40、面倒な事になっていた
銀光が縦横無尽に閃き、空間を切り裂く。最後の一閃が沈黙した時、魔族は血を撒き散らしながら床に崩れ落ちていた。
しかし、その姿を前にしても油断は微塵も無い。パイシーは右手を腰に添え、左手の甲を相手へ突き出す。腰を沈め、足を大きく開いた構えは、まるで猛獣が獲物に喰らいつく直前の姿勢だ。
全身の裂傷から血が滴り落ちているにも関わらず、その立ち姿は鍛え抜かれた鋼の如く揺るぎ無い。
「弱者が強者に挑む技術、それが拳法や。全力やったらあんた程度なら瞬殺や。せやから魔力無し縛りでハンデ作らんと技も錆びる。⋯⋯弟子に教える用とは、一味違うウチのオリジナル拳法や」
床に叩き伏せられた魔族は、血反吐を吐きながらも、なお笑みを浮かべていた。その唇の端には黒い笑気が纏わり付く。
「クフフフ⋯⋯なるほど。私の“常設置換”を無効化する手札を切ったうえで、白家の拳法使いまで用意するとは。冥神の眷属ども、ここまで周到とは⋯⋯嵌めおったな、卑怯者ども」
パイシーは鼻で笑い、吐き捨てる。
「アホ言え。即興やボケ。イヴやんだけで良かったのに、勝手にへばり付いてきよって。チカンなんか呼んどらんわ」
「天才に不可能は無い。それだけの事」プルフルの声は冷ややかだった。
「勝手に攫った他人に痛み押し付けて、強なった気ぃになっとるんやないわ!」
しかし魔族の紫の瞳は尚も狂気に燃えている。
「ふ、ふふ⋯⋯素晴らしい⋯⋯! その肉体、その瞳⋯⋯やはり私の“コレクション”に──」
次の言葉は、骨を砕く鈍い音で遮られた。
「誰が、お前みたいな変態の玩具になるかボケェッ!!」
パイシーの踏み付けが魔族の頭蓋を押し潰し、衝撃で部屋全体が震える。
瞳は紅蓮の光を帯び、怒気が爆炎のようにほとばしっていた。
呻きながらも魔族は笑いをやめない。
「クフフフ⋯⋯痛い痛い。だが残念ながら私は“遍く置換”だぞ? ⋯⋯この痛みも、屈辱も全て⋯⋯君に贈ろう──銀の乙女よ」
魔族が愉悦に歪んだ顔で、パイシーを凝視する。
だが──何も起きなかった。
「な⋯なんだ⋯⋯!? なぜ痛みが消えん!?」
「は? 何をいちびっとんねチカン」
「な、何故だ、私の特性が使えぬ⋯⋯!? 何をした!」
プルフルが冷徹に、床と壁を指し示す。
「この部屋は魔力遮断と拡散防止に書き換え済み。外部への“飛ばし”は遮断、触れての“置換”も散らされる。肉体言語でしか話せない」
魔族の顔が蒼白に凍り付く。視線を巡らせれば、床・壁・天井に刻まれた幾何学の魔法陣が淡く光り、封鎖の檻を構成していた。
「な⋯に⋯⋯?」
「む⋯⋯確かに私の剣も魔力を通らんな」
巨剣を背から引き抜いたトニトルスが唸る。
「最後っ屁対策。信号は送らせない」
「な、なんだと⋯⋯!? まさか⋯⋯ヤムダを殺した冥神の眷属は貴様らか⋯⋯!?」
「⋯⋯誰?」
「とぼけるな! ここ数十年、我らが同胞を屠った人間など存在せぬ。必然、その呪を知る者もな!」
魔族の視線が狂気じみて彷徨い、やがて、イヴに寄り添うミルトを見据えた。
「黒髪、黒目、人間⋯⋯そして片手剣⋯⋯貴様かァ!!!」
「ん? ああ、確かに魔族は斬ったな。確か名前は⋯⋯なんだったか」
「──っ!? ヤムダ・トゥアロゥ⋯⋯貴様が殺した魔族の名だ!」
「⋯⋯そんな名前だったのか」
ミルトは冷ややかに返す。同胞を思う心があったとしても、魔族は魔族だ。
ミルトの中にある死者達の記憶が、同情に値しない事をミルトは知っている。
魔族は同胞以外を虫けらの如く扱う残虐さがあるのだ。
「雑魚ピの事?」
「雑魚ピエロで充分やろあんなん」
「あの程度なら覚える必要は無い」
「ミルト兄さまに瞬殺された方ですね」
軽口が飛ぶたび、魔族の瞳は血走っていった。
「ザコピエロ⋯⋯確か、私と会う前に戦った魔族の話ですわよね?」
これまで椅子に座って、ミルトやイモートと同じく静観していたルヴィが話に入る。
「はい。ワタクシの制作者である名も知らぬ魔族の研究を引き継いだと主張していた灰色の髪の魔族です」
「制作者⋯その瞳は同胞の。ホムンクルスだと⋯⋯サッカの⋯⋯」
ミルトは完全に動揺している魔族を見て、先程から試し続けていた『共感』が繋がった事に気付く。ここから先は「共感」が繋がり、魔族の心が洩れ出す。
──人間風情が ──ヤムダ・トゥアロゥを
──冥神の眷属ども ──なぜ外界に湧いている
──ホムンクルスはサッカ・タルゥイの錬金術か
──ミルト? ──まさかミルト・フェルムか!?
──だとすればトゥニカ・サクォラは何を⋯
「そのミルト・フェルムで間違い無いが⋯⋯」
その名を肯定するや、魔族は絶望と戦慄で見開いた。
「ミルト・フェルムが何故生きている! とうに死んでいなければならんはずだ!」
「お前が今ここで床に這い蹲っているのが、その理由だ。トゥニカ・サクォラも、奴もお前の友達なんだろ?」」
ミルトがカマをかけてみたが──
「⋯⋯クフフフ、それは流石にブラフだなミルト・フェルム。何故その名を知っているのかは知らんが、トゥニカが貴様ら程度に負ける訳が無い! ──がグゥッ!?」
パイシーが踏む力を強めたらしい。
「ウチのミルト君に偉そうなクチきくな。次はドタマかち割んぞ?」
「パイシー、俺の為に怒ってくれてありがとう」
「そんなん当たり前やん♪」
パイシーの機嫌が良くなり圧力が弱まったのを確認してから、ミルトは尋問を続ける。
「トゥニカ・サクォラ。そいつは何処にいる?」
──王都 ──アルヴァリ⋯
「知らん! 知っていても貴様におし「アルヴァリク公爵家か。王都に屋敷があったな、なるほどそこに潜伏している訳か」
「くっ⋯⋯────」
その時、静観していたルヴィが叫んだ。
「パイシー! 離れて!」
ルヴィの叫びでパイシーが足を退けると同時に、魔族の頭部は音も無く分裂し、砕け散った。
静寂。
突然の魔族の自壊に、皆は言葉も無く立ち尽くしていた。
「え、なにこれ。なんなん?」
「あら? 表情から、てっきり自爆するのかと思いましたのに⋯⋯違ったようですわね」
ルヴィは不思議そうに首を傾げた。
プルフルが無言でフワフワと浮きながら近寄り、崩れかけた魔族の頭部を覗き込む。赤黒い脳漿の奥には、緻密な模様が幾重にも彫り込まれていた。
「⋯⋯魔力暴走の魔術。魔力が拡散して不発してる」
「ほろほろ」
たった一言を呟くと、彼女の指先に淡い蒼炎が生まれる。それを魔族の頭部に近付け、刻印の流れを逆走させて呪の根本を探り、無力化した。
カチリと何かが外れた音がして、残骸は砂のように崩れ去った。
「これで安心」
淡々と告げると、プルフルは床と壁を撫で、魔法陣を解いていく。光が静かに消え、血と鉄の匂いだけが残された。
◇
イヴは蒼白な顔で震えていた。魔族に供物として差し出される寸前だったのだ。
ルヴィがそっと肩を抱く。
「イヴ様⋯⋯わたくしはルヴィと申します。今宵はお休み下さいませ。2階の客間をご用意致しますわ」
イヴはミルトを見つめ、ミルトはその視線に小さく頷きを返す。イヴは小さく頷き、ルヴィに付き添われて、部屋へと運ばれて行った。
一方、キャラバンの副リーダーと、男2人は縄で縛られ、床に転がされている。呻き声を漏らす彼らは、衛兵に突き出されるまで物置に押し込まれることになった。
◇
転移した地点を逆算するなどの調査を終えて、やがて一行は屋敷の1階のリビングに集まった。玄関ホールには、まだ戦いの気配が残っている。
ミルト、トニトルス、パイシーは椅子に腰を下ろし、耳を傾けた。向かい合うのはイモートとルヴィ。
ルヴィが深く息をついて口を開いた。
「イヴ様はお眠りになられましたわ。ご安心下さい」
「そうか。後で俺も様子を見に行く」
「ええ、そうして下さいませ。わたくし達の自己紹介はまた、後ほど」
ルヴィは元貴族令嬢だけあって、気遣いの出来るところが助けになりそうだ。
「それでは今のうちにミルト兄さま達が居ない期間に起きた事をお話しします」
イモートが感情の無い声で続ける。
「ルヴィは外に出ることが出来ませんのでワタクシかルヴィから指示を受ける形で王家やアルヴァリク公爵家に潜伏して情報収集を行いました」
ミルトは静かに頷き、無言で先を促す。
「前提としてアルヴァリク公爵家にも暗部のような者がいるようでした。しかしそれは“王の影”程の規模では無く数人の冒険者出身の者達や代々アルヴァリク公爵家に使える使用人を鍛えている者のようです」
「⋯⋯工作員の数は“王の影”が多い。そうか」
(やはり多数の暗殺者を相手取る機会は“王の影”と敵対する時だけか⋯⋯まあ、そんな機会を求めているわけではないが、文字通り死に物狂いで覚えた立ち回りだからな。機会があればと思ったが)
「ミルト兄さま、話を続けます。“王の影”がおりますので王家への干渉は避け宮廷貴族の縁者に接触したり王宮に食材を卸す業者に接触したりなど間接的なところから情報を収集しました。その結果分かった事は王家に魔族や他国の間者は居ないということです。これは"王の影"が優秀である事に加えて王家そのものの価値が薄れている事に起因しているようです。民衆は平和を教授していれば王家にそれほどの興味は無く逆に王権が転覆されてアルヴァリク公爵家が王家として権威を振るったところで大勢に影響が無いと判断されているためです」
「待て、それはつまり、アルヴァリク公爵家が王権の転覆を図っている事を、民衆も知っているという事か?」
イモートは無表情の中にも、恐らく神妙な顔で頷いた。
「はい。ワタクシとルヴィがここで暮らし始めた時点で既に噂として流れていました」
「⋯⋯本来なら誰かが意図的に流したんだろうな」
「そちらも調査済みです。噂を流したのはジークハルト王の第一子、王太子のウルタフルです」
ミルトの視界の端でルヴィが下唇を噛んで俯くのが見えた。
「⋯⋯理由は?」
「王家の周りには"王の影"がおりますのでワタクシとルヴィでは更に踏み込んだ調査は不可能と判断しました。偶に帰っていらっしゃったプル姉さまにも相談しています。プル姉さま進捗は如何でしょうか」
「席を外す?」プルフルがルヴィを見て気遣う。
「⋯⋯いいえ、大丈夫ですわ。聞かせて下さいませ」
「幾つか遠見の魔道具を放って探った結果、シルヴィリーネリア・コヴェイン伯爵令嬢を拐かしたのがアルヴァリク公爵家だと思い込んだ王太子の暴走」
静寂。
「────え⋯⋯わたくしを?」
ルヴィの声は震えている。口元を両手で抑えているが、その手も震えている。
「そう。卒業パーティでエスコートする為に、コヴェイン伯爵に先触れを出そうとしたら王様に止められて、理由を聞いても誰も答えてくれない上に、コヴェイン伯爵家に自分で訪問したら、娘はもう家に居ないと言われて追い返された。それで陰謀論に取り憑かれて、前から当たりの強いアルヴァリク公爵家が自分を脅すためにシルヴィリーネリアを拐かしたと思い込んで、アルヴァリク公爵家が王権を狙ってるって噂を流して牽制してる最中」
「絶妙に合っているだけにややこしいな」
トニトルスが思わずといった調子で感想を言ってしまう。
「ほんまやで。王太子さんもよっぽどショックやったんやろうけど、王様も教えたったらええのになぁ」
パイシーが切ない表情で言葉を繋ぐ。
「それは⋯⋯"王の影"の構成員は、王と、王の側近以外の誰も把握する事を許されておりませんから、知ることは出来ないのです。⋯⋯この先、ウルタルフ殿下が王位を継がれれば、歴代の"王の影"を知る事になりますが、それまでは、わたくしを知る事はありませんし、何より⋯⋯」
「"王の影"の中でも既に死んだことになっている筈ですから例え知ったとしても──という事ですね」
イモートが抑揚のない声で事実を突き付ける。
(相変わらず抑揚は無いが、少し言い淀む素振りがあったな。そういう感情も芽生えてきているのか?)
ミルトはイモートの変化に気付いて、少しだけ気持ちが和んだ。
「ルヴィが"王の影"だった事を知れば、今度はミルトを恨む。王太子は。」
話し疲れたのか、ソファに横になったプルフルが推理する。
「しかしアルヴァリク公爵家の王権転覆を間違い無く阻止しているのもミルト兄さまの存在でありミルト兄さまの生存について最も安堵されているのもまた王家のはずです」
イモートの言葉に、ルヴィも力強く頷いた。
ミルトの希望で形だけとはいえ、フェルム辺境伯領の次期当主として据えられている、ミルトが生きている限り、アルヴァリク公爵家が辺境を牛耳る事は出来ない。異母弟のラプターを当主にする目も今は無い。
「続いてアルヴァリク公爵家ですが、次期当主が血統主義且つ自らが王になるのが相応しいと考えており王権の奪取を画策している事は間違いありませんでした。それと先程のチカンの魔族との会話にもありましたがミルト兄さまが仰っていた魔族──確か“トゥニカ・サクォラ”でしたか? その様な存在の影響を確かに感じる部分がありました。現当主の臥せった時期と次期当主が頭角を現した時期がラプター兄様の成人した時期に近過ぎますので。その時点で作為的なものがあります。そして同時期に何人か使用人が入れ替わっています」
魔族の存在に、ミルトの中にある死者達の記憶がざわめき出し、ミルトの眼が鋭くなる。
「分かった。その辺りも改めて調査しよう。どうせ魔族が絡んでいる以上、公爵家の内情を探るのは確定だ。⋯⋯だが王太子の動きも無視は出来ん。俺が恨まれるのは一向に構わんが、目を付けられてフェルム家に影響が出るのも、このまま放置して王太子が公爵家に足元を掬われるのを傍観する、という訳にもいかない」
ミルトの言葉に、ルヴィが躊躇いながらも、続きを考察し言葉にする。
「⋯⋯ミルト様、わたくしの自惚れで無ければ⋯⋯ではございますが、アルヴァリク公爵家は、恐らくウルタルフ殿下の弱みを握る為、わたくしの情報を探ると思いますわ」
ミルトはゆっくりと頷く。
「そして⋯⋯コヴェインの名から、いつか"王の影"へと至るでしょう。そして、その情報を使ってウルタルフ殿下に対し⋯⋯カードを切る。それがどの様な形でなのかは分かりませんが。わたくしは、わたくしはそれが恐ろしい!」
トニトルスがそっと、ルヴィの横に寄り添い、まるで心を支える様に、背中に手を置く。
「ずっと欺き続けてきた! 暗部だったわたくしなど捨て置き! 王位の為に邁進して頂きたいのに!!」
ルヴィは顔を両手で覆って崩れ落ちてしまう。
「ルヴィ、腹の子に差し障る。少し休んだ方が良い。心配しなくとも、必ず何とかするさ」
トニトルスがルヴィに寄り添い、背中をそっと支えながらルヴィの部屋へ誘導した。
「俺も少し考える時間が欲しい。また明日話そうか」
作戦会議は、次なる嵐の気配を孕んだまま終えた。




