37、イヴ パーティ加入
ミルトの呼吸が落ち着いた事を確認すると、トニトルスは静かに腕を解いた。
ベッドから降りて素早く服を着て、鎧を着込み、幾つかの装備は手を手で持つ。
「⋯⋯もう大丈夫だ。任せる」
短く告げると、女騎士は無駄な言葉を残さず扉へ向かう。まるで胸に残った温もりを断ち切るかのように⋯⋯。
「ま、待って⋯⋯!」
イヴは思わず声を掛けたが、トニトルスは振り返らない。その背はまるで使命だけを背負って歩む者のように、まっすぐで迷いが無い。扉が閉じる音がして、部屋に静寂が戻る。
イヴはシーツを握りしめながら、自分の胸に手を当てた。
──魔力を流す
その仕組みすら理解出来ない。理解出来ないまま、ただ隣で見ていた。苦しむミルトの隣りに居て、自分は何も出来なかった。
不安と悔しさを抱えたまま、彼女はミルトを見下ろす。その顔が、微かに動いた。
「⋯⋯ん⋯⋯」
閉ざされていた瞼が重たげに開かれ、焦点が揺れながらイヴを映す。
「ミルト!」
イヴは思わず身を乗り出して顔を覗き込む。
彼の目がゆっくりと開き、虚ろだった光に、意識の明かりが戻っていく。
イヴは喉の奥に詰まった声をようやく吐き出した。
「よかった⋯⋯うなされていたのよ」
彼女の頬に、安堵の涙がひとしずく零れ落ちた。
◇
幾度も斬り結んだ死者の影が視界の端にちらつき、鉄のぶつかる甲高い音が響く。
気が遠くなる。恐らく5時間はぶっ通しだ。
身体は現実のものでは無いので、疲労は感じないが、心が擦り減っている気がする。暗殺者に特化して訓練以降、死者の攻撃の殆どを躱すことが出来るようになったので、記憶を受け取る機会も激減しているが、流石に5時間の連戦はキツい。
そして気付く。思い出したのだ。今日はイヴが隣に寝ていて、プルフルもパイシーも居ない事に。
──まずいかも知れない 起きられないかも
心に焦りを感じた瞬間に不意を突かれて足に死者が纏わり付く。死ぬまでの記憶を受け取ってしまい、心が軋む。何度か見た記憶だったので多少の耐性はあるが、それでも死ぬ瞬間を見せられるのは辛いのだ。
不意に柔らかく温かな感触が、背中から腕へと流れ込んできた。
「⋯⋯?」
柔らかな温もり。だけど、知らない温もりと香り。
──パイシーとプルフルじゃない?
刃を握る指先が僅かに緩む。死者たちの呻き声が遠ざかり、代わりに心臓の鼓動が耳に響いた。
──でも僕はこの香りを知っている
何かが思い出せそうだ。
この香りには覚えがある。
夢の深淵から呼び戻すように、しかし懐かしい安らぎを孕んだ温もり。それを辿り──
ミルトは目を覚ます。
「⋯⋯ん⋯⋯」
ミルトの唇が、無意識に安堵の吐息を零した。
戦場の幻影が霧散し、重たく閉ざされていた瞼がゆっくりと持ち上がる。
ぼやけた視界に、心配そうに覗き込むイヴの瞳があった。
身体に温もりを感じる。それが彼女であると理解した瞬間、胸の奥で硬く凍り付いていたものが少しだけほどける。
「⋯⋯イヴ、か? 君が?」
掠れた声で名を呼ぶ。なぜイヴがここにいるのだろうか?
自分はまだ夢の残滓に囚われているのかもしれない。だが、その温もりだけは確かに現実のものだと、ミルトの心は告げていた。
(さっきの何だったんだ?)
◇
掠れた声で名を呼ばれたが、イヴは返答に迷った。
──ミルトを目覚めさせたのは自分の力ではない。
魔力を流すなどという行為は理解も出来ず、彼を救ったトニトルスは、どうやらミルトに知られたくない様子で出て行った。
だから、今は口にすべき時ではないと直感した。
少し掠れたミルトの吐息と、愛しい体温。それだけは確かな現実。
イヴは小さく首を振り、微笑を装って囁いた。
「⋯⋯今は何も考えないで。朝まで一緒に眠りましょう」
答えを保留するように、そっと彼の額に手を置く。ミルトの瞳はまだ夢の残滓に濁っていたが、やがてその重さに抗うことなく閉じられていった。
静寂が戻る。
イヴは胸の奥のざわめきを隠すように目を閉じ、彼の横で夜を過ごすことを選んだ。腕だけは絡める。これくらいは自分にも許されたかった。
──そして、淡い光が窓辺から差し込み、夜が溶けていく。
長い夢の戦いの余韻も、眠りの重さも、朝日の中に溶かされていった。
目覚めるとそこに──プルフルが居た。
◇
「説明して」
黒髪の魔女が冷たい眼差しでミルトを見下ろす。
朝の光が差し込み始めた頃、プルフルの部屋の扉が開いた。転移で何処か、おそらく王都の、イモートとルヴィの所に居たのだろう。
そのままミルトの部屋に、彼の様子を伺いに向かい、扉を開け放つ。ノックなどしない。
彼女の視線はすぐに、ベッドの上でまだ眠り、寄り添う二人へと注がれた。
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯なにこれ」
声音は低い。その奥には、冷たい刃のような怒気が潜んでいた。ミルトの部屋に濃密な魔力が充満していく。
「⋯⋯なんだ!?」
ミルトは息を呑み、心臓が跳ねて飛び起きた。命の危機を本能的に悟り、肌着のままで慌てて武器を構える。
「なんだ!? あ⋯プル⋯⋯!?」
「説明して」
ミルトは自分の横にいるイヴを見て、頭をフル回転させる。
「さ、昨夜は俺が酔いつぶれて⋯⋯イヴが俺を運んでくれて、介抱してくれたんだ。それだけだ。⋯⋯連れ込んだとか、そんなんじゃない」
イヴも慌てて言葉を継ごうとしたが、プルフルは片手を上げて制した。
彼女はただ、じっと二人を見据える。
その静けさがかえって恐ろしい。
やがて、薄く目を伏せたプルフルは呟いた。
「そう⋯⋯。朝食の前に身体を流して。昨日お風呂、入ってないでしょ?」
ミルトは昨日の依頼から帰ったままだった事を思い出す。プルフルに向けて頷いた。
「それと⋯⋯確か、イヴ?」
「え⋯⋯」
「話がある。ダイニングに来て」
プルフルは鋭い流し目を残して去って行った。濃密な魔力が霧散して、ミルトとイヴは深い息を吐いた。
「今のが⋯⋯魔力? ⋯⋯凄い!」
「ああ、そうだな。かなり漏れ出してた。⋯⋯おはようイヴ、昨夜はありがとう。体調は大丈夫か?」
「ええ、私は⋯⋯あ、ごめんなさいこんな格好で」
イヴに言われて、ミルトは改めてイヴが下着姿である事に気付く。赤い下着⋯⋯かなり煽情的な色の下着を着ていた。
(さすが、踊り子だけあってメリハリの効いた身体つきを⋯⋯った朝から何を考えてるんだ俺は)
「いや、俺こそ気が利かなくてすまん。先に行くから、ゆっくり着替えてくれ。じゃあ、また後で」
ミルトは慌てて服を持って風呂場へ向かった。
イヴは服を着て、荷物を持ってダイニングへと向かう。そこまで大きな家では無いため、迷うこと無くダイニングに到着した。
6人がけのダイニングテーブルが置いてありコーヒーが3つ置いてあり、プルフルとトニトルスが椅子に座って待っていた。
イヴはコーヒーだけが置いてある椅子に座る。
「おはよう。改めて、トニトルスだ」
「プルフル」
「イヴよ。仕事の時はリーシャと名乗ってるわ。昨晩はありがとう。助かったわ⋯⋯私では、」
「まあ待て、まずは落ち着いてコーヒーでも飲んでくれ」
「え、ええ⋯⋯ありがとう。頂きます」
湯気の立つカップを両手で包み込むと、ふわりと香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。その匂いだけで少しずつ目が覚めていく。
口をつければ、熱すぎない温度とわずかな苦みが舌に広がり、胸の奥まで温かさが流れ込んでいった。
「美味しい⋯⋯」
イヴの感想に、トニトルスが微笑んで応える。
「良かった。さて、単刀直入に訊くが、イヴはどういうつもりでミルトに近付いたのだ?」
「⋯⋯野暮ね。でも答えるわ、好きだからよ。彼が。初恋なの」
「夜の酒場で踊り子をしていた貴女が、初恋?」
「ええ、意外? 今まで生きるのに必死だったし、仕事以外の時間は、舞の腕を磨く為に使っていたもの。誰かに恋してる暇なんて、無かったんだもの」
「そうか、すまないな、それは野暮な事を聞いた」
「ミルトの何処が好き?」
プルフルが話に入ってくる。冷たい、探るような目でイヴを見つめる。トニトルスとは違って全く友好的なものを感じない。
「好きところ⋯⋯そうね、まずは優しいところ。私の心に寄り添ってくれるところ。家族のように心配してくれるところ。あと話し方、冒険者と言えばこうだ、みたいな強がった話し方をしてるところも可愛いと思うわ。なのに私が距離を詰めると直ぐに赤くなって照れるところも好き。あと顔も好き。黒い髪も素敵だし優しそうな眉も、鋭くて大きくて素直そうな瞳も好きだし、鼻筋もツンと通ってて可愛い。育ちの良さそうな顔していて手の形や指先は太過ぎなくて綺麗なのに、手を握ると掌は硬くて、ああ、努力家なんだって分かるギャップも堪らなく好き。話す時にふわふわ動く唇も⋯⋯凄く好き。笑った顔も可愛いの。目元がふにゃって柔らかくなって、とっても可愛い。声だって、出来ればずっと⋯⋯1日中でも聞いていたいし、話を少ない相槌を打ちながらちゃんと聞いてくれるところも好き。そこは本当に素敵だと思う。あと酒場で給仕の女の子に注文する時、丁寧に接してたところも、私にとっては高評価で、」
「待て待て待て、分かった! 少し落ち着け」
イヴの長いミルトへの愛の告白に、トニトルスが待ったをかけた。
「まだ言えるわ?」
「いや、もう充分だ」
「イヴ」
プルフルが口を開く。イヴの話にうんうんと相槌を打ち続けていた。
「分かる。貴女の気持ち」
「ありがとう」
「だけど独り占めは出来ない。させるつもりも無い」
「──っ! 私の気持ちは⋯⋯」
「待って、提案したい」
プルフルが手をイヴに向けて待ったをかけた。
「私もパイシーも、ここに居るトニトルスも、ミルトを大切に思ってる。貴方と同じように」
「やっぱり⋯⋯そう、だったのね」
イヴの目に、警戒の色が出る。
「だけど上手くやってる。誰もミルトを独り占めはしない。それにミルトは忙しい。立場もある。それぞれに出来ることでミルトのサポートをしながら一緒にいる」
トニトルスはいつになく長く話すプルフルを見た。彼女なりにイヴの気持ちを尊重しているようだ。
「貴女はミルトの為に何が出来る?」
「私は、家事とか」
「家事は他に2人、仲間がいて、その子達に頼むから要らない」
「まあ待て、イヴは踊り子だ。私達と違って戦闘職ではない。そこは私から提案したい」
プルフルの容赦無い質問に、トニトルスが再び待ったをかける。
「先程、ミルトの部屋でプルフルの魔力を感じたか?」
「ええ、部屋を覆うような凄い何か、くらいしか分からなかったけれど」
トニトルスは頷いて、プルフルに目線をやる。
「⋯⋯分かった。不本意だけど、本当に不本意だけど、貴女に出来るのは添い寝役」
「え? そ、添い寝?」
「ミルトは私かパイシーと一緒に寝てる。毎晩」
「──っ!? そんな! ⋯⋯え、でも」
ミルトはそこまで女の子に慣れている雰囲気では無い。昨晩もイヴが距離を詰めたら赤くなっていた。
「そんな乱れた雰囲気は、ミルトには、」
「ふっ」
「え、なんなのその反応は」
「私もプルフルも生娘。それが答え」
「なんで!? どうゆうこと⋯⋯?」
毎晩添い寝していて生娘とはどういう事になのか、娼館での男女の知識しか無いイヴには理解が出来なかった。
「本当に添い寝して魔力を流してミルトが悪夢から覚める手伝いをしてるだけだからな。悪夢から覚めてからは朝まで寝るだけだ」
トニトルスがあっさりと説明してくれる。
「貴女と違って私達は経験値が⋯⋯」
プルフルの言葉に今度はイヴが待ったをかける。
「ちょっ、無いわよ私も経験なんて!」
これにはトニトルスとプルフルが怪訝な顔をする。
「酒場の踊り子が?」
「経験が無い?」
「だから、仕事と踊りの練習が忙しくて恋なんてしてる暇は無かったんだってば!」
「別に恋をしなくとも⋯⋯」
「ダメよそんなの。最初はちゃんと好きな人とって、娼館の姉たちにも口すっぱく言われてたんだから」
「娼館で育って何故⋯⋯意味が理解らない」
プルフルが珍しく、理解不能なものを見る目でイヴを見つめる。
「子供の頃から下働きで居たのよ。色んな舞もそこで姉たちに教えてもらったの。姉たちは言ったわ、最初が肝心だって。それを知らないと相手を幸せにする事も出来ないって」
トニトルスは頷いて賞賛する。
「イヴの事を想ってくれる良い姉たちだったのだな」
「ええ、そうだったわ。ありがと。⋯⋯ねえ、そう言えば貴女の、トニトルスの話し方ってミルトに少し似てるわね⋯⋯」
「ああ、だろうな。再構築されたミルトの性格や仕草は、私がベースになっている。そこに私しか居なかったからな」
「え、ベース? 再構築って⋯⋯? 付き合いが長いとかじゃないの?」
「それは無い。私と、私達とミルトは知り合ってからまだ一月も経っていない」
「⋯⋯ますます分からないわ」
「その辺りのことは、時間のある時に話そう」
イヴはトニトルスの言葉に頷いた。
プルフルも一つ頷いて、話を進める。
「とりあえず、魔力の扱いを教える。添い寝役として働いて。後の時間は好きにして」
イヴは小さく目を瞬き、言葉を失った。
「魔力⋯⋯私に⋯⋯」
プルフルは深くため息をつくと、肩の力を抜いた。
「ミルトの為。頑張って」
そう言って、彼女はイヴに向かって手を差し伸べる。
「教える。流し方だけでも、覚えて」
イヴは躊躇いながらも、その手を取った。プルフルは無言のまま、彼女にゆっくりと魔力を流し込む。
黙して成り行きを見守るトニトルス。
「あ、これ⋯⋯これ⋯⋯私、知ってるわ!」
「良かった。知ってるなら早い。貴女の中にあるそれを引き出してみて」
イヴはこの暖かい何かを知っていた。踊りが最高潮に達した時、極稀にだが自分の中で湧き出す何かだ。
「これが⋯⋯魔力だったんだ。 踊ってる時にたまに熱くなる事があって、これは知ってるものだわ」
「差はあれど魔力は誰にでもある。なら踊りの練習で意識して。普段の動きの中なら、魔力操作の上達も早い」
プルフルの説明にトニトルスも頷く。
「確かに、私も剣の鍛錬の際に意識する事で操作が格段に上達しているところだ。共に頑張ろう」
イヴは瞳を潤ませて礼を言う。
「ええ、ありがとう。必ずミルトの役に立ってみせるから!」
女3人は頷き合った。
「パイシーにも説明しないとな」
トニトルスが呟く。
「パイシーは賛成する。ミルトの為になるなら絶対」




