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15 明花

朝、いつものように目覚め、いつもの風景が視界に飛び込む。

しかしその中いつもの風景に、一つだけ変化があった。

隣を見ると、小さな女の子が寝息を立てている。

あの日、村から救出した女の子だ。


名を明花みんふぁというらしく、歳は6つ。

あの両親が最後まで必死に探していた娘だ。

あれから皆がこの子の面倒を見るようになり、一つの癒やしのようになっていた。

しかし、何故かこうして俺にばかり懐き、共に眠っている。

もちろん皆の事を嫌っている訳でも警戒しているわけでもない。

華琳や春蘭、桂花にすら懐いている。

というよりも桂花は基本的に華琳に関係のない、それも女性にならば誰に対しても優しい。

只俺に対して尖りすぎているだけで、小さな女の子なら尚更優しいお姉さんに早変わりだ。

基本的に皆子供は好きなようで、暇があれば構っている光景を見る。


そしてそれとは別に、もう一つ変化があった。


「おや、お目覚めですか。せっかく私が優しく囁き、極上の目覚めを差し上げようと思っていたのに」


窓から侵入者が一人。

いや、鍵を閉めておけという話なのだが、それはそれでネチネチと丁寧な口調で言われるので却下。

ともあれ、侵入者は趙雲。

蜀から人が残ったというのは、星の事だった。


あの騒動が沈静化し、蜀、呉の面々は自分の国へ返ったはずだった。

しかし夜、自室へ戻ると部屋の椅子で星がうたた寝をしていた。

慌てて起こすも、ここに残る事は伝えてあり、華琳にも蜀の皆にも了承済みとの事だった。

何故彼女がここに滞在することにしたのかは解らないが、それでも明花の相手をしてくれるのは助かった。


「……おはよう、星」


「うむ、ようやく自然に真名を呼んで頂けるようになりましたな」


「そりゃあれだけ言われればね……」


昔、一度だけ話し、そこで趙雲と呼んでいたため、真名を預けられてもそう呼んでしまう事が何度かあった。

その度に彼女はそれを遠回しに、しかし執拗に攻めてくるのである。


「というか、別に星もそんな畏まらなくても良いって言ってるだろ?」


「そう言われましても。私はこれが自然体なのですが」


「いや、関羽さんとかと話す時くらい砕けてくれても良いんだけど」


「私は貞淑な女ですので、殿方にはこうした話し方になってしまうのです」


そう言いながら口元に手を当て、微笑を浮かべる。

嘘くさいことこの上ないというか確実にそれは嘘なのだが、本人がそれで通したいのならあえて突っ込むまい。


「しかし……ふむ。姫君はまだ眠っているようですな」


隣で眠っている明花に視線をやり、星は優しく微笑む。


「まぁ、まだ早いし。……それにしても、何で俺なんだろうね」


「というと?」


「いや、あんな事した俺に、何でこんなに懐いてくれるのかなって」


最後気を失っていたとは言え、この子は途中まで意識があった。

目の前で人を殺す俺を見ていたのだ。

あの時の事を思い出すと、自分でも嫌になる。

あんな風に人を殺すために強くなりたかったわけじゃない。

憎しみにまかせて人を殺すために強くなったわけじゃない。

あれでは只の狂人だ。


「それは一刀殿がこの子を守ったからでしょう」


「普通は怖がるんじゃないの?あんな……」


言いかけて、それをやめる。

星にわざわざ賊を凄惨に殺めた事をいう必要はない。


「目の前で人を殺されたらさ」


そう言い直した。


「だがそれは一刀殿が明花の両親を想い、、明花を想い、その原因となった賊に憎悪したからこその行為。

 子供というのは人の内面に敏感な生き物だ。

 如何に貴方が悪鬼羅刹のような所業をしたとしても、この子には貴方の気持ちが伝わっているのでしょう。

 自分の為に鬼となってくれた者を嫌いになる道理はない」


「どうだろうな。……俺にはわからん」


「この子が一刀殿から離れない事が、何よりの証だと思いますが」


星の言う通り、そんな俺にこの子は笑顔を向け、懐いてくれる。

それが最初は後ろめたく、あまり関わらないようにというか、距離を縮めすぎないようにしていた。

しかしこの子はそれでも俺から離れなかった。

困ったような表情しか向けられない俺に、この子は抱きつき、離れまいとした。


そんな話をしていると、少し耳障りだったのか、明花は小さく声を上げ寝返りを打つ。


「この子の前でするような話じゃなかったな」


今では吹っ切れ、全力で甘やかしている。

この子の笑顔はその名の通り、花のように明るく、可愛らしい。

それを見ていると、こちらも癒やされるのだ。


「寝起きで少しボケているようですな」


「星はいつも早いね……」


「女は毎日、朝早くから身嗜みを整え、完璧な状態で殿方の前に出なければなりませんので」


「朝早くに出る必要ある……?」


「……ふむ、風の言う通り、やはり手強いな」


そう言う星はどこか呆れたような、困ったような表情で思案する。


「とりあえず俺は起きるよ」


「いつものあれですか?」


「ん、まぁ」


「私もお供致しましょう」


「……まぁ、良いんだけどさ」


予め桶に入れた水を用意しておいてくれたようで、それで顔を洗う。

さらに着替えを手伝おうとしてくる星を何とか抑え、手早く済ませ、置いてある刀に手を伸ばす。

それを腰に差し、明花は寝かせたまま朝食にはまだ早い時間に部屋を出る。

まだ陽が登り始めたばかりの時間ではあるが、庭へ出て早朝の鍛錬を始めた。

本来なら一人でやっていた筈なのだが、偶然星に現場を見つかってしまい、それから毎日こうして着いてくるようになった。

基本的に素振りなどの反復練習だけなので見ていても退屈なだけだと思うのだが、本人はそれが楽しいらしい。

見慣れない剣術でもあるし、恋が興味を持つ程だから物珍しく映るのかもしれない。


汗だくの男を見ていても何も楽しくはないと思うのだが、それに初めて見つかってしまった時は服が汗臭くなるので上半身裸でやっていた。

しかし星が来るようになってからしばらくは服を着たままやっていたのだが、脱げばいい、何故脱がない、自分が邪魔しているのかと、

これまたネチネチと攻めてくるので諦めて脱いだ。

つまり星は毎朝、上半身裸で汗を流し地味な事を繰り返ししているむさ苦しい男を見ているのである。

どう考えても見苦しい。


「一刀殿は、手合わせなどはしないのですか?」


しばらく続けていると、星がそう問うてくる。


「どうだろう。皆と時間が合えばやると思うけど」


最近は警邏も政務も忙しくなってきていてあまり時間が被ることがない。

会わない訳ではないが、それは飯時だったりもう寝る前だったりと、タイミングが合わないのだ。


「ならば私がお相手致しましょう」


「……えー……」


「……その反応は予想していませんでしたぞ」


「いや、有り難いんだけど朝練でやるには少し重すぎる相手だなぁと」


「ではこれからは夜の鍛錬にも付き合うとしましょう」


「……知ってたの」


「はい。私は貞淑な女故、今まではお邪魔するのは朝だけにしようと決めていたのですが、

 そのような態度を取られてしまっては夜もお付き合いさせて頂くしかありますまい」


「随分貞淑さを前面に押し出してくるね……」


貞淑な女性は強引に真名を呼ばせたり着替えを手伝おうとしてきたりはしないと思うのだが。

いや、それが迷惑という訳ではないのだけども。

というか常に腰に徳利をぶら下げているのは貞淑な女性として良いものなのだろうか。


「迷惑だと言うのであれば、無理にとは言いませぬが」


そう言う星の表情は、解ってるな?とでも言わんばかりに、そして未だかつて無い真剣な表情だった。


「……いや、夜だったらお願いするよ。ありがとう、星」


「うむ、この趙子龍、一刀殿の夜のお相手、承りましょう」


「……言い方が引っかかるけど、よろしくね」


一通り朝のノルマをこなし、良い時間に無ったので体の汗を拭い、部屋に戻る。

まだ明花は寝ていたが、既に朝食の時間なので起こす。


「明花、朝だ。起きなさい」


何度か肩を揺らすと、薄っすらと目を開き、数秒見つめられる。

俺の顔を認識すると起き上がり、可愛らしいあくびを一つ、そして目を擦る。


「おはよう、お兄ちゃん」


「うん、おはよう」


頭を撫で朝の挨拶を交わす。

一応説明しておくと、兄妹という関係ではなく、呼称がそうなっただけだ。

ともかく明花も目を覚ましたので部屋に備え付けてある鈴を鳴らし、朝食を持ってきてもらう。

食堂へ行っても良いのだが寝起きだしゆっくりと食べたいだろう。

入ってきた侍女に朝食を持ってきてもらうように頼み、俺、星、明花で朝食を摂った。

明花を挟み食事を摂り、明花の汚した口元を拭ったり零れた物を拾ったりと世話を焼く様は何というか、あれだ、うん。


そして丁度朝食を終えた頃、部屋の扉をノックされ、開く。


「あら、おはよう星、今日も朝から精が出るわね」


入ってきたのは華琳だった。


「おはようございます華琳殿。中々、解って頂けるのに時間が掛かりそうですが」


「まぁ、そういう者だと思って根気良く粘るしかないわね」


二人が何の会話をしているのかが全く解らず、明花と共に首をかしげる。


「何の話?」


そう問うと、


「女の話よ」


「女の話です」


そう声を合わせて言われる。


「……さいですか」


こういう時は何を聞いても教えてはくれないので諦めた。

華琳は毎朝とはいかないが、こうして明花の顔を見に俺の部屋へやってくる。

華琳が子供と接する場面なんて前は想像出来なかったが、こうして見慣れてくると案外しっくりくるというか。

明花と軽く挨拶を交わし、頭を撫でると華琳は部屋を出て行った。


その後、午前中の仕事を終えると真桜のもとへ向かう。

今日は半ドン……午後はオフなのでこれから自由時間なのだ。

以前、日本刀を作ってもらった時に鞘も作ってもらったのだが、武闘大会で雪蓮の攻撃を防御するのに使用した際にガタが来てしまったようで、

初日にやってしまったことを申し訳なく思うが、その後も騙し騙し使っていた結果、ついに破損してしまった。

それでも紐で鞘をぐるぐる巻きにキツく締めて使っていたのだが、真桜がそれを見るやキレた。

壊した事自体はどうでもいいらしく、壊れたまま使っていることに怒ったらしい。

せっかくの傑作をそんなおんぼろに収めるなんて許さんと言われた気がする。


ともあれ、真桜はもっと頑丈な鞘を作ると言って仕事の合間に取り掛かってくれていたらしく、今日それを受け取りに行く。


「お、やっと来た」


工房に入った瞬間、待っていたとばかりに真桜が立ち上がり、出来上がった物を胸に押し付けてくる。


「お、おお、悪いな。今度はなるべく鞘は使わないことにするよ」


「いや、ばんばん使ってええよ」


「え?」


「隊長が鞘で防御してるの見てウチもそれは盲点やった。

 せやからちょっと重くはなるけど鉄を何重にも畳んで叩いてを繰り返して薄っぺらくした金属を内側に入れてん。

 ちょっとの手間で開けもするし、結構使い勝手はええと思うで」


「マジか、すごいな。重さも全然気にはならない……というかむしろしっくり来るくらいだし、助かるよ。

 ありがとう、真桜」


それに真桜の事だから見た目にも気を使ったのだろう。

黒を基調に根本や先端に細かい装飾がついており、なんとも高級感溢れる出来栄えだ。


「格好良いな」


「せやろ!?」


そしてそれを褒められるのは嬉しいらしい。


「まぁ使ってりゃ表面はどんどん削られていくんやけどな。

 それでも妥協するのはウチの職人魂が許さへんのや」


いつの間にか刀匠になったらしい。

いや、確かに真桜の腕なら刀匠と名乗っても何の支障もないのだが。

壊れかけの鞘から刀を抜き、それを新しい鞘へ収める。

長さも丁度良く、少し刀身を覗かせれば鞘の吸い込まれるような黒色と刃紋の燃えるような赫色が何とも言えない渋さを醸し出していた。


「やべぇ、本当に格好良いなこれ。思春期特有の病気が発症しそう」


「何やそれ?」


「拗らせると一生傷が残る恐ろしい病気だよ」


主に自分史に。


「とにかく、こんな良い物ありがとな。

 真桜には日本刀と言いこれと言い無茶ばっかり言ってるからなぁ、何かお返ししないとなぁ」


「ええて。別に見返り欲しくてやってるわけやないし」


「そうは言っても俺の気が済まないんだよ。じゃあとりあえず今日は好きな飯でも絡繰でも奢ってやるぞ?」


「ホンマ!?何でもええの!?」


「おう、それくらいのことはしてもらってるし」


絡繰を出せば食いついてくると思っていたので大成功だ。

真桜は変な所で謙虚になるからこうして物で釣らないと貰ってばかりになってしまう。


「丁度新作の欲しい絡繰が出たんよなぁ~、中々高くて手ぇ出せんかったんやけど」


「ま、たまにはな。そんじゃ街行くか」


「行く行く!」


刀や鞘の材料も経費以外で真桜が負担してたみたいだし、自分の欲しい物を我慢してまで俺を優先してくれていた。

気持ちの問題と華琳は言っていたけど、これくらい返しても良いだろう。


「あ、でもウチにこうしてくれるんやったら凪と沙和にもお返しするんやで」


「わかってるって。俺の貯金を舐めるなよ?」


何せ使う暇なんか無く乱世を駆け抜けたからな!


真桜を引き連れ街へ出ると、真桜は一直線に絡繰を取り扱っている店へ直行した。

確かに中々値段が張るものだったが、それを手に入れた真桜の喜ぶ顔も見れたし、安いもんだ。

そして帰りに凪と沙和を発見し、二人も巻き込み4人で酒場へ行き、俺の奢りだと言うと真桜と沙和は好き勝手に注文した。

凪はやはり遠慮がちであまりガツガツいかないので、凪の好みの物を適当に注文した。

現代のデスソースにも勝るとも劣らない激辛料理が運ばれてくると、凪は目を輝かせていた。


「隊長は飲まんの?」


「夜に星と手合わせする約束しちゃってなぁ。一杯くらいでやめとくよ」


「えーそうなのー?じゃあ沙和達もお酒はあんまり飲まないようにするのー」


「せやなぁ。全員でベロンベロンになれる日まで楽しみはとっとくかー」


「そうだな。皆で楽しめる方が良い」


「何かせっかく来たのに悪いな」


三人の心遣いが身にしみるなぁ。

まぁ次にまた四人で集まって飲む約束をしたと思えば楽しみが増えた気になる。

物は考えようだ。


しばらく四人で喋りながら食べていると、沙和がじっとこちらを見ていた。


「隊長はさー」


「ん?」


「真面目なのー」


「はい?」


「せやなぁ。アホみたいにバカ真面目やなー」


「アホで馬鹿って……いきなりどうした」


「いきなり失礼だぞお前たち」


「でもさー」


思うことがあるらしく、二人を注意した凪も何かを含んだ表情だった。


「え、何、どうした。何か言いたいことがあるなら言ってくれよ」


「隊長さぁ、明花にまだ遠慮してるやろ」


「え、いや最初はそうだったかもしれないけど今はもうそんなことないぞ」


何なら毎日一緒の布団で眠る程に仲睦まじい親子のようだぞ。


「このままじゃ明花ちゃんが可哀想なの」


「え、何で?」


思わず身を乗り出し、聞いてしまう。

もうあの子にこれ以上の不幸を味わってほしくない。

俺が原因であの子が嫌な思いをするのなら、それは何よりも優先して直したい。


「隊長、明花は子供ですがちゃんと人を見ています」


「隊長が不安に思ってるのも解ってるの~」


「……ん?」


明花が可哀相って話しじゃなかったか?


「え、待って。明花の話だよな?」


「せやからそう言うてるやん」


「何で俺が不安って話になる?」


「隊長が明花に対して一歩引いてるのは誰が見ても解ります」


「いや、それは勘違いだって。俺はもう──」


「解っとるか?隊長。明花は隊長の事本当に好きなんやで。いや、男女的な意味やなくてな?」


「そりゃまぁ、あれだけ懐いてくれてるし」


「なのに隊長がそんな取り繕ってたら明花ちゃんが可哀相なの~」


「取り繕うって……」


三人が何を言っているのかさっぱりわからない。

それでも俺を責めるという訳ではなく、どうか気づいて欲しいというような雰囲気だ。

だから必死に考えてはみるけど、わからない。


「明花に腹ン中全部見せとるか?隊長。ずっと気ぃ使って腫れ物扱いみたいにしてへんか?

 自分は本当は受け入れられてないんじゃないかとかくだらんこと思っとらんか?」


「そんな事はない、と、思う……」


「そこは言い切って欲しいの~」


両親を助けられなかったとか、憎悪にまかせて、あの子の目の前で人を惨殺したとか。

思うことがあるのは間違いないと思う。

でもそれで一歩引いてるつもりはもう無い……はず。


「隊長。相手が子供でも、一度自分の中の物を全部吐き出したほうがいいこともあります。

 明花が思ってる事をしっかりと聞いてあげれば、隊長の不安も晴れると思います」


「念のために言っておくけどな、隊長。ウチらは隊長のした事、間違いだとも狂っとるとも欠片も思わん。

 その場に居たのがウチだったとしても絶対に同じことしとる」


「沙和もなの」


「自分もです」


三人が何のことを言っているのかは解る。

あの時、賊を惨殺したのは既に皆知っている。

話した訳ではないが、報告書に目を通せば嫌でも知ることになる。

それでも、それについて誰かが何かを言ってくることはなかった。

確かに不安はあった。

あの子の目に、俺は狂人として映っていたのではないかと。

それに、この話題はあの子にとって辛いもの以外何者でもない。


「……あまり、思い出させたくないんだけどな」


「それはそやろなぁ。でもこのままじゃ可哀相やで」


「ずっと気を使われて、思ってる事も言ってもらえないで、疎外感を感じ始めちゃったらもうダメなの。

 それこそ最悪の状況でこのお話をしなきゃいけなくなっちゃうの」


「……わかった、話してみるよ」


それからまた四人で談笑し、食事を終え城へ戻る。

あの三人はいつも気にかけてくれているし、それを伝えてくれる。

これじゃあどっちが上司なんだかわからない。


夕飯を外で済ませた為、少し明花が気がかりだったが城の誰かが面倒を見ているだろう。

そしてその予想通り、明花は星と一緒に居た。

俺の姿を確認すると一生懸命にこちらへ走り寄ってくる。

その姿を見ているだけで頬が緩んでしまう。


「お兄ちゃんおかえり!」


「うん、ただいま」


「ふふ、こうして見ると、仲の良い兄妹のようですな」


「幾分歳が離れてるけどね」


明花と星の出迎えを受け、部屋に戻ろうとすると、星は意味ありげな視線をよこし、そのままどこかへ去っていく。

何かを察知しての行動なのだろうが、この世界の女の子はそういう空気を読むスキルがずば抜けすぎている気がする。


しかし星の気遣いを有りがたく頂戴し、明花と共に部屋へ戻る。

手を繋ぎながら歩いている間、少しだけ不安を抱えながら。

そして部屋に着き、他愛無い話をしてから明花に聞いてみた。


「なぁ明花」


「なに?」


あまり気乗りはしない。

あの時の事は忘れても良い、むしろ忘れたほうが良い事だし、この話題を出せば嫌でも両親の事を思い出してしまう。

傷口に塩を塗りこむような真似になってしまう。

本当に今話すべき事か?もっと明花が大人になって、心の整理が出来た頃でも良いんじゃないのか?

そう思うも、沙和の言うようにもしこの子が疎外感を感じ続けたらそれこそ心に傷を負わせてしまう。


「……兄ちゃんの事、怖いと思うか?」


「どうして?」


「…………」


何も言えなくなってしまう。

なんて言えばいい?

目の前で人を殺した俺を怖いと思うかとでも聞くのか?


「……見ただろ?兄ちゃんがあの時──」


「怖くないよ」


食い気味にそう言う明花。

こちらを見つめるその瞳には、徐々に涙が溜まっていく。

この子は本当に人の感情に敏感なのだろう。

今も突然何のことかと思うような話題を振って、しかしこうして答えてくれる。


「だってお兄ちゃんが助けてくれたんだもん……!」


「明花……」


「皆の為に、怒ってくれたんだもん……!お父さんとお母さんのお墓だって立ててくれたもん!」


言っている内にあの光景を思い出してしまったのか、明花の目に溜まっていた涙がぽろぽろと零れる。


「お父さんとお母さんの代わりに怒って……!助けに来てくれたんだもん!」


まるで自分自身を悪者のように言う一刀を叱りつけるように、明花は涙声で言いながら、

しかし涙を見せないように一刀に抱きつき、顔を押し付ける。


一刀が明花の目の前で賊を殺したことは確かだ。

しかしそれは村人を殺した賊を、一刀が討滅してくれたのだ。

両親の遺言を、赤の他人に言われた、娘を助けて欲しいという願いを、彼は命掛けで遂行したのだ。

体に矢を受けても、彼はその両親の娘を救い出し、村人の仇を、鬼と成り討ってくれたのだ。


自分の為に、村の皆の為に鬼となってくれた彼を、どうして怖がることがあろうか。

優しかったのだ。

親をなくし、悲しみのどん底に突き落とされた明花を、一刀は毎日一緒に過ごし、一人にならないようにしてくれた。

それに一刀はとにかく皆に好かれている。

それは子供の明花から見ても解るほどだ。

皆彼に対して意地の悪い事を言ったり厳しい事を言ったりするが、それは愛情の裏返しであり、一刀本人もそれを理解している。

そんな関係を皆と築いている。


大好きになった。

優しく名前を呼んでくれる彼を。

優しく頭をなでてくれる彼を。

優しい笑顔を向けてくれる彼を。

自分の為に、皆の為に鬼となってくれた彼を。

少しの抵抗も違和感も無く、兄と呼べる程に。


「そっか……」


明花の頭を撫でながら、一刀はそう呟いた。

自分を怖いと思うかと聞いただけで泣いてしまうくらい、明花は疎外感を感じていたのかもしれない。

本音で向き合っていないと思っていたのかもしれない。

上辺だけの関係だと心配だったのかもしれない。

それらの感情を理解していなくても、そんな雰囲気を感じていたのかもしれない。

両親を失い、故郷を失い、独りになってしまった明花にとって、それはとても辛いことなのだろう。


「ありがとう」


そう言うと、明花は一刀の胸に顔を押し付けたまま首を振る。


そんな子に、何もしてやれなかった自分に、一刀は心底腹が立つのだ。

この子の両親が、最愛の娘と過ごす時間を守ることが出来なかった。

この子が、最愛の両親と過ごす時間を守ることが出来なかった。


あの時、どうしてもう少し早く村へ到着することが出来なかったのか。

皆が生存する未来があったのではないか。

そんな後悔の念に毎日苛まれていた。

不甲斐ない自分のせいでこんな小さな子を悲しませていると思うと、悔しさで涙が出そうになるのだ。


「お父さんとお母さん助けてやれなくてごめんなぁ……!

 天の御使いなんて言われてるくせに、何も出来なくてごめんなぁ……!」


抱きついてくる明花を抱きしめ返す。

もう親からの温もりを感じることが出来ないこの子の心の支えに、少しでもなれればいい。


「もっと頑張るから……!もっともっと、兄ちゃん頑張るからさ……!」


だからどうか、もしも神が居るのなら、この子にこれ以上の悲しみを与えないでほしい。

どうかこの子に、辛い思いをさせないでほしい。

どうか、この先、この子の未来を幸せでいっぱいにしてやってほしい。


ようやく、一刀は自分の腹の中を明花に打ち明けた。

両親を救えず、目の前で人を殺した自分を、明花はどう思っているのかを確認出来た。

もしかしたらどこかで恐怖を与えてしまったのではないか、恨まれているのではないかという不安。

そんなものは、只の杞憂だったのだ。


戦争の時代だ。

親を失った子はそれこそ数えきれないほどにいるだろう。

全ての孤児となった子をこうして迎え入れることなど出来るはずもない。

それでも、目の前でそれが起こるのと、どこか知らないところでそうなるのとでは何もかもが違う。

目の前で両親が死ぬのを見て、その両親に娘を救ってくれと頼まれ、こうして明花を救い出した。

そんな子を、こんな時代だから珍しいことではないなどと誰が思えるというのか。


そんな一刀達の様子を、星は窓の外で壁により掛かり腕を組み、俯きながら聞いていた。

何かを決意した一刀の雰囲気を察し、一刀と明花を二人にするために離れたが、心配になりこうして近くで待機していた。

しばらく俯き、そして空を見上げる。


一刀の感受性の豊かさは、この時代で生きていくには辛いだろう。

自分たちも一刀と同じ状況になれば守れなかった悔しさに己の無力を憎むこともあるだろう。

だがこうして彼と同じ思いをするかと言われれば答えは否だ。

言い方は悪くなってしまうが、こんな時代でいちいち気にしていたら身が持たない。

心が持たない。

だから切り替えるのだ。

次こそは、と。

自分たちはあまりに戦に慣れすぎた。

人の死に慣れすぎた。

己の誇りを示す為の武に浸りすぎた。


彼も次こそはという思いは一緒なのだろう。

しかし、それを割り切ることが出来ないのだ。

華琳の前で慟哭した彼を見ればそれは明らかだ。

そして今しがたのやり取りを聞いていれば誰でも解る。


「……大馬鹿者か」


華琳と話した時に、彼女は彼を大馬鹿者と言った。

しかしそれは華琳なりの褒め言葉だった。


近くで彼を見ている者ならば、男女問わず彼の想いに心打たれるだろう。

偽善と罵る者が居ても、ならばその偽善に全身全霊を掛けている彼に心打たれるだろう。

彼を見ていると、たまに自分は何がしたかったのかと思う時がある。

己の武を示し、誇りを示し、名を上げて、それでどうする?

人に敬われればいいのか?

畏敬を抱かれれば良いのか?

歴史に名を残す?

それに、一体どれだけの価値がある?


人の為に涙を流す彼を見ていると、己の事しか考えていなかった頃の自分がとても惨めに思える。

人の為にと立ち上がった桃香に仕えている今も、彼のように他人の為に本当に悲しんだ事があるだろうか。

涙を流した事があるだろうか。

彼の涙は決して軟弱なものではない。

弱さ故の涙ではない。


「はぁ……これは本格的にやられてしまっているぞ」


自分への言い訳のように、星は口に出してそう呟く。

言い訳、というわけでもない。

只少し、照れくさかっただけかもしれない。


彼を見かけると気持ちが高揚する。

彼と話すととても嬉しくなる。

彼が笑顔になると、自然と自分も笑顔になってしまう。


「……うぶな生娘でもあるまいし」


切っ掛けなど些細なものだ。

3年前に見せたあの神掛かった知謀を弄した者を、魏の皆が夢中になる男を見てみたかった、それだけの事。

武闘大会で見せた彼の強さの根底にある物を見たかった。

魏の皆が夢中になる理由を知りたかった。

そして解ったこと、彼は強くて優しい。

単純且つ平凡な要素だが、何よりも重要だ。


優しく、己を犠牲に出来る気概を持つ男が、さらに武力を身につけ、己を磨き帰ってきた。

もともと彼を好きだった者は更に好きになったことだろう。

愛を深めたことだろう。

ごちゃごちゃと言ってはいるが、要するに、彼は格好良いのだ。

素直に、格好良いと思えるのだ。

侍女の立ち話に耳を傾けても、彼の悪評は聞こえてこない。

兵の話に耳を傾けても、それは同じことだ。


そして何よりも不思議に思うのは、彼が華琳のもとに居ることだ。

いや、彼は華琳達を愛しているのだからそれは普通の事なのだが、志や信念の話だ。

彼の信条は、明らかに蜀の主である桃香に酷似したものだ。

むしろ、彼はそれよりも純度というか、今回の件を鑑みると、桃香よりもその想いは強いのかもしれない。

しかし華琳はそう言った事にあまり関心は無く、己の覇道を成すという目的が第一だったはずだ。

今でこそ平和を望んではいるが、それは彼の影響によるものなのだろう。

彼女が三国を統一したにも関わらず、こうして平定し、同盟という形を取ったことも意外だ。


「もし一刀殿が蜀に居たなら、あの仕事馬鹿ももう少し女としての生き方を考えたかもしれんな」


桃香に仕えるあの黒髪長髪の残念な美女を思い浮かべ、星は一人で軽く笑う。


「国に帰るのは、当分先のことになりそうだ」


そうしてしばらくすると、明花を寝かしつけた一刀が庭へ出て行く。

鍛錬をするのだろう。

今日から夜にも彼と手合わせをするという約束だった。

お互いの腕を磨くための鍛錬だが、しかし彼と一緒にそれを行う事を考えると、どうしても別の意味で胸が踊る。

まるで子供のようにはしゃぎそうになる心を抑え、星は彼の向かう庭へ足を向けた。


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