53、シュープリム王妃殿下
魔力の残滓が室内に漂っている。
部屋の中は大惨事だ。摩擦で焦げた絨毯、剥がれた壁紙と床のタイル、倒れたテーブルにひしゃげた椅子。ソファも中身が出ている。
まるで爆発でも起きたような惨状だ。
(これをやったのが私の部下だと思うと、頭が痛くなるわね)
その中心で、探していた舞姫と、夫の暗部から派遣されている私専属のメイド2人が、もつれ合ったまま、まるで糸が切れた人形のように倒れている。
ただ一人、部屋の端っこで困った表情で頭を掻く女性が呟く「ウチも気絶しよかな」。
編み込んだ銀髪がふわりと揺れる。輝く銀髪に白を基調としたドレス。褐色の肌とのコントラストが美しい。手に持ったグラスも良く似合っている。
(この状況でお酒を飲むのねぇ)
この惨状の中で、1人だけ何の被害も被っていない、まるでそこだけが空白地帯のようだ。美しい、妖艶な容姿の令嬢⋯⋯令嬢では無いかも知れない。
しかし圧倒的に容姿が良い。この部屋の惨状に相応しい点と言えば、何故かヒールを脱いで裸足な事くらいだ。
(舞姫さんに会いたくて来たのに、彼女も凄く魅力的だわ。⋯⋯どうしたものかしら)
隣で大激怒している王妃付きメイド長のレリオーネ・パー・オーデンを横目に、シュープリムは小首を傾げて思案する。
「あらまあ、派手にやったわねぇ」
一瞥して状況を理解し、眉をわずかに上げる。銀髪の美女は照れくさそうに後頭部を掻く。
「いやぁ、ちょっとした訓練のつもりやってんけど、まさか暗部のメイドはん達がこんな派手な技まで持ってるとは思わんかったんですわ」
極限状態の格闘戦が繰り広げられたような惨状で?というか、変わった訛りで話すのね。まるでずっと東の方の国の──って、
「訓練、ですの?」
「実戦形式やったんや。ええ感じに高め合えるくらいの⋯⋯ちょい待ち。起こしたるわ」
そう言うと、銀髪の美女は一歩前に出た。
次の瞬間、床が小さく鳴動する。
お腹の奥が震える! なにこれ!?
ドン、と乾いた音が響いて3人の体が同時にビクリと跳ねた。
「⋯⋯ひゃ、ひゃいっ!?」
「っぐ⋯⋯!」
「ぁぅ⋯⋯」
イヴが飛び起き、周囲を見回して硬直する。獣人の2人も意識を取り戻し、混乱した顔で、しかし私の顔を見ると即座に跪いた。
「おはようさん。この状態から直ぐに主人に頭下げるんか、なかなか打たれ強いやん自分ら」
銀髪の美女はにやりと笑い、腰に手を当てる。
メイド長のレリオーネが、深く頭を下げる。
「王妃様⋯⋯誠に申し訳御座いません。妹達が少し先走ったようで⋯⋯」
「離れとは言え、この王宮において、無断で刃を抜いたのです。本人達も罰は覚悟していたるでしょう」
私は壁を見ながら言葉を吐き出す。夥しい数のナイフと暗器が刺さっている。この数の暗器を、一度も受けずに立っている上、訓練と言ってしまうのね⋯⋯。
間違い無く強者。それも恐らく規格外の。美しく可愛く強い⋯⋯ミルト・フェルムは周りの人間に恵まれているのね。
そして視線を、舞姫に移す。こちらもやはり美しく、可愛らしい。踊っている時は神秘的な雰囲気を醸し出していたけれど、今は凄く可愛らしい──ただ、傷だらけだわ⋯⋯うちの子達がごめんなさい。
「会いたかったわ舞姫さん、うちの子達がごめんなさい」
イヴは慌てて立ち上がり、裾を整えて膝を折る。
「は、はい⋯⋯。いえ、ご迷惑をおかけしました」
「迷惑? いいえ、私にはそうは見えませんよ? 生きていてくれて本当にありがとうございます」
壊れたティーセットが転がっている。恐らく奇襲から始まったはずだ。それを一瞥した後、唇の端を上げた。
「無抵抗のまま殺されていたなら、もっと面倒な報告になっていたでしょう。あの次期辺境伯を敵に回す愚を犯すところでしたもの。重ねて言いますが、生きていてくれて、ありがとう。この子達を殺さなかった事にも感謝します」
「いえ⋯⋯人殺しは私の仕事では無いので」
私は、その答えに頷きで返す。
「改めて、わたくしはこの国の王、ジークハルト・ヴァルクリスの妻で、王妃のシュープリムですわ。御二人には御迷惑をお掛けしてしまいました。この通り、謝罪いたします」
私は頭を下げ、周囲に目をやり静かに告げた。
「この部屋は一度閉鎖なさい。皆、応接室へ」
◇
応接室は穏やかな光に包まれていた。
天井の魔導灯が柔らかく照らし、緊張の余韻を少しずつ溶かしていく。
王妃が優雅に座り、イヴとパイシーが向かいに並んだ。改めてイヴとパイシーが自己紹介を終えたところだ。
王妃は紅茶を手に取り、微笑む。
「あんな事があった後に言い辛いのだけれど、舞姫さんにお願いがあるの──2ヶ月後に、周辺国を集めてサミットがあるの。お隣の国で開催されるのだけれど、余興が必要なのよ。それでね、我が国からは貴女に出て頂きたいと思うの、どうかしら?」
「え⋯⋯サミット? 私がですか⋯⋯?」
「ええ。ヴァルクリス王家が全面的にバックアップするわ♪ 各国の代表だけでなく、高位貴族も集まる場よ。そこであなたの舞を披露して欲しいの。勿論報酬もお支払いするわ」
イヴは一瞬だけ躊躇した。けれど、パイシーが横から肘で軽く小突く。
「悩む事無いやん。お妃さんの前で遠慮すな。大きな舞台で踊るんが、あんたの夢やったやろ? ウチらの事は気にせんでええ」
「け、けど⋯⋯その、王妃様、失礼かもしれませんが、ミルトに相談してから返事をさせて頂けませんか?」
イヴは深く頭を下げた。
「ありがとう! イヴさん、これからも我が国での活動、よろしくね?」
その時、扉の向こうからノックの音が聴こえた。
メイド長が扉を開いて取り次ぐ。
「妃殿下、王太子殿下とミルト・フェルム様がいらっしゃいました」
「あら、ちょうど良いわね。お通しして?」
「はい。⋯⋯その、妃殿下、扇子をお持ち下さい」
扇子を差し出しながらのメイド長の神妙な顔付きに、シュープリム王妃は怪訝な顔をしつつも、扇子を受け取った。
「申し訳御座いませんが、御二人は一旦、こちらへお願い致します」
メイド長が、パイシーとイヴを部屋の隅にあるテーブルへと促す。
「シュープリム王妃殿下、お話し中のところ失礼致します。本日はお願いがあって参りました。⋯⋯母上?」
扇子を持って顔を隠し、俯いて肩を震わせる母親に、ウルタルフは怪訝な顔で話し掛ける。
「ウルタルフ殿下、少々お待ち下さい」
メイド長がウルタルフを制止する。
「母上はご気分が優れないのか?」
「いいえ、絶好調で御座います」
ウルタルフは、怪訝な顔のまま母親が肩を震わせる姿を見つめていた。
「ウルタルフ殿下、お顔が腫れていらっしゃいますので、冷やすものをお持ち致します」
「え、ああ⋯⋯そうだな。頼む。母上、ソファに座りますよ?」
「⋯⋯ええ、もちろんよ⋯⋯ふぅぅぅううう」
シュープリム王妃は、長い息を吐き出し。ようやく扇子を閉じて姿勢を正す。
「もう大丈夫よ。簡単な会話なら出来そうよ」
「なんです簡単な会話とは? 体調が悪いなら⋯」
「いいえ、寧ろ絶好調よ。早く始めましょう」
ウルタルフは顔を腫らしたままで話し出す。
「ありがとうございます。では⋯⋯」
「ええ、人払いは必要?」
「いいえ、ミルトのパーティメンバーだと聞いていますので、問題ありません」
ウルタルフは、自分の後から部屋に入り、仲間と合流したミルトとトニトルスを見る。
「そう、母にお願いとは?」
「ミリアリア・ルル・ファンムー侯爵令嬢との婚約を解消したいと考えておりまして、シュープリム王妃殿下にお力添えを頂きたく」
「駄目よ?」
「⋯⋯何故です?」
「聞くまでも無いでしょう? 思いつく限りで自分で挙げてみなさい」
シュープリム王妃の冷たい指摘に、ウルタルフは、それでも毅然とした態度で臨む。そこでちょうどメイド長が氷嚢を持って現れる。
「失礼致します」
メイド長が頬に氷嚢を当てて、そのまま頭の上でまで布で巻き付けて固定する。虫歯が腫れた子供のようだ。
王妃が素早く扇子を開いて、再び肩を震わせる。
「⋯⋯母上、続けます。懸念点は予算ですね。王太子妃教育として、ファンムー侯爵令嬢に掛けた時間。そしてその際にお呼びした教育者への報酬。彼女が王太子妃教育を終えている時点で、恐らく既に予算は使い切っているのでしょう。これから新たな王太子妃を選べば、それだけ国庫から予算を捻出しなければならない。そしてファンムー侯爵令嬢への慰謝料も必要になります。それから⋯⋯聞いていますか母上?」
ウルタルフはムッとした顔で王妃に話し掛ける。
「⋯⋯もう大丈夫です。慣れました。続けなさい」
シュープリム王妃は、必要以上に畏まった顔で、息子に話の先を促す。ミルトは改めて間近で見た王妃の美しさに、目を瞠る。とても2人の子を産んだとは思えない程に美しい。
(こういう人も居るんだな。それに、厳しくも優しい眼差しをしている。フェルムにいる俺の母も、美しい方ではあったが⋯⋯)
ミルトの心に小さな棘が刺さったような気がした。ミルトが考え事をしている間にも話し合いは進む。
「後は派閥、ですね」
「どちらも正解よ。追加すると、王子妃教育の予算の三分の一は侯爵家が出しているから、それも返さないとね。派閥については、既にファンムー侯爵家が次期王妃となる女性を輩出すると、周りはそう思って動いているの。今更それを覆せば、どうしたって混乱は起きる。それをどうやって収めるつもり?」
「それは⋯⋯」
ウルタルフがミルトに視線を送り、次いでトニトルスに視線をやった。どうやらこの場でトニトルスが口を挟む事は無さそうだと、ホッとしていた。
ミルトは王太子と王妃のテーブルまで進み出る。
「フェルム辺境伯家のミルト・フェルムが、シュープリム王妃殿下にご挨拶申し上げます」
「先程の夜会で受けましたから、挨拶などは略式で構いません」
「ご配慮、痛み入ります。では、この場での発言の許可を頂きたく」
「勿論よ。それと、そんな畏まった話し方は要らないわ。普通に話してちょうだい」
「はっ、ではそのように。シュープリム王妃殿下、ウルタルフ殿下が周りを黙らせれば宜しいのでは?」
「あら乱暴ねぇ⋯⋯それはどうやって?」
「ウルタルフ殿下は、既にアルヴァリク公爵家が王権の転覆を図る為の一手を、潰して回っております。その功績を元に──」
「そうね、ミルトちゃんのお陰でね」
(やはり知っていたか⋯⋯ちゃん?)
「⋯⋯ですが、実際に動かれているのはウルタルフ殿下ですから。功績は殿下のものです」
「う~ん、それだけでは弱いのよね。王権を転覆されて困る家もあれば、アルヴァリク公爵家が王権を得る事で利益のある家もあるんだもの。片方にしか益を齎せないのなら、功績なんて薄めるのも簡単よ?」
ミルトはじっとシュープリム王妃を見つめる。
『共感』──発動
シュープリム・オーデン・ヴァルクリス 35歳
スキル『敏感』
──甘いわねぇ ──王権の転覆ねぇ ──可愛いわぁ
──後ろの金髪ちゃんも綺麗ねぇ ──モテるのねぇ
──実力がしりたいわねぇ
──若い頃のエルネストそっくりねぇ
「やんっ⋯⋯なんだかえっちな視線を感じるわ」
「ミルト! 母上をそんな目で!?」
「⋯⋯なんの話ですか⋯⋯?」
シュープリムはミルトの目をじっと見返す。
「びっくりしちゃったわ。で、亜人の娘達を救ってくれた事には感謝するけれど、問題が大きくない状態で解決しちゃったから、大して話題に登らないのよ」
確かにそうだ。だが──
「問題が大きくなれば犠牲が──」
「そうね、だから感謝はしているわ? 亜人連合との摩擦も生まれなかったもの。王国としては本当に助かったのよ。だけど多くの民はそれを知らないの」
「──シュープリム王妃殿下は、どのような方法であればウルタルフ殿下の婚約者の交代が成功するとお考えですか?」
「ええ〜もう聞いちゃうの? まあ、良いわ。フェルム家の次期当主が来てくれてるんだもの。今回だけサービスよ?」
王妃殿下はウインクを1つ落として話し出す。
「まず双方合意の上での円満解消、これは大前提。それとお金、ちゃんと国庫に返さないとね。これはウルの王太子としての予算を貯めているから、少し足は出ても何とかなると思う。最後に、さっきも言ったけれど、議会の承認を得るには彼等の大半に利益がなければ可決されない。ここが問題ねぇ」
「そこは⋯⋯先ずは調査ですね。議会に所属する貴族家の名を全て知ることは可能ですか?」
「秘匿されてはいないから構わないけれど、逆に彼等の不利益にならないようにする、という方法もあるわ。もっと簡単な方法よ?」
「そんな方法が?」
シュープリム王妃はミルトを指差す。人を指差すなど失礼だが、彼女がすると可愛らしい。
「フェルム辺境伯家がウルの後見人になる事よ」
「──!?」
「何を驚いてるの? この国で最強のフェルムがバックに付けばどんな貴族家も黙るわよ。フェルムから送り出される希少素材も、魔物に由来する森の恵みも、フェルムの武威無くしては成り立たない産業よ?」
(確かに、それは俺も知っている。だが⋯⋯本当にそこまでの影響があるのか? フェルム辺境伯家に、次代の王を決定付ける程の力が⋯⋯)
「それに、今までフェルムが何処かの誰かの後見人になった事なんて無いの。そのフェルムが後見人になったとして、我が国の貴族で異を唱える者は⋯⋯まあ、アルヴァリク公爵家くらいかしら?」
(それはそうだろう。そこは、ラプターの母親をフェルムに送り込んできた理由だな)
「どうかしら?」
「即答出来るものではありませんね。俺は次期辺境伯候補でしか無い」
「でしょうね。なら、この話は一旦保留。⋯⋯だけど、ミルトちゃん本人が友誼を結ぶだけでも、それなりに効果はあると思うわよ?」
『お前が願えば誰とでも会えるという事だ』
頭の中でレオニード・ヴァルシャークの声が蘇る。確かに、王妃殿下ですらも個室での会談に応じているのが証拠だ。
『逆転の一手から繋げる政治的処理』
(政治的処理⋯⋯目の前にいる、恐ろしく鋭い王妃殿下を味方にしておくか)
「それなら構いません。俺はウルタルフを放って置くつもりはありませんから⋯⋯だが条件はつけたい」
「言ってみて?」
「シュープリム王妃殿下、貴女は王都の情勢に詳しいでしょう? 特に下町に。そこに立ってる獣人のメイドも、さっきイヴとやり合っていたらしいメイド達も、元は孤児だと聞いた。シュープリム王妃殿下は、城下町にも何らかの網を張ってると考えるのが自然です。違いますか?」
シュープリムは目を細めてミルトを見つめる。しかし、直ぐに嬉しそうな顔で返事を返す。
「そうねぇ。陛下とはまた違う所に張っているわね」
「違法な薬物が流通してたりしないかを知りたいんです」
『それと違法な薬剤を取り扱う商会だな。勿論、それも王都にな』
レオニード・ヴァルシャークの言葉だ。今回の画を描いた悪徳貴族である彼がそう言っていた。
「市井に出回ってる違法な薬物⋯⋯ええ、良いわよ。ウルの事、お願るわね。じゃあレリオーネ、報告を」
「はっ。ミルト・フェルム閣下、ここからは私がご説明致します」
「レリオーネは私の腹心の部下よ。こっちの国に来てからスカウトしたのだけれど、市井にお友達が沢山いるのよ?」
とても"お友達"が多い人には見えないが、言葉通りの関係では無いのだろう。ミルトは言葉を返さず、ただ頷いた。




