4,暴滅
「ミルト、恐らくこの先だ。反響する音がこれまでと違う」
死者たちの記憶にあった。ここは『静謐の霊廟』と呼ばれたダンジョンで、三層に分かれている。一層が広く、階層を上がるための階段の位置をマッピングされていない為、手探りだった。
一層ごとに空気が変わり、敵も変わる。二人は最下層から上がるため、上に行くごとに難易度が下がるはずだ。
最も辛い三層は、武器や防具、時にはスキルまでも使用する元人間のスケルトンが襲い掛かって来る。
二層は無手のスケルトンに混じって動物や魔物の死体が襲い掛かって来る。
一階層は強烈な腐臭を放つゾンビ達らしい。
三層の強敵を退けて、ようやく二層へと至る緩やかな上り坂を見つける事が出来た。
◇
二層へ上がる直前、坂に足を掛ける位置で、強い気配を感じた。
「待て⋯⋯なんだ、この感覚は」
ミルトは、無意識に『共感』を発動させていた。すると、壁の向こうに、何かの"存在"を感じる。
トニトルスが頷き、迷いなく巨剣を壁に突き立てる。即応する姿は、既に信頼に満ちていた。
「脇道だ⋯⋯隠し部屋かも知れん。以前に通った時は、敵に追われていたから気付かなかったが」
石壁が崩れ、奥へ続く道が現れる。その奥には、まだ何かが待っているようだ。
2人は顔を見合わせた。
「気配は強い⋯⋯だが、敵意は感じないな」
「ああ、その様だな。慎重に進もう」
ミルトの言葉に、トニトルスが頷く。二人は、剣を構えつつ脇道を奥へと進んだ。
◇
その隠し部屋は、不思議なほど静かだった。まるで何かの実験施設の様だ。ダンジョンには場違いな空間。ところ狭しと薬品や、何らかの実験器具が置かれている。
部屋の中央に、深緑色のローブを纏ったまま転がっている骸骨があった。それほど大きくはない。少年か、または女性の骨だろう。
だが、その骸骨から発せられる魔力濃度が、尋常ではない。まるで、そこに居るだけで空間が歪むようだ。ミルトは即座に『共感』を発動した。
情報の渦が、奔流のようにミルトに襲い掛かり、意識が飲み込まれる。他のアンデッドとは明らかに違う。トニトルスの時と同じ、強力な力を持っている。
ミルトの意識に流れ込んできたのは、遥か昔の記憶だった。
宙に浮いた幾つもの魔導書と、巨大な幾何学模様の描かれた陣に囲まれ、研究に没頭する一人の女性魔導士が、高い塔の中に居る。
塔の周辺は周囲の草木が枯れ、大気と魔力が反応して、霧の様なモヤ発生している。彼女の魔力濃度が高くなり過ぎたために塔の中から出ない。
彼女は黙々と魔術の試行錯誤を繰り返している。
プルフル・エ・アロ・フラギリス──またの名を、暴滅の魔女。
『共感』──彼女の記憶と感情に寄り添い始めた。
◇
深緑のローブに身を包み、艷やかな黒髪を三つ編みに編んだ少女は、塔の書庫の一角に膝を抱えて座っていた。柔らかく張りのある胸元が、ローブの布越しにも豊かに揺れ、無意識に彼女の存在感を際立たせていた。
プルフル・エ・アロ・フラギリス──名門アロ家の末子にして、魔導士として天賦の才を持つ少女。
彼女は生まれながらに膨大な魔力を有していたが、恐ろしく偏った性分だった。社交にも、政略にも、舞踏にも全く関心が示さない。
興味を示すのは魔法、魔術、魔道具についてのみ。
十歳の頃ですら、朝の挨拶は「⋯⋯あー⋯⋯寝なおすー⋯⋯」と目も開けずに返し、結局昼過ぎまで起きて来ない有様だった。
父親からの「今日は大事な話があるから、朝食の席に顔を出しなさい」との伝言を使用人が伝えに来れば、ベッドで毛布に包まったまま「⋯⋯食べないから紙に書いといて。後で読む」と返す始末だ。
当主である父は諦めて関わるのをやめた。社交に出さなければ恥を晒すこともない。魔力が多いので政略に使えると思ったが、表に出せないのであれば仕方が無い。末子のプルフルを放っておくことに決めた。
しかし母は違った。
末子のプルフルを可愛がってくれる母の事は好きだったが、母は夢見がちな女性だった。プルフルが幼少の頃から「いつか素敵な王子様が迎えに来てくれるわ」などと、刷り込んでいた。母は貴族令嬢とはそういうものだと信じて疑わず、誰が見ても貴族令嬢の枠から外れている娘に対して、その夢を繰り返し吹き込んでいた。
「プルフル、貴女はきっと素敵な王子様に選ばれるわ。だからね、その日が来るまで、綺麗で可愛く美しくいなさいね」
当のプルフルはそのたびに「⋯⋯うん⋯⋯王子様ね⋯⋯分かった」と、半分寝ながら曖昧に相槌を打っていたのだが、自分に無条件で優しい母の言葉を、プルフルは決して無碍にはせず、自覚のないまま彼女の心の奥底に沈殿していった。
彼女が初めてスキルを発現させたのは、まだ九歳の時。
日常的に使用する能力を開花させ、成人の儀も無しにスキルを発現させていた。
スキル名は『翻読』――あらゆる古語と未知の言語の全てを自動的に翻訳し、瞬時に理解する力だった。
その力で彼女は、アロ家の地下に眠る禁書の数々を始め、王立図書館へ新たな知識を求めて通い詰める等、怠惰な彼女からは想像も出来ない程の情熱で読み解き、失われた古代魔術や精霊契約の理論を次々と理解していった。
しかし、その才は周囲に恐れられた。社交に出なかった事も拍車を掛けた。
「信じられん! 禁書を読み解くとは⋯⋯あの子は危険だ!」
「アレは魔導に取り憑かれた忌み子だろう」
「幼い今のうちに、誰かの支配下に置かねば、この国に災厄を呼ぶぞ」
名門の重鎮たちは口を揃えて彼女を恐れた。
能天気は母は別として、プルフルの兄姉たちは敏感に反応し、周囲から取り残されないように彼女を避け始めた。だがその程度ではプルフルは止まらなかった。社交を全くしていないので、自分についての噂を知らなかったという事実も加味していたのだが⋯⋯。
実家の離れに古くからある塔に籠もり、勝手に禁呪の理論を組み直し、魔術と物理の境界を越えた空間拡張の術式を確立した。人知れず異空間への接続実験に成功したのだ。
「異空間、見た目ちょっと気持ち悪い、けど、時間が⋯⋯止まってる? これは使える」
周囲に疎外された事を知っても、彼女にとって孤独は恐怖ではなかった。
寧ろ誰にも邪魔されない事こそが、プルフルにとっての真の自由だった。
また、彼女は魔道具の開発にも没頭していた。
その設計は先進的で、自己修復機構を備えたローブや、魔力を自動で蓄積・放出する杖など、後の時代に伝説級と称される数々の魔道具を生み出すことになる。
異空間を利用した食事の永久保全と、それを時間指定して転送する魔法陣などは、主に自分の研究の補助と、快適な生活の為に作ったものだったが。
「魔道具、最高⋯⋯。勝手にやってくれる⋯⋯もっと便利なの増やさなきゃ」
時折、寝ぼけ眼で設計図に向かい、半分うつらうつらしながらも、膨大な魔力を使い、大量に試作を進めた。魔力の続く限り研究進め、尽きたら眠る。これを繰り返す事で、自らの身に魔力を留める器が拡がっていた事に、無頓着な彼女は気付かなかった。
次第に彼女の魔力は桁違いのものとなり、制御を要する危険な段階へと至る。
ある日、異変が起こった。プルフルの魔力濃度が高まり過ぎたため、塔の周囲の草木は枯れ果て、空には黒雲が集まり、雷が何度も落ちた。
「⋯⋯また雷⋯⋯うるさい⋯⋯」
巨大な魔導書を幾つも宙に浮かせて読み解き、幾何学的な魔法陣を周囲に描きながら、彼女は黙々と術式の構築を続けていた。魔力を込めて描く為に漏れ出した魔力の影響で雷が落ち、草木が枯れている事にようやく気付く。
ある日、塔の付近から広がる災害に、危機感を感じた王が使いの者を寄越した。
簡単に言うと「災害を止めろ、従わない場合は力を持って制圧する」という王命だった。
彼女の実験は、周囲への影響を鑑みて、王家からも監視されていたのだ。
だが、王命による中止命令さえ、彼女は欠伸とともに一蹴した。
「王様の命令? 来るならどうぞ⋯⋯」
騎士団が実力行使に出た結果、プルフルの張った幻惑の結界を越えられる者がおらず、王家は彼女を止める事が出来なかった。そして当然、家族も対応不能と判断。こうしてプルフルは、王国から国を滅ぼしうる魔導士、歴史に2人しかいない国滅の魔導士として認定される事となった。
「⋯⋯家の者が居なくなると困る。母様が泣いちゃうかも?」
彼女は魔力を吸い上げる杖を制作し、それを異界に繋げ魔力を異界に逃がす方法で、塔から漏れ出す魔力を抑制する事で解決した。逃がした魔力は後で自由に抽出して使うことが出来るので、自らの魔力を消費せず、疲れて眠くなるまで実験が出来るようになった。塔の周りに起こっていた雷は消えた。
家族や使用人が困るので幻惑の結界も仕方なく解除したが、それ以外の者は塔に入れないようにした。
そんなある日、辺境に住み着いた、暴風を身に纏ったドラゴンの出現の報が王都に届く。
王国の魔導士たちが束になっても止められない嵐の化身──王家は国滅の魔導士に嘆願書出すことにした。プルフルは欠伸混じりに言った。
「それか⋯⋯窓の音うるさかった。眠れないから静かにさせてくる⋯⋯」
彼女は伝説の転移魔法で一人で現地へ向かい、圧縮していた魔法陣を魔道具から展開、気象制御術式により暴風を封じ込め消滅させ、原因となるドラゴンの体内にある核を、ドラゴンを生かしたまま、風の魔法で抉り取って消滅させた。
その戦いは目撃者も多く、荒れ狂う風を魔法で切り裂いたその姿は、まさに英雄だった。
その事件を機に、暴風のドラゴンを滅する魔女、暴滅の魔女と呼ばれるようになる。
やがて、彼女の元に国の最高意思決定機関である、魔導七賢者からの招待状が届く。
その報せがアロ家に届くと、屋敷中がどよめいた。
兄姉たちは顔を歪め、祖父母たちは拳を震わせながら言った。
「なんということだ。あの子が七賢者に?」
「こんな破廉恥で礼儀も知らぬ娘が、アロ家の名を背負うなど、許されぬ!」
「我らの面目を潰すのが関の山だ!」
彼らはプルフルの評価を紛い物だと断じていた。
ドラゴンを撃退する際、プルフルが転移魔法で現地に飛んだせいで、彼らはプルフルが出発する姿を目にしていないので、人違いだと思い込んでいた。プルフルは彼らの怒号を、ただ静かに聞いていた。怒りも、悲しみも、そこにはなかった。ただ、疲れたような微笑みが浮かんでいた。
「⋯⋯うるさ。国とかどうでもいい⋯⋯時間の無駄だからこんな事で呼ばないで」
そう言って、届いた招待状をその場で消滅させた。
だが七賢者からの勧誘は、日を追うごとに増える一方だった。それはドラゴンの一件だけではなく、アロ家の者が、たまたま目にした塔の中の魔道具の事を、有用性を理解出来ずに嘲笑うように夜会で話した事が原因だ。
それは宝石の付いた小さな指輪だった。機能は宝石に刻んだ極小の魔法陣に魔力を流す事で、宝石の中に縮小して収納された目薬が出て来るだけ。下らない使い道だが、空間の拡張、容積の縮小、極小の魔法陣、宝石への付与、どれをとっても規格外の魔道具であった。
七賢者は喉から手が出る程にそれらを求めた。
「研究は自分のためにしてる⋯⋯魔道具も私が欲しいのを作ってるだけ」
使用人が部屋の掃除に訪れていたある日、プルフルがふと目を細めて呟くのを聞いた。
「界層を渡るには現世にある知識だけじゃ足りない⋯⋯調査も観測も⋯⋯死の淵に近く⋯⋯」
そして彼女は、何故か下町にある食堂にメモ紙を残して姿を消した。
『お金を交換で出すので朝と夜に、食べ物をこの魔法陣の上に置いて下さい』
現世と違う界層へと近付くために『静謐の霊廟』と呼ばれる死者の王が眠るダンジョンへと、自らの意思で潜ったのだった。
その日を境に、プルフル・エ・アロ・フラギリスの名は王都から、静かに消えていった。
だが、後に塔の中から見付かった、彼女の遺した魔導理論や魔道具の数々は数世代を経た今もなお、世界に浸透し、その理論は学者や冒険者の間で語り継がれている。
◇
深緑のローブを纏った骸骨が、日夜研究を続けながら、時折静かに眠る。
仄暗い地下の奥底で、彼女の夢と探究は、未だ終わりが無い。
「ちょっと疲れた⋯⋯寝よ」
ただ一つ、プルフルの無意識の奥底に、消えない価値観があった。
愛してくれた母の言葉「いつか自分を迎えに来てくれる王子様」
社交や恋人探しなどしなかった原因だ。迎えに来てくれるなら探さなくても良いだろうと思考え、待ち続けていたのだ。若くして迷宮で孤独死した後、高濃度の魔力とダンジョンの呪いで骨だけの身体になった⋯⋯今もまだ。
(早く迎えに来ないかな)
頭の片隅の、そう期待しながら眠りについた。
プルフルの側で、プルフルに寄り添い、プルフルを部屋から連れ出して、プルフルに優しく優しく手を差し伸べてくれる⋯⋯そんな、素敵な人。
(今、傍にいる、アナタがそうなの?)