43、潜入歴2500年のプロ
リビングの机に広げられた地図を前に、3人で集まる。
屋敷には他にプルフルも居るが、彼女は別に役割がある為、呼んでいない。
ミルト、ルヴィ、そしてイモートの3人で先程の尋問から得られた情報を整理する。
「さて、龍鱗だったな。フェルムにも小さいが港があってな、その名の商会が出入りしていた記録は見たことがある。海運業を営む商会というくらいしか知らんが、ルヴィは何か知ってるか? ズィーロ子爵家については放っておく。どうせトニトルス達が調査するだろうからな」
ミルトがソファに腰を下ろした。
「ええ、一言で言いますと“危険”な相手ですわ。ミルト様も仰った通り、海運業を主に取り扱っており、また先程の男も言っていましたが、龍鱗商会は公爵家に繋がっております。貴鱗と呼ばれる者達についても、その名だけは聞いた事がありますわね。⋯⋯まさか、人身売買に手を染めていたとは、わたくしも存じ上げませんでしたが」
ルヴィは椅子に腰を掛けたまま、姿勢を崩さず答える。口調は柔らかいが、その瞳は硬質の鋼のように張り詰めており、人身売買という言葉に嫌悪の感情が滲み出ていた。
「そうか。とにかく、まだ動きを悟られたくない。下手を打たずに立ち回る必要がある。⋯⋯イモート、あの副リーダーの供述を整理してくれ」
「承知致しましたミルト兄さま。副リーダーの供述を要約いたしますとまず彼らは龍鱗商会から娘を定期的に仕入れていたとのことです。その際に貴鱗という内部組織の者が仲介を担っており更にその貴鱗の一部からフェリキタスという名が聞こえたと供述いたしました。そして魔族である可能性が高いサテウ・ズィーロ子爵家と繋がりがあることも判明いたしました。これらの要素を総合いたしますと龍鱗という表の商会の背後に複数の組織と階層が存在しそれらが連鎖して誘拐人身売買を成立させていると考えられます。要点は3つ。」
イモートの声は抑揚なく、ひとつながりに流れる。
それを聞いたミルトは額を掻き、苦笑いを浮かべた。
「いつもながら⋯⋯お前の説明は長いな。けど助かる」
「有り難きお言葉ですミルト兄さま。私は潜入に加えて記録と分析を役割としておりますので言葉が長くなるのは避けられません」
ルヴィが小さく微笑み、いつの間に用意したのか、扇で口元を隠した。
「イモート様は実に可愛らしくて優秀ですわ。ですが、こうして繋がる糸を辿るほどに、アルヴァリク公爵家の影は濃くなるばかりですわね。⋯⋯ミルト様、私ならば多少は内部に近付けましょう。けれども、もし私の存在が⋯⋯」
言葉の最後が震え、ルヴィは僅かに目を伏せる。ミルトはその横顔を見つめ、低い声で言った。
「心配するなルヴィ、お前はもう死んでいる。お前に期待しているのは情報提供と計画の進捗管理だ。俺とイモートで先に手を打つ。龍鱗の倉庫か拠点を一つ、暴いてやる」
「どの様な手順で?」
ミルトが、ルヴィに答える代わりに、イモートに視線をやる。
イモートは淡々と告げる。
「龍鱗商会が港を拠点にしている場合そこには必ず用心棒や兵の影があり正面からの潜入は困難と推察致します。最終的に力による介入は避けられませんが、まずはワタクシの特性スキルを使用して順番に貴鱗まで辿っていきましょう。プル姉さまに緊急転移する指輪を頂けないか確認して参ります」
イモートは直ぐにプルフルの部屋へ向かった。
「よし。それなら俺とイモートで港を探るか。ルヴィ、留守番を頼む。それとプルフルに食事を運んでくれ。⋯⋯悪いが、出来ればちゃんと食べてるかも確認して欲しい」
ルヴィは静かに頷き、長い睫毛を伏せた。
「承知致しました。屋敷の事はお任せ下さいませ」
ミルトは装備を整え、戻ってきたイモートを連れ立って屋敷を後にする。
「行ってくる」
「行ってらっしゃいませ。お気をつけて」
ルヴィは玄関まで見送り、口元は微笑んでいるが、その手は腹の上で固く組まれていた。彼女が背を向けると、屋敷の影に消えて行った。
◇
港の風は潮の匂いを含み、肌に纏わり付くようだ。昼下がりの倉庫街は人の往来でざわめき、犬が一匹吠えれば作業の手が一瞬止まる。知らぬ者が近付けば吠えるよう、訓練されているのだろう。
しかし吠えたのは一度だけ。直ぐに大人しくなる。ミルトが魔力で圧力を掛けて黙らせたからだ。
「犬の方は任せろ」
ミルトは外套をかけ直し、低く笑った。だがその瞳は鋭く、緊張を隠してはいなかった。
「ありがとうございますミルト兄さま。人間以外に私の特性が効きませんので」
イモートの『認識阻害』は知能を持ち"認識"出来る生き物にしか効果が無い。
「ミルト兄さまこちらに少しだけお近付き下さい」
イモートは静かに声をかける。丁寧な言葉だが一息で長く続き抑揚の無いその語り口は、周囲のざわめきに溶け込むように響いた。
「ワタクシはこれより周囲の人々の認識を調整致します。皆様が私どものことを同僚や家族の一員だと自然に感じられるように設定を行いますのでどうか普段どおりに振る舞って下さい」
「ん? 待て、俺は隠れて様子を見てるんじゃないのか?」
ミルトは振り向いて、肩越しにイモートを見た。
「効果が無ければその様にお願い致します」
イモートの手が小さく掲げられ、掌の先に淡い薄緑の光が集まる。光は指先から吐息のように溶け出し、風に紛れて倉庫の人垣へと流れ込んだ。
『認識阻害』―—発動 派生『認識調整』
相手の認知の縁を巧みに書き換え、目の前にいる者を「知っている顔」として押し込み、言動の齟齬を感じさせないようにする特性スキルだ。効果は狭域だが強力で、周囲の者の思考をすり替え、目に見える事象を自動的にすり替える事が出来る。
少し港を歩いてみる。誰もミルトの事を見ない。イモートの事も見ない。ミルトは冒険者の装いをしており、用心棒として見える可能性もあるが、イモートは明らかに浮いているにも関わらず、誰一人として視線を向ける者はいなかった。どうやらミルトにも『認識調整』は効果を発揮しているようだ。
「これならいけそうだな。いつ気付いたんだ?」
「今まで1人で潜入し続けていましたので複数人に効果を発揮するか知りたかっただけです」
「そ、そうか⋯意外に大胆だな。結果としては成功だが」
「はい、では行きましょう。ミルト兄さま。あたりは付けていますので」
そう、明らかに用心棒の出入りの多い区画があるのだ。但し戦闘に長けた用心棒という見た目ではなく、有り体に言えば"柄の悪そうな"者達だ。金の為ならば仕事を選ばないような。
ミルトは短く息を吐いて倉庫の扉紐を軽く叩いた。端から見れば、ただの荷運びの傭兵と作業手に見える。中の用心棒たちは普段の顔で応対する。だが彼らの視線が一瞬だけ柔らぎ、挨拶の言葉には同僚に向けるような軽い調子が滲んだ。
「よお、ご苦労さん。悪りぃけど、今日は荷が詰まってて重いからから、手ぇ貸してくれってよ」
一人の用心棒が気さくに声をかける。ミルトは短く頷き、荒い笑みを見せた。違和感がない。目尻に浮かぶ皺や声の抑揚、握手の硬さまでもが、まるで馴染みの顔に見えるように改変されているのだろう。
『共感』──発動
——ったく詰め過ぎなんだよ ——何人入れてんだ
——ガキか女か分からんが ——また逃げ出してくれたら美味しい思いが
ミルトは──咄嗟に怒りを抑える事には成功した。だが目の前の男を斬り殺したくなる衝動を抑えるのに苦労して、動きを止めてしまう。
(⋯⋯反吐が出る)
ミルトの心情などお構い無しに、イモートは静かに倉庫の隅に立ち、周囲に視線を走らせると長い言葉を紡いだ。
「こちらに記録を残します。今後の為に誰がどの荷を運びどの者が誰と連絡を取るのかなどの関連性を私の認識調整の効果を維持する為、最小限の介入で記録を取らせて頂きます」
用心棒たちはそれをただ受け流す。誰も不審の念を抱かない。イモートのスキルは「同僚のように感じさせる」だけではない。口数の少ない者がそこにいても違和感が生じないよう、周囲の心の中の説明文まで書き換える。沈黙があれば、無口で仕事熱心な者、として脳内補完される。
ミルトの不自然な間も、どうやら誤魔化してくれたようだ。
ミルトは奥の積み荷棚へと歩を進める。薄暗がりの中、油紙で覆われた箱が幾重にも積まれている。ラベルにはフェルムで執務に付いていた頃に見覚えのある"龍鱗"の印章が彫られていた。
箱から漂う匂いの中に、微かな香木と薬草の混ざった刺激がある。普通の交易貨とは違う——それは生き物の出す臭いを隠し、恐らくは深い睡眠状態を維持させる為の薬が、多く混ぜられているのだろう。
「よし、やるぞ」
ミルトは小声でイモートに合図した。
「はいミルト兄さま。私が周囲の認識を更に固定致しますのでどうぞ安全に進んでくださいませ」
イモートは再び長い文節を続けたがその声は倉庫の雑音に紛れ、周囲の者達には、ただ穏やかな業務報告のようにしか聞こえない。
ミルトは木箱の上に乗って一つずつ確かめる。表の梱包を裂けば、下に密封された小袋があり、中には名前の書かれた小さな札とともに、女の衣類や小さな道具が詰められている——それは人間の生活の切れ端だ。胸の奥が冷たく震えるが、今は顔には出さない。
その時、数歩先に、外にいた用心棒が入って来た。その目が一瞬だけ動く。ミルトは硬く息を詰める。だが用心棒の視線はすぐに逸れ、別の仲間に向かった。
どうやら『認識調整』の網はじわりと広がり、倉庫の中の人々の心は確かに改変されているようだ。誰も彼らが外部の侵入者であるとは思わない。
(改めて⋯⋯強力なスキルだ。流石は2500年もフェルムに潜入し続けていただけはある)
やがてミルトは箱の一つから名札を取り出し、そこに書かれた文字を読み上げる。"トラジナ2"とかすれた字で書かれていた。
木箱を開けて、薬剤が漏れ出してしまわないように、少しだけ緩衝材などを手で退けて、中を確認する。ミルトは唇を噛み、静かに呟いた。
「亜人の女の子か。トラジナ⋯⋯亜人の多い地域から拐ってきたのか⋯⋯」
ミルトは短く目を閉じる。胸中で走る怒りを抑え、手早く箱を閉める。周囲にはいつくも同じ箱が並び、その全てに何処かしらの地域が書かれていた。
箱を元の通りに積み上げる。外見を崩さない方が良いだろう。今はまだ⋯⋯。
倉庫の奥で時計が一つ、針を刻む。夜には遠い。
ミルトは箱の上に座り込み、考える。悪徳貴族の死者が言った言葉が、現実に追い付いてきた。
この悲劇が、王権を転覆させる為のものだとして、それをミルト達が阻止したとしよう。今までに被害に遭った者達は帰らない。帰りを待つ家族の絶望も終わる事は無い。
その哀しみを公爵家の者が知る事も無いのだろう。そしてそれを扇動するであろう魔族も。
ミルトの中にある死者の記憶がざわめき出す。怒りに打ち震え、叫び散らし、殺意が膨れ上がる。
(分かってる。出来る限りで取り戻す。そして⋯⋯分からせてやるとも⋯⋯)
ミルトの心は熱を過ぎて冷え切っていた。本物の怒りとは、本物の殺意とは、熱い心から発するものでは無いのだと、自覚した。
歯車はゆっくりと噛み合い始めている。
(潜入は成功してる。このまま先へ進めば、まだ何か見つかるかも知れん。⋯⋯例えば目録を置くとしたら、何処に保管する? 商会の拠点は人の出入りが多いし、まさか公爵家に置くわけも無いだろう)
つまり、ここにある可能性があるのだ。
ミルトはイモートを連れて階段を登り、事務所の中へと侵入した。
「よお、お疲れさん。もうすぐ荷運びだ。手当も付けるから手伝い頼むぜ!」
タンクトップを着た、筋肉質でスキンヘッドの男が事務所で寛いでいる。偉そうに指示してくるところを見るに、用心棒達を纏める者だろう。そいつが親しげに話し掛けてきた。
「ああ。それは構わんが、入荷した荷物の目録はあるか?」
(ここには今、こいつ一人しかいない。いざとなれば斬り殺して棚を漁ればいいだけだが、一応聞いておいてやるか)
ミルトはそう考えて単刀直入に質問した。
「これか? 何だお前、目録なんて見てどうするつもりだ? だいたい字なんて読めんだろ、お前ら」
「⋯⋯」
ミルトは無言で、目の前の男を殺す段取りを考える。まずは距離を歩法で潰す。移動の初動を消す『膝抜き』から、パイシーに教えてもらった『縮地』で身体の予備動作を消し去り、瞬きをする間もなく最短最速で腰元の剣を抜くと同時に男の首を刈る。
(お前らが何をしているのか⋯⋯魔族でなくとも生きているだけで他人の害になる者は居る。こいつらは皆殺しだ)
ミルトが動き出そうとした瞬間──
「読めますので、見せて下さい」
イモートが一歩前に出て、手を差し出す。目録を渡せと、催促する。
「お、おう。あんたか、そうか、なら見たら良いぜ」
「貴方の仕事はこちらで引き継ぎますから、外で荷物運びを手伝っていて下さい」
「おう、分かっ⋯⋯はい。分かりました」
スキンヘッドの男は、まるでイモートの指示に従うのが当然とばかりに、目録を手渡して外へ出て行った。
「ミルト兄さま、こちら見ておいて下さい。ワタクシは後ろの棚にある同じ表紙のものを確認しておきますので」
「あ、ああ⋯⋯分かった」
イモートの、抑揚の無い平坦な言葉に、毒気を抜かれた様に返事する。
(⋯⋯いま、俺は何をしようとした⋯⋯?)
ミルトは自分の行動に恐怖を覚えていた。
(こんなに簡単に相手に殺意を⋯⋯死者の感情に飲まれたのか!? ⋯⋯オーク村の時にもあったな。魔物の感情に触発されて、カッとなって⋯⋯)
今は周囲に魔物など居ない。木箱に詰められた者たちを見て、理不尽に怒り狂う死者達の感情に流されてしまっていただけだ。
(目的を見失うところだった。敵は人身売買組織じゃない。公爵家にいる魔族だ)
「ミルト兄さま?」
目録を受け取ったまま動きの止まったミルトに、イモートが声を掛ける。
「⋯⋯大丈夫だ。すまん、直ぐに確認する」
ミルトは机に座って目録を開き始めた。
目録の内容は、地域の書かれたものばかりだったが、先程の木箱の中身から察するに、その中身は書かれた地域で拐われた女子供なのだろう。
悪徳貴族の推察通り、主に亜人が多い様だ。
「凄いな⋯⋯ここまで当たるものか。こうまで予想通りに裏が取れてしまうと、計画は修正無しだな」
ミルトは指で目録の列を辿る。地名と数、送り先、そして、属性と書かれた欄がある。
そこには「亜人(小)」「亜人(女性)」「混血」といった記載が続く。あからさまに亜人や混血の多い地域ばかりが選ばれている。
(アルヴァリク公爵家は血統主義⋯⋯か。馬鹿が、亜人は流石にマズいだろ。こんな事が亜人連合に知られてみろ。王族同士の内乱じゃ済まないぞ)
知れば知る程に胸糞の悪い事実に、ミルトは奥歯をぎりり、と鳴らした。




