同じファッション業界に進出した人間で、中学の時にスカウトされて以来、モデル業をやっている。事務所はタレント業も併用させたいみたいだが、奴としてはモデル一本でやりたいらしく、時折その愚痴を聞く。
ただテレビに出るとクラスメートが喜んでくれるのが嬉しい、とか言ってるあたりはやっぱり子どもなんだなと思う。後輩に俺のファンがいるらしく、そいつが校内でファッションショーをやりたいからアドバイスがほしい、と言ってきた時は、レンタル含めいろいろ協力してやった。まだまだ、日本の高校生も面白い。
「彼女、どんな子?」
俺に言わずに、この店の予約を取ったんだ。そのくらいの情報収集はかまわないだろう。
遅くなったが、彼の高校の卒業祝いは明日渡す予定だ。
「真面目そうな子でしたよ。彼女の大学の入学祝いとかで。慣れないリクルートスーツとヒールを履いていたのを亜門君がエスコートしてました。
彼女は嬉しそうに桜をずっと見てて、亜門君はその彼女をずっと見てて。あれは、亜門君の方が惚れてる感じでしたね」
聞いてるだけで恥ずかしくなる、初々しいお付き合い。からかい甲斐がありそうだ。
店長のことだから幾ばくかのサービスもしてくれたんだろう。
お礼を言って、頭を切り換えるためにコーヒーを一口飲む。
「で、甲斐さんもデートですか?」
「俺のは、来るのかすらわからないけどな」
一方的な約束だった。返事すら聞いていない。
12月。道に氷が張っているような底冷えする冬。海外での大きな仕事を控えてナーバスになっている時期に会った奴。
ノーメイクでぼろぼろの格好をして、疲れ切った顔でラーメンをすすってた。
仕事柄、着るものに気を遣わない奴は、基本的に好かない。
自分自身に無頓着で、仕事や生活に振り回されるような様子の人間には魅力を感じない。
だけど。
『それでも、生き延びたらあたしの勝ちだ』
俺の目を見て、きっぱり言った。目には生命力があって、ぼろぼろでも言葉が胸をつく。
その時。俺は、彼女のために服を作りたいと思った。
同じ時代を生き延びようとしている女性へ、敬意と共感を込めて。
雹が混じった雨の中、傘も差さずに歩く彼女は、どこかかっこよかった。
「しかし、残念ですね。桜は先週が見頃だったのに、今はもう葉桜だ」
「いや、間に合ってよかった」
俺は散り時の桜も好きだ。花びらが舞ってドラマチックだし、柔く瑞々しい光を帯びた若葉も嫌いじゃない。
桜の花は別れを連想させるが、若葉は出会いと新しい始まりを予感させる。
去年の冬。日本を発つ時に。なんでもいいから春の約束が欲しかった。
なんでもいいなら。彼女がよかった。
ビジネスが成功していても、失敗していても。仕事を終えて、彼女に会ってみたかった。
「待ちわびた春だ」