赤い記憶
目の前は、赤く染まっていた。
ケータイの音楽が鳴り、わたしは目を覚ました。
最近お気に入りのアーティストの曲。この曲なら気持ち良く起きられる。そう思って設定していたけれど、最近は、どうもそれに効果がないようだ。
憂鬱な朝が続いていた。
(……五月病みたいなものかなぁ)
ベッドから抜け出し、うーんと背伸びをする。
なかなかとれない疲れ。最近見る夢のせいかもとも思うが、なんだか違うような気もする。
ただ、赤い景色が目の前に広がるだけの夢。赤い色は、夢占いを見ても吉夢だと書いてあることが多いし、慣れない生活での疲れが出ているのだろう。
うん、きっと、そう。
一人で納得し、顔でも洗って気分を入れ替えようかと寝室を出た。
「どう思うよー。明日の学習旅行」
放課後、梓がわたしに声をかけてきた。
一か月前、この学校に入学してきて、初めてできた友人だ。どうしても人と距離を取りがちな私に、熱心に声をかけてくれた奇特な、素敵な友人。
「なんで?面白そうじゃん。お城に行くんでしょ?」
「あーそっか。遥、転勤組だっけ。じゃあわかんないか」
「なに?」
「この地方の人間はねー。小学生。いや、下手すりゃ幼稚園の頃からなにかことがあると城の見学をしているわけよ。それを高校生になって、また城よ」
「あきてるってこと」
梓は、ふむっと頷く。
「それにさ、わたしなんてその城の隣に住んでいる訳よ。別に学校で行かなくたってすぐ行けるっていうさ」
なるほど、これが本音か。
「朝早くから、学校にわざわざ集合なんてしたくない、と」
えへへと梓は天真爛漫に笑う。
「ばれたか。朝苦手だからさ、うち。それ以外なら、結構楽しみだよ、今回は」
と、梓は、ちらりと彼の方を見やる。
その時、私は、どくんっと嫌な感じがした。なぜ、嫌な感じなのか、それは分からなかったけれど。
「城主様がいるわけだしさ」
城主様と呼ばれたその少年は、なにやら友人と話し込んでいた幸か不幸か。未だ、こちらには気付いてはいないようだった。
白く、透明な肌。切れ長の瞳。筋の通った鼻。薄く血色の良い唇。
いわゆる今人気の、モテるタイプの容姿だけれど、それだけではなく彼は正真正銘、この地方、城主の血筋であった。
安西総一郎。
わたしは、彼、安西くんとは特に会話をしたこともない。
けれど、彼のことを苦手に思っていた。苦手どころではない。なぜか、怖いとさえ思っていた。それは、いけないとことだと思う。
安西君はクラスメイトだし、それに。
「それに、遥も親戚なわけでしょ」
急に話をこちら側に話を戻されてどきりとする。
「って言っても、本当にご先祖様の時の話みたいだよ?本当に遠縁」
血筋が近かったのは、それこそ城主の時代のことだと聞く。
城主のいとこの血筋で、その時代は城に住んでいたらしい。
祖父がわたしたちが帰省するたびに誇りのように話してくれていたのだが、東京からの出戻りの人間には郷土愛なんてそれほどなかったし、そんな何百年も前のこと、あまりピンとは来ていなかった。
正直、あまり聴きたくないとも思っていたから、その話が始まるたびに逃げるように部屋に帰っていたような気がする。
だから、詳細はあまり覚えていない。こちらに戻ってくるって分かっていたらもっと詳しく聴けたのかなぁとも思う。祖父が既に亡くなっている今、そんなことを言ったって後悔先に立たずである。
そんなことを考えながら、ぼんやりと彼の方を見てしまっていた。その時、ちょうど彼と目があった。そして、安西くんはそっと微笑んだ。
周りから見たら、それだけのこと。
ただ、わたしは、ゾクリっとした。なんだろう、この感覚はとても嫌だ。
……そうだ、早く、帰らなくては。
「そうだ。わたし、お使い頼まれていたんだ。ごめん梓、先帰るね」
「え、いきなりどうしたの?……あ、ちょっ……」
その時、梓は、私の名前を呼んだのだろうか。あまり思い出せない。
だけど、わたしはどうしても安西くんのそばに居たくなくなかったんだ。
その夜も夢を見た。
とても、暗い中に赤い色がとても綺麗だった。綺麗なのに、その時の私は、あの薄暗い感情を覚えていた。嫌な夢だ。初めて、そう思った。
新緑の木々の中にそのお城はあった。四月には桜に囲まれているらしい。清々しい空、風景に似合わない。そんなどんよりとした心持ち。
お城はその昔、敵襲によりなくなったと聞くが、復元されているらしい。
その城に、夢の中の赤を重ねていた。
そうか、もしかしたら、あの赤は……。
「なにぼーっとしているの。はやく中に入ろうよ」
梓は、私の手を引く。
「うん。行こう」
結構な古さを感じさせる外観に比べて中は案外綺麗なものだった。展示用に建て直しが行われたのだろうか。そこまで風情というものにはこだわっていないのかもしれない。新しい木材の香りがする。
中には、お城の模型や、当時の甲冑。刀。関係資料などが並んでいる。梓につられるままぼんやりと展示室内を見て回っていると声が聞こえてきた。
「総。お前、直系なんだろ。こんだけ燃やされてよく生き残れたよな」
なにやら展示パネルを見ながら、男子たちが話をしている。その中心には総と呼ばれた少年。安西くんがいた。
それまで、近寄らない方がいいと思っていたのに自然と足が向いた。なぜだろう。わたしはその話を聞かなければならない。
思い出さなければならないんだと思った。
「直系って言っても、生き残ったのは当時の城主の一番下の弟だけだよ。まだ赤ん坊だったからね。遠くのお寺に逃がしてくれたみたいだよ。ほかはもちろん敵方に殺されたみたいで」
周りに居た子たちは一様に頷いたりしながら、展示を見ていた。
ひとり、静かに聞いていた少年が尋ねる。
「それにしても、この燃え方っておかしいよな。中でも火が上がってる」
「ああ。どうやら、味方に裏切られたという噂もあるみたいだ」
裏切られた。その言葉に、わたしの足は、ぴたりと止まる。
『……わかってくれないの』
「なによ、敵が城の中に居たってこと?」
面白いじゃんという顔をしながら、梓はいつの間にか安西くんの隣にいた。
敵。わたしは、隣の彼の方を見る。
『……であの娘が、そばにいるの』
違う。これは、わたしの声じゃない。
これは思い出したくない、赤い記憶。
「うーん。昔のことだから。……どうなんだろうね」
声が音が遠くに感じる。
「安西、くん」
私はやっと。すがるように、彼の名前を呼んだ。わたしは、今どんな顔をしている。
私を見る彼は、相変わらずただ微笑んでいる。
そして、私に近づいてくる。
怖い。近づいてきてほしくはない。
知っている。本当は、分かっていた。
これはこの感覚は、罪悪感だ。
『だけど、城主様』
頭の中にわたしじゃない声が響く。
『信じていてね。私は、あなたを……』
意識が、遠のく。
まだ、眠りたくはないの。
全てを思い出したくはないの。
燃える城が近づいてくる。
燃やした、城。
熱い、炎の記憶。