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36、イヴ 魔力を知る

 愛しい人の寝顔を見つめて吐息を漏らす。


 首を回し、ミルトの頬に手を伸ばす。少し汗を掻いているが、日に焼けていても綺麗な肌。睫毛も長く、鼻筋も通っており、改めて美しい青年だ。


 初めて会った時は、市井の酒場には不釣り合いな出で立ちで、1人で食事をしていた事が気になって声を掛けただけだった。


 そこから、踊りが好きなら踊れ、君の踊りが見たい、終われば席に戻って来いと言われ、心のままに踊り、彼の元へ戻ってみれば、死んだ兄と知り合いだと教えられた。


 幼い頃に生き別れた兄──ナキアス。


 生きていたと知った直後に死を伝えられて──今まで目を逸らしていた“天涯孤独”という事実が、改めて襲い掛かって来た。


 泣き崩れた自分は、気付けば目の前の優しい青年に惹かれた。


 娼館で下働きをしていた自分は、普通の色恋とは遠い所にいたから、分かっていなかった。


 成人して、踊り子として生きてからも、中継ぎの給仕などをしていても、声を掛けられる事はあっても応じた事は1度も無い。


 私は踊り子リーシャであり、娼婦ではない。


 それでも色恋など、孤児の自分は生きる事に精一杯で、関係の無いものだと思っていた。


 遅い初恋だった──。


 好きにはなっても、好きになって貰う方法が分からない。娼館の姉たちがしていた行動しか見た事が無かったから──たから、部屋で一緒に寝て欲しいと願い出た。


 彼は真っ赤になって動揺した。それを見て、愛おしさが更に増してしまう。何よりも、自分をそういう目で見てくれていた事が嬉しかった。


(可愛い⋯⋯)


 その時点で、申し訳無いけれど、兄の事は少し薄れていた。目の前彼が愛おしい⋯⋯もっと話したい、触れたい、私にも触れて欲しい。


 だが、その瞬間──身体が命の危機に反応して固まる。


 気を失い、目覚めた時には、恐ろしい3人の美女達が自分を覗き込み、訳も分からないまま初恋の彼を連れて行ってしまった。


 私はそれを呆然と見送った。


 ⋯⋯見送ってしまった。


 ──探さないと


 もしかしたらまた店に顔を出してくれるかも知れない。それに、踊り子の仕事も疎かには出来ない。いい加減な事は出来ないから、酒場の踊り子の仕事は直ぐに辞めた。


 時間の許す限り、必死になって探し続けた。


 彼は冒険者だと言っていたから、冒険者ギルドに尋ねてみたが、受付の人は教えてはくれなかった。


 何か警戒されていたように思う。特定の冒険者の素性を探る事は、してはいけない事なのかも知れない。


 ある日、外で夕食を摂っていると、ガルマックスから来たらしい冒険者が、酔っ払って話している内容が聴こえてきた。どうやら、あの3人の美女たちの話だ。金髪の騎士、黒髪の魔術師、銀髪の格闘士。


 ミルトの事を黒髪の守られているお姫様だと言った。まあ、確かにあの3人と居ると、そう見えるかも知れないな、と、寧ろ納得した。


 あの3人は目立つ。ミルトの事が気になって、その事に頭がいっていなかった。最初からその線で探せば良かったのだ。


(あの3人とミルトはパーティメンバーなんでしょうけど⋯⋯それだけの関係とは思えない)


 とんでもない嫉妬心だった。けれどそんな事は関係無い。


 とにかくもう一度会って⋯⋯ミルトと話したい。

 声が聴きたい。


 ガルマックスにいるのなら会いにいかければ。


 少しぶっきらぼうに話す仕草が、どうしてか噛み合っていなくて、強がって見せているように見えて──とっても可愛いく見える、ミルト。


 所在が分かれば勢いは止まらない。思い切って働いていた酒場の常連客の伝を頼り、王都へ向かうキャラバンに乗せてもらった。ガルマックス領へも寄るだろう。そこでミルトに逢えるかもしれない。


 仮に逢えなくても⋯⋯王都で頑張ろう。


 王都で──酒場ではもう踊らない。私には夢がある。彼と死んだ兄が思い出させてくれた。大きな舞台で喝采を浴びて踊りたい。観客を魅了するような舞を披露したい。


(その為の研鑽は積んできた。ミルトの事は切っ掛け⋯⋯だから、一度しか会ったことのない恋に溺れて、自分を見失っちゃダメよ!)


 けれども逢いたい、顔が見たい。


 自覚する矛盾した想いを胸に、ガルマックス領へ到着した。キャラバンの人達からは離れて、冒険者ギルドを訪ねた。


 支部が違うとルールも変わるらしい。


 4人の容姿を説明すると、受付の人がミルトの事を教えてくれた。たった数日で昇級していく有望株パーティのリーダーらしい。


 ミルトについて教えなかったフェルムの冒険者ギルドは特殊なようだ。それより、私の初恋の人は凄い冒険者だった。格好良くて優しくて可愛いだけじゃなかったらしい。


 ミルトが近くに居る。考えるだけで心臓が跳ねるように鼓動を打つ。


 早く逢いたい。


 ミルトのパーティはすごく強くて、早ければ今日中に帰ってくるらしい。


(⋯⋯きっとあの3人とパーティを組んでるんだ)


 少し憂鬱だ。あの3人はあからさまにミルトに執着していた。⋯⋯私が言える事じゃ無いけど。


 ミルトはここ最近ガルマックス領へ来たばかりだが、既に有名人らしく、冒険者酒場にいた人達に行きつけの酒場も聞き出すことが出来た。


 目立つ新参者に良い感情は持っていないようだけど、そんなのはよくある話。腹の中でムッとしても、上手い具合に誘導すれば何でも話してくれる。


 逢いたい逢いたい逢いたい。


 幾つもの酒場に顔を出し、彼を探す──。


 居た⋯⋯ミルトが居た。


 必死に気持ちを押し込めて、あの時と同じ台詞で話し掛けたりして、出会いを演出してみた。こういうのも大切なのだと娼館の姉たちに教わった。


(ミルトだ⋯⋯ちょっと逞しくなったかも?)


 ミルトの事を訊きたかったのに、聞き上手のミルトが、言葉少なに私の話を聞いてくれるので、ずっと私が話していた。話し過ぎたと気付いた時には、ミルトは、何故か飲み過ぎて酔い潰れていた。


(酔ってふらつく姿もまた、堪らなく可愛い)


 帰還する仲間と合流する為に家に帰ると言うので、送って行くことになった。ガルマックスに皆と住む家が在るらしい。


 ⋯⋯ちょっと複雑。



 だが今、自分の隣であどけない寝顔を晒している。


(可愛い⋯⋯可愛い可愛い可愛い♪ ⋯⋯嗚呼好き)


 蝋燭の火が消え、闇が部屋を包む。外では遠く、人々の笑い声。付近には夜警の足音が響く。


 温かな吐息が重なり、二人の間に穏やかな時が生まれる。


 ミルトの装備は脱がせておいた。別におかしな事をする目的ではなく、汗で張り付いていたからだ。依頼から帰ってそのまま食事に出たらしい。


 汗と土と──血の匂いがした。私の好きになった彼は、冒険者なんだと実感する。


 イヴは目を閉じた。


(そう言えば、キャラバンの人達に外泊するって伝えるの、忘れちゃった。⋯⋯1人部屋だし、朝にでも戻れば良いよね)


 苦労を重ねた日々、失ったもの、今この瞬間の為にそれはあったんじゃないかとさえ、思えてくる。隣にいる彼の存在が、不思議と心を満たしてくれる。


 ──こうして二人は同じベッドで眠りについた。



 気が付けば闇の中、今日も死者達との戦いが始まる。


 ミルトが腰の剣を抜いた


「⋯⋯おい、ミルト」


 夢の中、影の廊下で背後から声が響く。


 振り返ると、骸骨ではなく、生前の姿に近いナキアスが立っていた。だがその表情は険しい。

 ナキアスは一歩、踏み込んでくる。怒りを抑え込むような声音で続けた。


「お前⋯⋯妹に、イヴに手ぇ出しやがったな?」


 ──え!? 手なんて出してないよ?


「誤魔化すな。じゃあなんでイヴが横で寝てる?」


 拳を震わせ、凄んでくる。怒声が響き渡る。


 ──知らない⋯⋯あ、そう言えばちょっと飲み過ぎたかも?


「⋯⋯酒の勢いで!? ⋯⋯ミルト、俺はお前を信じたい。イヴは俺の宝だ。お前が泣かせるような真似をしたら、夢の中からでもぶん殴りに行くからな」


 ナキアスは苛立ち混じりに吐き捨てた。


 ──ぶん殴るって、ナキアスさん、いつも僕の事、殺しに来てるよね?


「あれは俺の意志じゃねぇ。まぁいい、こうなるのは分かってたんだよ」


 ──イヴには何もしてないよ⋯⋯多分だけど介抱して貰ったんだと思うけど


「そういう事じゃねぇ。イヴは諦めが悪いんだ。お前に会ったのも多分⋯⋯ああくそっ、もう来やがった! 構えろミルト!」


 ──イヴがなんなの!?


 死者が溢れ出す。ミルトに寄り添って欲しくて求めて来る。だがミルトは余裕の表情だ。


 対暗殺者の訓練以降、ミルトの実力が底上げされてしまい、難なく死者達をあしらえる程になっていた。


 だが、ミルトは気付いていなかった。


 今日は添い寝してくれる人物がいつもと違う。


 それを思い出したのは、5時間ほど戦った後、そろそろ目覚めたいと、温もりを探った時だった。



 呻き声に目を覚ます。イヴが目を開けると、すぐ横で眠るミルトの顔に気付いた。

 汗に濡れ、眉を深く寄せ、今にも呻き声を上げそうな苦悶の表情で目を閉じていた。


 そして──扉の前に立つ影に気付き、イヴは身を固める。

 ベッドの脇に置いた衣服から細身のナイフを取り出して、相手の動向を探る。


 相手は、ミルトの仲間の金髪の剣士。冒険者ギルドで聞いた、確か名前は──トニトルス。


 外から帰ったばかりなのだろう。背中に背負った巨剣もそのままに、腕を組んで無言でこちらを見据えている。思わずシーツを掴み胸元を覆うイヴ。だが、彼女の眼差しはイヴを咎めるものではなかった。


 じっと、ミルトの苦悶の表情を見下ろしていた。


「⋯⋯気付いているか」

 低く落とされた声が、夜気を切る。


「え⋯⋯?」

「ミルトは夢の中で戦っている。死者達とな。目を閉じている間、延々とだ」


 イヴの喉が鳴る。夢で戦っている。それだけならまだ、悪夢の域だが、トニトルスの眼は厳しく細められていた。起こせば良いだけだではないらしい、とイヴは察した。


「問題は⋯⋯魔力を流してやらないと抜け出せない、自力では起きられない事だ」


「魔力⋯⋯?」

「目覚めるための道標だ」


 トニトルスは窓の外を一瞥し、戻ってイヴを射抜く。


「夢の中で、死者と剣を交え続けるあいつは、一人では戻って来られない。隣に寄り添う女が、肌に触れて魔力を糸のように繋いでやって、初めて目覚める為の道が出来る」


 イヴは言葉を失った。ミルトの荒い息遣い、震える拳、張り詰めた筋肉──その全てが、夢の中での戦いの証。それを止める手段が、自分には無い。


「もし道標が無ければ、あいつはただ戦い続ける事になるだろう。死者の記憶に共感し続け、いずれは⋯⋯狂って戻れなくなる」


 トニトルスの声音は淡々としているのに、底に怒りの熱を含んでいた。


「そんな事、どうして分かるの? そうなった訳でも無い「なったんだ。私の目の前でな。ミルトを正気に戻すのには苦労した。あの時は私とミルトの2人切りで、頼る者も、周りには何も無かった」


 イヴは何も言えない。トニトルスの言葉には真があり、恐らく本当の事なのだと伝わるから。


「私も手探りだった。思い付く限りの"出来る事は全部やった"。⋯⋯肌を合わせたまま魔力を流した事で大人しくなり、ようやく正気には戻ったが、ミルトはその間の記憶を無くし、性格も少し⋯⋯死者達の記憶で塗り替えられてしまった。⋯⋯まあそれについては、悪い事ばかりでは無いが、な」


 トニトルスの、後悔と苦心を思い出しつつも、まるで幸せを噛みしめるような矛盾した表情に、イヴはますます何も言えなくなってしまう。ただ──心には燃えるような嫉妬心が芽生えていた。


「──イヴ、と言ったか。お前が寄り添うなら魔力を流せ。出来るか?」


 イヴは震える自分の指先に視線を落とす。


(魔力? そんなの私には分からない)


 横で眠るミルトの額から、一筋の汗が滴り落ちた。


 イヴはシーツを握りしめたまま、ただ戸惑っていた。


「魔力を⋯⋯流すって? どうやって⋯⋯」


 声は震え、唇は乾いていた。


 トニトルスは答えない。ただ、背に負った巨剣を外し、机に立て掛ける。続けて鎧の留め金を外し、一枚ずつ外套と装甲を丁寧に重ねて床に置いていく。静かな音。だが、その一つ一つがイヴの胸を強く打つ。


「な、なにを⋯⋯」


「言っただろう。道標を作らねばならん」


 低く、しかし揺るぎのない声で応える。


 胸当てが外れ、籠手が外れ、やがて厚布の上衣さえ脱ぎ落とされる。月明かりだけの薄暗い部屋で、その均整の取れた彫刻の如き肉体を晒していた。


 下着姿となった女騎士は、何の羞恥も見せずにベッドに近付く。その凛とした背中に、イヴは息を飲む。


「────っ」


 イヴは何事か言いかけたが、声は最後まで出なかった。彼女の目に映るのは──死地を何度も潜り抜けてきた戦士の頼もしさ。命を救うために、余計な言葉を削ぎ落としてきた人間の所作だ。


 迷いなくイヴの寝ている逆側から布団に潜り、ミルトの横に身を横たえる。硬直するイヴの視線の前で、彼の頭を胸元に抱き寄せる。ごく自然に、まるで戦場で倒れた仲間を抱き上げるように。


「⋯⋯こうして、魔力を流す」


 瞳を閉じたトニトルスの全身から、淡い気配が広がった。呼吸を合わせるように、静かに、穏やかに。彼女の胸から、細い光の糸が滲み出るようにミルトへと注がれてゆく。


 ミルトの苦悶に歪んでいた表情が、わずかに和らいだ。シーツを握る拳の震えが止まり、肩の力が抜けていく。イヴは息を呑み、手を胸に当てた。


(これが、魔力を流すという行為? こんなにも──慈愛に満ちた──)


 トニトルスは薄く目を開け、イヴを見据える。


「⋯⋯ミルトの傍に居たいなら、お前も出来るようにならなければならない」


 その声は厳しく、しかしどこか優しくもあった。


 もはや嫉妬心など欠片もない。自分の無力を自覚して、イヴはただ頷くしかなかった。

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