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24 働かざるもの食うべからず

あの記憶を見せられたとき、今までに無い尊敬の念と共に胸の高鳴りを感じた。

それは主君である桃香に抱く想いとも、仲間達に抱く想いとも違う、自分には理解不能なものだった。

それでも、その”記憶”は幾日が経とうとも薄れることなく鮮明に脳裏に焼きついている。


あの刺す様な視線と殺気。

他人の為に命がけで敵を討つ信念。

己が命が危険に晒されながら、他人を案ずる心。

まるで自分が思い描いた理想の主人がそのまま現実に現れたかのようにすら思えた。

……桃香に不満があるわけではないが、そう思ってしまったものは仕方が無い。


素直に、彼の事を知りたいと思った。

現に、自分はその為に、未だ国に帰らないでいる。

星の傷が完治するまでという名目で滞在しているが、それは建前だ。

既に星は一人で問題なく過ごせるくらいに回復しているから、自分達が残る必要はないのだ。


あの会議から数日が経つと、雪蓮の予想通り、彼は少しずつ運動を始めた。

今日も彼は城の周りをひたすら走り続けている。

彼に問うたところ、最初はらんにんぐで体力を戻すのだそうだ。


歩いては緩やかに走りを繰り返し、最近は継続して走り続けられるようになっている。


今の彼には過酷であろうその運動を、滝のように汗を流し、真剣な眼差しでこなす姿は輝くものがある。

一度人のために戦い倒れた人間が、心折れずに再起しようとしているのだから輝きがあるのは当然だと思う。

実際、当初の彼の姿を見た者は誰もが言うだろう。

もう無理だと。


実際、私もあの姿を見たとき、奇跡的に命を取り留めたとしても、もう戦う事の出来る身体ではないだろうと思った。


それでも彼はこうして立ち上がり、立ち直ろうとしている。

それが、自分にはとても美しいものに見える。


「今日も一刀殿は変わらずか?」


そう声を掛け、隣に立ったのは星だ。


「そうだな。変わらん」


「休憩は取っていたか?」


「二刻程前に取ってもらった。放っておくと倒れるまで走りそうな勢いだったからな」


「そうか」


あの会議以降、あくまでちょっとした手助けという名目で彼の世話を焼くのに当番制が出来た。

一人ずつでも良いのだが、それでは彼も気まずいし集中できないかもしれないだろうということで気心の知れた者を混ぜた交代制ですることになった。

雪蓮の勢いに押された華琳は桃香と組まされている。

華琳もそれを了承したところを見ると、心底迷惑とは思っていないようで安心した。


「お前はもう良いのか?」


「お主が私の心配をするなど、槍でも降るのではあるまいな」


「冗談を言っているのではないのだが」


「ふふ、名目上、私はまだ休養が必要なのだろう?」


「……そうだったな」


「心配せずとも、己の身を守るくらいの力はあるさ」


「……あの姿を見た後では、あまり説得力が無いな」


「うむ、まぁ確かに……桃香様はともかく、お主に見られるとは思わなんだが」


「桃香様の取り乱し様が尋常ではなかったからな。どうしても行くというから同行した。

 お一人で行かせるわけにはいくまい」


「それはそうだ」


そこで一度会話が途切れ、少しの間を置いて愛紗が話しかける。


「……何故、なのだろうな」


「何がだ?」


「北郷殿の強さというか、なんというか。私は彼の記憶を見た。

 目の前で焼かれる村も殺される村人も、あの幼子の両親をあと一歩のところで救えなかったのも、お前が傷つき倒れたのも」


「ふむ」


「それが引き金となるのは解る。だが、口で言うほどそれが簡単な事だとは思えない。

 怒りに我を忘れて死に行く者だって何人も見てきた。

 だが、北郷殿はそれとは毛色が違うというか……うまく表現は出来んが、相手を滅する意思と、生きる力を感じた。

 己に降りかかる全ての苦痛を無理やり無視してあそこまで自分を突き動かすものは何故なのだろうな、と」


「簡単だ。誰よりも欲張りな人なのだ」


「欲張り?」


「一刀殿は冗談でも何でもなく、己の目に入るもの全てが幸せになれたらと、無自覚に思っている人だぞ。

 明花の両親の事も、私の事を想って戦ってくれた事も怒りから成るものだが、そこにも一刀殿の考えはある。

 自分が死ねば魏の者を再び悲しませてしまう。

 明花にまた、喪失感を味わわせてしまう。

 私だって悲しむ。

 だから死ねない。

 目の前に居る憎き敵は必ず殺す。

 敵と認識した者は、何が何でも命を懸けて必ず打ち滅ぼす。

 そんな強い想いと同じくらい、自分も死ぬわけには行かないという想いもある。

 私たちとは根本的に考えが違う。

 死して尚名誉を守れだの、己の命と引き換えに誰かを守るだのと、今の一刀殿は微塵も考えておらぬのだろうよ。

 ……前はそれで、華琳殿を悲しませているからな」


「…………」


「今度こそ共に生きると、約束したそうだからな。あの人は、己の望む全てを実現する為にああしているんだ。

 この先も、誰も失うことなく共に生きていこうとしているんだ」


「……あまりに過酷な道だ」


「格好良いだろう?」


「何故お前が得意げなんだ……だが、まぁ」


「む?」


「仮に、北郷殿が私の主人であったなら、お前と似たような気持ちになったかもしれんな」


「ほう」


「蓮華殿も影響を受けて、夜な夜な自主鍛錬を始めるくらいだ。彼にはそれほどの魅力がある」


「蜀のうるさ方が手放しで褒めるのは珍しいな」


「普段とぼけ倒しているお前が骨抜きになる人物だからな。悪くは言うまい」


「ふふ、言うではないか」


「それに、桃香様にも良い影響を与えてくれている」


「教育係のお主よりもか」


「大それた事を言うな。……まぁ、あながち否定は出来んが。

 桃香様も、自分に足りぬものを補おうと努力し始めている」


「つまり、お主の稽古から逃走しなくなったと」


「うむ。自分の望む姿を見せられては、ああならざるを得ないだろうからな」


「……確かに、一刀殿は桃香様のなりたい理想像かもしれんな」


「苦しんでいる人々を救う。

 強く、優しくありたい。

 単純だが、難しい事だ。

 それに、桃香様は己の武力の無さを嘆いている時もあった。

 自分は指示を出すだけで、安全なところから見ているだけなのが苦痛だと。

 破綻したような綺麗ごとや理想像を、出来もしない自分が口にするのが苦痛になることがあると」


「まぁ、王とはそういうものだしな」


「そういうことではないと思うぞ。一切戦えなかった彼が、あそこまで有言実行している事自体に感銘を受けているんだろう」


「ふ、自分と似たような立場の人間が、ああも変わるほどだしな」


「桃香様にはそれがとても眩く映るのだろう」


「それはお主もか?」


「…………」


星の問いに、愛紗は数秒黙りこみ、口を開いた。


「”あれ”を見てから、時々思うんだ。私は偽者なのではないかと」


「偽者?」


「卑屈になるつもりはない。今まで私が歩んできた道を否定する気もない。

 だが、あの記憶で私の中に流れ込んできた、全身が燃え盛るような憤怒を、私は抱いたことが無い」


「…………」


「明花の両親が目の前で死んだ時、お前が腕の中で倒れた時、北郷殿は壮絶と言える怒りを抱いた。

 私も怒りを覚えたことはある。

 力なき者を蹂躙する賊を目の当たりにしたときは確かな怒りを感じた。

 だがそれは、あの時流れ込んできた北郷殿の足元にも及ばないものだと痛感させられた。

 それは、北郷殿の想いに、私の想い、志が劣っているからだと思っている。

 誰かを本気で想うというのは、ああいう事を言うのではないかと」


「考えすぎだ」


「桃香様も蓮華殿も、それを感じたからこそ行動を起こしているのだと思う」


「一刀殿はそんなに難しく考えてはいないと思うぞ。あの方は自分の心に素直に従っているだけだ」


「だから余計に、私は偽者なのではないかと思えてくるんだ」


「なら一刀殿にその話をしてみろ。こう言うに違いないぞ。価値観の違いだと」


「価値観?」


「人が何をどう思うかなど、その者にしかわからぬ事だ。

 一刀殿が私に一度こんな話をしたことがある。

 善悪というものは立場ひとつでどちらにでも転ぶものだ。

 人の物を奪い取る賊共は確かに悪だろう。

 だが、こんな時代だ。

 極端な話、それがどうしようもなく、大切な者を守る為に、もう人から奪うしかないという極限状態まで追い詰められたとき、その者にとってはそれが正義だ。

 大切な者を守るために死に物狂いで生きた結果だから。

 もし自分が同じ状況に置かれたなら、自分は間違いなくそうなるだろうとも言っていた」


「…………」


「お主が一刀殿と自分を比べ劣等感を感じているのなら、それはお門違いということだ。

 あの方にはあの方の正義があり、お主にはお主の正義がある。

 それを比べようとすることがそもそもの間違いだ」


「…………」


「明花の件があっても、その考えなのだ。

 一刀殿は、自分の大切な者を守るためならば何でもするだろう。

 それがたまたま、私たちの目指すものに近かったというだけの話だ」


「北郷殿をよく理解しているな」


「短い期間ではあるが、ずっと見続けて来たからな。

 救うことが出来なかったとはいえ、赤の他人の為に慟哭することが出来る者とは。

 燃え盛るような怒りを抱ける者とは、一体どんな人間なのだろうかとな」


「なるほどな」


「一度興味を持ってしまえば、もう抜け出せん。

 雪蓮殿は前からだが、桃香様もお主も蓮華殿も、どうせこうなるぞ」


「私がそうなることなど想像もつかんな」


「安心しろ。私もそうだった」


「確かに、知りたいと思う気持ちは強くなったがな」


「ふ、それが既に片足を突っ込んでいるのだ」
































同じころ、場所は違うが、二人と想いを同じくする者が自室から一刀の走る姿を眺めていた。

彼は徐々に身体を慣らしていくと言っていたが、普通に考えたら動きすぎだ。

彼の補助をするという結論に至り、早速取り掛かったのだが、今思えばそれは正解だった。


今も、愛紗が無理やり休憩させなければ、彼は走り続けただろう。

本人の身体だし、本人が一番良く解ってはいると思うが、体力の落ちている者の運動量をはるかに凌駕してしまっている。

華琳が止めに来ないあたり、問題はないのかもしれないが見ているこっちはハラハラするのだからもう少し考えて欲しい。


しばらく走っていた一刀は走るのを止め、膝に手をつき呼吸を整えたあと、壁に立てかけていた刀に手を伸ばした。


ここ数日の流れだ。

彼を見て考えるのは、やはりあの記憶。

あまりに非現実的な出来事に全てを鵜呑みにすることは出来ないが、しかし直接流れ込んできたあの感情は本物だ。

怒り、憎しみ、悲しみ、全てが綯い交ぜになった憎悪が溢れ出て、そして、それを誤った道ではなく、守る為の力にした。


彼の怪我の程度は知っている。

直接見たのだから、あれが動ける怪我ではないことも、もはや生きることすら危うい怪我であったことも解っている。

しかし、彼はあの夢を見た直後に立ち上がり、かの男を討ち取った。

動けるはずの無い体を、仙氣とやらで無理やり動かし、命を燃やした。


私は?


無理だ。


誰がそんなことが出来ようか。

気概はあろうが、現実にそれが出来るかと言われれば否だろう。

あの怪我を実際に見た者がもし、それでも自分は立ち上がる事が出来るだろうと豪語するのなら、そいつは只の愚か者だ。

夢を見すぎている。

王とは違うが、それでも彼に対する尊敬や憧れの念は募るばかりだ。


雪蓮姉様は彼について私をからかうけど、あながち、だ。

惚れた腫れたの話はともかく、彼がずっと気になっていることは確かだ。

話をした限りは、物腰の柔らかい男。

だが、あの記憶では殺気が溢れ出ていた。


その差が、未だに現実味を帯びない原因でもあるのだろう。


「何をそんな熱心に見てるのかしら~?」


「ふわぁ!?」


不意に耳元で囁かれ、思わず飛び跳ねる程に驚いた。


「ね、姉さま!?」


「声掛けたんだから返事くらいしてよね~。ま、熱心に何かを見ていたようだから?仕方ないけど~?」


「く……!」


解っているくせにわざと憎たらしい言い方をしてくるあたり、完全にからかわれている。


「あの様子だともう少しで貴方と稽古つけてくれるくらいに回復しそうね」


「私は別に北郷を見ていたわけではありません」


「またまたぁ。楽しそうに話してるのだって見てるんだから、いい加減変な意地張るのやめたら?」


「意地なんて張っていません」


「蓮華から他国の男に話しかけることなんて今まで一度も無かったことだし、変化があるのは周知の事実よ?」


「そんな事は──」


「蓮華様の様子が何処かおかしいのはそういうことでしたか」


「ふわぁ!?」


二度目の驚きである。


「し、思春……いつからいたの……」


「雪蓮様とご一緒に入室致しましたが」


「そ、そう……それにしても、私の様子が変って?」


「は、私と話しているときも執務をなされているときも稽古をしている時も、気を抜いているわけではないのですが、何処か上の空になっている事が多々あります」


「ほら」


「そんな馬鹿な……」


話しながら窓の外に目を向けると、丁度彼と目が合った。


「…………」


軽くお辞儀をしてきたので、こちらも軽く手を上げた。


「ふふふ、楽しみねぇ」


「……何がですか」


「それにしても意外なのは思春の反応よねぇ。私はてっきり猛反発するものだと思っていたのだけど」


「無論、どこの馬の骨ともわからぬ輩がいきなり来て、蓮華様にちょっかいを出そうものなら迷わず首を落としますが、奴はそれとは違いますから」


「あれ、思春って一刀と面識あったっけ?」


「奴がまだ目覚めていないときに一度、村への用事で立ち寄ったことがあります」


「へぇ。で、顔見ただけ?」


「はい」


「それで何か解ったの?」


「少なくとも、危険から逃げ出すような者ではないということは解ります」


「へぇ」


「それに、一般論での話をしましたが、実際の奴の状態は異常でしたから、私たちには計り知れない何かがあることも解ります」


「思春にしてはずいぶんと評価が高いわね」


「……あの幼子や星の為に自らを厭わずに突き進んだ気概は、素直に評価します」


「あぁ。あの子のせいか」


「思春て意外に子供好きなのよね」


「意外とは何ですか」


思春も、自分自身驚くほどに、一刀と蓮華が接触することに抵抗を感じなかった。

それは彼が己の主君にもたらす影響は良いものであると、どこかで確信をしているからだった。

言葉少なに彼の事を話したが、思春は当時の状況を思い返すたびに思うことがある。


長く戦を経験しているから解る、身体の限界。

その限界を遥かに超えた状態になり、眠る男。

只やられたのではなく、しっかりとその敵を討ち取ったという。

あの幼子の為に。

幼子を守ろうとした星のために。


あんな風になる前に、まず身体が言う事を聞かなくなる。

異常だ。


だが、愚かとは思わない。

むしろ、それに近づきたいとさえ思う。


詳しくは知らないが、あの男のおかげで我が主君がやる気に満ちている。

それだけでも、良い傾向だ。





























何だろう。

ここ数日、俺が体力を戻そうとトレーニングを始めると、必ず何処からか人がやってくる。

それもローテーションを組んでいるかのように決まったペアで。

華琳に聞いても知らないという。

偶然ではないことは確かだ。

さっきも俺がずっとトレーニングをしていると、関羽さんに休憩を強要された。


走り込みを終え、次の種目に行こうとすると、ふと視線を感じた。

見上げた先に居たのは孫権さんだった。

目が合ったので会釈すると、手を上げて返してくれた。

何だろう、この監視されてる感。


いや、別に不快感を感じる訳ではないんだけど、どうにも落ち着かない。


さらに別の方へ目を向ければ、最近現れるようになった周泰と呂蒙が物陰に隠れながらこちらを見ている。

手を上げ挨拶をするとすぐに引っ込んで何処かへ行ってしまうが。


それはともかく、ここで生活を始めてしばらく経つが、ひとつ気になる事がある。

洪水の多さだ。

滞在中にあった訳ではないが、色々と耳にする話を聞いていると結構な頻度で起きている。

豪雨が降ると川が氾濫し、村が飲まれてしまうという事件があったらしい。

これは無視できる問題ではない。

俺が口を出す立場ではないのだが、何か出来ることがあるのではと考えてしまう。

いっそ防波堤でも作ったろか。


こういう時に真桜が居てくれればすぐなんだが、帰っちゃったからなぁ。

また来てもらってもいいんだが、如何せん国の問題であり、俺が踏み込んで良い事ではないので判断に困る。

自然災害ほど怖いものはないからな。

土嚢やらで対策はするものの、それが呆気なく決壊してしまうくらいに増水してしまう事があるようだ。


もともとこの地域はそういうものなのかは知らないし、もしかしたらこのパラレルワールドだけのものかもしれないが、そういった問題には数年に一度は直面しているようだった。

まぁ、これを見過ごすような人は雪蓮達の中には居ないだろうし、頭を悩ませているようなので俺は口出しはしない。


俺が気にしていても仕方が無いか。

今はとにかく身体をもとの状態に戻すことだけを考えよう。

そろそろ桂花達が入れ替わりで来る頃だし、あまりだらけた姿を見せると何を言われるか解ったもんじゃないからな。


鍛錬を終え、城を出て街へ出た。

どうやら雪蓮達の配慮なのか、俺がこの国に滞在している事を民には伏せているらしい。

まぁ、確かに思想の強い人やらが未だに俺を敵だと言って攻撃してくる可能性もゼロではない。

むしろ、まだ遺恨のある者も多いのではないだろうか。


あれからこの世界では4年も経っていないのだ。

三国の交流があるとはいえ、あの戦乱で家族を失った者は多くいるだろう。

僅か三年でその傷が癒えるとは思えない。


もし襲われれば自衛はするつもりだが、多分、俺はその人を咎める事は出来ないだろう。

まぁ、どうやら俺は影から見守られているようなのでそんな事はないとは思う。

今も樽の陰に隠れ切れていない黒髪が見えてしまっている。


仕事での隠密は完璧にこなすらしい彼女だが、果たしてこれはどういう事なのか。

声を掛けたほうが良いのかな。

でも目があうと何処かに走り去ってしまうし、まるで猫みたいな子だ。


「おい」


「ん?」


後ろからの鋭い声に振り返る。


「貴様、もう身体は問題ないようだな」


甘寧だった。


「あ、どうも。とりあえず普通に動けるくらいにはなりました」


「なら、早いところ蓮華様のご指導をしたらどうだ」


「え?」


「貴様にはそういう話で通っていると聞いている。身体が動くようになったのなら、さっさと蓮華様の鍛錬を見ろ。

 手合わせはできずとも、指導くらいは出来るだろう」


「え、え、初耳なんですが」


「……なに?」


「誰がそんなことを?」


「雪蓮様だ」


「あぁ……」


一刀は理解した。

どうせ自分で好き勝手に決めたことなのだろう。

しかしここで世話になっている以上、それを無下に断ることも出来ない。

そういう事を知った上で、彼女はこういう事を言い出すのだ。


「……何を笑っている」


「あぁいや」


思わず苦笑がもれてしまったらしい。

雪蓮とはそんなに交流した訳ではないけれど、何故だか彼女の事が理解出来てしまう。


「まぁ、お世話になってるし、了解しました。いつから始めたら良いですかね?」


「今夜だ。蓮華様は日中忙しくされている。今は自主的に時間を取っている夜に、貴様との鍛錬を当てる」


「はい。じゃあ、都合の良い時間になったら声掛けてください」


「わかった。それと、貴様もあまりうろうろするな」


「そうですね。勝手に出歩くのは控えます」


「……明命が追える範囲にしろ」


「え?」


「夜中に徘徊するのは勝手だが、明命も仕事がある」


そういうと、甘寧は背を向けて去っていった。

……今の言葉から察するに、周泰は命令で俺の後を付いてきているようだ。

雪蓮に言われたのだろうか?

多分、監視という名目で俺を見守ってくれているのだろうと思う。


「……戻るか」


只でさえ満足に動けないのに、彼女達の仕事をこれ以上増やすわけには行かない。

まだ満足に歩けない時、少しでも慣らそうと夜中にこっそり抜け出して徘徊していたのもばれている。

戻ってきたのだろう、また影からこちらを見ている周泰にごめんねと呟き、軽く手をあげ、屋敷へ戻った。



















それから大人しく夕飯を貰い、夜も段々と深くなっていった頃、扉の外からお呼びが掛かった。


「中庭へ来い」


用件だけを告げ、扉を開けることなくその場から立ち去ってしまうのが、なんとも彼女らしい。

旗から見れば果たし状でも渡したのかと思うやりとりだ。


ともあれ、その言葉に従い、俺は真桜に柄を巻きなおしてもらった刀を持ち中庭へ向かった。

流石は雪蓮の屋敷、城の庭程では無いにしろ、十分すぎるほどに広い庭には、昼間に言っていたように、既に孫権と甘寧が居た。


「怪我の身で無茶を言ってすまない。もし無理そうなら戻ってくれても構わないぞ」


「まさか戻るつもりはないだろうな?北郷」


「思春!」


甘寧の言葉に軽く笑いながら、俺は大丈夫ですよと返した。


「と言っても、どうすれば?俺は人に教えたことなんてないし、というよりも俺が教えられる側なんだけど」


「今から私と蓮華様はいつも通りに試合形式の鍛錬を行う。貴様は思ったことを言え」


「思ったこと」


「蓮華様の動きを見て、貴様ならばどうするかということを蓮華様に伝えろと言っている」


「なるほど」


それならまぁ、なんとか。


「では、下がっていろ」


「あい」


大人しく十分な距離を取り、二人の取り組みを眺める。

こうして、人の戦闘を眺めるというのは久しぶりだ。

教える為、という名目では初めてかもしれない。


動きを盗むために祖父の動きを眺めてはいたが、今回は俺が教える立場にある。

鍛錬が始まってからすぐ、気づくことはあった。

とにかく、まずは甘寧に比べて孫権の身体能力は低い。


一般的に見れば十分凄い部類には入るが、ここの異常な方々に比べると頭ひとつ低いだろう。

俺も似たようなものだが、俺は俺に合った技術がある。

……なるほど、そういうことか。


小休止に入ったところで、二人がこちらに寄ってきた。


「北郷」


甘寧は促すように俺の名を呼んだ。


「うん、全体的な能力は問題ないと思う。少なくとも、俺と同じか、それ以上には身体能力が高いと思います」


「ん?いや、そんな事は無いと思うのだが……」


孫権は自分の評価が高すぎると思っているのだろう。


「北郷は明命に勝ったではないか。私は、明命にも、手も足も出ないのだぞ」


「俺も彼女より能力は低い。でも、それを補う技術は磨いてきたつもりです」


「技術」


「ここの人たちはなんというかまぁ……天才肌の人達ばかりか、あとは野生の勘で生き抜いているような人達だから俺とは違う。

 だから俺は、自分が出来る全てのことを総動員して、考えて戦う戦術を学んだ。

 凪から氣の使い方を教えてもらったのも、俺には必要だからです」


「つまり?」


「小難しい事を言っていますが、まずは身体をうまく使いましょう」


「……どこか変だったか?」


「変というか、力で負けてる相手に力で押し合っても負けるのは当たり前のことです。

 だから多分、雪蓮は俺に頼んだんでしょう」


「……だが私は、お前のように、何かに抜きん出ているものもないぞ」


「そこはもう鍛錬を積んでいくしかないですよ。という訳で、まずは力の殺し方です」


「力の殺し方」


「こういう軌道で来た力にはこう流せば相手の身体の均衡を崩し、隙を作れるとか、

 あとはシフトウェイト……体重移動とか、まぁ色々。

 その次は、相手をよく観察して、……あー、例えば、ここの部位が反応した時、相手はそこの力を使う。

 だからこういう攻撃が来るはずだ、とか、そういう事を考えて戦わないと、ここの化け物じみた天才達には到底敵いませんよ。

 見てから回避余裕でしたなんてのは雪蓮達だからできることです」


「む、難しいな」


「慣れちゃえば自然と身体が反応してくれるもんです。俺も出来る限り補助しますから」


「よろしく頼む」


「うん、頑張りましょう」


こうして、同盟国の王に、他国の警備隊長が剣術を教えるという奇妙な日常が始まった。

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