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31、ルヴィの一人語り

 シルヴィリーネリア・コヴェイン──それがわたくしの名です。


 生まれ持った名ではありません。


 生まれた時には名すらありませんでした。


 もちろん家名など⋯⋯有ろう筈も無く。


 王都の片隅にある古びた孤児院。その薄暗い一室で、わたくしは名も無き子として、四歳までを過ごしました。親の顔も血筋も知らず、ただそこに生きているだけの存在です。


 ですが幼いながらも、わたくしの姿は人の目を引きました。透き通るような肌や淡い緋色の髪、翡翠の瞳──そんな、どこか高貴な血を思わせる容貌が、わたくしと他の孤児達とを隔てていたのです。


 貴族社会に於いては珍しくもない容姿の筈ですが。


 ある日、わたくしの話を聞きつけ、孤児院を訪れたコヴェイン伯爵夫人がわたくしを見て微笑まれました。


「この子の目と髪⋯⋯ええ、承りましたわ」


 それが運命の分かれ目でした。わたくしは伯爵家の三女として籍を与えられ、名と家を得ました。


 けれど、それは慈善ではありません。コヴェイン家は代々、王家に仕える『影』の一族でした。上の二人の姉に素質が無かった事から、わたくしは血筋を持たぬ娘でありながら、影としての素質を見抜かれ、養女となったのです。


 以後の人生は、常に刃の上を歩むようなものでした。


 令嬢として社交界に出るための礼儀作法や舞踏、言葉遣いを学ぶ一方、裏では暗器の扱い、毒草の調合、そして身を潜める術を叩き込まれました。


 嘘を見抜く訓練だけは、同じ講師でしたわね。

 内容は雲泥の差でしたが、毒耐性訓練の薬師も。


 華やかな装いの、その陰に潜ませた鋼の心と王家への無私の忠誠心。それが、コヴェインの三女に課された使命でした。幼い頃より武器と格闘と毒の扱いを学び、笑顔の裏に殺意と、それを潜める術を叩き込まれたのです。


 王家を護る暗部である『王の影』として──。


 14の年、王都の貴族学園へ入学しました。表向きは教養を修めるための淑女として、実際には同学年の、第一王子殿下の護衛任務のため。わたくしは文官候補の顔をして、殿下の傍らに控えました。


 わたくしは王の影であり、王の為に存在しています。王族全ての為の機関ではありませんから、殿下はわたくしの任務を知りません。


 殿下には婚約者がおられました。


 侯爵家の御令嬢──けれど、その方には別に心を寄せる幼馴染がいた。国の決めた婚約という名の鎖に縛られながら、彼女は殿下を愛してはいなかった。


 その事実を知った殿下は、学園の庭で静かに膝を折り、深く顔を伏せられました。自分が出会った頃には、既に恋仲だったと耳にしたそうです。


 あの時、胸の奥で何か疼く様な音を聞いた事を覚えております。


 護衛は任務であり、心を交えるべきではない。けれど、失意にある殿下の背中を見た瞬間、理屈よりも先に手を伸ばしていました。


 将来の任務の為にと褥の知識はあれど、色恋知らぬ身で在りながら、何の根拠もなく「大丈夫ですわ」と囁き、ただ背中に手を回し、傍らに在り続けました。


 それが、未来の主と側近という、境界を曖昧にしてしまったのです。


 ──あの夜も、そう。


 殿下は酔ってなどいらっしゃいませんでした。ただ仮面を被る事に、疲れ切っていらっしゃった。人払いされた学園寮の一室、誰もいない静かな部屋。殿下は深く溜息をつき、わたくしの手を取られました。


「側近のお前だけが信じられるのだ。令嬢の中でも、お前以外は信じられない」


 その言葉に、縋るような殿下のお顔に、胸の奥が痛むほど熱くなったのを覚えています。だから──


 影の護衛であり、側近である自分が、王太子殿下を抱きしめてしまった──


 その愚かさを理解しながらも、止められませんでした。孤独に耐える彼の震えを感じ、初めて触れた唇に、涙がこぼれたのは自分でも──


 初めての感情に翻弄されてしまったのです。


 互いに求め合うように抱き合った夜。影であるはずの身で、己の心まで差し出してしまった瞬間。


 もちろん第一王子であり、王太子でもある殿下の護衛は、わたくし一人ではありません。騎士科の剣士が表立って剣を捧げ、御身を守る。わたくしは情報と、裏の影として殿下に仕えていました。


 わたくしが常に傍にいることで、女子学生たちからの囁きは絶えませんでした。


 「距離が近すぎる」だの「身の程知らず」だの、陰口も嫌味も日常の一部となりました。けれど、殿下の婚約者は何もおっしゃらなかった。取り巻きを使ってわたくしに釘を差すことも有りませんでした。


 その瞳には、わたくしがどうでもいい存在である、という冷ややかな光があった。


 ──いいえ、きっと都合が良かったのでしょう。


 王太子妃の座を降りる口実を得られるのなら、彼女は幼馴染との恋を選べるのですから。


 三年間の学園生活は、常に緊張の糸が張り詰めていました。暗殺者の影を探り、情報を押さえ、日中は殿下の孤独な心を守り抜く。ただ護るために動いた日々の中で、わたくしは確かに幸せでもあったのです。


 殿下に信頼され、名前を呼ばれるたび、影である自分が、少しだけ光を浴びるような錯覚を覚えた。


 ──卒業の日。


 その光がこれ以上は許されぬものだと悟ったのです。卒業パーティーには出ないまま、あの日わたくしは王の影本部に、任務の交代を願い出ました。


「わたくしの任務は終わりました。この先、王宮に上がり殿下を護るのは、別の者が相応しいでしょう」


 述べた理由はそれだけ──。


 本当は、これ以上お傍にいれば、自分の心が壊れてしまうと知っていたから。


 そして卒業から一月後──


 わたくしの中に宿った命に気付いた時、胸の奥で何かが静かに解けてゆくのを感じました。


 不安や恐怖などありませんでした。


 ただ、愛した方の証を抱いているという事実に、涙が止まらなかった。影に生きる身が、表の世界に逃げる日が来るとは思いもしなかったけれど──


 わたくしは決めました。この命を、どんな手を使ってでも守り抜く、と。


 折良く、ガルマックス伯爵領に潜入している同僚の側に危険な何者かが潜んでいる為、調査に参加しろと指令を受けました。


 この任務で、姿を消し、市井に紛れて暮らそう──



 ルヴィの声が途切れた。


 細い蝋燭の灯りが一度だけ揺れ、部屋に落ちた沈黙を照らす。重苦しい話の余韻に、誰もすぐには口を開かない。


 トニトルスは腕を組み、窓際に寄り掛かる。鋭い蒼眼がルヴィを射抜くように見つめているが、言葉はない。ただ静かに、無言の敬意を示していた。


 「フゥ〜! いやぁ⋯⋯すごい話やった。まるで宮廷劇やんか」


 真っ先に口を開いたのはパイシーだった。身を乗り出し、手を打って笑みを浮かべる。


「孤児院出身で? 暗殺の訓練も受けて? 礼儀作法も完璧で? 王子サマを護る影の令嬢? あんた頑張り過ぎやで。気に入ったわ!」


 どこか舞台の観客のような調子に、ルヴィは困ったように微笑んでいる。


 プルフルは机に肘をつき、指先で頬杖をついたまま、じっとルヴィを見ている。瞼は重そうなのに、その瞳の奥には微かに熱が宿っていた。


 「⋯⋯大変だったね」


 意外な言葉に、皆がわずかに目を瞬かせた。普段は気だるげで他人に興味を示さない彼女が、ルヴィの境遇に同情めいた声を出すのは意外だった。


 しかしそれ以上は何も言わず、プルフルはまた口をつぐむ。


 「感傷に浸っている場合ではありません」


 イモートの澄んだ声が、冷たい水のように空気を引き締めた。少女のような容姿のホムンクルスは、淡々とした調子で話し始める。


「まずは明かりを付けますね」


 部屋の天井にある魔導灯に光が灯る。話し始める時にパイシーが「こっちのが気分出るやん♪」などと言って蝋燭の燭台を持ち出して来たのだ。


「ルヴィ様の立場は王太子の血を宿した者として何処かで誰かの脅威となる可能性が高いでしょう。今の王都の権力構造を鑑みるに立場を捨てて逃走するというのは賢明な選択です」


 その小さな声は、妙な説得力を持って響いた。その先を示唆するのは、この中でただ一人──


「⋯⋯身籠った事を知っている人間は?」


 沈黙を破ったのはミルトだ。肘を机につき、冷静な瞳でルヴィを見つめた。


「いません。多分⋯⋯ですけれど」


 完全に言い切る事は出来ないらしい。


「そうか、そうだな──いや──」


 歯切れの悪いミルトの言葉を、立って窓際にいるトニトルスが継ぐ。


 「王太子殿下の影が、ルヴィだけのはずはない。ルヴィも監視下にあった、と考えるのが妥当だ。だが逆に考えれば、知られていれば既に対応されていたという事だ」


 トニトルスの言葉にルヴィは驚きはしても、納得は出来る。


「確かに──王太子殿下の影がわたくしだけのはずがありません──確かに。ですが、その──王太子殿下との関係は知られていたとしても、身籠ったかどうかは知られていないと思います」


 ルヴィは少し恥ずかしそうに同意する。


「では焼死したと思われているシルヴィリーネリア・コヴェインをわざわざ探す人物は居ないと言う事になりますね。ならば安心です」


 今出た結論をホムンクルスのイモートが淡々と解説する。


 「ほんなら、後は隠れ家と生活基盤やね」


 パイシーが勢いよく手を叩く。


「やっぱり別の街がええかな? あ〜でも田舎はやめた方がええわ。誰が来たかすぐ詮索されるねん」


 パイシーの提案に、ミルトは死者の記憶の中にいた、田舎出身の冒険者の経験から同意する。


「ああ、確かに。彼らは生き延びる為にコミュニティの結束を強くしているから、他所から来た人間には敏感だ。では、候補としては大都市だな」


「最低でも伯爵家以上が管理する、領の中心地」


 プルフルが髪をいじりながら呟く。


「隠れるだけなら簡単。髪も目の色も、偽装する魔道具ならある。それと──」


 椅子の背に深く腰掛けて足を組み、プルフルは言葉を続ける。


「転移陣を設置する。一度座標を刻んでおけば、王都も辺境も同じ事」


 イモートが小さく頷いた。


「プル姉さまだからこその良案です。それにルヴィ様とお腹の御子を守るには危険が迫った際に迅速な退避ルートの確保は必須です」


「──転移陣が使えるなら⋯⋯むしろ隠れる場所は王都でいいんじゃないか?」


 ミルトが低く言い放ち、皆の視線を集めた。


「ルヴィは他領で死んだ事になった。なら逆に王都の片隅に潜伏して、情勢を見ながら生活した方が安心出来るだろう。それに、出産は命懸けだ。薬師や医者も多い王都にいた方が安全だろう」


 出産についてはミルトも書物による知識しか持たないが、地方都市の周辺にある開拓村などでも、出産の時だけは地方都市に移動して産ませる制度があると学んだ事があるので、恐らく間違ってはいないだろう。


「良い提案やと思うわ」


 パイシーが椅子の背にもたれ、にやりと笑う。


「潜伏しながら動向を探る。悪くない。私も拠点が欲しいから丁度良い」


 プルフルも口元を歪めて同意する。


「ルヴィ、色々と気になる事はあるだろうが、黙ってついて来ればいい。私達は冒険者ランクを上げるために別行動する事になるから、定期的に集まる拠点は用意する予定でいたんだよ」


 トニトルスは冒険者活動を楽しんでいるらしい。


 ルヴィは黙って皆のやり取りを聞いていた。出会ったばかりの厄介者である自分の身を案じ、真剣に考えてくれる彼女たちの姿が、胸の奥を温かく締め付ける。


 しかし、何か仕事をしないと申し訳ない気持ちになるだろう──


「あたくし、貴族令嬢ではありましたが、家事全般は熟せますので──」


 その申し出にイモートが反応を返した。


「それは是非お願い致します。拠点の管理をしつつ王都の情勢を探る為には一つ所に数日掛けて潜入する事もありますから私一人で拠点の管理をしなくて良い事は私達にとっても利点になります」


 ルヴィは「お任せ下さい」と引き受けた。


「決まりだな」


 ミルトが立ち上がり、机を軽く叩いた。


「まずはこの、ガルマックス伯爵家の領都で買った部屋に転移陣を設置。それから皆で王都へ移動。そこでルヴィが住む拠点を作り、更に転移陣を仕込む。プルフル、転移陣の設置を頼む」


「任せて」


 彼女は無表情に親指を立てて微笑む。


 こうして一行はルヴィと彼女の中に宿る命を守るため、王都へ向かう事を決めた。

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