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34、森の妖精と聖騎士

 黄みがかった眼孔がぎらつき、湿った土を踏み砕く音が森に響く。全長6m、頭のてっぺんから硬質化しており、繋がるように背中の甲羅まで5mはあるだろう。甲竜は超重量級の四足歩行の魔物だ。


 冒険者ギルドが定めた危険度は、成体でB級、幼体ならばC級だ。B級からは、ソロで立ち向かう魔物ではない。


 艷やかな東方由来の衣装を纏った少女が、高木の天辺に立ち、遠目に討伐対象を探している。


 彼女、パイシー・アッツ・ミーケロルムは、甲竜の姿を視認して無造作に拳を握る。


「お~相変わらず良いフォルムしとるなぁ、甲竜ちゃん♪ ウチが現役の頃と殆ど変わってないやん」


 が、歓喜の声を上げる。しかし直ぐに真剣な顔付きに変わり、唸るように呟く。


「⋯⋯ほんなら、とりあえず生身で遊んだろか」


 高木から勢い良く甲竜に向けて跳ぶ。


 彼女は魔力を練らず、骨も筋も強化しないまま地面に降り立つ。身体中の筋肉と関節をクッションにして使い、衝撃を殺す。ここから自らの研鑽で磨き上げた技と、愛する者から貰った肉体だけを頼りに、竜の名を冠する魔物と正面からやり合うつもりだ。


 パイシーが甲竜に向けて殺気を放つ。


 甲竜が命の危機を察知して振り向き、咆哮とともに突進する。地面が裂け、風圧が木々をなぎ倒す。


 その災害の如き異様に、パイシーは一歩も退かず正面から地を割る勢いで踏み込んだ。


 拳と甲竜の頭部がぶつかり、凄絶な音が森を裂いた。パイシーの骨が軋み、拳の皮が裂け、血が飛び散る。だが甲竜の前進を止める事には成功する。


「いった! カッチカチやな! ハハッ!」


 瞬時に拳を回復し、再び両拳を突き出して打ち続ける。


 血に濡れた拳を突き出し、振り下ろし、甲竜の甲羅にひびを刻む。尾が振り払われ、周囲の巨木の幹は抉り飛ばされたが、彼女は地面に足を縫い付けて耐えた。呼吸を整え、踏み込み、渾身の打撃を繰り返す。


 何十度目かの拳が甲竜に打ち込まれた瞬間──弾けるような、割れる音と共に亀裂が走り、甲竜の甲羅が砕け散り、パイシーは胴体に掌底を叩き込んで内臓を破壊した。


 ──柔掌拳


 パイシーがまだ圧倒的強者ではなかった頃に編み出した、自分よりも大きな敵を倒す為の拳法。


 竜は断末魔の悲鳴を上げ、身体中の穴という穴から血を噴きながら崩れ落ちた。パイシーは裂けた拳を見下ろし、乾いた笑みを零す。


「生身ならこんなもんやな。なかなか楽しめたで」


 パイシーは理解している。


 ──自分は現世において強過ぎる


 ダンジョンでは人外のままでトニトルスに敗れたが、それでも尚、現世において自分と並ぶ実力者など、今のところ仲間以外に居ない。


 ──だが、まだ脅威はあるはずなのだ


 彼女はそれを、肌で感じる。更なる高みに至らねばならない。魔力無しで甲竜に挑む事で、自分の実力と拮抗した相手に慣れておく必要がある。痛みにも。


 ──愛する彼の力になる為に


 その時パイシーの耳に、森の奥から──絶え間なく続く地響きが聴こえてきた。


 暫く様子を見ていると、悲鳴が響き渡る。


「誰か──誰か──⋯⋯助け──ッ!」


 血にまみれた鎧姿の男が飛び出してきた。装備から熟練の冒険者だと一目で分かる。だが、その背後には5体の甲竜が群れを成し、木々を薙ぎ倒しながら迫って来ている。


 牙を剥き、甲羅を軋ませながら、怒りに目を濁らせて走る巨体が5つ。


 甲竜はB級。だが3体以上の群れが相手ではランクが変わる。文句無しのA級。甲竜は守りに特化した魔物だが、それは1体の場合のみ。


 群れた時は仲間を守る為に攻撃的になるのだ。それは個人の技量でどうにかなる数ではない。


 パイシーは、歓喜に打ち震えた。自然と口角が上がり、眼は爛々と輝きを増していく。魔力が漏れ出して銀色の髪が逆巻いて揺れる。


 ここは手加減する場面ではないと判断した。


 男の絶望に満ちた眼が、パイシーの姿を捉え──男は言葉を失った。目の前に突如として現れた、まるで妖精の様な少女。


 その余りに壮絶な美貌に、森に生きる妖精が最期の瞬間に、満面の笑みで自分を迎えに来てくれたのかと──。


 瞬間──彼女は姿を消した。


 自分の錯覚だったのかと、死に瀕していることも忘れて、男は気を落とす。仲間を残し、甲竜を誘導した先で森の妖精に出会い、現れた理由は理解らないが、恐らく自分はここで果てるのだろう。


 最後に森の妖精に会えたと思おう。未知に出会う──これは冒険者冥利に尽きるというものだ。これから死ぬとしても。


 男の背後で大量の生肉が弾け飛ぶ音がした。いや、そんな音を聴いたことは無いのだが、生まれて初めて聴く音に、そうとしか言い表せない。


 巨木が夥しく根を張る森の大地。その地を砕くほどの踏み込み。5体の巨影のただ中へ飛び込み、パイシーの拳が閃光のように炸裂する。


 一撃。甲竜の顎が砕け、巨体が後方に吹き飛ぶ。

 流れる様な動きで右へ跳び、大きく踏み込む。


 二撃。全身で右の肘打ち。甲羅ごと頸椎が砕ける。

 左へ大きく跳び、一歩、二歩、三歩目で跳ぶ。


 三撃。体ごとぶつかる様な横蹴り。三体目が横転。

 転がって行く甲竜を追い掛けて飛び上がり、のたうつ甲竜の腹に直滑降で蹴り下ろし、腹を砕き爆散させる。


 ここまで5秒弱。


 残る2体が激昂し、パイシーに向けて同時に尾を振り下ろす──


 パイシーは両腕を交差し、巨大な鞭のようなそれを正面から受け止めた。


 端から見れば超重量、必殺の一撃。だが彼女は立っている。


 魔力で身体を強化しても、この質量差だ。骨が軋んだ。彼女は受け止めた1体の尾を掴んで引っ張り、捻って引き千切った。激痛に咆哮する甲竜の首元へ回り込み、容赦のない拳を正面から甲竜の顔面に──頭が弾け飛ぶ。


 パイシーの頭上に影が差す。突然、太陽の光が遮られた。上を向くと甲竜の甲羅が、硬い面を下にして落ちてくる所だった。


 甲竜が使う捨て身の甲羅プレス。硬い甲羅と自重を利用した恐るべき必殺の重撃。


 パイシーは微笑み、そしてしゃがみ込む。地面を蹴るように飛び上がり、甲羅に接触する直前で右足を上に振り上げた。左足は下、右足を上に一直線のまま、甲羅を垂直に蹴り割った。


 空中で甲羅が爆発四散し、散らばった中身が森に降り注ぐ。


 着地したパイシーは耳を澄ませる。もうおかわりは無いらしい。フッと肩の力を抜いて、その場でクルリと回ると、東方由来のドレスがフワリと美しく拡がる。パイシーの身体から甲竜の返り血が放射状に辺りに飛び散る。


「あ〜嫌なこと思い出したわ⋯⋯野生の甲竜に呪いなんか無いやろうけど、血ぃ浴びんと戦う練習はしとかんとあかんなぁ」


 パイシーは反省点を口にする。一息ついてから、助けた男に近付いた。


「大丈夫か? なんでこんなとこに一人でおったんや?」


「あ⋯あ⋯⋯も、森の妖精が⋯しゃ、喋った」


「⋯⋯なに言うてんの?」


 その後、パイシーは男のパーティを一緒に探してやり、傷付いた彼らと共に依頼を出した町の町長の家にやっかいになる事になった。


 助けた男のパーティは、甲竜が危険な動きをしないか監視する為に町が雇った冒険者だった。森で怪我をした彼ら放っていくわけにも行かず、結局パイシーは「森の妖精様! 森の妖精様!」と崇める男の仲間と一緒に帰還する事になる。


 ガルマックス領の冒険者ギルドに帰還したのは翌日の朝だった。



 竜蝿(ドラゴンフライ)


 体調30cm程の大きな──蝿だ。


 顔に当たる部分が竜種に似ている事からドラゴンの名を冠するが、竜種では無い。群れで行動し家畜を襲う魔物として有名だ。


 トニトルスが軽く殺気を向けると、喰らい尽くされた牧場にほど近い、丘の上の空を埋め尽くす程の竜蝿(ドラゴンフライ)の群れが、黒雲のように押し寄せてきた。無数の翅音が大気を震わせ、鋭い顎が獲物を求めてカチカチと鳴り響く。


 トニトルスは一歩踏み込み、巨剣を掲げた。瞬間、彼女の周囲に紫電が奔る。


「殲滅する」


 『饗導』──雷咆発動 響震波


 大気を震わす破裂音が雷鳴が広範囲に響き渡る。轟音と共に放たれたのは、電撃ではない。大気そのものを震わせる衝撃波──振動の奔流だった。


 目に見えぬ音の波動が、周囲一帯に広がる。


 次の瞬間、空を飛ぶ竜蝿(ドラゴンフライ)が一斉に翅を痙攣させた。微細な振動が彼らの薄い羽根を破壊し、体内の器官を震わせ、飛翔を不可能にする。


 バラバラと音を立て、数百もの竜蝿(ドラゴンフライ)が空から雨のように落下した。地に叩きつけられたその群れは、もはや二度と動くことはない。


 ──静寂


 巨剣を振った残心の姿勢を崩さないトニトルスの身体からは小さな破裂音が鳴っており、雷の残滓が紫の残光となって漂っていた。


「かなり使いこなせるようになってきた」


 トニトルスは現世に蘇ってから、プルフルにアドバイスを受けている。


 「『雷砲』は最弱の魔法、風の上位互換。『饗導』が既にそれ。微調整で戦闘の幅が拡がる。⋯⋯はず」


 といったアドバイスを受け、自分なりに色々と試していた。暗部とやり合った日に習得した、高速移動する為の摩擦軽減も、そうしたイメージトレーニングの賜物だ。


 込める魔力量の調整に始まり、指向性を持たせたり、細く撃つ、太く撃つ、広範囲に、そして発動する時間を長くする。様々な試みにより、戦いの手札を多く持つに至っている。


「しかし今回は相性が良かった。お陰で直ぐに帰れそうだ」


 トニトルスは独り言ちてから巨剣を背中に戻し、後ろを振り返った。そこには牧場主とその家族、依頼元になった町長が居た。皆、一様に口を開けて呆然とした顔で、竜蝿(ドラゴンフライ)の死骸で埋め尽くされた真っ黒な丘を見つめている。


「見ての通りだ。町長、この依頼書にサインを貰おうか」


 トニトルスは早々に帰ろうと、懐からギルドから発行されている依頼書を取り出して前に出す。


 初対面では、白髪を後ろに流してキッチリと固めていた町長だが、今は見る影もなくボサボサの頭で、呆けた顔でトニトルスを見ている。


「聞いているか? 終わったからサインをくれ」


 トニトルスの再度の呼び掛けに、ハッと正気を取り戻した町長は「は、はい今直ぐ」と返し、依頼書を受け取ってサインする。


「うむ、ではな。ああ、ドラゴンフライの死骸は数えていないが、横流しなどしてしまうと直ぐに足が付く。余計な事は考えない方が良いぞ。そこの被害者の牧場の補填に使われるよう契約しているからな」


 町長は少しビクッと肩を揺らしたが、直ぐにトニトルスに頭を下げた。


「も、勿論ですとも。わが町の町民を気に掛けて頂き、誠にありがとうございます」


「あ、ありがとうございます。トニトルス様」


 被害にあった牧場を営む一家の娘は、ポーッとした表情でトニトルスを見つめている。


「ありがとうございます⋯⋯聖騎士様」


「私はただの冒険者で、依頼を片付けただけだ。そのような大層な者ではない。3日以内にはギルドの者が回収に来るだろうから、それまでは我慢してくれ。ではな、今度こそ行くよ」


「「「ありがとうございました」」」


 最後は一家総出で頭を下げて見送ってくれる。


(さて、帰りも『震翼』で帰るか。スキルを身体を慣らしておきたいからな。これも訓練だ)


 ガルマックス領都からこの町までは馬車で2日の距離。トニトルスはここまで高速移動スキル『震翼』で走ってきたのだ。


 町を出て暫く街道を歩き、人の目が無くなったのを確認してから『震翼』を発動する。


 ──トニトルスは風になった。


(今からなら、深夜には帰宅出来そうだな)



 ミルトがガルマックス領都の拠点に帰還したのは夕方だった。トニトルスとパイシーはまだ帰っていないようだ。プルフルも出掛けているのか、家には居なかった。


 開拓村はそこまで遠い場所では無いのだが、助けた女性達に、お礼がしたいと引き止められて時間を食ってしまった。


「必ずまた寄るから」と約束して、開拓村から馬を走らせて帰ってきたのだ。


 夕食にするか、と外に出る。繁華街で行きつけになっている酒場に入り、給仕の女の子に今日のお薦めと麦酒を注文して、カウンター席に座る。


 料理を待つ間、ミルトが何となく上に貼られているメニューを読んでいると、隣の席に誰かが腰を下ろした気配がした。


 割と流行りの酒場だが、カウンター席の隣に座る程の混み具合だったかと、ミルトが考えた瞬間、覚えのある香水の香りが鼻腔をくすぐった。


「今晩は、お兄さん」


 横を見れば、ダンジョン『静謐の霊廟』において『共感』で繋がった死者ナキアスの妹、フェルムの酒場で出会った踊り子のイヴが、薄く微笑みながらミルトを見つめている。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯イヴ?」


 頭の中ではナキアスが歓喜の声を上げている。


 彼女は悪戯が成功した子供のように無邪気に微笑み、ミルトの腕に左手を絡める。


「酷い人ね、ミルト。あれから1度も酒場に来てくれなかったじゃない。待ってたのよ?」


 イヴが少し唇を尖らせて、甘えるように抗議してくる。恐ろしく可愛い。今日はオフの日なのか、化粧も薄く、それが逆に──。


(なんだ逆にって、なんの逆だ⋯⋯)


 イヴの事は、ずっと気にはなっていた。だが今はフェルム領に戻る訳にも行かない。


「なんとか言えー、女たらしー!」


 とても近い距離でからかうように言ってくる。


「た、たらし? その⋯⋯仕事が忙しくてな。会いに行きたいと思ってたんだが、時間が無くて⋯⋯」


 依頼をこなし続けていたから、決して嘘ではない。


「ふふ、焦っちゃって、相変わらずねミルト。ちなみに今のは冗談よ、旅に出るって言ってたから、もう会えないって思ってたもの」


(そう言えばそう話してたな。初めて買い物した日で荷物が多くて⋯⋯いやちょっと待て! なぜイヴがガルマックス領に居るんだ?)


「また会えて良かった。⋯⋯逢いたかったんだから」


「⋯⋯ああ。いやそれよりも、イヴはフェルムに居ただろ。どうしてガルマックスに居るんだ?」


「どうしてだと思う?」


 ミルトの腕に手を絡めたまま、そこから更に顔を近付け、表情を見逃さないようにと見つめる。イヴの醸し出す柔らかな感触と煽情的な香りと雰囲気が更に濃くなるのをミルトは感じていた。


「ど、どうして⋯⋯だろう」


 イヴが潤んだ瞳で見つめてくる。まだ酒も飲んでいないのにミルトは頭が働いていなかった。

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