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39、イヴ 魔族に献上される

「リーシャが居ない!? どういうことだ!」

「さっきまで、確かに宿にいたはずだぞ」

「まさか、誰かに連れ去られたんじゃ⋯⋯」


 リーダーの声は焦りを帯び、隊商全体が騒然となった。

 しかし、副リーダーは落ち着き払って言葉を挟む。


「昨日の話を思い出しなさい。恐らく元々、勝手に抜けるつもりだったのでしょう。彼女は急に姿を消した。それが事実です。これ以上時間を食えば、予定が狂う。彼女の事は放っておいて進みましょう」


 強引に押し切られ、隊列は渋々、王都へと進むことになる。木箱の中で丸くなって押し込められたイヴを載せて。


 硬い木の中で、イヴは半ば意識を失ったまま、延々と揺られていた。どれほど時間が経ったのか、もう分からない。呼吸も浅く、視界は暗闇しかない。身体は固く拘束されていて指先くらいしか動かせない。緩衝材なのだろう、身体を柔らかい物で覆われて音も立てられない。


 時折、木箱の隙間から差し込む風が唯一の救いだった。


(子供の頃は、戦時下でも生き延びたのに。大人になって人攫いに遭うなんて。どうせ金持ちの成金商人か、悪徳貴族辺りが仕切ってる娼館に売られるんでしょうけど、必ず何処かで抜け出してやる)


 しかし王都の城壁へ至る頃、イヴは折り悪く眠っており。気が付けば王都の喧噪、行き交う人々の声が木箱越しに響く。誰も中身に気を留めない。荷下ろしの際も、ただ「客宛ての荷」として番号を付けられ、淡々と運ばれていく。


 副リーダーの声が微かに聞こえた。


「他のに紛れ込ませて中央区の西側に運べ、そこからは私と、あと2人だけで向かう」



 夜。王都の裏通りにある、とある屋敷の裏に木箱が静かに降ろされ、開かれた。


 キャラバンの副リーダーの男は恭しく頭を下げる。

 額にはビッシリと脂汗が浮かんでいた。


「お待たせ致しました。“(あまね)く置換せしサテウ"様、ご所望の品をお持ちしました」


「⋯⋯ふむ、良い顔立ちだ。身体もしなやかに鍛えられていて美しい」


 現れたのは、長い黒髪の頭の先から革靴の先まで、全てが真っ黒な装いの、長身で痩躯の男。だが、その紫色の瞳には冷たい狂気が宿り、吐息には人ならざる気配があった。イヴをまるで、動物を見つめる様に視線を這わせてくる。その視線に鳥肌が立る。


 男はゆっくりとイヴの顎を持ち上げ、歪んだ笑みを浮かべる。


「人間の絶望に染まる瞳⋯⋯は美しいのだが、これは違うな、反抗的な目だ」


 副リーダーはその言葉に肩を震わせる。


「はっ、その⋯⋯」


「しかし、これはこれで良いものだ。ゆっくりと絶望に染めてやろう。コレクションがまた一つ増える」


「お、踊り子のリーシャで御座います。サテウ様の気に召して頂き、恐悦の至り。それでは、中へ運ばせて頂きます」


「うむ、いつもの所へ。報酬もそこに置いてある。リーシャか、なるほど良い名だ」


 イヴは箱の中で荷車に載せられたまま部屋へと入れられた。後ろでドアの閉まる音がする。2人の男に箱ごと抱えられ、階段を降りる振動だけが伝わってきた。


 地下。床に降ろされて、イヴはようやく箱の中で上体を起こす事を許された。


 周囲を見回すと、副リーダーの男の横に2人、キャラバンで見た顔だ。そしてもう1人、紫色の瞳の男が立っていた。男の身なりは良い。ひと目で分かる上等なもの身に纏っている。おそらく王都の貴族だろう。


 そして⋯⋯男の後ろには、無数の人影が見える。だがその影は微動だにしない。髪型やフォルムから若い女性、または少女が、立ち尽くしているように見える。


 貴族の男が、指先一つで魔導灯の明かりを付けると、周囲がよく見えた。


 照らされた、それぞれが絶望に満ちた表情で、立ち尽くす若い女達。そしてその背後には檻が並び、啜り泣く女達が囚われていた。


 立ち尽くす者達は、まるで人形のように動かない。これではまるで人形──いやそれにしては作りが精巧過ぎる。まるで剥製の様だった。


 だが、剥製にしては血色が良い──本当に生きている様な見た目だった。


 イヴは先程の言葉を思い出す。


 ──コレクションがまた一つ増える


 それを理解した瞬間、怖気が走った。


 全身からぶわり、と汗が噴き出す。


 喉を鳴らしたいが、乾いていて飲み込むものが、なにも無い。


 貴族の男が愉悦に満ちた表情で、イヴに手を伸ばしてきた。


 気付けば身体が震えていた。生命の根幹を成す部分が、目の前の男との拒絶を示している。イヴの顔を見た、紫色の瞳に歓喜の色が滲む。


「はぁぁ~それだよ。その顔だ! リーシャ、私をもっと愉しませろ。今日から私の愛娘としてここで生きるのだ。このサテウ・ズィーロの愛娘で在れる事を光栄に思うが良い」



 ──愛娘



 気持ち悪い──もう──限界だ──


(ミルト⋯⋯助けて!!)


 右手の人差し指にある肌色の指輪──イヴの細い指が内側の装飾に触れた。


 瞬間、青白い光が爆ぜるように広がる。


 縦2メートル、横半径3メートル──まるで空間ごと掴み取る様に景色が歪み、爆縮するように強制的に転移の力が発動した。



 声を上げる暇もなく、イヴを囲んでいた者達の身体も光に飲まれ、次の瞬間、全員の足元は地下の石畳から、磨き込まれた屋敷の床へと変わっていた。


「おお、本当に来たぞ。⋯⋯客人も一緒か」


 イヴの心情を通して見れば、随分と呑気な口調で話したのは、トニトルスだった。


 玄関ホールに設置された転移陣を見ていた彼女は、椅子から立ち上がり、驚きを含んだ声を出しながら立ち上がる。巨剣は背中に背負ったままだ。


 同じく部屋の反対側に控えていたパイシーも、椅子を蹴り飛ばすように立ち上がる。


「イラッシャーイ! 退屈しとったんや。イヴやん以外は呼んでへんけど、今回だけは歓迎したるわ♪」


「ルヴィ様どの方がイヴ様でしょうか?」

「イモート、これは流石に一択かと思いますわよ⋯⋯」


 白髪に紫紺の瞳をした美少女と、淡い“青色の髪に翡翠の瞳”をした女性がイヴを誰何する。ホムンクルスのイモート・フェルムと、元暗部"王の影"だったシルヴィリーネリア・コヴェイン伯爵令嬢であるルヴィだ。ルヴィは王都で隠れ住むため、髪の色と瞳の色を魔道具で変えている。


「イヴ!」


 ミルトはイヴに駆け寄る。と同時にトニトルスとパイシーは男達に疾走った。


 トニトルスとパイシーの、制圧の動きは迅速だった。混乱する貴族風の男と共に居た取り巻きたちは、抵抗する間もなく叩き伏せられていった。唯一その場を離脱したのは貴族風の男だけだった。


 箱に押し込められていたイヴの元に駆け付けたミルトは、直ぐさま駆け寄り木板を砕き、彼女の身体の拘束を斬り払って、抱き起こす。


「イヴ! 無事か?」


 もう逢えないと諦めても渇望していた愛しい人。ミルトの呼ぶ声に、イヴは必死に温もりを求めて抱き着いた。


「ミル⋯ト? 本当に⋯⋯ミルト⋯⋯?」


 紫色の瞳の男の不快感に、限界を迎えていたイヴは、はらはらと涙を流す。


「よく頑張ったな。えらいぞ。⋯⋯危ないから端にいこう、大丈夫だ、一緒に居る」


 涙に頬を濡らすイヴを横抱きにして、ミルトは部屋の隅へ移動する。


 制圧される取り巻き達を呆然と見ていた貴族風の男が、ミルトに向けて気が狂ったように怒り出す。


「小僧! それは私の愛娘だぞ! 勝手に触るんじゃない!」


 パイシーはその瞳の色を見逃さなかった。ぎらりと光を宿した眼孔を細め、ニヤリと口元を歪める。


「お、こいつ魔族やんか。なかなかええ動きするから手練れかと思ったら人間やないんか」


 知らぬ間に、至近距離で目を覗き込んでいたパイシーに、サテウは後退る。


「な、何だ小娘! ん? お前、なかなか美しい顔をしていブゥッ」


 魔族の男が顔面を殴られ、錐揉みしながら吹き飛ばされる。

 だがパイシーは殴っておいて驚いた顔で魔族の男を見つめていた。


「あ、きしょかったから、つい⋯⋯すまん」


 悪びれる様子もなく心の籠もっていない謝罪を吐き捨てる。


「イヴが愛娘だと? 気色の悪い奴だな。⋯⋯いやしかし、パイシーに一番手を取られてしまったな。仕方がない、ここは譲ろう」


 トニトルスは一歩下がって様子見の姿勢に入る。


「ええ〜なんか譲られた理由が嫌やわぁ。⋯⋯まあええ、あんたはウチが面倒見たるから、技の練習台になったってや」


 パイシーが、心底嫌そうに魔族に向けて宣言する。


「⋯⋯こんな気持ちは初めてだよ。怒りが頂点に達すると言葉も出ぬものか」


 魔族の男は、ゆらりと立ち上がり、狂気を孕んだ鋭い目つきでパイシーを睨み付ける。顔に幾何学模様が浮かび上がる。魔族の戦闘形態へと移行する。


「よくもこの私の顔に触れたな、矮小な人間の小娘如きが⋯⋯この“(あまね)く置換せしサ「あ、いらんいらん自己紹介いらんねん。あんたの名前とか興味無い⋯⋯チカン!?」


 話を遮って驚愕に目を見開くパイシー。


「あまねくチカンだと? 理解出来ん⋯⋯何故その二つ名にしたのだ?」


 トニトルスは眉根を寄せて“理解不能”とばかりに、不快感を顕にしている。


「もういい黙れ無礼者ども⋯⋯さっさと死ね!」


 魔族の男が殺意を膨らませて前へ出る──


 しかし、パイシーは、待ってましたとばかりに一歩踏み込み、躊躇なくカウンターの右拳を顔面へ叩き込む。


 鈍い音が響き、貴族風の男が数歩、後ろに下がった。多少は加減したとは言え、自分の拳に耐えた魔族にパイシーは獰猛な笑みを浮かべる。


「おお、なかなタフやんチカンのクセに」


「やはりこの程度か。所詮は人間の域は出ていない。クフフフ⋯⋯しかし、見れば見る程に美しい女だ。傷が付かぬよう、即座に臓腑を置き換え、血を抜いて、傷口を綺麗にしてから⋯⋯いや、全身をバラバラにしてからもう一度繋ぎ合わせるのも良いかも知れん。褐色の肌に白い縫合の痕、うむ、良いな!」


 魔族は鼻血を垂らして高笑う。


「死体愛好家というやつか? チカンのうえに変態の上乗せとはな。⋯⋯転移する前の座標が辿れるか、プルフルに聞いておいた方が良さそうだな」


 余罪を想像したトニトルスは、怒気を含んだ顔で魔族の男を睨み付ける。


「踏み込んだら、見たくも無いもんがうじゃうじゃ出てきそうやな⋯⋯。あ、あかんわ、ムカついてきた。瞬殺してまいそうや、このチカン」


 パイシーは額に青筋を浮かべて殺気を放つ。瞳が紅く輝き出す。


 それを見た魔族の男が嘲笑を消し去る。


「な⋯⋯なんだ貴様、その瞳の色は!? 冥神の眷属⋯⋯本当に現世に出て来ていたのか」


「瞳の色? お~いトニトルス、ウチの目ぇ何か変?」


「うん? ああ、紅く輝いているな」


「素晴らしい⋯⋯これはツイている。まさか私も出会えるとは。クフフフ良い素材を見つけた。直ぐに持ち帰らねば!」


 一瞬──魔族の男がパイシーの目と鼻の先にいた。


「──っ!?」


 意図せず出した、いや出さされた拳──骨肉を打つ音と共に魔族がまたも後退りする。


「クフフフ痛い痛い、クフフフ」


 紫眼の魔族は上品に微笑み、指先を自らの顔に這わせ、ゆらゆらと動かす。見れば傷一つ付いてはいない。


「いい攻撃だ。流石は墓場の珠玉と呼ばれるだけはある⋯⋯今頃は私の愛娘達も喜んでいる事だろう」


 魔族が嘲笑う。


 その言葉に反応したのはトニトルス。


「チカン⋯⋯もしや置換、か? 置き換える方の」


「クフフフ正解だ。よく気付いたな⋯⋯む、お前もなかなかの器量ではないか? 冥神の眷属も良いが、お前も私のコレクションにしてやろう」


 トニトルスはその言葉に反応する。


「冥神の眷属とは何だ?」


 魔族は厭味ったらしく片眉を上げて答える。


「知らんのか。ならば教えてやっても良いぞ? 但し、お前が大人しく私のものになるのならな。当然だろう? 人間如きが対価も払わず、この私から何かを得られると思ってはならん」


「なるほど、では力尽くになるな」


 トニトルスは不適に笑って瞳を紅く輝かせる。


「ほう、お前もか⋯⋯クフフフ。思いの外、多くの眷属が湧き出しているようだ」


 魔族は苛立った様子で呟く。その様子にミルトは違和感を感じる。


(以前『静謐の霊廟』近付近の森で会った影を使う魔族とは反応が違うな。もう少し踏み込んだ情報を持っていそうだ⋯⋯)


「おいチカン。話長いねん。はよ掛かって来いや」


「ふむ、まあ良い。別に私には関係の無い話だからな」


 魔族は、上品にハンカチで鼻血を拭き取ってから、話を再開する。


「さて⋯⋯私の特性『置換』は、何かと何かを置き換える事が可能だ。先程の転移術の規模では出来ないが、この掌で覆える程度の大きさであれば、どのようなものでも瞬時に置き換える事が出来るのだよ」


 魔族は尊大な態度で自分の能力について語り出す。


「わざわざ聞かなくとも、推測出来る話だな」

「ほんで話長いて言うてるやん」


 トニトルスが鼻白んだ表情で聞き流す。


「クフフフそして置き換える何かは、物質だけでは無い。⋯⋯さて、この意味が分かるかね?」


「あ? なにごちゃごちゃ言うとん──」


「つまり、愛しい娘達は私の“盾”ともなるのだよ」


 踏み込む寸前でいたパイシーの動きが止まる。


「お前このボケが⋯⋯なんちゅう胸糞悪い術や」


 つまり、目の前の魔族を殴れば、痛みは別の人間へ。折れば無関係な囚われ人が代償を負うという事だ。


「ここがヴァルクリスの王都だった事も残念だったな。見事に我が力の適用範囲内だよ」


 魔族の男がパイシーに距離を詰める。人間を凌駕する魔族の力で鋭い貫手を放つ。


 それを間一髪のところでパイシーは躱したが、一突きでは終わらない。両手を使った五月雨の如き高速の貫手が、パイシーを襲う。


 魔族は武道の心得があるようには見えないが、生まれ持った能力だけで、虚と実を交えながらパイシーを追い詰める。


「上手に避けるじゃないかぁ!」


「とろ臭いんじゃぁ! もっとアゲて来いやぁー!」


 強がってはいても、パイシーは手も足も出せないでいる。関係の無い人間が自分の攻撃で傷付くのはパイシーには許容出来ない事だった。


「ほらほらほぉら、ほらぁ! 沢山血が出てきたぞぉ〜。美しい! 美しいぃ〜!」


「きんもち悪いんじゃ! お前のカスみたいな攻撃なんぞ効いとらんわ!」


「クフフフ、強がったところで「出来た。魔力遮断したから好きにして良い」


 プルフルが空間から溶け込むようにして突如として現れて、パイシーに反撃を促した。


 その言葉を聞いたパイシーは銀髪を払って、ドレスの裾を翻す。瞳は獰猛な光を宿し、肉食獣のような笑みを浮かべた。


 そこから、攻守は完全に入れ替わった。


 相手の動きを観察し、自分の全てを使って責め立てる。それはかつての至らぬ自分が、強者と渡り合う為に編み出し、練り上げた拳法。指から拳、肘、肩、背に至り、膝、脛、踵、爪先まで。それら全てを余す所なく使った連撃が稲妻の如く炸裂する。


 銀髪が舞い、褐色の肢体がしなり、次々と繰り出される連撃が、瞬く間に魔族を床に叩き付けた。


「なん、だ⋯⋯置き換わらん⋯⋯それに貴様、その技は⋯⋯」


 魔族は床に叩き伏せられたまた、驚愕に目を見開いていた。

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