28、工作員の誤算
一人称視点がありますが、彼はモブです。
人の形をしたの巨大で濃密な魔力が、両手を合わせて呪文を紡ぐ。
地面の影が渦巻き、足を絡め取る。拘束の魔術だ。
黒を纏う二人が動きを止め、地面に這い蹲った。
月明かりすら届かない闇夜。
人混みが醸し出す据えたような熱気と、路地裏にのみ存在する冷たい湿気を帯びた下街特有の匂いが、鼻腔を刺す。
身体は動かない。肩から足首までを黒く蠢く魔力で縫い付けられている。藻掻いてみても、魔力の縛りが骨まで冷やすような痺れを送り込んでくる。
──カサリ──スル──スル──カサリ──
耳の奥にこびりつくような物音。闇の中から、それは現れた。人の形をしているのに人ではない。少なくとも、地面から見上げた男には、そう見えた。
皮膚は蝋のように白く、血の気がなく、何の表情も無い、完全な無表情。完璧な造形美を追求して貼り付けられたかのようなパーツが、逆に恐怖心を煽る。
紅い2つの光が見える──次の瞬間、それが自分を見ている視線だと理解した。心臓が暴れる。喉の奥で息が詰まる。叫ぼうとしても声が出ない。
風にはためく深緑のローブと、夜の闇に溶け込む様に艶めく黒髪と2つの紅い双眸。先程の掠れた音は、ローブと足音だったらしい。
先程まで全く音などしなかった。突然現れたとしか思えない。
(なんだ!!? なんなのだこの化け物は!?)
「ま、魔ぞ、く──!!」
男と共に居た同僚が叫ぶ。どうやら同僚は女だったらしい。⋯⋯どうでも良い事だ。今から死ぬのだ。性別など、どちらでも同じ事。
男は、このような危険なモノと関わる案件とは聞かされていなかった。王の影の領域に潜り込んだ鼠を調査して、必要であれば処理するとだけ聞いていたのだ。
◇
男は王に仕える暗部──『王の影』に所属する事を目的として生まれた。表向きは王都に居を構える小規模な、子爵家の子として育てられた。幼き頃より過酷な戦闘訓練と、国内国外に関わらず表の歴史も裏の歴史を叩き込まれた。
15で成人すれば、王の影として王に仕え、裏の世界で辛酸を嘗めながらも生き続けてきた。
男のスキルは『魔力視』──効果は魔力の視認
上位スキルである『鑑定』程の精度ではないが、常時発動が可能であるし、魔力の密度や量を視る事で相手の力量や、魔法陣を使った罠を見破ることが出来る。
そして、どの程度の危険が何処に在るのかも、漏れ出す魔力を視る事で、把握する事が出来た。
しかしそれが──今回は災いした。
今回は指揮官から鼠の始末だと聞かされていた。
具体的には「ガルマックス伯爵領に潜入している影の表向きの店舗に、従業員として共に潜入しているという、聞いた覚えのない部下が居る」との事だ。
何らかの魔法かスキルで鼠が潜り込んだと判断した本部は、調査を開始した。
チーム編成は14人。かなり多い。だが王の影として生きる我らの懐に違和感も無く部下として潜り込むなど、かなり危険な相手である可能性もある。
王権の転覆を狙う王族の身内か、または隣国の間者か、または全く別の勢力か。
ガルマックス伯爵領にある、同僚のモートロゥ・テッツァーが営む仕立て屋に到着した。しかし鼠は既におらず、我等の姿に混乱するモートロゥ・テッツァーを残して逃げ去った跡だった。
チームの中に追跡を得意とするスキルを持つ者が居る。鼠が使用していた従業員用の服から匂いを辿り、逃げた先に当たりを付けた。
念のため、5人は仕立て屋に待機し、鼠の仲間が来た時のために罠を張る。男と指揮官を含む9人が追跡に向かった。
追跡している途中で男は気付く。対象の向かう先から少し逸れた地点、全く漏れ出してはいないが“巨大な魔力”が在る事に。
男は指揮官に事情を話し、2人1組で“巨大な魔力”を調査する事にした。恐らく何らかの危険な魔法の儀式、または巨大な魔力を持つナニカが居る可能性があるからだ。
男は離れた所に到着する。遠くから監察すると、そこには濃密で巨大な魔力の中心に、女が居た。
魔力視を切って視認して見れば、美しい女だ。
とても市井に居る容姿ではない。恐らくは貴族の縁者か、魔性の類だろう。
そして男は後悔した。
瞬きの間に女は消えていた。
魔力視に切り替える。
自分から三歩ほど離れた右側に居た。
気付けば自分も巨大な魔力の中に居る。
全身の毛穴が開く感覚。
背中に氷柱が刺さったような怖気が走る。
「ひっ──ひぃっ!?」
共に居た同僚も気付き、必死に声を出そうと喉を鳴らすが、女が手を合わせた瞬間、二人共に何かに足を取られ、そのまま地面に叩き付けられた。
見上げるとそこには、いつの間にか近付いていた女──の形をした危険な何かが、紅い双眸を輝かせ、首を傾げながら、こちらを覗き込んでいる。
心臓を鷲掴みにされる程の恐怖。最早、男の耳には自らの鼓動の音しか聴こえない。
「そこで大人しく寝てて⋯⋯寝てるだけで良い。──ハァ──羨ましい⋯⋯私も眠いのに」
女の形をしたナニカが場にそぐわない、気の抜けた話し方で、語り掛ける。
(今なんと言った? 寝ていろと言ったのか?)
言葉の意味を理解した男と同僚は、揃って壊れた人形の様に首を縦に何度も振った。恐らく逆らえば瞬時に命を刈り取られる。それだけの力量差がある。
(これ程の敵が我が国に居るのか!?)
鼠の調査に来ただけのはずが、まさかこれ程の化け物と遭遇するとは考えもしなかった。何としても生き延びて、この情報を持ち帰らなければならない──と、男は大人しく寝る事に徹した。
「でもイモートが死んでたら直ぐに死んでもらう」
(妹!? 魔族の姉妹⋯⋯何という事だ)
男は自らが命を捧げた国の未来を想い、絶望に涙を流す。同僚と共に石畳を濡らし続けた。
◇
「プルフル、お待たせ⋯⋯こっちにも来てたのか」
黒い装いの二人の男が石畳にへばり付いて──涙を流していた。
「待ってた。イモートは⋯⋯良かった」
「はい、ご心配お掛けしましたプル姉さま」
プルフルはイモートの無事を確認して頷く。
「その服、可愛い」
「貴族の館で着る御仕着せです。お気に召しましたか?」
「すごく良い。ずっとそれでいたら良いと思う」
微笑ましい光景だが──。
「確かに良く似合ってる。ところでプルフル、彼らは、その──」
石畳にへばり付いて、はらはらと涙を流し続ける黒い連中について質問を投げ掛けた。
「凄い勢いで泣いてるやん。何があったんや?」
「別に。拘束したら勝手に泣き出した」
ミルトは男達に近付いて、問い掛けた。
「お前達、何故泣いてるか知らんが、拘束を解くから仲間と合流しろ。お前達の指揮官は少し行ったところで寝てるから回収してやれ。帰って報告しろ」
「──ひ、人の国を滅ぼす魔族──人の皮を被った化け物⋯⋯。なぜ殺さん。俺はお前達の手になど乗らん。今直ぐ──殺すがいい!」
──は? なんだコイツは⋯⋯魔族?
「魔族⋯⋯いや、俺は魔族じゃなく──あ、お前は魔族に会った事があるのか?」
「嘘を付くな! 謀るな! 俺の眼の前に居る貴様らが魔族でなくて何だと言うのだ! 人間がそのような魔力を持つ訳があるまい!」
「おい落ち着け。俺はミルト・フェルム。お前の仲間のモートロゥ・テッツァーが辺境の捜索隊に潜り込んでたから調査してただけだ」
「⋯⋯ミルト・フェルムだと? この国の貴族がこの様な暴挙に出る必要があるものか!」
「先に粉を掛けてきたのはそちらだ」
トニトルスが援護する。
「プルフル、ほんまは何したん?」
「本当に魔術で拘束しただけ」
──埒が明かないな、ちょっと覗いてみるか
『共感』──発動
シドムル・オーサル
──恐怖 ──使命 ──死にたくない ──愛国心 ──憤怒 ──決死 ──魔力視 ──走馬灯
「⋯⋯産まれた時から暗部。スキルは魔力視──そうか、プルフルの大きな魔力に勘違いしたのか」
「なっ──何をした貴様! 絶対に──ゅふぇっ」
パイシーが喚き散らす男の顎を蹴って黙らせた。
「あ、ごめん、つい。このオッサン煩いわ。横のんと話してみよ〜や」
「あ、ああ。そうだな」
横で泣き崩れていた暗部の者に、俺達が一斉に視線をやる。相手は体を強張らせて固まった。
『共感』──発動
シルヴィリーネリア・コヴェイン
──お腹の子──引退──逃亡──この場を──死ねない──若様の子──任務失敗──誰か助けて
「プルフル、拘束を解いてやってくれ」
ミルトは間を置かず指示を出す。頭が痛い──死者の怨嗟の声が聞こえる。
(ナキアスの時よりも静かに刺すような痛みだ)
プルフルは即座に拘束の魔術を解いた。ミルトは黒い装いの彼女に近付き、膝を付く。そして上着を脱いで相手の肩に掛けた。
「起きてくれ。妊娠しているとは知らなかった。怪我は無いか? 身体を冷やすと良くない、何処かへ移動しよう」
ミルトは相手の肩を持って立ち上がらせるついでに耳元で囁いた。──このまま逃亡するならつもりなら手を貸すぞ、と。
相手は目を大きく開いてミルトを見た。ミルトは安心させるようにミルトは微笑み、話し掛ける。
「安心しろ、俺達は敵じゃない。ましてや魔族でも無い。事情はさっきそこの男に話していた通りだ」
「⋯⋯⋯⋯どう⋯して⋯⋯?」
「赤子の話なら、俺のスキルで知った。助けるのは、貴女が、シルヴィリーネリアさんが困ってるからだ。俺が君なら助けて欲しいからだ」
(共感した事もそうだが、死者の声が煩いからだと言っても信じないだろうしな)
「な、名前⋯⋯本名を、どうして」
ミルトは『共感』を使用した事で相手の感情に引き摺られてしまう。今は目の前の妊婦をどうしても助けたくなっていた。──自らの安寧の為に。
「じゃあ死んだ事にする?」
プルフルが流れをぶった切って事も無げに問う。
「──頼む」
どうやって、などは訊かない。ミルトがプルフルに全幅の信頼を寄せている事が伝わる。その事にプルフルは薄く微笑んで、指先に魔力を練り上げた。
プルフルは短い単語のみで指先から極細の熱線を放つ。暗部の彼女、シルヴィリーネリアの寝ていた位置に、人の形をした焼け跡を残した。
「これで、その女は跡形も無くなった⋯⋯事になる」
「見事なものだ。造形も良い」
プルフルの物騒な物言いに、トニトルスが斜め上の褒め言葉で応える。
「ふふん。これも魔力制御の見せ所」
「ありがとうプルフル。シルヴィリーネリアさん、このまま俺達の拠点に移動して、それからどうするか考えよう」
ミルトはシルヴィリーネリアに手を貸して歩かせるが、シルヴィリーネリアはミルトの腕を掴んで引き止めた。
「待って、ダメなの。今来てるチームの中に匂いで追跡出来る者がいるから──」
「じゃあ転移する」
◇
「普通に移動したら⋯追跡⋯⋯され⋯⋯ぇ?」
シルヴィリーネリアが話している途中、プルフルが常に圧縮して身体の何処かに保管している魔法陣を発動。一瞬で郊外にある宿屋の一室に移動していた。
「え? え? ど⋯⋯どうして、なに?」
「転移したのだ。うちの魔導士は優秀でな。まずはこの椅子に座るといい」
トニトルスが椅子を進める。シルヴィリーネリアは呆然としたまま、言われるがままに椅子に腰掛けた。
「ウチはお風呂入って来ますぅ〜」
「ホッ──ようやく帰って来られました。パイシーちゃん、ワタクシもご一緒して宜しいでしょうか」
「お〜ええ心掛けやんイモートちゃん、行こ行こ♪ 女同士、裸の付き合いも大事やからなぁ。バイトの話とか聞かせてや♪ 嫌な奴とかおった?」
パイシーとイモートは着替え等を持ち、さっさと風呂へ行ってしまった。この宿は大風呂が用意されていて、いつでも入る事が出来るのが売りだ。
「私は寝る。─クリーン─ おやすみ」
プルフルは、身体の周りの埃を落とす魔法を掛けてから、ローブのままベッドにフラフラと歩き出す。まだ宵の口だが、彼女には限界だったのだろう。
「おやすみ。お疲れさま」
ミルトはプルフルの後を追い掛けてローブを脱がせてやる。そのままベッドに入ったプルフルは、残ったなけなしの意識を総動員して、下着以外を寝具の中で脱いでベッドの外に落とし──眠りについた。
ミルトはプルフルの深緑のローブをクローゼットに掛け、脱ぎ散らかした服を畳んで、ソファに置いておく。
流れる様な作業をシルヴィリーネリアはじっと見ていた。




