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1 面影

初めてだった。

華琳が、俺の前で泣いた。

俺が、彼女を泣かせた。

泣かせてしまった。

泣きながら、逝かないでと言ってくれた彼女を残して、俺はあの世界から消えてしまった。

その後悔と罪悪感と、そして寂しさを抱え、俺はあの世界から消えた。


簡潔に言えば、俺はもとの世界に戻ってきていた。

数年前に日本で過ごしていた日常と同じく、ベッドで目が覚めた。

見慣れたはずの天井が、懐かしく、むしろ慣れない風景に思えた。

勢いよく起き上がり周りを確認する。

以前と変わらない、自分の部屋だった。


部屋を見渡していると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえる。

そしてその音が部屋の前で止まると、扉が開かれる。


「……起きてるなら降りて来なさいよ…って、あんた、どうしたの?」


懐かしい、母親だった。

なかなか起きてこない俺をたたき起こそうとでも思っていたのだろう、入ってきた瞬間の言葉は少しうんざり気味のトーンだったが、

その後続いた言葉はどこか心配するような問いかけになった。


「え?」


「嫌な夢でも見た?」


気づけば、俺は泣いていた。

目の端から流れる涙を拭いながら思う。


夢……あれは全部夢だったのか?

只の、長い夢だったのか?

全部覚えてる。

戦争の中にある血生臭い、悪夢のような現実を。

人が目の前で死んでいく時代を。


華琳達と過ごした毎日を。

華琳達と愛し合った日々を。

最後に泣いた、華琳の、一瞬だけ見えた悲しみに歪んだ表情を。


「夢……?」


「ちょ、ちょっと、本当にどうしたの?」


次から次へと涙が溢れる。

久しぶりの家族との再開の喜びよりも、悲しみのほうが上だった。

あの毎日がすべて幻想だったのかと思うと、胸が締め付けられる思いだった。

全部が無かったことにされるのが、耐えられなかった。

でも、あの日々を過ごした事を決定付けるものを、俺は何一つ持っていなかった。

記憶という、もっとも曖昧なものしか持っていなかった。


「学校休む?」


ひたすら無言で泣き続ける俺に、母親は言う。


「学校……?」


その言葉に、今が西暦何年の何月何日かという事を確かめたくなった。

そして、部屋にあるカレンダーに目を移す。


「……そのカレンダーって、今年のもので、その日付は今日の日付であってる?」


「そうだけど……」


驚くことに、華琳たちと過ごした世界で何年も過ごしていたはずが、こちらの世界では時間が進んでいなかった。

それが、あの日々が只の夢だったことを突きつけられているような気がした。


「ははは……」


乾いた笑いと共に手で目を覆い、溢れる涙を止めずにしばらく泣いた。

あの命がけの日々から開放された安堵よりも、華琳達ともう会えなくなってしまった事による絶望感が大きかった。

あの時、行かないでと引き止める華琳を抱きしめたかった。

俺だって出来ることなら消えたくなかった。

でも、自分の身に起きていた事は自分が一番理解していた。

もう、どうしようもないのだという事を理解してしまっていた。


その間、母は俺の隣に座り、背中に手を添え、何も言わずに居た。

頭の中がぐちゃぐちゃになっている俺には、それがありがたかった。


その後、俺は数日学校を休んだ。

あの出来事から一転、日常へ戻り、はい元通りの生活をどうぞと言われてもそれを素直に受け止めることが出来なかった。

しかし、そんな俺を心配する両親を見ているのは辛い。

まだ心の整理は出来ないが、学校へは行こうと思う。


自分の中では何年も行っていなかった学校への道が懐かしい。

道中にあるもの全てが現代のものであり、あの時代のような風景は一切存在しない。

時代も違えば国も違うのでそれは当たり前なのだが、やはり寂しさを感じる。


「かずぴーおはようさん!」


そう言いながら背後から軽く背中を叩いてくる。

これもまた懐かしいと思う顔だった。


「ああ、おはよう」


「なんやなんや、いきなり学校何日も休むから何事かと思ったけど、まだ元気足りんなぁ」


「そうか?」


「それに何か……なんやろか。かずぴーに違和感がある」


「違和感?」


「んー、雰囲気が違うっちゅーか……ようわからんけど」


「雰囲気なんて数日で変わるもんじゃないだろ」


「その落ち着きようが違和感なんや!いつものかずぴーならもっと頭悪いこと言うはずや!」


「お前ぶっとばすぞ」


及川も、こちらの雰囲気を察してわざと軽口を叩いているように思う。

こいつに気を使わせてしまうくらい、俺は以前と違うのだろうか。

そんなにも沈んで見えるのだろうか。


あの戦乱の毎日が嘘のような現代。

学校へ登校し、授業開始のチャイムと共に皆が席に着き、教師が教鞭を振るう。

戦争のせの字も無いような、平和そのものの空気。

ふと、窓の外に広がる空を見る。


もしも同じ世界にいるのなら、この空は華琳達のいる場所とつながっていて、そこへたどり着く希望はあった。

でも、あれは違う世界。

今俺がいる地球とは違う世界。

あれがなんだったのかは分からない。

胡蝶の夢、なんて例えをしたけれど、あちらで過ごした年月は夢だったのだろうか。

幻だったのだろうか。


放課後、剣道部に顔を出した。

数日休んでいたから、主将に謝らなければと思った。

足取りは重いが、剣道部の活動する体育館へ向かう。


近づくにつれて、懐かしい音が響いているのが聞こえてくる。

部員達の掛け声も聞こえてくる。

今の俺の体では数日振りだが、感覚からすれば何年ぶりという期間だ。


「かずぴー、しばらくはええんちゃうの?病み上がりなんやろ?」


「ん、まぁ、今日は参加しないにしてもとりあえず挨拶だけはしておくよ」


一緒について来ていた及川が心配そうに言うが、登校している以上、顔だけでも出しておきたい。


体育館の扉を開けると、窓を開けているとはいえ、一気にこもっていた熱気が外へ出て行く。

それと同時に、部員達の練習を見ていた主将がこちらに気づき近づいてくる。


「あ、相変わらず誰も近寄らせんようなえげつない空気纏ってるやんけ……ほんまに学生なんやろかあの人」


どうにも及川は主将のことが苦手らしい。

あまりふざけたことをしなければ普通に良い人なのだが。


「おはようございます主将。ここ数日顔出せなくてすみません」


「いや、担任の先生からはちゃんと報告を聞いているし、問題ない。むしろ、もう平気なのか?」


「はい、体調のほうはもう大丈夫です」


「……?お前、北郷か?」


「誰か違う人に見えるんすか」


「いや、まぁ、うん。私も馬鹿なことを聞いた。どうにも雰囲気が違うような気がして」


「主将さんもそう思いますやろ!?」


「相変わらずうるさいな及川。近くで話しているんだからボリュームを落とせ」


「す、すんません」


「で、今日はどうする?一応病み上がりだし、練習は参加不参加どちらでも構わんが」


「そうですね。今日はあんまり気が進まなかったんですけど久しぶりなので見るだけ見ていきます」


「……?久しぶり?まぁ確かに数日振りではあるけど」


「あぁいや、感覚的にそう思っちゃうだけっす」


「そうか。まぁ、じゃあ一応北郷の防具も一式用意しておくから、今日は気が向いたら参加してみろ」


「はい」


「あ、俺も見てってもいいです?」


「……構わん」


「あざっすー!」


及川のちゃらけた感謝の言葉にため息を吐き、主将は戻っていく。


「相変わらず俺は嫌われとんなー」


「嫌いだったらそもそも相手にしないと思うぞ」


「せやろか」


「せやろ」


それからしばらく、及川と並び黙って練習風景を見ていた。

大会が近いということもあり、主将はもちろん、部員達の熱気も凄いものがあった。

俺はこの剣道部の中で言えば、あまり強いほうではない。

というよりも、強さ順で言った場合、下から数えたほうが早い位置にいる。

以前はあまりやる気もなかったし、祖父が剣道をやっていて、その流れでやらされていたようなものだった。

なので、こうして真剣に取り組んでる部員達には敵わない。

……はずなんだけど。


見ていてなんとなく違和感がある。

あまりこういうことを言いたくないが、全体的にレベルが下がっているように思える。

主将のことだからそんな腑抜けたことはさせないと思うのだが、以前ほど、部員達に対して凄いとか、敵いっこないとか、そういった感情が湧いてこない。

逆に、あまりに俺自身が剣道から遠のきすぎて、そういった実力もわからなくなってしまったのだろうか。


しばらくして、小休憩の時間に入る。

真剣に練習に取り組んでいた部員達も小休憩のときは緊張も緩み、笑顔で談笑を始める。


「おう、一刀。来てるなら俺とやろうぜ」


そう声を掛けてきたのは部員内でも上位陣に位置する実力を持つひとりだった。

そんな奴が何故下位に位置する俺に声を掛けてくるのかと思う者もいるかもしれないが、単純に友人同士、仲が良いからだ。


「……そうだな。あとちょっとしかないけど、俺も参加するよ」


そう返事をして、小休憩の間に着替え、防具を抱えて更衣室から出る。

懐かしい感触。

懐かしいものばかりだ。

でも、それがあまり嬉しくないのは何故だろう。

心にぽっかりと大きな穴が空いた気分なのは、何故だろう。


解り切った答えを、俺は出さないでいる。

出せないでいる。

今、少しでも彼女達の思い出を振り返ってしまえば、涙を堪えられる気がしなかった。


小休憩が終わり、部員全員を二つのグループに分け、勝ち抜きのトーナメント形式で試合をする事になった。

一緒にやろうと言っていた友人は先鋒なので、俺もそれに習って先鋒で出る。

皆も俺とこいつの実力差を知っているからか、どこか弛緩した空気が流れ、試合が始まる。


しかし、試合が始まれば相手も本気だ。

怒号のような掛け声を発しながら、友人は間合いを計り、隙あらば飛び込めるように軽くステップをする。

翻って、俺は竹刀を前に構え、動かずに相手の動きを見る。


何故だろう、以前はいつ高速の一撃が飛んでくるか分からない恐怖があったのだが、今は相手が攻撃しようとするタイミングが分かる。

そのタイミングにあわせてこちらが一歩踏み込むと、それに驚き、タイミングが崩れ、踏み込めないという状況が何度か続いた。

最初は緩んだ空気でその試合を見ていた部員達も、いつの間にか静まり返り、攻撃の無い二人のやり取りを見ていた。


相手は自分のタイミングがつかめず、いざ行こうとするとそれを阻止するかのような動きで一歩踏み込んでくる一刀に、精神的な焦燥感から疲労が来ているのか、息が上がっている。

それに対し、一刀は相変わらず落ち着いた様子で相手との間合いをじりじりと縮め、気づけば相手は逃げ場を失っていた。

気づいた相手はこれ以上どうしようもないと踏んだのか、がむしゃらではあるが、鋭い一撃を放ってくる。

それを起点に体勢を入れ替えるつもりなのだろう。

しかし、一刀の目にはその鋭いはずの一撃が、どうにも温く感じた。


目にも留まらぬ一撃を、一刀は構えている竹刀で正確に弾き返した。

その攻防は一度ではなく、二度三度と続き、それらを一刀は全て弾いて見せた。

見えるのだ。


長い期間、一刀は戦乱を駆け抜けたのだ。

その間、自分が剣を握ることもあった。

目の前で人が死ぬことも経験した。

春蘭や霞に、ぼろ雑巾のようになるまで稽古をつけられた日々だって数え切れないくらいにある。

あの一騎当千の武将達に稽古をつけられた一刀は、常人に比べれば高い戦闘力を有していた。

命のやり取りをしたことの無い人間に比べれば、彼の実力はかなり上に位置づけられていた。


試合の様子を見ていた者達は、皆一様に驚きを隠せなかった。

部内でも指折りの実力を持つ者を、決して強いとはいえなかった一刀が圧倒している。

そして、ついには、その勢いのまま、一刀が一本を取ってしまった。


「い、一本!面あり!」


審判役をしていた主将が慌てて掛け声を掛ける。

試合が終わり、防具を外した友人が驚きの表情でこちらを見ている。

一刀も終了と同時に戻り、防具を外す。


数日前とあまりに違う力量に、相手をしていた友人が声を掛けようと近寄るが、直前で止まり、声を掛けるのを躊躇った。

面を外し、それを持ったまま呆然とした表情で、一刀は泣いていた。


「お、おいかずぴー?どないしたん?」


それを見た及川が慌てて駆け寄り、一刀にそう呼びかけると、一刀はゆっくりと及川へ顔を向けた。


「夢じゃ……なかったんだ……」


「え?」


「皆……夢じゃなかったんだよ……!」


そう言うと、一刀はその場に崩れ落ちるように泣いた。

確たる証拠は無かった。

それでも、春蘭や霞達のおかげでついた力があった。

この世界ではまったく時間が進んでいなかったのにどういうことかはわからない。

それでも、これは、彼女達が与えてくれたものだと確信できた。

それ以外に説明のしようがない。

そう思った瞬間、涙が溢れ出た。


皆は……華琳は、俺の夢なんかじゃなかった。

確かに存在したんだ。







その後、練習どころではなくなってしまった剣道部はその場で解散した。

皆にしてみればいきなり泣き崩れた俺は大層意味不明だっただろう。

頭がおかしくなったと思われても仕方ない。


「なぁかずぴー」


帰路の途中、黙って歩いていた及川が言葉を発した。


「あんまデリケートな問題だったらあかんと思って、かずぴーから話してくるまで待ってよう思ったけど、さすがに無理やわ。

 ……何があったん?」


まぁ、そうくるだろう。

普通はそうだ。

自分の友人が、先日まで普通だったのに次の日から数日休み、さらに登校してきたかと思えば急に泣き崩れる。

そんなところを見てしまえば誰でも何があったかと問うだろう。


でも、俺の中にしか確たる証拠がない、皆との思い出を話したとして、やはり頭が狂ったのかと思われる可能性は高い。

逆にこれをすんなり信じる奴が居たら教えてほしい。


それでも、及川になら話してもいいんじゃないか?とも思う。

普段はおちゃらけた奴だけど、真面目な話をするときは真剣に聞いてくれるし、相談も乗ってくれる。

俺にとっては親友なのだ。


一度深呼吸をして、息を整える。


「これから話すことは、多分、いや絶対と言ってもいい。

 信じられない話だし、アニメや漫画の見すぎで狂ったかと思われるような話だ。

 信じようが信じまいがそれはお前の判断に任せる」


「お、おう」


予想以上に神妙な表情になっているのか、及川は少し面食らったように返事をする。

話すと長くなるので一旦帰宅してから部屋に及川を招き、俺は自分が経験したあの戦乱の世を、戦の時代を最愛の人と一緒に駆け抜けた話をした。

整理して改めて話すと、なんて現実味のない話だろうと自分でも思う。

三国志の武将達が全員女性であり、その世界へ自分が飛び込み、一緒に戦い、三国統一を成し遂げる話なのだ。

頭の中お花畑だ。


全てを話し終え、しばらく沈黙が続く。


「……俺は狂ってると思うか?」


そう及川に問いかける。


「は、はは……いやいや。いやいやいやいやいや。んなアホな」


ドン引きしていた。

そりゃそうだろう。

想定内の反応だった。


「やっぱ、そう思うよな」


「いや、そうやのうて……ちょ、ちょっとまっとれ!」


そういい残すと、及川は自分の荷物も持たずに部屋から飛び出していく。

俺が狂ったと思って逃げ出した?

いや、たとえ俺が狂ったと思ってもこの反応はしないだろう。

しばらく待っていると、玄関の扉が再び開く音と共に、慌しく戻ってきた及川。


「こ、これ見てみかずぴー!」


そう言って差し出してきたのは、いつの時代に書かれたんだと思うくらいにぼろぼろになった書物だった。


「なにこれ?」


「ええから!」


巻物になっているそれを受けとり、開く。


日本語ではない。

でも、読める。

それは、俺が華琳達の世界で字の読み書きを学んだからだ。

そして及川も、ネットやらを使って必死にこれを翻訳したのだろう。

興味のあるものにはとことん時間を注ぐ奴だ。


どうやら、物語を綴ったものではなく、誰かの手記のようなものらしかった。

黙ってそれを読む。

書いているのは女性のようだった。


そこには、”彼方の面影”と題された文が綴ってあった。


そこに綴られているのは、その女性が感じた事なのだろう。

見ているこっちまで悲痛な気持ちになってしまうくらい、そこには後悔の念と悲しみが綴られていた。


「鬱になりそうなんだけど」


「最後まで読めって!」


及川の形相が必死だったので、続きに目を通す。


もしもまた、貴方が私のもとへ帰ってきてくれるのなら、もう、天の御使いという肩書きも、使命も全てを捨てて、私の傍に居てほしい。

いつまでも、貴方を待ち続ける。

いつまでも、いつまでも。

私は、貴方を忘れることはない。


貴方の姿は、”しゃしん”という形でここに残っている。

貴方が”昔”の技術と言って残した画期的な技法も広まった。

胡蝶の夢なんかではない、貴方が居た証がここにある限り。

私は待つ。

──、貴方が帰ってくるのを信じている。

いつまでも。


一部だけ、文字が掠れていて読みづらい。

しかし、思わず息を呑んだ。

鼓動が激しくなる。

これを書いた人の名前は、ここには記されていない。

衝動的に書いたか、または他人に見せるつもりはなく、自分の心を整理するために書き綴ったものなのだろう。

それでも、ここに綴られている事には、俺自身、いくつも心当たりがあった。


「最初に聞くけど、かずぴー、あの古臭い店に行ったんか?」


「え?」


「俺がこれを見つけたところや。秋葉原の、俺らが大体遊び歩いてるエリアに、こんな店あったか?ってくらい古臭い店があってん。

 そこで見つけたんや。

 よう分からんけど、すげぇ気になって、しかも店員がめっちゃ雰囲気怖い上にごり押ししてくるから買ってしもたんやけど」


「い、いや、そんな店あったら逆に目立つから俺も入ってるだろうし、そもそも俺が欠席してから外に出たのは今日学校に行ったのが初めてだ」


「でも、読んだらわかるやろ?これ、かずぴーが話した状況とドンピシャやで。天の御使いってのもそうやし、何よりその相手が消えた状況がまったく一緒や。

 それに、これがもし本当に当時の時代に書かれたもんなら、”しゃしん”なんてもん、出てくるのがおかしい」


及川の指摘に、混乱していた。

あれは、パラレルワールドのようなものではないのか?

どうして現代に、こうして記録として残っている?


「それに、その、意図的に削られたような場所あるやろ。

 それ、よ~~~~~~~く見てみ。

 俺もさっきかずぴーに話聞くまでは読めへんし写真なんて単語は出てくるしでパチもん掴まされた思って諦めてたんやけど。

 でもそれ、誰かが上からがりがり削って、んで途中で辞めたんか知らんけど、ちゃんと消えてへんねん。

 光に透かして見るとそれ……”一刀”って書いてあるように見えんか?」


「え──」


「いきなり違う国の文字になったからわからんかったけど、意識してみりゃそれかずぴーの名前にしか見えへん。

 何でそこだけいきなり日本漢字なのかわからへんけど、俺にはそう見えんねん」


紙を透かして、その掠れた場所に書かれている文字を読む。

確かに漢字で”一刀”と書かれているように見えなくも無い。

しかし、これが仮にそう書いてあったとして、何故俺の名前だけ日本語で書いてある?


「かずぴーの話とこの手記を照らし合わせると、俺はわざとそう書いたんやないかと思う。

 ”貴方が居た証”ってもんに、この”一刀”っていう文字も含まれてるんやないか?」


なら……これを書いたのは、やはり華琳なのか?

俺はこんなにも……彼女を悲しませてしまったのか?


「明日、学校休むで。行ってる場合やあらへん。明日朝からその店行って、その怪しい店員に聞けば何か知ってるかもしれん。

 勧めてきたのはそいつやからな」


「俺の話を……信じてくれるのか?」


「かずぴーが作った話にしては事細かな詳細がはっきりしすぎてるし、現にこうやって、世に出回ってる歴史とは逸れた、別の可能性を示唆するようなもんまで出てくりゃ、

 そら一笑にはできんやろ。むしろ信憑性が出てきて俺もちょっと興奮しとる。

 場合に寄っちゃ泊りがけで手がかり探すことになりそうやで」


絶望から一転、希望が見えたことに混乱した。


次の日、俺たちは学校へ休みの連絡を入れ、朝から及川の言っていた店へ向かう。

昨日の夜から一睡も出来なかった。

また皆のところへ帰れるかもしれないという期待感と、あれは本当は夢で、もうこのままずっと会えないんじゃないかという不安。

早く行って確かめたいとうずうずして睡眠どころではなかった。


移動中、及川はあの華琳が書いたかもしれない手記をずっと読んでいた。

何が及川をそこまで引き込むのかは分からないが、普段おちゃらけている及川が、それを読んでいる表情は真剣そのものだった。


「それ、ずっと読んでるのか?」


「んあ?おお。何かな」


「……何かなんだよ」


「いや、俺も十数年生きてきて、綺麗ごとばっかりを並べ立てた歌とか詩とか、そういうの白けた感情で見てきたんやけど。

 これはなんつーか……ホンマに苦しいんやろなぁってのが伝わってくるんよな」


「…………」


「俺はこの人がどういう人間かっつーのがまったく分からんわけやけど、でも、何とかしてやれたらなぁって思えるくらいには、伝わってくる。

 ほんで、その鍵がかずぴーな訳やろ?これがパチもんなら、ここで苦しんでいる人は居ないわけやし、それはそれでよかったと思う。

 でも、これがホンマもんで、かずぴーが当事者だってんなら、俺も協力したいんやわ」


「及川……」


「ま、何よりかずぴーの話がマジなら、非日常ってやつに俺も触れられるかもしれへんやん?半分以上は俺の好奇心やからな!」


そういい、バンバンと背中を叩いてくる。


「はは、なんだよそれ」


及川の気遣いに少しだけ泣きそうになり、しかし昔からの友人にそういった姿を見せるのも気恥ずかしく、ぶっきらぼうに返す。


「俺もそんな恋愛してみたいんや!心のそこから愛し愛されてみたいんや!」


冗談めかして騒ぐ及川に少しだけ気が楽になり、目的の場所へ向かう。

そして、及川の言うとおり、いつも俺たちが遊び歩いているエリアにその店はあった。

それも、隠れているとか、細い路地を行った先とかそういったものではなく、歩いていれば必ず気づくであろう、歩道に面した場所にそれはあった。

だというのに、今までその店を俺たちは見たことが無い。

気に留めなかったとか、新しく出来たとかそういうことではない。

明らかに外装は古びているし、周りの建物に比べ、雰囲気のある建物だった。


「……こんな店なかったよな」


「せやろ?俺もマップとかナビとかでここの住所入れてみたんやけど、全然違うところが表示されよる」


及川に言われて思い出すが、そういえばこの時代はスマホという文明の利器があったんだった。

あちらでの生活が長かったせいか、持ってきてはいるもののすっかり頭から抜けていた。


「……よし、入るか」


少し緊張した面持ちで、その奇妙な店に入る。

店の中はそれなりに広いのに、そこには客が一人も居なかった。

というよりも、人の気配が感じられない。


しかし、店員なのだろう、カウンター越しに一人、女性が佇んでいる。

それにしても、あれがこの店の制服なのだろうか?

顔が下半分しか見えないほど目深なフードを被っている。


「……怪しさ全開だな」


「せやろ?あれにごり押しされたから買うしかないやろ。怖すぎぃ」


冗談を言いながら店内のものを見ていく。

この店は骨董品を主に扱うらしく、どれも年季の入ったものばかりだった。

店員に話を聞くという目的を忘れ、しばし置いてある物を見ていく。

いつの間にか二手に別れてしまったらしく、気づけば及川は近くに居なかった。

後ろを振り返り及川の姿を探すも、見えない。

仕方が無いのでこのまま店内を進もうと正面に向き直ると、あのフードを目深に被った店員が目の前に居た。


「(し、心臓止まるかと思った)」


話を聞くチャンスということも忘れ、恐怖から思わず会釈でその場を去ろうとし、横を通り過ぎようとした瞬間、腕を掴まれた。


「ヒイイ!?」


情けない声が出た。


「これを」


淡々とした口調で差し出された物は、これまた年季の入った銅鏡だった。


「え、いや、あの。えっと、これを買えるようなお金を持ってきてなくてですね」


「お金は良い。これをもって帰って」


声から察するに女性のようだが、怪しすぎて怖い。


「あ、はい」


そして反射的にそれを受け取ってしまった。

すると、その店員は本当に歩いているのかと思うほどにするすると地面を滑るように進んでいき、もとの場所へ帰っていった。


「怖すぎぃ……」


それからは何の情報もなく、結局、意を決してあの店員に話を聞こうと店内を探したが、見つからなかった。




























あれからどれくらいの月日が過ぎただろう。

我ながら、女々しいことを書いてしまったと後悔した。

覇道を歩み、それを成し遂げた自分が、まるで一人のか弱い生娘のような事を綴ってしまった。

自分の気持ちを整理するつもりで書いているうちに、感情が抑えられなくなり、正直な想いを綴ってしまった。

結果が、これ。


短いため息と共に、誰に見せる訳でもないそれの一部を上から削り、消していく。

しかし、この国になじみの無い二文字が完全に消える前に、その手が止まってしまった。

そして、それを抑えている手元に、ポタポタと雫がこぼれる。

消せなかった。

例え書面上の文字に過ぎなくても、それは”彼”の名前で、ここに居た証なのだから。


彼が消えたあと、皆にそれを説明するのに、少しだけ心の準備を必要とした。

自分も受け入れられない状態だったのだからそこは解ってほしい。

それでも、上に立つものとしての役目を全うしなければならなかった。

宴の次の日、皆を集めて説明したのだが、皆予想通りの反応だった。

あまり思い出したくは無い。

それほどに、皆が悲しみ、慟哭した。


その状況を目にすると、自分がしっかりしなければという意識が、自分自身を支えた。

しかし、こうして一人になる度に、自分は女々しくなってしまう。


あの時、彼が消えてしまう現実を受け入れたくなくて、背を向けたままだった。

背中越しに感じる彼の気配が薄くなっていく程に、振り返って抱きとめたかった。

でも、怖かった。

彼が消える瞬間を目の当たりにするのが怖かった。

だから、目を向けられずに居た。

そして、”愛していた”という言葉。

それが既に過去形になっている事に、ひどくうろたえた。

意を決して振り返り、彼の名を呼ぶと、そこにはもう、彼の姿は無かった。


あの夜から、どれくらい経っただろう。

憎らしい程に澄んだ夜空に浮かぶ満月が眩しい夜だった。

一月、二月と経つごとに、彼を忘れていくのではという不安があった。

いずれ、彼が居た証すら消え、まるで最初から居なかった存在になってしまうのではという恐怖があった。


だからこうして文字として残すことで、少しでも彼の居た証を残していきたいというのもあった。

しかし、これを残すということは、自分の弱さも残してしまうことになる。

だから、誰の目にもつかないよう、私室の棚にでも厳重に仕舞っておこう。



外の空気を吸うために外へ出ると、もう少しで夕日が沈む、最も美しい時間だった。

近くの手ごろな岩へ腰を下ろし、沈み行く夕日を眺める。

町からそう遠くなく、且つ落ち着いた雰囲気が漂う、自分の好きな場所。


まだ仕事が残っていたものの、それが手につくような状態ではなかった。

こうして一人でいると、決まって思い出すのは、あの憎らしいほどに美しい満月の夜。

最後に彼と向き合うことが出来なかった後悔。

背を向けた自分に対し、過去形で愛を囁いた彼はどんな気持ちだったのだろう。

消え行く不安の中、恐怖や嘆き、助けの声ではなく、愛の言葉を囁いてくれた彼に対し、自分は最後まで背を向けたままだった。


諦めるつもりはなかったけれど、天界についてなんの手がかりも無く、もう二度と会えないかもしれないという不安は大きかった。

陽の落ちかけた茜色の空を見上げ、思い出すのは凪の言葉。

一刀が消えたことを伝え幾日が過ぎ、未だ立ち直れない彼女と話をした。

その中の彼女の言葉が、どれだけ日が過ぎようと薄れることなく胸中にくすぶっていた。


”我々は確かに勝利しました。華琳様の覇道が成り、平定を選んだとはいえ、一時三国を統一したことは事実です。

 とても喜ばしいことです。皆も大いに喜んだことでしょう。

 でも……どうしてそこに、隊長がいないのですか……?”


あれは効いた。

皆の尽力は勿論だが、絶体絶命の場面はいくつもあった。

それを救ってくれたのは間違いなく彼だった。

確かに彼は戦う力はなかったかもしれない。

それでも、誰もが口を揃えて言うだろう。

最大の功労者は彼であったと。

だというのに、目的を達成し、喜びを分かち合う前に忽然と消えてしまったのだ。


一刀が消えてからしばらく、魏はまるで魂が抜け落ちたかのような、あのころの活気など微塵も感じさせず、まるで城までもが泣いているようだった。

あれから幾分かは立ち直ったとはいえ、以前の彼女達には程遠い。

表面上は元気に過ごしているが、いまだに夜にすすり泣く声が聞こえてくるのだ。


「さっさと帰ってきなさい……バカ」


虚空へ向かってポツリと、寂しがり屋の少女は呟くのだった。






































あれから、及川と情報を集めるための活動はずっと続けていたものの、それが身を結ぶことはなかった。

次の日にもう一度あの店に行ってみたが、そこには蛻の殻となった、テナント募集の看板だけが置いてある一室になっていた。


それでも、諦める気には毛頭なれない。

何故なら、華琳の心の内を知ってしまったから。

俺を忘れて元気に過ごしてくれているなら、寂しいし悲しいけど、それでよかった。

でも、そうじゃなかった。


居ても経っても居られず、あの日からすぐに俺は祖父に頭を下げた。

情報は毎日集める。

しかしそれとは別に、今度は、俺自身、強くなりたいと思った。

勝手に居なくなった俺を待ってくれているのだとしたら、俺はそれに全力で応えたい。

出来ることと言えば、こうして数年も時間が巻き戻った状況を利用して、強くなることだ。


祖父に剣術を教えてくれと土下座したときは本当に驚いていた。

それまで俺は仕方がないから、という理由で祖父の道場に通っていた為、剣術などどうでもよかった。

そんなダメ孫が土下座して教えを請うもんだから驚きもするだろう。


「はっはっはっはっは!うわhっははっはうぇっゲホ!ウェホ!!ゲボォ!」


「頼んでるのはこっちだけど言わせてもらうぞおいジジイ笑いすぎだろ。

 爺ちゃん俺は真面目に……!」


「ふぅ。エホッ!お前の目を見れば本気かそうでないかくらいわかるわ。

 しかし、お前をそこまでさせる理由は何だ。ゲホッ!」


「息を落ち着けてからシリアスになってくれない?」


「うむ、もう大丈夫だ」


大切な人を、最後に”行かないで”と泣いてくれた彼女を置いてきてしまった。


「好きな人を泣かせたままなんだ。今までずっと傍に居てくれた子達を置いてきちゃったんだ。

 ずっと守ってくれたんだ。だから今度は、皆が背中を預けられるような男になりたい」


「何があったかは知らんがまぁ良いだろう。男が強くなるのに理由なんざいらん」


「爺ちゃん……ありがとう!!理由聞いてきたの爺ちゃんだけど!ありがとう!」


俺はもう一度頭を下げた。


そこからはまさに地獄。

初日から模擬刀でぶん殴られた時はどうしようかと思った。

というか今の御時世山ごもりとかするものなのか?

こうしてしばらく過ごしていると、爺ちゃんから驚きの言葉が出た。


「ふむ。どうやら覚悟は本物のようじゃの」


「え!?今!?目を見てわかってくれたんじゃなかったの!?」


「そんなもん分かるわけないだろう……しかしまさかここまで必死になるとは思わなくて」


「そりゃ必死にもなるよ。何でもする覚悟もある」


「しゃーないのー儂も本腰入れて教えてやるとするか」


「……え?」


今まで本気じゃなかったの?既に死にそうだったんだけど。


「そんじゃお前、ちょっとパスポート取ってこい」


「……何で?」


「海外に良いところがある。古い友人が貸し出しているコテージなんだが、今は人っ子一人おらん状態で放置されていてな。

 人の手があまり入らぬ辺境の地故に、そこには強くなれるものが何でもある。

 前までのお前なら間違いなく死んでいただろうが、儂の特訓についてきている今なら大丈夫だろ」


……なんだろう。確かに皆の力に少しでもなれるのなら何でもする覚悟はあるけど、

前の俺なら間違いなく死んでいた場所ってなんだ。しかもそこに行くのか。


「……参考がてら聞くけど、例えば?」


「洞窟とか縄張りとか、湖もあるぞ」


「……縄張りってなに?」


「まぁ良いからはよ取ってこい」


「縄張りってなんなの!?なんかいんの!?そういうのって危険地域とかで立ち入り禁止なんじゃないの!?」


「土地の持ち主が申請してないから大丈夫だ」


「しろよ!!犯罪だぞ!」


「ええからはよ取ってこんか!一番早い便で出るぞ」







そして連れてこられた先は本当に人の手が入ったのかと思われるような場所だった。

道らしい道は何もなくて周りは全部森、そして道無き道を1時間程行けば謎の巨大な湖。

爺ちゃんがどうやって道を覚えているのかがさっぱりわからない。

ここへ来る前に爺ちゃんの古い友人とやらと話をした際に


「Oh!クレイジーなボーイだ!あんな所に望んで行きたがる奴はイッちまってるぜ!」


と、深夜通販のようなノリで言われた。

何を持ってクレイジーボーイと言われたのか、気になるが考えるだけ不安が増していくのでやめておいた。

爺ちゃんにのこのこと着いて行った先、そこでは全てが自給自足だった。

水や食料は勿論、申し訳程度に建っているボロボロになったコテージを補強することまでやらされた。

しかもその木材を自分たちで作るのである。正気じゃない。

爺ちゃんが飛んでる鳥にナイフを投げて仕留めた時、俺は考えることをやめた。


兎にも角にも、まずは基礎の基礎ということで体力づくりから始まった。

網を張ってその下を延々匍匐前進したり、滝の上に縄を括りつけて降下する水に当たりながら綱登りさせられたり。

落ちてくる流木を避けながら登らないと死ぬ。

むしろ何度か死んだかと思った。

そして爺ちゃんに頼んだことを少し後悔した。

しかも海外の辺境地なものだから何が食料として使える野草なのかもわからない。

動物も猪みたいなのとか鹿みたいなのとかを自分で取る。

熊に遭遇した時は全身の細胞をフル活性させながら全力疾走した。

直進を時速40キロで走ると言われる熊をまいた時はついに人間をやめたかと思った。

実際には木や枝が邪魔になり巨体を阻んでくれた訳だが。

そしてその頃になると体力と同時に筋力もついてきていた。


一通りのサバイバルを終え、爺ちゃんの地獄の特訓にも慣れ、野生の勘がつき始めた頃、ついに自宅へ戻る日が来た。

少し泣いた気がする。

覚悟はしていたが、あまりにも斜め上すぎた。


そして家に帰ると両親が泣きながら抱きついてきた。爺ちゃんは笑っていた。

ちなみに親父は爺ちゃんと特訓させられた事があるが最初の山ごもりでリタイアしたそうだ。

よく縁を切られないなこのジジイ、と頭の角で思ったのは内緒にしておく。


そこからは毎日朝から晩まで道場に通い詰めだった。

まずは型を徹底的に体に叩きこまれた。

体が型の最適を覚えるまで何度も何度もひたすらに繰り返した。

そしてしばらくして体が覚えてきたところで技に入る。

技と言ってもそんな大それたものではなく、対人した時の攻撃を繰り出すタイミングやら

相手の攻撃を受け流す時の角度やら相手を釣る為のフェイントを刷り込まれた。

勿論実戦でだ。

驚くことに、最初の山ごもりの時と比べ、今度の鍛錬はスタミナが切れるということはなかった。

それに爺ちゃんの攻撃は相変わらず当たるが、それを耐えられるくらいには頑丈にもなっていた。

というよりも僅かな咄嗟の反応が出来るようになっており、少なからず力を殺せるようになっていた。

野生の力ってすごい。

死ぬ思いでいろいろな事を教えてもらった。


そんなこんなで、もう5年が過ぎようとしていた。


今は夕飯の腹ごなしに毎日の日課としているランニングをしている最中だ。

そして毎日こうして走りながら考える。


「向こうの世界に帰ろうにも何も手がかりないもんなぁ……」


そう、高校から今まで、爺ちゃんによる地獄の特訓の5年間。

その間にいろいろ考えたり何か手がかりが無いかと友人からそれっぽいものの情報を集めたりしたが成果は出なかった。

終端を迎え、役目を終えた俺は華琳達のもとから消えた……そう解釈している。

そもそもその役目とは何なのだ。

誰がいつどうやって決めたのか。

もし目の前にそいつが居たのなら迷わずぶん殴るだろう。


完全に手詰まりだった。

そもそも自分が最初にどうやって華琳達のもとへ行ったのかも解っていないのだ。

いつものように答えなど出るはずのない事を考えながら走っていると、走り過ぎた景色にふと、違和感を覚えた。


「……ん?」


人が立っている。

いや人が立っているのは普通なのだが、……立っている位置がおかしい。


「……浮いてる?」


遠目で辺りが暗いためにはっきりとは見えないが、確かにそこに地面はない。

自分は湖の周りの舗装された場所を走っているのに対し、そこにいるものは湖の中心に立っている。

見慣れない白い装束に身を包んだそれは、すっぽりと被ったフードで顔も確認できない。

心霊的な恐怖で体が一瞬硬直するも、爺ちゃんと過ごした時間で培った胆力をフル稼働し、その場から離れようとする、その瞬間だった。


「──────」


「え……」


頭のなかに直接語りかけてくるかのような声が響いた。

位置的に考えて、その白装束の言葉が聞こえるはずはない。

しかし、周りに人は居ない。

むしろ、自分とそいつしかこの世界に存在しないのではないかと思うくらい、不自然な程静まり返っている。

いつもは交通量が多いはずのこの場所も、道路には車一台として通らない。


「ようやく、準備が整った」


はっきりと聞き取れるようになったかと思えば、そいつはすぐ目の前に迫っていた。

あの距離を一瞬で詰めてきたのだ。

フードをかぶっているとはいえ、この距離までくれば顔がわかるはずなのに、不自然なほど影がこく、顔が見えない。

そしてその強烈な外見は、五年前にあの奇妙な店で見た店員と酷似していた。


「──キミを、連れて帰れる」


全身が粟立った。

総毛立ち、震える足を殴りつけ、無理やり足を動かしその場から逃げた。

何が何だかわからないが、あいつが普通じゃないことだけははっきりしている。

冗談抜きの恐怖が全身を包み、本能が逃走という選択肢を取った。

家までの道のりを無我夢中で全力疾走し、パニックになりかけている頭を何とか冷静に保つ。

そしてしばらく走ると、いつの間にか車の通りが戻っていた。

あの不自然なほど静まり返っていた雰囲気は既に無く、いつもの風景、空気に戻っていた。

あの白服はなんだったのか。

今まで霊体験をした事があるわけではないが、幽霊というにはあまりにはっきりと言葉を話していたように思う。


何が何だかわからないまま、乱れる息を整えながら、そのまま家路についた。


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