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35、踊り子イヴ再び

「お待たせしました〜! 本日の《肉盛りの大皿》と《琥珀麦酒》でございます。あ、そちらのお連れ様のご注文はお決まりでしょうか?」


 給仕の少女が木製の大皿と泡立つ陶器ジョッキを置いたので、イヴは問いかけを中断し、絡めていた指をそっと解いた。ミルトは、その一瞬に小さく安堵する。


「じゃあ《森の実と青野菜の盛り合わせ》と、ガルマックス名産《紫葡萄酒〈GMパープル〉》をグラスでお願いするわ」


(⋯⋯我ながら女には慣れないな。毎晩のようにプルフルやパイシーと添い寝しているくせに⋯⋯あれは経験に数えるべきじゃないのか?)


「どうしたの、顔が赤いわよ?」


「いや、何でもない。ただ⋯⋯俺もまた会えて嬉しい。てっきりフェルムに腰を落ち着けていて、酒場で踊り子を続けているのかと思ったが」


「フェルムに居たのは人が多いからよ。酒場の踊り子は、あの後すぐに辞めたの。今は王都を目指しているのよ」


 ミルトの中に、ナキアスの記憶がざわめいた。心配する兄の気配が、血に混じるように流れ込んでくる。


「そうだったのか⋯⋯。またあの踊りを見られるかと思っていたんだが。どうして王都へ?」


 本音だった。イヴの舞は情熱と哀切を秘め、観る者を縛りつける不思議な力を帯びていた。


「ふふっ、ありがとう。そう言ってくれるのは嬉しいわ。でもあの夜に思ったの、大きな舞台で踊ってみたいって。──ミルトのおかげよ。だから常連の商人に頼んで、キャラバンの伝手を辿り、王都行きの一行に加えてもらったの。ガルマックスは休憩で宿泊してるだけ」


(あれを、大舞台で⋯⋯?)


 ミルトとナキアスの心はぴたりと重なった。


「ねぇもしかして今、“あんなエッチな衣装で舞を大舞台で踊る場所なんてあるのか?”って思った?」


 図星を突かれ、ミルトは思わず視線を逸らす。イヴは楽しげに笑みを浮かべ、からかうように囁いた。


「⋯⋯ねえ、また、観たい?」


「あ、ああ。王都に行ったら必ず見に行く。呼んでくれ」


「ふふっ、嬉しいわ。でも残念。あの舞は酒場の夜にこそ映える踊りなの。王都では、もっと洗練された“舞踊”で挑むつもり」


「そう、か。驚いた。どこでそんな技を?」


 ちょうどその時、木の実と野菜の盛り合わせ、そして《紫葡萄酒》が運ばれてきた。グラスに満たされた液体は淡い紫に煌めく。


「これ、テーブルワインだけど飲みやすくて美味しいのよ。さ、いただきましょう」


 イヴは嬉しげに杯を口に運び、甘やかな香りを楽しみながら喉を潤す。ミルトも琥珀麦酒を流し込み、肉を切り分ける。


(この宿場町の料理は、どれも旨いな)


「ガルマックス領も、まだまだ辺境よね。地理的にフェルムよりはマシって話も聞くけど⋯⋯どちらも魔物の肉が食卓に並ぶ土地柄だわ」


「確かにな。依頼も危険な討伐ばかりだった」


「そうなのね? ⋯⋯無茶はしないでね? “生きて帰ることが最も大切”だって、冒険者達は口を揃えて言うわよ」


 ミルトは討伐の記憶を呼び起こし、頷いた。


「大丈夫だ。相性を見て仲間に任せている」


「そう⋯⋯あの美しくて恐ろしい彼女達ね。そう言えば今日は一緒じゃないの?」


「ああ、それぞれ別の依頼に出ている。俺は早く終わった。1人で食事していたところだ」


「じゃあ、この出会いは、本当に運命的ね。──あ、そうだった。質問に答えていなかったわね。私が色んな舞を踊れる理由。⋯⋯兄から、私が踊るのが好きだって聞いているんでしょう?」


「ああ。俺の頭の中でな」


 ミルトはフォークを握ったまま、自分のこめかみを指差した。


「不思議⋯⋯そこに兄がいるなんて」


「厳密には、ナキアスの記憶が焼き付いているようなものだ。恐らく“彼ならこう言う”という声が、俺に響いているだけだろう」


「⋯⋯そう。じゃあミルトにとって私は“妹”みたいな存在?」


「⋯⋯そういう感覚はあるかもな」


「ふふ、そうなのね。──ごめんなさい、話が逸れたわ。私が舞を学んだのは、幼い頃に《大娼館》で下働きをしていたからなの」


 娼館での下働き──その言葉に、ナキアスの記憶がざわめき、騒がしく抗議する。


 《大娼館》とは、あらゆる人種を揃えた各国の要人を招く様な娼館の俗称である。


「幼い頃に兄と生き別れて⋯⋯生きるために、商業ギルドに登録して住み込みで雇ってもらえる先を探したの。仕事を選べる立場じゃなかったのよ。ただ、私は子供だったから客を取ることはなく、雑務ばかり。でも──そこの娼館の姉たちから、色んな舞や作法を教えてもらったの」


 イヴの指先がグラスの縁をなぞり、紫葡萄酒の表面に淡い揺らめきを作った。


「⋯⋯下働きの頃は、本当に大変だったのよ。掃除や洗濯なんて序の口。夜になれば客の残した皿や杯を洗って⋯⋯裏方だから酔っ払いに絡まれる機会は少なかったけれど、愛想笑いなんて知らない歳だったもの。ただ守られていただけの子供だったから、たまたま会った客に“何かしろ”なんて言われても、何も出来なかったわ」


 イヴは小さく息を吐いた。色褪せた記憶を一枚ずつ剥がすように、言葉を紡ぐ。


「でもね、娼館の姉たちは気まぐれに、私に色んな事を教えてくれたわ。⋯⋯あの人達も辛かったのよね。だからこそ、幼い私を憐れんだのかも知れない。“踊るのが好きなら私の国の舞を教えてあげるわ”とか“仕草一つで周りの態度が変わるのよ”とかね。彼女たちの舞や作法を、見せてもらって覚えたの」


 ミルトは黙って耳を傾けていた。肉の皿に手を伸ばしながらも、心は彼女の声に引き込まれている。ナキアスの感情が胸の奥で渦巻き、妹を思う強い保護欲が、熱を持って渦巻いていた。


(⋯⋯ナキアス。お前の想い、よく分かる)


 ミルトは杯を煽る。


「でも、覚えるのは容易じゃなかったわ。重心の取り方、腕の角度、腰の捻り、視線の置き方⋯⋯爪の先まで、どれも些細なことに見えて、ほんの少しでも狂えば色が消えてしまうの。娼館の女たちは笑いながら“もっと腰を振れ”“指先を意識しろ”なんて言って叱られたわ。好きじゃなきゃ続けられなかったわね」


 イヴは笑いながらも、その笑みの奥に翳りが差す。


「夜中に何度も1人で練習したわ。他にも、背筋を伸ばすために頭に本を載せたり、身体を柔らかくするために筋を伸ばしたり。舞って、ただの華やかさじゃないのよ。時に修行のような苦しみも必要なの」


 ミルトは杯を傾け、麦酒を喉に流し込む。ナキアスの心情を受け取った体を、さらに燃え上がらせる。


(イヴ⋯⋯可愛い俺のイヴが、そんな苦労を⋯⋯!)


 ナキアスの声が胸に響いた。悔恨と憤怒、妹をそんな場に追いやった己の不在を呪う思い。ミルトの心と重なり合い、彼は知らぬ間に杯を重ねていく。


「ねえ、聞いてる?」


「ああ」


 気付けば三杯目の麦酒が空いていた。更に追加を注文し、口に運ぶ。


「でもね、嫌でやってた訳じゃないの。舞うとね、胸の中に燻っていた悲しみや寂しさが、少しだけ和らいでいくの。家族との思い出や、あの頃に語った夢を追い掛ける事で、家族との絆を強く意識する事が出来た気もしたの」


 イヴはそう言って微笑む。その笑顔は決して強がりではなく、踊りへの純粋な愛情に支えられたものだった。


「だから王都に行ったら、本当の舞で夢を掴み取りたい。酒場で酔客を相手して生活費を稼ぐんじゃなくて、自分の心を燃やし尽くすための舞を──」


 ミルトは胸を締め付けられた。ナキアスの感情が洪水のように押し寄せる。


(おい、ナキアスやめろ。俺まで⋯⋯!)


 だが抗えない。目の前の少女がどれだけの苦労を乗り越え、それでも舞を愛しているのか。その事実が、心を揺さぶる。


「ミルトにも会えたし、ね?」


 ミルトは杯をまた傾ける。喉を焼く熱が、涙のように胸を満たす。


「⋯⋯ミルト?」


 イヴが覗き込む頃には、ミルトの頬は紅潮し、視線は霞んでいた。


「すまん⋯⋯少し、飲み過ぎた⋯⋯」


 椅子から崩れ落ちそうになる身体を、イヴが慌てて支える。


「ちょっと、大丈夫? あ、お水ください!」


 通りがかった店員に、イヴが頼んだ水を一気に喉に流し込む。


「⋯⋯問題ない⋯⋯宿に、戻れば⋯⋯」


 言葉は途切れがちだし、足取りも怪しい。イヴは呆れ顔で肩を貸し、2人でよろめきながら酒場を出た。



 夜風が頬を撫でる。街灯代わりの松明が石畳に揺れる影を落とす。


「ミルト、もしかして飲み慣れてなかった?」


「⋯⋯今日は⋯⋯少し⋯⋯特別だっ⋯⋯」


 ミルトは途切れ途切れに呟いた。イヴはその言葉の意味を測りかねながらも、彼の肩を抱きしめる。


 ようやく辿り着いたのは、領都の南区画にある一軒家。ミルト一行のガルマックス領での拠点だ。


 「右⋯⋯上着の、ポケットの⋯⋯鍵⋯⋯」


 扉の前に立つも、鍵を開けるのもままならないミルトの代わりに、イヴが鍵を取り出して戸を開けた。


「直ぐ右の⋯⋯部屋に⋯⋯」


 ドアを開け、薄暗い部屋に入る。


 質素な木のベッドと机、装備を掛けるための鉄製のフック。冒険者の拠点らしい簡素な部屋。


「ほら、横になって」


 イヴはミルトをベッドに横たえた。


 ベッド脇の蝋燭に火を灯し、楽にしてやる為に、ミルトの装備を外してやる。


 ミルトは半ば無意識のまま、イヴの手を握り締めた。


「イヴ⋯⋯。ナキアスが⋯⋯泣いている⋯⋯。君が苦労した分、ナキアスが⋯⋯俺まで⋯泣きそうだ⋯⋯」


 涙をにじませる瞳は、酔いと共に赤く潤んでいる。イヴはその姿に胸を打たれ、静かに首を振った。


「泣かなくていいの。私は大丈夫よ。こうして生きて⋯⋯好きな事して生きてるんだから」


 そう囁きながら、彼女はベッドの端に腰を下ろした。ミルトの握力は思いのほか強く、放そうとしない。


「⋯⋯行くな⋯⋯」


「え?」


「君が⋯⋯イヴが、幸せじゃ⋯なきゃ⋯⋯イヤなんだ。頼む⋯⋯このまま⋯⋯」


 言葉は途切れ、呼吸は規則的に変わっていく。酔いに潰れ、眠りに落ちたのだ。


 イヴはその寝顔を見つめ、困ったように笑った。


「⋯⋯仕方ない人」


 手を解かずに、そのままベッドの片隅に身を横たえる。毛布を半分引き寄せ、1人用のベッドの上で、肩を寄せ合うようにして──。


 ──ミルト、ようやく逢えた


(貴方と居れば私は幸せよ。だって⋯⋯ずっと)




 ──あれからずっと探してたんだから



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