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30、対暗殺者模擬戦

 あの後、パイシーとイモートが風呂から上がって、何となくその先の話は切り上げた。


 トニトルスも言及はしない。


(まあいい、やる事は変わらない)


「そろそろ風呂に入って寝るか。ルヴィはこの部屋で、プルフルの横のベッドを使って休んでくれ」


 ルヴィが深々と頭を下げる。


「ありがとう存じます」


 この宿では二人部屋を二つと一人部屋を一つ、合わせて三部屋を借りているので、各人の寝床は確保出来そうだ。


「ウチは先に入ってベッド暖めとくわな〜♪」


「ああ、頼む」


 ミルトはここ数日の流れでパイシーに部屋の鍵を手渡す。彼女は跳ねるようにして部屋を出て行った。


「──ぁ」


 ルヴィにどう思われるかを気にしていなかった。彼女も察したのか、トニトルスと話し始めていた。


(慌てて説明するのも変か? いや俺達はそういう関係では無いんだが⋯⋯まあいいか)


 3人に「また明日」と言ってミルトは部屋を出た。



 「ミルト・フェルム」


 低く澄んだ声が、目の前の闇から響く。ここで聞く、それは耳で聞いたのか頭の中から直接呼ばれたのか判別が出来ない。


 視界には、ただ限りない闇だけが広がっている。


 ──誰?


 問い掛けながら身構える


 その瞬間、闇の中に一人の男が現れた。


 軍服に似た古めかしい黒い装束を纏い、面差しにはどこか気品がある。眼光は鋭く、寒気を覚えるほどの風格を纏う。恐らく戦いに身を置く者。それも市井に生きる者では絶対に無いだろう。


「拙者の名はアーヴァイン・コヴェイン。かつて文字通りの王の影として生まれ、闇の中で死んだ者だ」


 静謐な声音。遥か時の向こうから響くような、冷ややかに澄みきった響きだ。


 ミルトは一歩退く。


 ──コヴェイン、そうか貴方が


「その名を継ぐ娘が傍らにあろう。拙者の願いを聞き届けてくれて感謝するぞ、ミルト・フェルム」


 アーヴァインの視線が、真っ直ぐにミルトを射抜いた。


「手間を掛けるが、彼女に協力してやってくれ」


 幽霊のような存在の、その目に宿る静かな願いが、ミルトの胸を締め付けた。


 ──ルヴィを見捨てたりはしないよ


 アーヴァインは満足そうに頷いた。彼は自らが辿れなかった、闇に生きる以外の人生、そこに至ろうとするルヴィを応援しているように思える。


「頼む。あの死を偽装する手は見事だった。流石は暴滅の魔女殿だ。だが、あの娘が王家の血を引く子を身籠っているのは、少々厄介だがな。歴史は繰り返すか──」


 ミルトは一瞬言葉を詰まらせた。だが──


 ──彼女を匿う事に変わりはないよ


 アーヴァインは、ゆっくりと歩み寄る。


「王家の闇を背負い、世に顕れぬまま、ただ生き延びる為、影となった。だが拙者は、その道を選んだのではない。生まれながらに影にあることを、命じられたのだ」


 その声音は淡々としているが、そこには悲嘆でも怒りでもない、ただ長い年月を超えた諦観があった。


「王の影から離れなければ彼女も──いや、彼女の子もまた、そうなるやも知れぬ」


 アーヴァインは言葉を続ける。


「己が身に王家の血を宿した。あの娘は、我が母と同じく“影の器”となったのだ。王太子の子を抱えて逃げるなど、許される道理は本来、無いのだ。だが、それゆえにこそ守ってやって欲しい」


 ミルトは無意識に拳を握りしめた。


 ──アーヴァインさん貴方は まさか⋯⋯


 アーヴァインは微かに笑った。


「腹の子は、拙者と同じ境遇なのだ」


 ──そう 分かったよ 僕たちに任せて


「頼む。王の影は暗部。日の差さぬ哀しき定め。拙者はもう見たくはない。過去の亡霊の、魂の願いだ」


 彼の輪郭は闇に溶けるように薄れていく。最後に残された言葉は、深い闇に沈むように響いた。


「ミルトよ⋯⋯この先で待つのは血と鋼のやり取り。だが、そなたは剣を持って立て。あの娘の影を、そなたが陽の元に引き上げてくれ」


 闇は完全に閉ざされ、声も消えた。


 ──アーヴァインさん


 暗闇に静寂が行き渡る。肉体の無い夢の中、耳鳴りすらも聴こえない。


 ──っ!?


 ミルトの頭があった場所を銀光が閃いた。


 咄嗟に左に転がり回避したが、追撃の気配を感じたミルトは、転がり続けた。


 距離を置いて跳ねるようにして立ち上がり、腰の剣を抜き放つ。


 ──誰だ!?


 誰何してみても、目の前には闇──そして何の気配も感じない。


『共感』──発動


 ──いる え? 15人!?


 共感で感知した、闇に溶け込んだ何者かが15人も居る。


「良い反応だ。拙者の初撃を躱すとは、やはり静謐の霊廟で得た、無数のアンデッドと切り結んだ経験に加え、それを繰り返す夢は素晴らしい糧となっているようだな」


 ──アーヴァインさん!?


「ミルトよ、毎晩見る死者との戯れは糧となっているようだが、それは対暗殺者に特化したものでは無い。ならば特訓が必要だろう」


 ──戯れじゃなくて毎晩命懸けですよ


「これから向かうのは王都だろう?」


 ──公爵家の方は直轄地より王都に居るでしょ?


「大量の暗殺者が襲い来る。ここで経験を積んでいけ。安心しろ、死ぬことは無い。意識が弱く会話は成り立たないが、生前の技を持つ精鋭達を集めておいた。存分にそなたの糧に姿るが良い」


 ──会話が成り立たないのは貴方もですよ


 15人の気配が濃く──なるのではなく薄れてゆく。これが暗殺者の戦い⋯⋯


 そうして、静かな戦いが始まった。



 どこかの屋敷の廊下。見覚えは無い。しかし冷たい床の感触と、湿った血の匂いだけは、あまりにも生々しい。


「立て、もう一度だ」


 低い声が響く。先程までとは明らかに違う声音。


 その声の主──アーヴァイン・コヴェインは闇の中に立っていた。光のない鋭い瞳に、まるで死そのものを閉じ込めたような冷徹さを宿して。


 返事をする間もなく、いつの間にやらミルトは立ち上がっている──背後で気配が増した。


 毒々しい見た目の、黒塗りの刃が、自分の首にあった場所を通り過ぎる。避けた先、またも黒が視界の端を掠め、反射的に身を翻す。


 手数が増えて来る。1人、2人──いや、もっとだ。


「15だ。忘れるな。暗殺者チームの最大数だ。だが揃って1人を狙う事は無い。上下左右前後、多くとも6人だ。同時に攻める事など無いだろうが、可能性はゼロではない。慣れろ」


 アーヴァインの声は淡々としている。


 気が付けば廊下の影から次々と現れていた。顔を覆い、声を殺し、刃だけを携えた黒衣の影。まるで彼ら自身が悪夢の具現であるかのように、音もなくミルトに迫る。


 ──これは囮だ


 ミルトは正面から向かって来る黒装束を無視、右の死角から足元を狙って投げ込まれた鎖を片手剣の切っ先で絡め取り、左から迫る相手の足元に鎖を放り投げて絡ませ、転倒させる。


 バックステップで頭上からの刃を躱しつつ背後の敵に頭突き──腰元の短刀を奪い、頭上に居た敵に投げ付ける。


 上下左右前後と間断なく迫りくる暗殺者達を躱し、流し、受け止めて殺し続け──殺され続けた。


 死ねばまた最初から。最初は命を奪うことに躊躇いはあったが、それをすれば自分が殺されるのだ。


 後ろから首を狙う短剣を避け、前方から突き込んでくる槍を叩き折る。槍を折る角度も完璧に覚えた。心臓が早鐘を打つ事は無いが、恐らく現実世界であってもそんな間は無いだろう。


 一人を倒すたびに背後から刃が迫り、視界の隅で新たな影が蠢く。気配を読めばそれは囮、逆側から刃が襲い来る。


 息を呑む余裕など無い。ただ反射と勘と、死ぬ直前に得た経験だけで動き続ける。一瞬の躊躇は即、喉元に冷たい刃を呼び込む事になる。


 ──死ぬ


 もう何度目かの死の覚悟──直後に背後で、鋭い金属音が響いた。振り返ると、アーヴァインがそこにいた。


 亡霊であるはずの彼の剣が、無造作に暗殺者の刃を弾き飛ばしている。


「才無き身では、この程度か」


 叱責の言葉は冷酷だ。そして剣の軌跡は容赦なく敵を切り裂く。自分で集めておいて、理不尽の塊のような男だ。


「ここからは死ぬ時間だミルト・フェルム。恐怖を捨てろ。ここで死に慣れろ」


 その言葉の通り、そこからミルトは何度も何度も死んだ。背中を貫かれ、喉を裂かれ、暗闇に沈むたび、また同じ場所に立たされる。


 アーヴァインはそこにいて、ミルトが死ぬ度、ただ冷ややかに命じた。


「やり直せ」


 15人の暗殺者。屋敷のような建物。死と苦痛。悪夢が終わる事は無く、ミルトは無限に死に、無限に生きて戦った。


 アーヴァインの瞳には何の感情もない。かつて影として生き、無数の死地を潜り抜けた男がミルトをじっと見ていた。


 夜が明ける事は無い。それはつまり、ミルト自身がこれを望んでいるのだろう。


 ──才無き身 否定は出来ない それでも!


 ミルトの心は折れない。


 ──ありがたい


 誰にも認められない、誰にも褒められない、先の見えない努力は、かつてのミルトの日常でしかない。


 苦境を脱した後でも毎夜、襲い掛かり縋り付く死者達と“戯れ”続けているのだ。今、此処でしか戦えない。ならば暗殺者との最悪の状況での戦いを、今、モノにしなければならない。


 アーヴァインの目が細められた。ミルトの動きが洗練され始めている。回避、攻撃の無駄を削ぎ落とし、才無き身で死の恐怖を乗り越え、死を回避する為の最適化が始まっていた。


「よくやった。無限に死に覚える状況であれば、これ程の練度まで高められるのか。生ある身のうちに知りたかったものだ」


 ──こんな状況 もうやりたくないよ


「この先、魔性を相手取るのだろう? 自らもそこへ至らねば、刃が届く事は無いぞ。──何よりミルト、周りにいる魔性の女どもならばこの程度、苦も無く蹴散らすのではないか?」


 ──それは確かに その通りだよ


「そういう事だ。さて、そろそろ終わりだ。ルヴィを頼むぞ。ではここからは──」


 アーヴァインの姿が霧のように霞んで消えた。そして──毎夜の“戯れ”の相手が蠢き出す。紅い目を光らせ憤怒を迸らせるスケルトンウォーリア、怨嗟の声を垂れ流すスケルトン。それらが近付いてくる。


 暗殺者に比べれば何と可愛いものか⋯⋯


 ──それでも今夜はもう無理だ 逃げよう


 ミルトは救いを求めて走り出す。


 いつもなら、プルフルかパイシーの、どちらかが添い寝をしてくれているはず──自らを覚醒させるべく、ミルトは意識を世界の外側へと集中させた。



「────っ」


 ミルトは勢い良く目を見開いて覚醒した。


 夢の中で必死になって求めていた、柔らかな温もりが側にある事を確認し、身体の強張りを解く。


 パイシーが、ミルトの頭を掻き抱いて眠っていた。


 夜着を買っても、必ず下着姿で添い寝するのは変わらずだ。今日は居ないが、プルフルも脱いでしまう。成人しているとはいえ、健全な青少年であるミルトには刺激の強いシチュエーションだが、最近は少し慣れてきた。


 パイシーの暖かく柔らかな肌と、甘やかな香りに安堵を覚え、ミルトは無意識のうちにパイシーの腰に手を回す。ここ数日で添い寝に慣れてしまった事に、反省しなければと、思ってはいるのだが。


(最初からだ。人肌に安心してしまうのは)


「⋯⋯ありがとう──パイシー」

「どういたしまして♪」


 返事が返ってくるとは考えておらず、ミルトは顔を上げてパイシーを見上げた。慈しむようにパイシーが見つめている。感謝というよりも、自戒の呟きを聞かれた事に、ミルトは少々焦ってしまう。


「あ──すま、ない。起こしてしまったのか?」

「ん~? そんなん気にしんくてええんよ?」


 パイシーがミルトの頭を、優しく、そして強く抱きしめる。柔らかな胸に顔が埋まる。


「パイシー、あの──」

「ちゃんと朝まで寝ような〜ミルト君♪」


 気恥ずかしくも、温もりには抗えず、ミルトは柔らかく暖かな慈愛に包まれ、微睡みのなかで意識を手放した。

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