パラレルファンタジー 番外編 その7
時間は少し遡り、紫音が伊左を瞬間移動させた頃、遠くの木の上から戦場を眺める男がいた。
「やっと力を使ったか。・・・・・・いや、身体強化や治癒は使っていたが」
眺める目を細め、不敵な笑みを視線に滲ませる。
「そうこなくては」
***
(あかん、油断した。紫音、逃げろ)
頭を踏みしめられ、声のならない心の絶叫を何とか音に出そうと試みる。しかし、水月から上がってくる激痛はそれを許さず、伊左衛門を絶望の淵から突き落とす。
(ごめん。お前どころか・・・・・・俺、自分もよう守らんかったわ)
皮肉な笑みを浮かべることも出来ず、片目だけで上段に構えられた刀を仰ぎ見る。コマ送りで流れる景色に、悔恨の色を滲ませる。
(なんとかお前だけでも・・・・・・)
見開かれた瞳を閉ざし、自身の死を受け入れる。温かな空気が自分を包んだような気がしたが気のせいだろう。無機質な金属の衝撃を待つ心は、すでに死んでいた。
――絶対に死なせない。
空耳だと思った。
――私が絶対に死なせない。
弾かれたように顔を上げる。
――貴方のこと忘れない。たとえ私が死んでも。
死に体の身体と心に温かな何かが染み渡る。
――私が時間を稼ぐ。
鈍い痛みが全身に広がる。これは自身の痛みではない。まさか・・・・・・紫音の痛み?
前方から音が響いてくる。おそらく紫音のいる場所からそう離れていないのだろう。雨音に混じって人斬りの声が聞こえてくる。
「・・・・・・・・・・・・」
――自分はこんなところで何をしているんだ?
思考能力を取り戻し始めた時、突然紫音が目の前に現れた。あっと声を上げそうになる男に、人差し指を唇に当てる仕草で沈黙させる。前方から獣のような雄たけび聞こえたが、かけらの動揺も示さず少女は語りかける。
「私のせいで・・・・・・。ごめんなさい」
荘厳な空気を従えた少女は、神々しい光に包まれ、死への道を歩く男を強引に引っ張り出す。途端に身体を駆ける痛みが和らぎ、男に生きる活力が宿る。
「・・・・・・びっくりしたでしょ? 私、神がかりなんだ」
神々しさに少しの悲しみを滲ませ、慈愛の言葉を紡ぎだす。もう話す事も可能だが、神の力に気圧され口が動かない。
「だから人間に狙われるの。瞳が青いのは神の証だから」
曇っていく表情とは対照的に、瞳の青は深みを増していく。
「いろいろ出来るんだ。自分の身体を強化したり治したり・・・・・・一瞬で移動したり」
ギラリと光る眼差しを前方に飛ばす。何を言っているかは分からないが、喚きながら辺りを探る人斬りの姿が近づいて来ている。腕に力を込め立ち上がる素振りを、そっと頭を撫でることで中断させる。
「私が時間を稼ぐ。傷が治ったら逃げて」
「――っ。なんでや! 瞬間移動で逃げたら――」
神々しさに舌を縺れさせながら、何とか意見を口にするも、否定の動作が返ってきただけだった。
「私は未熟なの。あと一回しか空間移動は出来ない。それに・・・・・・」
自分の未熟を嘆くように首を横に振る。
「遠くまでは移動できない。二人で逃げるつもりだったけど・・・・・・」
自分の右足に視線を落とし苦笑する。血は止めているのだが、完全に治すには空間移動分の力を使わなければならない。それでは伊左衛門を護れない。この力は最後の手段。時間稼ぎが不発に終わってしまった時、人斬りの目の届かないところに伊左衛門を移動させなければならない。たとえ自分が死んでも。
「もう行くね。最期に一つだけお願い」
見上げる伊左衛門の額に口付けし、背中を向け言葉を置いていく。
「私のこと忘れないでね」
***
「なるほど。使い放題とゆう訳ではないのか」
木にもたれながら優雅に傍観する加六は、どうゆう聴力をしているのか、二人の会話をしっかりと聞いていた。人間の能力では聞くことはおろか、視認することも困難な距離。しかもこの豪雨の中、遠方の会話を正確に聞くなど決して出来ない。・・・・・・普通の人間ならば。
「つまらん終わり方ではあるが、ここいらが限界かな」
足を引きずりながら柴田に近づく紫音。もう見る価値が無いとばかりに視線を切り上げ、遠き京の山に足を向ける。
「ん?」
一瞬、伊左衛門の近くの枝が不自然に揺れる。遠見の力を駆使し、視覚に全ての感覚を注ぎ込む。気配も無く、何故かはっきりと視えない人影を凝視する。
「なんだ・・・・・・あれは?」
***
右足を引きずりながら去っていく背中。自身を庇い、戦地へと歩を進める聖なる少女。無様に斬られ、地に這い蹲る惨めな男を護るため、小さな体を前に前に突き動かす。
――俺は何をしてんや?
――あんな小さい女の子に護られて、このまま逃げるんか?
「――っ」
血液が沸騰する。
肌が粟立つ。
よわい・・・・・・弱い、弱い!!
唇をかみ締め、何度も何度も自分を責める。
何が修行だ! 何が拳法だ! 女の子一人護れないで何が武術だ!
恐かったと言った。殺したくなかったと言った。殺されたくなかったと言った! あんなに怯えていた少女が、今自分のために戦っている。そんな中俺は何をしている? 手足に活力が漲る。心の底で誰かが叫ぶ。
――立て!!
上半身が起き上がる。未だ血の滲むわき腹が悲鳴を上げのたうつ。
――何の為の修行だ!!
右足に意思が宿る。わき腹の悲鳴を押さえ込み、泥の地面を踏みしめる。
――武とは矛を止めるためにあるのだ!!
遠き日の師の言葉が魂を揺さぶる。満身創痍ながら完全に立ち上がった武人は、戦場に向け確かな一歩を踏み出す。
「ふんっ。情けないなー。それでもおれの弟子か?」
懐かしく威厳のある声が後ろから降ってくる。闇の中で青く光る目が鋭さを増す。
「・・・・・・・・・・・・師匠」
ゆっくりと首だけで振り返り、親愛の視線を絡ませる。
「素手では勝たれへんぞ。・・・・・・それでも行くんか?」
ふっと一瞬の笑顔を咲かせ、力強く頷く。その様子に大きなため息をつき、曲げた指を顎に当てる。
「無駄死にはすんなと教えたはずやけどな」
「・・・・・・男にはやらなあかん時があるんですよ!!」
「はははっ! よう言うた! それでこそ俺の馬鹿弟子や!!」
ゴツンと何かで頭を殴られたたらを踏む。抗議の視線の眼前に不吉な色の大剣が差し出されていた。
「ちょっと早いけどやるわ」
それは――灰色の無骨な両刃の大剣。漆黒の中に一際輝く月のように、神々しくも禍禍しい雰囲気を放っている。ビクっと一瞬だけ震え、吸い込まれるように柄に手を伸ばす。自身の手に吸い付くような感触に戸惑いながら、確認の目を向ける。その様子に愛らしく笑い、深く頷きを返した。
「ほんまは卒業のときに渡す予定やったんやけどな。俺の唯一の友達に無理ゆって作ってもらったんや。・・・・・・お前の手にはまだ余るやろうけど、強度は折り紙つきや。存分に暴れてこい!」
諸手で柄を握り締め、師匠に背中越しに語りかける。
「ありがとう師匠。ほんで、行ってきます!」
伊左衛門に別れを告げ、引きずる足で歩く紫音を柴田が発見する。
「小娘。そんなところにおったか」
底冷えする声で少女を向かえ、呪詛の言葉を吐き捨てる。
「手練の小僧をどこに隠した? ううん?」
紫音の後ろに目を向け、懐疑の唸りを漏らす。
「残念ね。ここにはいないわ」
「はははははっ! 何を言うておる? ほれ、やる気満々のようじゃ」
隠されたおもちゃを見つけたような笑み。弾かれたように振りかえる紫音を一陣の風が吹きぬける。
「伊左!!」
聖女の呼び声を置き去りにし、飛び上がり大降りの斬撃を叩き込む。凄まじい威力の打ち下ろしを、人斬りの鉤爪が受け止める――が・・・・・・。
「くっ」
うめき声もそこそこに片膝をつき、地面に押し付けられる。
「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
鎬を削る刀と大剣。悲鳴のように響き渡る金属音が、力のぶつかり合いを明確に表す。弾き返すのを諦めた人斬りは、流水のような動きで大剣を滑らせる。地面に口付けするかに思われた大剣は、空中で動きを止める。反撃の斬り上げを命じた人斬りの体は止まらない。伊左衛門の喉に鋭い斬撃が襲い掛かる。しかし――伊左の方が速かった。止められた大剣が揺らめき、ほぼ零距離から上半身の捻りだけで繰り出す殴打。剣の腹で強かに打ちつけられた柴田は、三歩の距離の大木に叩きつけられる。ずり落ちたところを見逃さず、真水平に叩きつける。それを紙一重の脱力で下にかわし、右ひざを付きながら片手で刀を構える。
――バキバキバキ
伐られたというより叩き折られた樹木が、音を立てて倒壊する。戦慄の眼差しを一瞬向け、後方に足を飛ばす。十歩の距離をあけ、構えなおす柴田から一振りの刀が生える。
「ぷっ」
音高く吐血し、振り返りざま裏拳を飛ばす。ゴっと打撃音が響き、紫音がひっくり返る。
「また油断したわね。お・じ・さん」
腫上がる頬を気にもせず美しく笑う。自分が投げ出した脇差が腸を突き破っている。致命の傷だが構わず力任せに引き抜き、前方ではなく後方に投げつける。背後から奇襲を試みた伊左だったが、突然放たれた脇差に驚き足を滑らせる。
「はあっ!」
青ざめる紫音を蹴り飛ばし、振り返りざま片手の斬撃を飛ばす。それを転がって避け、立ち上がりざまに飛び掛る。跳躍の姿勢を囮に潜り込み、金的めがけ右足を振り上げる。それをつま先を回し膝で受けその足で蹴りこむ。足先が固められた蹴りを大剣の腹で受け止め、反動を利用して離れる。腹から命の水を流す手負いの獣は、薄ら笑いを浮かべ袖の中をまさぐる。
「どうやら永くは持たんの」
油紙の包みを開き、綺麗に折られた薬紙を強引に千切る。切り口から白い粉が溢れ、それを一息に煽る。
「アヘンか?」
観察する伊左衛門の瞳に、血走り見開かれた獣の目が合わされる。バネ仕掛けのように飛び上がり斜めの斬撃が振り下ろされる。狂気の刃に目を細め、腰を落とし地面をなぞるような斬り上げで向かえ打つ。拮抗したのは一瞬。凄まじい膂力に押され、後方にひっくり返る。その隙を柴田が見逃すはずも無く、赤刃の槍を体ごと突き降ろす。転がるように大きくかわした後、起き上がりざまに石を放り投げる。それを信じられない反応で叩き落とし、両者同時に傷口をさする。
「どうやら潮時のようだな」
刀を鞘に納め、だらりと右腕を垂らす。
「伊左衛門とかいったな。楽しい斬り合いもここまで。そろそろ幕を引こう」
右側を前に半身に構える人斬りを無表情に見返す。
「そうやな、柴田のおっさん。こっちもぼちぼち限界や」
深紅を超え漆黒に染まるわき腹を一瞥し、朗らかに笑う。
「某の最期の一撃は抜刀術。受ける勇気はあるか?」
「愚問やの。受けへんと思うか?」
にやりと互いに笑い、同時に地を蹴る。じっと見守っていた聖女が飛び出そうとするも、青い目の男に肩を掴まれ阻まれる。
「はあ!!」
「ああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
対照的な烈気! 互いの体が交差し――そして離れる。お互い残心の形で背中を向けて立ち尽くす。
静寂が訪れる。釘付けとなった青い瞳が結果を映し瞠目する。
抜き放たれた赤刃と共に、柴田の上半身がずるりと地に落ちる。上体を失くし立ち尽くす下半身がその光景の凄惨さを物語っている。
「・・・・・・・・・・・・」
天を指すように高々と掲げられた闇の大剣。彫刻のように静止する伊左衛門。突如、静寂を破るように「がはっ」と大量の血を吐き、頭から前方に倒れこむ。
「伊左!!」
引きずる足を懸命に動かし、傍らにしゃがみ込む。
(まずい!)
傷を検め、脈を探った紫音は血の気が引いていくのを感じた。急いで残していた力を使い治癒を始める。
「死なせない。私が絶対に!」
***
「凄まじいな。」
傍観者から漏れた言葉は戦慄を孕んでいた。
「最後の一撃・・・・・・。」
渾身の抜刀術を掻い潜り、振りきられた両刃の大剣にぶるっと震える。正直あの大剣を見たときは(奪うか)と思っていたが、青目の御仁に一睨みされ断念した。あの両の目は「傍観するなら咎めんが、参戦するなら赦さない。」と言外に語っていた。
「くわばらくわばら。」
いつの間にか消えている御仁に向かい、届かぬ声を漏らす。それにしても・・・・・・と伊左衛門を見やり感息を漏らす。
「空間を齧るような一撃。御頭にいい土産話が出来た」
奮闘する聖女を流し見ながら、京の山に向け体を飛ばす。
(帰るか)
いつの間に止んだのやら、雨脚が南の方角に遠ざかって行く。それを気にする様子も無く木々の間を駆け抜ける。
彼らの根城『大江山』へ。
***
鳥の鳴き声が聞こえる。春の匂いが鼻をくすぐり、暖かな風が頬を撫で、艶やかな髪を左右に揺らす。
「うっ」
鈍い痛みが体を走り、急速に覚醒を始める。
「ここ・・・・・・は?」
「やっと起きた。全然目を覚まさないから心配したのよ」
反射的に上体を起こそうとしてやめる。鈍い痛みが激痛に変わり体中を突き刺す。
「あっ! まだ寝てなくちゃダメ!」
優しく頭を小突かれ、おとなしく床につく。
「たしか・・・・・・あいつに突っ込んで」
記憶を探る伊左衛門に興奮した様子で言葉を被せる。
「凄かったよ! あの有名な人斬りを一太刀で真っ二つにしたんだから!」
「俺が・・・・・・?」
熱っぽく惨劇を語る紫音。その様子に、若干の呆れと深い感謝を示す。
「ほんまに・・・・・・。ありがとうな。」
照れたように頬を染め、ぷいっとあさっての方角を向く。感謝の言葉がむず痒いのだろう。居心地悪そうに体を揺する。
「治してくれたんか」
わき腹を視線で指し問いかける。
「まだ完治してないわ。傷が深すぎて私じゃそれが限界」
それでも命の危険が無い所まで治せたことに満足し、うんうんと頷く。
「大変だったのよ。この洞窟まで背負って運び、空間移動用の力をつぎ込んで治したんだから。その後私も気を失っちゃって、起きたのが昨日の夜」
「俺、そんなに寝てたんかー。・・・・・・世話かけたな」
愁傷に呟く伊左に納得がいかないようで、ビシっと指を突き出しこうこうと諭す。
「言っとくけど、あんたのおかげで助かったのよ! 私は手助けをしただけ!」
反論しかけたが、どうやら有無を言わせる気はないようだ。キッと睨まれ白旗を揚げる。
「少し眠るといいよ。私が居るし」
「じゃあお言葉に甘えて」
言った瞬間から猛烈な眠気に襲われ、あっさり眠りの世界に舞い戻る。いびきをかき始めるのを微笑ましく眺め、柔らかな唇から慈愛の言葉を落とす。
「私決めたの、勝手に」
くすりと笑み、視線を蒼天の空に映す。
「私、伊左の家族になる!」
力強く宣言し、いびきをかく伊左衛門の頭をそっと撫でる。
「これからもよろしくね。・・・・・・兄さん」