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55/55

55、あの日あの時あの場所で

 通路の奥で光が弾け、トニトルスの巨剣ご砕いたスケルトン達が崩れ落ちた。トニトルスを数百年の呪いから救った恩人の青年、ミルトは立ち尽くしていた。


 ──死者に共感した心が痛くて動けない


 胸の奥で何かが弾け、ミルトの視界が赤黒く染まる。


「……許さない! 許さない許さない許さない許さない許さない! ぅ゙ぁぁあー!!!」


 彼は叫び、剣を握り締めたまま、床に蹲る。


 次の瞬間、笑い声が漏れた。自分の声なのに、他人のようだった。死者に深く『共感』しまった影響だ。


「よくもぉお!! 貴様ぁぁぁあ!」


 死者の怨念が頭の中を支配して悲鳴が脳を灼く。顔を覆っても、耳を塞いでも止まらない。彼は狂ったように振り向き、血走った目でトニトルスへ斬りかかった。


「ミルト!?」


 受け止めた剣が軋み、火花が散る。


 本物の戦を知らない、がむしゃらな剣など彼女には通用しない。後れを取る事は無くとも、恩人である彼が正気を失っている事に彼女は動揺していた。


 トニトルスは唇を噛み、ミルトの剣を受け続ける。彼女にとってミルトは命の恩人で、絶対に死なせたくない者だ。


 怪我をさせないよう、剣を弾き飛ばし、尚も暴れる彼を抱き締めた。彼がトニトルスの鎧に掴み掛かり、罵声を飛ばす。だが、彼女は力を込めて離さない。


「落ち着けミルト、自分を見失うな!」


 彼女のスキルからは、彼の絶望と怒りと哀しみが響いて来る。死者に共感したミルトの感情が届く。


 トニトルスは、戦場にて率いた部下達の言っていた言葉を思い出す。


 《死と隣り合わせの戦場じゃあ正気を失ってしまいます。帰ってからの女の柔らかさと温もりが、正気に戻してくれるって事もあるんですよ》


 彼女は、涙を流して息を荒げるミルトを抱きしめたまま、ゆっくりと少しずつ鎧を脱ぎ出した。


「私の身体では難しいかも知れんが⋯⋯」


 騎士であるトニトルスは、自分の身体にある柔らかな部分でミルトを包み込む。照れている場合ではないが、そう言った知識はあっても、経験の無いトニトルスは、頬を赤らめてミルトを掻き抱いていた。


「落ち着け、ミルト。私がいる」


 その言葉とともに、ミルトの身体から力が抜けていった。


 嗚咽を繰り返し──沈黙する。


 やがて彼はトニトルスの胸の中で静かになり、長い眠りに落ちた。


 トニトルスは短く息を吐き出した。



 だが、それで終わりではなかった。目を覚ました彼は、まるで廃人のように空ろのな目で、トニトルスの後を付いて歩き出す。


 数時間後、数体のスケルトンに出会う。そこで彼はまた、発作のように荒れた。トニトルスが斬り捨てている死者達であろうとも、がむしゃらに斬り伏せて叫び続ける。


 何もない壁に向かって怒鳴り、笑い、涙を流しながら絶望の怨嗟を吐き続ける。


「よくも! よくもぉぉおおお!! 誰も、いない! いらない! 誰なんだよぉ……!」


 トニトルスが駆け寄り、再び剣を弾き落とす。


 彼はその姿を見るなり、目を見開いて血走らせ、そして殴り掛かる。トニトルスが押さえ付け、激しく抱き締める。冷たい手が彼女の背にしがみつき、震えていた。


「⋯⋯怖い。何も感じないのが、怖い」


 彼女は答えず、ただ額を重ね、静かに魔力を流す。だが昨日のようにミルトが落ち着く事は無かった。


 抵抗は続いた。肩を掴まれ、殴られ、押し倒され、鎧を剥ぎ取られても、それでも彼女は離さなかった。


 暴れる腕を抱き寄せ、彼の額を肌着だけの柔らかな胸に押し付ける。全身で魔力を流すと、乱れていた彼の呼吸が、嗚咽とともに力を失っていく。


 どれほどの時間が経ったのか、分からない。ただ、トニトルスはその髪を撫で、静かに魔力を流し続けていた。穏やかな波が、荒れ狂う魂を撫でるように。


 ──その時を境に、ミルトは虚ろになった。


 言葉も少なく、命令されるまま動く。まるで別人のようだ。スケルトンと出会うたび、突発的に暴れ出す。そのたびにトニトルスは彼を抱き留め、負傷しながらも沈黙の中で魔力を送り続けた。


 彼の心が荒ぶるたび、彼女は布越しに魔力を通す。その柔らかな温もりの中で、ミルトは少しずつ言葉を取り戻す。


「……あ、ああ⋯⋯助けて⋯⋯もう⋯⋯」


 自分を数百年の呪いから解き放ってくれた恩人の青年が、救いを求めて懇願している姿に、トニトルスは心も身体も捧げようと誓った。


 数体のスケルトンウォーリアーを斬り伏せた直後、ミルトは明らかに様子がおかしくなった。泣きながらトニトルスにしがみつき、暴力を振るうのでも無く、懇願するように息を荒げていた。


 経験の無いトニトルスでも気付く程の"発情"。しかし不思議な事に、彼女に不快感は無かった。


 生前の記憶で、社交パーティーに出た際、ドレスを着たトニトルスの身体の線を舐めるように見る輩なども接した事はある。即座に斬り伏せてやろうかと思い殺気を飛ばして追い払った事は一度や二度ではない。


 そのような感情は、理解はしても不快でしかないものだった。だが今は──


(愛おしい⋯⋯これが恋というものか)


 目の前にいる、自分を必死になって抑えようとしながらも、抗い難い感情に振り回され、息を荒げて求めるミルトに、胸が締め付けられるような感情が湧き上がる。


 蘇ったあの瞬間──いや、恐らく彼がダンジョンに足を踏み入れた音を聴いた時から、魔物の姿のままで、彼を求めていたのは自分だったのだろう。



 数刻後、薄暗闇の中で、穏やかな寝息を立てながら半裸で寝転がるミルトと、痛みを感じながらも服を着て、鎧を纏うトニトルスの姿があった。


「さて、そろそろ2層への階段も近いだろう。気合を入れて行くとするか」


 トニトルスは不思議と疲労が吹き飛び、気力が満ちた感覚だった。足元ですやすやと穏やかな寝顔で眠るミルトを見ると、更に気力が満ちる気がした。


「必ず外へ出よう。ミルト・フェルム⋯⋯私の愛する人よ」


 その声には、かすかな照れが混じっていた。


 巨剣を背負い直す音に、ミルトが反応して上体を起こす。寝ぼけ眼でトニトルスを見上げて、ゆっくりと服を着て立ち上がった。呆けているが、先程よりも格段に精神が安定しているように見える。


「行くぞ」 「⋯⋯うん」


 トニトルスは反応したミルトに微笑みかけた。


 それからも何度かの逢瀬を重ねながら、ミルトは少しずつ人格を取り戻していく事になる。


 トニトルスの傷が増えてきたところで、ミルトは『簡易治療』を習得。全身をゆっくりと治療した。


「トニトルス、角を曲がった所に3体いるぞ」


 自暴自棄になってから、初めて彼女の名を呼んだ。トニトルスは振り向き、ミルトの目を見つめる。


 ミルトは不思議そうな表情で首を傾げる。


「なんだ? どうした?」


 今度はトニトルスが首を傾げる。


「いや、何でもないが──大丈夫か? ミルト」


「当然だ。──と言っても戦場の剣を知らん俺では後れを取る事もあるだろう。勉強させてもらう」


 ミルトは鋭い眼で、腰に差した剣の柄に触れる。


「⋯⋯そうか。では見ていろ」


 トニトルスは目を伏せ、ゆっくりと頷いた。瞼を上げて薄桃色の瞳が見えた時、そこに甘さは無かった。


 トニトルスは知った──。


 崩壊の果て、彼の中に新たな人格が芽吹いていた。話し方が自分によく似ている。恐らく、最も傍に居たのが自分だったからだろう。


 彼女がそれを知った時、一番に胸を突いた感情が"喜び"であった事に安堵した。自分の行動は、献身は、決して邪なものではなかったと。


 しかし、それでも自分の中から湧き出してくる微かな──寂しさのようなものを押し込め、自分の感情を封じる事を決意した。


「我が弟子よ。私が戦場の剣と言うものを見せよう」


 その後も、ミルトは『共感』を駆使して苦しむ事があったが、それでも以前のような苦しみは無かった。


 ──彼は眠ることを止めたから


「ミルト、寝ても構わんぞ」

「いや⋯⋯寝たくても寝られん」


 ミルトは剣の下積みが出来ていた。戦場の呼吸を細かく教えるだけで、ぐんぐんと実力を伸ばし始める。派生スキルとして勧めた『先読み』も即座に習得していた。


(私に並ぶのも直ぐだろう⋯⋯スキルで死者達の記憶を受け取り、苦しむ姿は見ていられないが)


 それでも彼はやるのだろう。強くなる事に固執しているように見える。


 確かにこのダンジョンからの脱出を進める以上、強さは必要だ。それに食料も無い状態では、長く保たない。つまり時間も無い。


(蘇って数日で餓死など、笑い話にもならんからな)


「そうか。兎に角、出来る限り早く脱出しよう」

「ああ、頼む。我が剣の師よ」


 ミルトが微かに笑う。

 トニトルスも笑みを返す。


 彼女は心に刺さった小さな棘から意識を反らし、敵を斬り伏せる為に、2人でダンジョンを進んだ。



 黒いモヤが霧散して、目の前が晴れる。


 視界に映るのは薄い夜着を着た美しい女性。


 陽の光を透かしたような淡く柔らかな金髪。


 薄桃色の可愛らしい瞳に、同じ色の口唇。


 何かを堪えるように、涙を溜めている。


 死の溢れかえるダンジョンの最奥から、ミルトを庇い、守り、教え導き、そして──身も心も捧げてミルトを支え続けてくれた、弱いミルトの心を繋ぎ止めてくれた⋯⋯剣の師。


 トニトルス・レックスの、その薄桃色の瞳の中に溢れそうな涙を見た瞬間──


 ミルトは彼女を引き寄せ、口唇を奪っていた。ほんの少しの抵抗を感じたが、彼女の腰をに手を回し、逃がすまいと引き寄せた。


 互いの温もりを分かち合い、ゆっくりと口唇を離すと、ミルトの瞳の中にトニトルスの瞳が映り込んでいた。瞳に留まっていた涙は、頬に流れ落ちていた。


 ミルトは、彼女の涙を指先で優しく掬い上げ、その瞳を見つめ続け、片時も離さない。今ここで目を逸らせば、恐らくトニトルスは離れてしまう、そう確信していた。


 トニトルスが頬を染め、小さな薄い口唇から、言葉を紡ぎ出す。


「⋯⋯なんのつもりだ」

「謝罪はしない。これが俺の意思だ」

「意味が分からん」

「君が好きだ」

「勝手に口唇を奪ってから言う事⋯⋯」

「ダンジョンでの事、思い出した」


 トニトルスが目を見開いて、身体が固まる。


「ありがとう。俺を支えてくれて」

「気にする事は無い、必要だから──」

「忘れていて、ごめん」


 トニトルスが俯いて、目を逸らす。


「目を見て話そう、トニトルス」

「師匠っぽい事を言うな。師匠は私だ」

「そうだな、トニトルスが剣の師だ」

「お前は師匠の腰を抱いて口唇を奪った」

「その通りだ。俺は今から師を抱く」

「なっ──!? お前は⋯⋯」


 ミルトもう一度トニトルスの腰を引き寄せて口唇を奪う。


「こっ断りもなく口付けをするなっ」

「言ってからすれば良いのか?」

「そ、そう言うのは」

「言葉にする事じゃない、と思ったから」


 ミルトはトニトルスを横抱きに抱き上げる。有無を言わせずベットに運び、端に座らせた。


 トニトルスは大人しく座ったが、それでも言いたいことがあるのか、ミルトに向かって説教をする。


「ミルト、良いかよく聞け、確かに1度は身体を許したが、あれは緊急時の対応であって、」


「1度じゃなかった。何度も⋯⋯」


「なっ何度かは許したが、そういう事があったからと言って安易に許すと思うのはっ⋯」


「──俺のスキル、分かってるだろ?」

「そ、お前、それはずるぃ──っ!?」


 またトニトルスに口付けて黙らせる。普段は凛々しい彼女が、言葉では否定しながらも自分を受け入れてくれる優越感に、ミルトは心が満たされていた。


 ミルトは知っている。ミルトのスキル『共感』から溢れ出すトニトルスのミルトへの想いを──。


 何一つとして言語化出来ない程の、溢れ出すミルトへの愛情。彼女の感情は只々、切ない声でミルトの名を呼び続けているだけのもの。


 思えば、トニトルスもプルフルもパイシーも、人間に戻ってから1度も『共感』で感情を読んていなかった。無意識のうちに、ミルトは感情が引きずられまいと、スキルを使わなかったのかも知れない。


(こんなにも愛されて、求められていたのか)


 今思えば、ミルトも気付いていた。だが失った人格の、その隙間を激しい感情で埋めてしまわないよう、無意識に気付かない振りをしていたのだと自覚する。


「好きだ。愛してる──トニトルス」

「──っ!?」

「答えなくて良い。ただ受け入れて欲しい」


 ミルトの真っ直ぐな言葉に、トニトルスは普段には無い焦る表情を見せる。


「だっ、だってミルト⋯知らんだろ、そういう」


 ミルトは、何のことかと思ったが⋯⋯。


「それなら大丈夫だ、知ってるよ。ダンジョンで教えてもらったからな──剣の師に」


 その言葉を聞いたトニトルスは真っ赤に染まる。


「そこは忘れていい!」

「ごめん思い出したから。でも意外だったよ」


 これにはトニトルスも言葉を返す。


「⋯⋯私だって経験は無かったが、貴族家の令嬢として、そういった教育は受けていたのだ」


「そうか。でも、お陰で助かったよ。俺は、そういうのから、遠ざけられてたようだから」


 ミルトは実家での生活を思い出す。トニトルスが、ミルトの頬を掴んで引き寄せた。


「その表情は好きじゃない」


 あまり良い顔はしていなかったらしい。


「⋯⋯ありがとう。親の愛は少なかったが、師匠からの愛は沢山貰ってるから、俺はもう大丈夫だ」


「⋯⋯仲間達からの愛もだがな」


 少し睨むようにミルトに言葉を放つ。


「ああ⋯⋯その、嫌じゃないのか?」


 今更だが、これまでミルトは、トニトルスが自分の事を弟子として、弟のように大切にしてくれているものと思い込んでいたので、パイシーやプルフル、イヴが毎晩のように添い寝してくれている事について、気にした事が無かった。


「ミルトを愛し、笑顔にする者は歓迎する」

「独占欲とか無いのか?」


 ミルトは一応、聞いておいた方が良いかと思い、質問すると、トニトルスはどこか誇らしげに答えた。


「私も辺境伯家の生まれ。一夫多妻は当然だ」

「⋯⋯そうか。俺は継ぐ気は無いが」

「ミルトの選択を尊重しよう」

「良いのか?」

「歳上の余裕というものだ」

「1つくらいでそんな⋯⋯」

「私はお前のどんな表情も見ているのだぞ?」


 その言葉にミルトは、少し恥ずかしくなる。


「ミルトがどの道を選ぼうと傍に居るさ」

「独占したいとか思わないのか?」


 トニトルスは目を閉じ、ゆっくりと息を吐いてから瞼を上げる。


「思わん。⋯⋯だが今は、私だけを見ていろ」


 ミルトは言葉では答えず、トニトルスの腰を抱き、ゆっくりと優しくベットに横たえた。



 翌朝、人生最高に爽やかな気分で目覚めたミルトは、横で寝ていたトニトルスの寝顔を見ていた。


 あらゆる角度から見て美しい。いや愛おしい。


 顔に掛かる髪を掬ってやりながら、心が満たされ、気力が充実している事を実感した。


 と、同時にミルトは、以前の自分を少し取り戻している事に気付いた。

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