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青い街灯

最近、俺は知り合いにお前は昔と比べて、随分と変わってしまったとよく言われるようになったが、俺から言わしてもらえば周りの方が昔と比べて随分と変わったと思う。

昔の俺を簡単に言い表すなら、自他ともに認める天真爛漫な男の子だったと思う。俺は基本的に外で遊ぶ事を生きがいとしていて、家に帰る時は泥だらけで汗だらけの状態で日が沈み切ってから家に帰るような少年だった。そんな活発な少年だった自分を、周りの大人達や同じ年の知人は、皆冷ややかな目で見て近寄ろうとしなかった。

少し前のこの街は、酷く荒んだ街だった。子供達は俺を除き、誰一人として家の外に出ている事がほとんどなかった。何故なら子供が外に基本的には出たがらず家に引き籠って生活をしているというのもあったが、それ以上に、子供を外に出す事自体が非常に危険な街だったからだ。この街は暴行、窃盗、強姦といった多種多様な犯罪がありとあらゆる場所で多発し、浮浪者は蠅に集られながら道端に多く寝そべっており、武器の所持は当たり前で路地裏には死体が転がっていること事も珍しくなく、少しお金があれば誰でも簡単に奴隷や少女を入手することが出来てしまう。街に住む人はお互いがお互いを疑い、憎み、嫌悪し合っていた。以上の様に、俺が住んでいる街は限りなく最悪の二文字が似合う荒んだ街だったのだ。

現在の話に戻る。朝六時半を告げるアラームが俺の寝室に鳴り響く。比較的朝は強い方なのですぐに起きて準備が出来て楽だ。スーツに着替えて鞄を持ち、職場へと向かう。俺は今、この街の市役所で働いている。毎朝六時半頃に起床し、七時半頃に俺は住んでいるアパートから務めている職場へ向かう。爽やかな朝の風を浴びながら、今日も俺はずっと街を不気味に思いながら出勤した。朝から噂話に夢中な若奥様方や犬の散歩をする青年。先ほど言った街の特徴とはかけ離れた物が大量に存在しているのが今の街だった。後ろからパタパタと足音が聞こえたと思うと「おはようございます」と見知らぬ俺に挨拶をしながら小学生の集団が仲良く俺を追い抜いて行った。しばらく歩くとほぼ町の中心に位置する少し大きめな広場に着いた。俺が出勤するためには、こここの広場を通る必要がある。昔からこの街は建物が急激に建て替わる事がない為、街並みは昔からずっと変わらないままだが、この広場だけは大きく変わっている点が一つだけあった。広場の中心には、本来何も存在していなかったのだが、五年前くらいに、青い街灯が置かれたのだ。

青い街灯と形容できるだけあって、この街灯は何もかもが青色だ。街灯の付け根であるスカート、ポール、灯具に至るすべてが青色だった。そして、その灯具からあふれる溢れる光も当然の様に青色だった。昼夜問わず、この青い街灯はついている為、この広場に存在している物は全て仄かに青味があるように映る。またこの広場にはこれ以外の街灯は置いていない為、暗くなればそこには青色に染まった世界が現れる。やや幻想的な風景が帰り道には見られる事になる。

俺は、憎々しくその青い街灯を擦れ違い様に睨み付け、職場へとそのまま向かった。俺はこの街灯がどうにも嫌いだった。皆が俺の事を変わったと言い始めたのも、街の様子が変わったのも、丁度この街灯が置かれてからの事だった。

青色の街灯が出来て、まず一番初めに変わったのは道路脇の様子だった。街灯が置かれた翌日、道路脇が突然綺麗になっていたのだ。家具、ビン、糞尿などが道の脇には大量に溜まっていたはずなのだが、それらが全て消えていた。浮浪者達もいなくなり、住んでいた形跡すら無くなっていた。その後も次々と色々な物が変わっていった。治安が圧倒的に良くなり、犯罪も完全にゼロとまではいかないが減少した。家に引き籠りがちだった子供達は外に出て遊ぶようになり、街の人達は皆友好的になった。

丁度街灯の置かれた時期、五年くらい前の俺は、幼少期の活発さを残したまま、自分で言うのもなんだが知的好奇心の旺盛な読書や研究を好む青年になっていた。だからだろうか、物事を深く考えられる年齢になったからこそ、その街の変わり方が、俺には非常に気持ちの悪い物に感じた。一人でずっと元気に遊んでいた自分を馬鹿にし続けそれぞれ個人で家に籠り切りだった奴らが、家の外に出て仲良く語り合っている姿が不気味にしか見えなかった。だからこそ俺は五年前の青い街灯の置かれた日から、皆とは距離を置き、コミュニケーションをとる事を極力控えた。恐らくその消極的になった俺の姿を、幼少期の天真爛漫さと比較して「変わった」と、皆が俺を揶揄しているのだろう。

今日も今日とて俺は市役所で働く。職場自体も酷くアットホームな雰囲気で包まれていた。俺は幼少期の時に一度だけ市役所に来た事があるが、待ち受けには誰もおらず、後ろの方で怒鳴り声と嬌声が聞こえるような職場だったはずだ。

職場につき、自分の椅子に座ろうとした時、昔からの知人が通路の向こう側から歩いてきた。

「おはよう、今日も一緒に仕事、頑張ろうな」

そういって自然な笑みを俺に向け、そのまま通り過ぎてそいつは倉庫へと入っていった。あの男は、幼少期に外で見かけた事のある男だった。路地裏で蹲り、何かをしていたので俺は何をしているのかと尋ねた。そして尋ねたその瞬間に男は酷く驚き走り去った。男のいた所には内臓に大量の虫の詰め込まれた犬の死体が置いてあった。そんなあいつも今ではちょっとした職場の人気者になっている。あの男も外で遊んでいた俺の事を馬鹿にしていたはずだ。そんな奴が挨拶をしてくるのだ。それも毎朝、自然な、裏表のない笑みを。俺からしてみれば溜まったものではない。反吐が出るような思いで俺は自分の席に着き、作業を始めた。

 俺が作業を始めて数時間が経過してから、自分の担当部署の上の人間が突然俺の席にやってきた。

「少し、窓口の対応をやってくれないか。担当の人間がさっき早退しちゃってね」

 そういう訳で俺は比較的空いている部署の窓口に座り、休憩がてら飲み物を飲みながら、自分の席でなくても出来る作業をしていた。そう思っていると待っていると一組の夫婦と思われる男女が市役所へ入ってきた。そして窓口にいる俺の元にやってきたので、俺は自分の作業を一時中断して、窓口にやってきた男女を応対することにした。

「すみません、婚姻届を受理していただきたいのですが」

「はい、わかりました」

そういって向こうが提出してきた書類に目を通す。一連の手続きをしている間、夫婦の男の方からずっと視線を感じた。少し不快に思い、その視線の方に視線を返してみた。三十代前半に見えそうな小奇麗な私服を着た男だったが、じっくりと見てみると俺は彼をどこで見たことがあるように感じた。俺の知り合いにはこんな顔の奴はいなかったはずだが。

 手続きが終わり、書類を返却した時、向こうの男が突然何かを思い出したような顔になった。

「君、もしかして小さい頃、ずっと外で遊んでいた子じゃないか?」

「え、はい」

突然そう言われて俺は若干しどろもどろになりながら答えた。すると男は女にそら見ろと言った後に俺の手を握り興奮気味にこう言った。

「私はあの頃にホームレスをやっていた人間だよ。君に乞食をした事も確かあったはずだ。ホラ、君がお母さんからおやつに貰ったと言って私にクッキーを少し分けてくれただろう?そういうのを私はしっかりと覚えているのだよ。そうじゃなくても君はあの頃の街では異常な存在だったからね」

 そういって男はワハハと元気よく笑った。確かにそう言われてみればそんな事をしたような気も確かにするが、自分にはその記憶が全くと言っていいほど無かった。だが、一つ覚えているのはあの頃、道路脇に溜まっていた人間の中に、こんな風に真っ直ぐ笑える奴はいなかったはずだ。それ以上にああして掃き溜めに溜まっていたような人間が、こうして家庭を築いているという事実がショックだった。嫉妬のような物も確かにあったが、それ以上にまた一つ昔のこの街の一部であった物がまた変わってしまった喪失感と、また過去の自分を異常だと扱われた苛立ちの二つに俺は襲われた。

「どうだい、この後あの時のお礼を兼ねてディナーにでもいかないかい?」

「いえいえ、私は忙しいですし、奥さんを待たせてはいけないでしょうから」

「ハハ、違いない」

そういって男は笑いながら去って行った。男が出ていった後に、どうしようもない程の吐き気に襲われた。おかしい。どうしてこの街はここまで狂ってしまったのだ。どうしてこんなに皆が明るく振る舞っているのだ。どうして皆が成功しているのだ。どうして綺麗なのだ。頭で問い掛けを繰り返し続けると、貧血のような眩暈が俺を襲った。大丈夫ですか、と近くの同僚に声を掛けられたがそれすらも嫌悪感を増幅させるだけだった。他人の心配をするような奴はいなかったはずだ。どうして、どうして。俺は何とかその場にとどまり、喉までせりあがって来ていた胃の内容物を無理やり胃に戻して、その日の終りまで働いた。

 帰宅時間になり、俺は帰路についた。足取りはおぼつかず、太陽はもう完全に沈み切っていた。少し先も見えないような深い闇の中、広場の中心の青い街灯が一帯の世界を青色に染め変えていた。青と黒と広場周りの住宅から漏れる僅かな白い光だけが世界が表現されていた。青色には心を安らげる効果があるという実験結果を俺は何らかの本で見たことがある。だったら今この胸に渦巻く感情は何だ。俺の心中に安らぎなど何処にも存在しない。今にも爆発しそうに鬱憤が胸の中で膨らみ続けているのがはっきりと分かる。この青い街灯が出来てから街が変わったのだ。この街灯のせいで俺が異端になったのだ。そして今も異端になったのだ。何故何時までも何時の時代も俺はおかしく扱われなければならないのだ。

 ガツガツと足音を無駄に立てて歩いていると、何かが足に当たったのを感じた。青色の世界の中、拾い上げてみるとそれが硬式野球ボールだと言う事が分かった。俺は突然、ある一つの衝動に駆られた。肩が非常に熱くなり、全身から興奮による汗が噴き出て、呼吸が荒くなっているのが自分でも分かった。自分がこんなことを考え付くことに呆れ、同時に自分をこれまでにない程尊敬した。ボールを持ったまま、俺はその手を後ろに運んだ。そして、腰のひねりと手首のスナップと同時に俺の手からボールは放たれ、青色の街灯に向かって一直線に飛んで行った。

 投げ終わった後、俺は顔を上げることが出来なかった。興奮のせいというのもあったが、それ以上にこれが失敗した事を知りたくなかった。だが俺の思惑とは別にカシャンというガラスの破損音が俺のやりたかったことが無事、成功したという事を告げてくれた。顔を上げるとそこは真っ暗闇だった。ついに俺は成し遂げたのだ。街を変えた街灯はもう機能しなくなった。全身の血液が高速で循環しているような感覚だ。暗いはずだが目の前がチカチカとする。体が急速に暑くなり、もう喉元まで喜びの声が出ようとしていた。そしてその喜びの声は弾けたのだった。

 気付けば俺はスーツ姿のままベッドで眠っていた。どうやって帰ったかも、どうやって寝たのかも定かではない。幸い出勤時間にはしっかりと起きる事は出来た。ズキズキとする頭を抱えながら起き上ると、俺はズボンを酷く汚していることに気が付いた。そして、そのままシャワーを浴び身支度を整え、適当に朝食を済まし、外に出た。

 外に出て、懐かしい不快な匂いを感じた。下水道の匂いに近い物だ。アパートを出てすぐの道路を見てみた。俺は驚愕した。その道路には家具、ビン、糞尿などが道の脇には大量に溜まっていたのだ。よく見るとボロボロになって捨てられた箪笥をベッド代わりにして寝ている浮浪者もいた。どこからか煙の臭いもするし、外には自分以外の誰もいない。挨拶をしてくる小学生の群れもいない。ああ、これだ、これが昔の街だ。昔の街が返ってきたのだ。俺は懐かしさに胸がいっぱいになり、自然と涙があふれ出ていた。街が元に戻ったのだ。こんなに嬉しい事は無かった。俺は鞄を投げ出し、笑いながら全力疾走した。

 広場に辿り着いてみるとそこには群衆が出来ていた。青い街灯を取り囲み、罵詈雑言が飛び交っている。そして一部の人間は地面をじっと見たり、何かを拾い集めたりしていた。拾い集めているものをしっかりと見てみると、それは青色のセロファンだった。ガラスがややこべりついている所を見るとどうやらこれが青い街灯の灯具の中に張り付いていたようだ。青い街灯は灯具を失い、剥き出しになった普通の割れた電球がただそこにあるだけだった。俺は落胆した。街を変えた犯人だと思っていたものがここまでしょうもないものだとは思わなかったのだ。

 冷静になって周りを見渡してみると周りの人間が一同と俺を見ていることに気が付く。その中の一人が怒りをあらわにした表情で話しかけてきた。

「青い街灯を壊したのは貴方ですか」

「どうしてそうお思いですか?」

「貴方は今のこの街の中で飄々としすぎている。それに貴方は確か昔からこの街で明るく暮らしている男だったはずだ。一番初めに疑うべきは異端だ」

話しかけてきた奴の言動は一々虫唾が走るような物言いだった。俺は怒りを抑えながらそいつに向き合って言った。

「そうだ、俺が壊した。何がいけない」

そういった瞬間、後頭部に衝撃が走った。いつの間にか俺の顔と地面の距離はゼロ距離になっていた。鉄の味が口の中にじんわりと広がり、視界がチカチカとしていた。正面に立っていた男は俺の頭を思い切り踏みつけながら話を続けた。

「この街灯を作るのに理由など特には無かった。これを作ったのは私だ。何となく青色の光が出たら綺麗だろうと思い、あの狂った街で私は作ったのだ。だが私には青い光を発する特殊な電球を購入や製作するための金がなかったのだ。仕方がないので青色のセロファンを内側に張って、違和感がない様に全体を青色にして立ててみた。するとどうだ、住人達は何故青色に光が出るのかも気づかず、この街灯を神聖なものだと勘違いしたのだ。住人達はその神聖な街灯を守るべく、自分たちの手で街を美しくしたのだ。」

男は青いセロハンの貼られたガラスを手に持った。

「だがこれでもう全て終わりだ。住民の殆どは街灯の真実を知ってしまった。同じような物を建ててももう誰も信じてはくれないだろう。真実など知らせない方がよかったのだ。おかげでこの街はまた元の街に戻ってしまうだろう」

 男がそう言い終るや否や、俺を取り囲んだ人間は俺に拳やガラスや鈍器を振り下ろし続けた。痛みの中、俺は興奮が高まるのを感じた。そうだ。この狂い方がこの街だ。いくら暴力を俺に振るった所で現状は解決しない。しかしそれでも俺に暴力を振るう事を止められないのが以前の街だった。完全にこの街は元に戻ったのだ。それならば俺一人がどうなろうと構わない。俺一人の犠牲で元に戻るなら俺は喜んでこの身を差し出そうと思った。狂った街を元に戻す為の犠牲になれるのなら。俺の血が地面に散らばっていた青いセロファンを赤く塗り替えた。意識は徐々に薄れていった。殴られながらにしては、とても安らかな眠りに俺はついていった。




2014年度漫画研究会合同誌夏コミ号に提出した作品です。

テーマは「狂気」「真実」。周りから見れば頭のおかしい人には、

僕たちはどう映っているのでしょうか?ずっと疑問に思っています。

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