25、影を追え──奇妙な男との遭遇
微睡むミルトの耳に、小鳥のさえずりが聴こえる。
いつの間にか二度寝していたらしく、朝になっていた。窓から射し込むの光が眩しくて、目を細めながら身体を起こす。
夢の中でナキアスと会話したり、その直後に死者達と刃を交えたり、死者の記憶に引きずれられそうに──と、忙しい夜だったが、二度目に寝てからは夢を見なかった事に気付く。
(熟睡できたのは二人のお陰だな)
視線はやらず、両隣に意識を向けると、プルフルとパイシーの寝息が聴こえる。二人の温もりが自分を夢から救ってくれたように思う。
恐らくは、そういう事なのだろう。
「まだまだ添い寝が必要──か」
(情けないが、本当にそうかも知れないな)
ダンジョンに落ちて以降、死者の記憶を覗き見ない日は無い。ダンジョンにいた時は“殆ど寝ていない”から分からないが、外に出てから二度、眠りについた。そのどちらもが、死者の記憶を見ている。
昨日の馬車の中で気を失った時も、プルフルとパイシーが居たからこそ目覚める事が出来たのでは、と思い至る。もしも、あのまま死者の感情に共感し続けていたら──正気で居られたとは思えない。
(これは少し、いやかなり、まずいんじゃないか?)
とっくに成人している男が一人で眠れない、夢から覚めない、一人で起きられないなんて──。これからの事を考えてミルトは頭を抱える。
窓から差し込む朝の光が拡がる部屋の中、ミルトは苦悩していた。
「んん⋯⋯みるとくん? おはよぉ」
パイシーが目を覚ます。
癖のない真っ直ぐな銀髪を肩に流しながら、まだ瞼が開ききらないのか、蕩けたような目でミルトを見ている。そのままふにゃりとミルトに笑い掛ける。
腰より下を美しいレースの掛け布で覆い、朝日に照らされた銀髪と、対比的な褐色の肌。その姿は1枚の絵画のように美しく、煽情的な下着も相まってミルトの心臓は激しく高鳴る。
「ああ、おはようパイシー。⋯⋯昨晩は、ありがとう。2人が居てくれて助かった。パイシーとプルフルが居なかったら、俺は⋯⋯──っ!?」
パイシーはまだ眠いのか、寝ぼけ眼でミルトの太ももに頭を乗せ、上を向いたまま眠り始めた。
「パイシー?」
「────zzz...」
寝息を立てながら眠ってしまった。ミルトは固まったまま動く事が出来ない。だが見てはならない、未婚の女性の寝顔を無断で見るなど⋯⋯。
(貴族子息として許される事じゃない。多分。プルフルの寝顔はノーカウントだ。だいたい寝具では無いからな、うん)
無邪気に甘えてくるパイシーを見ていると、これはもう“許される”のでは無いかと考えてしまう自分もいた。
いやそれは自分の欲に過ぎない、見てはならないと起き抜けの頭で必死に理性を掻き集める。どちらにせよ動く事は出来ない。さりとて凝視する事も出来ない。
(ね、猫が膝に乗ってきたらこんな感じか)
これは猫、これは猫、これは猫、そんな事を考えながら気を紛らわせる。
「⋯⋯ねえ、私もして、それ」
葛藤しながら、昨晩から見慣れた天井を凝視していると、逆側から声が聴こえた。
「プルフル⋯⋯おはよう」
「うん⋯⋯私は反対側ね」
ミルトが返事をする間もなく、プルフルはパイシーの反対の脚に頭を乗せて陣取った。しかも上を向いて幸せそうに微笑む。可愛い過ぎる仲間の仕草に、ミルトの心臓は、更に激しく鼓動を刻み続けた。
(猫が2匹、猫が2匹、猫が2匹⋯⋯)
結局、トニトルスが朝食に誘いに来るまで膝枕は続いた。ミルトの理性はギリギリのところで保たれたのだった。トニトルスは元貴族令嬢で騎士だが、こういった事に対して、怒ったりはしない。
(こういう事に対して理解があるのか。むしろ俺の方が、異性との触れ合いに慣れてなさ過ぎるのか?)
◇
フェルム家が所有する魔導車で、領境の森の中へと進む。魔導車と言っても馬の代わりに前進する機構を車輪と共に備えた魔導具が付いているだけなのだが、搭乗者の魔力を使い、動力的には半永久的に進む事が可能だ。
但し、製作費が高く、運用にも多くの魔力を必要とする為、市井には行き渡らず、あくまでも高位貴族専用の移動手段となっている。
見覚えのある馬車の残骸を見付けた。ミルトを攫った連中の乗り捨てた場所だろう。解体されて打ち捨てられていた。そこで魔導車を降り、プルフルの空間拡張した袋に収納する。
戦闘の跡が残っていた陣地まで徒歩で進む。数日ぶりに『静謐の霊廟』の前に築かれていた陣地に到着した。
この辺りに魔物は居ない。王都方面の森でフェルム辺境伯領に隣接する領では殆ど魔物が出ない。辺境騎士団が討伐し続けた事から、魔物が居なくなったのだ。動物は住んでいるが、人を襲う様な凶暴な生き物は殆ど居ない。
たった2日前にトニトルスの一撃で崩壊した陣地は、そのままになっていた。黒く口を開ける地下ダンジョンへと至る洞穴の前。ミルトは、その黒い口の中に吸い寄せられるような錯覚に陥った。
「ミルト、始めるようだぞ」
洞窟の入口を見つめていたミルトは、トニトルスの声で正気に戻った。
プルフルが小さな紙切れを取り出して地面に触れる。そこから青白い光が揺らめき、霧のように地面へと広がっていった。彼女の瞳が紅く輝き、残留する魔力の痕跡を探り出す。
「この辺り。──行動の残滓を⋯⋯影を示せ」
静かな声で、自在に魔力を行使する。プルフルの魔術が地面に何人もの人影を映し出し、ミルトは驚いた。更にその影が動き出す。
(あの時の下級騎士達の動きをトレースしてるのか)
影が動いた跡には黒い軌跡が残った。
「コレとコレ。動き方が違う。逃げる先も」
プルフルの指摘した影の残滓は、2つの方向へ分かれていた。
ひとつは北西──王都へと延びる街道筋へ。もう一つは東、フェルム領を逸れて、国境の森の方角へ。
隣国へと続いていた。
「進路が違うな⋯⋯同じ命令系統ではないようだ」
トニトルスが腕を組み、深く息を吐いた。
「王都方面、ガルマックス伯爵領か。予想通りだな」
ミルトは険しい顔で言葉を継ぐ。
パイシーは顎に指を当て、茶化すこともなく真剣な表情を浮かべていた。
「隣国、トニトルスの生まれた国のある方角やな?」
その問いに、金髪の女戦士は一瞬だけ目を伏せる。
「ああ⋯⋯だが250年前にレックス家は断絶している。私以外には誰も居ないし、流石に今どうなっているのか、私は知らんぞ。治世も変わっているだろうからな。⋯⋯知ろうとも思わんよ」
彼女の声音は、どこか寂しげな響きがあった。
プルフルが魔術の光を収めて話し出す。
「何れにせよ、まずは王都方面」
プルフルが北西に向かう影を指し示す。
「ガルマックス領で、地下組織に接触するんだな?」
ミルトが言葉を継ぐ。
「違う。影を追って本人に接触。直接締め上げる」
「手っ取り早くてええね」
「待て、相手の規模も把握せずに、それは止めておいた方が良いだろう」
プルフルとパイシーは影の人物に直接接触する意見だが、トニトルスは慎重に事を進めた方が良いと主張する。
「ミルト、お前が決めろ」
トニトルスがミルトに判断を促す。
(久しぶりに師としての教導⋯⋯ダンジョン以来か)
「分かった。そうだな、地下組織と言っても、大小あるだろう。規模を把握してからの方が良いと思う。だが、この影の対象と接触しない限り、地下組織への繋がりが無い。ここは何か手を打つ必要がある」
「拳の出番か?」
パイシーが拳を顔を前に持ってきてアピールする。
「ああ、頼りにしてる。でもそれは最後の手段にしたい。確かに戦力的には勝てそうな気もするが──伯爵家と繋がっているとしたら、俺達の動きにはまだ気付かれないようにしたい」
「うむ。それが良いだろう。影の対象に会ってどうするか、だな」
「そこからはお任せ下さい、ミルト兄さま」
これまで静観していたイモートが前に出る。
「うん、頼めるか?」
「お役に立って見せます」
「あ、そっか。イモートちゃんのスキルで、相手に警戒されずに近付いて、情報を話させるんなや?確かにこっちにも潜入のプロがおるんやったわ!」
「2500年の確かな実績。成果を上げたら、ミルトにハグくらいしても良い」
プルフルが大きく頷いて勝手にミルトを褒美として差し出した。
「それくらい、いつでも構わないが⋯⋯それより街道に戻ろう。魔導車は目立つからここまでだな。同じ行き先の馬車にでも乗せて貰えた楽なんだが──」
ガルマックス領はフェルム辺境伯家の遠縁にあたる貴族家だ。かなり近く、森を突っ切れば馬車で半日程度の距離なのだが、徒歩では2日は掛かる。
今回は未帰還の2人の痕跡を辿るために街道を外れてしまったが、街道であれば護衛付きの乗り合い馬車が定期的に運行されており、それに乗ることが出来れば、かなり時間を短縮する事が可能だ。
4人が頷き、プルフルは影の軌跡を消す。それでもプルフルには見えているらしいので、フワフワと地面から少し浮かびながら移動するプルフルに、何となく全員が続く。
5人は、森の中を北東に向けて歩き出した。
◇
「待て、止まれ。⋯⋯私の左前方。おかしな気配がする」
トニトルスが足を止め、流れる様な動作で背中から巨剣を抜き放ち、低く構えた。
ミルトも即座に腰の剣を抜いて構える。トニトルスの言う方向に意識を向けて『共感』を発動すると、森の奥に場違いな気配が滲んでいる。だがそれが何なのかは掴めない。
(何だこの、例えようのない⋯⋯不快感は)
少しずつ歩みを進めると、それが見えた。
枝葉の隙間から差し込む木漏れ日の中、立っていたのは、灰色の髪をきっちりと撫で付け、漆黒のスーツを寸分の乱れもなく着こなした男。
貴族の屋敷に仕える執事としか思えぬその姿は、湿り気に満ちた自然の中では異様に浮いていて、まるで長閑な風景画に紛れ込んだ影のように、不気味な存在だった。
(ぐっ⋯⋯なんだ、死者達の声が、少し静かにしてくれ!)
ミルトの頭に直接響くように死者達の何人かが騒ぎ出している。警鐘を鳴らすかのように怨嗟の声を上げ続けていた。
男がこちらに気付く。いや、恐らくは気付いていたが、ミルト達が近付いたので振り向いただけだろう。男は靴底に一片の土さえ付けず、優雅に歩み寄ると、芝居がかった動作で一礼する。
「これはこれは、人間の方々。深き森にてお目にかかるとは、まことに光栄でございます」
自分達を“人間”と呼ぶ目の前の男に、全員の警戒レベルが上がる。
「いやはや──やはり、呪は解かれておりましたか。実に見事ですな」
低く澄んだ声には、丁重さと同時に愉悦が滲む。
男は懐から金属の鍵束を弄び、わざとらしく光を反射させた。
「ご存じないでしょうが、ソレに付けていた呪はソレ自体も含めて、私の古き仲間が生み出した“作品”の一つでしてね。まあもっとも、仲間は既に何処ぞで滅んだらしく、その研究所は⋯⋯私が勝手に引き継がせて頂いておりますが」
その言葉は、森の湿った空気を鋭く裂く。明らかにイモートひ指をさして“ソレ”と呼んだ。
男の持つ鍵束の幾つかは、黒く煤けていた。
彼の灰色の瞳は冷たく光り、目の前の存在を値踏みするように細められる。
「だからこそ、様子を見に来たのです。呪いから解き放たれた理由を、ええ、まずは知らなくてはと思いましてね?」
優雅な微笑みと共に、森の空気はさらに冷え込む。
丁重さに覆い隠されたその男の本性は、礼儀という仮面を纏った凶悪さそのものだ。慇懃な態度から滲み出すほどの悪意と傲慢さ、そして──悪意。
「では、返していただきましょう。持ち主に無断で歩き出す人形など、本来あってはならぬこと。剣は下げて頂きたいですね。私はあくまでも、人形を回収しに来ただけでなのですから。⋯⋯もっとも、穏便に済むかどうかは貴方がた次第ですがね」
丁重な声音の裏には、冷徹な支配の欲望が潜んでいた。 明確な悪意を感じながら、ミルトは思った。
(死者の声が煩くて殆ど聞き取れなかったが、イモートを差し出せと言ったのか?)
男が、不気味な圧を放ちながら一歩を踏み出す。
森にそぐわぬ黒いスーツ姿の男は、ただの執事のように見えながら、言葉の端々に支配者の傲慢を滲ませている。
しかし、その申し出を受け入れる余地は無かった。
「──断る。お前が何処の誰だか知らんがイモートは渡さん」
ミルトの声は短く、鋭く、躊躇いなど欠片も無い。
たった一言の拒絶が、森の空気を震わせる。男の薄い笑みが一瞬にして凍り付く。
同時に、ミルトの瞳が強く光を帯びる。
『共感』──発動
突如として、尖兵の胸奥に隠されていた高慢な愉悦や所有欲、嘲りの念が、冷たい奔流となってミルトの内に流れ込んでくる。
──悪意 ──破壊 ──謀略 ──強奪
瞬間──ミルトのスキルが途切れた。
男は眉を顰め、初めて礼儀の仮面を崩した。
「⋯⋯なんだ今の感覚は? まさか、神の与え給うたスキルかね? ほう、顔付きを見て何となく察してはいたが、なるほど少年は高貴な出のようだ。クックック、人間共の最後の砦か。クックック」
森に満ちる緊張は一気に張り詰め、二つの意志が静かに衝突する。
(人間種への憎悪と悪意⋯⋯こいつの感情には共感が出来ない。──つまりそういう事か)
そんなものに共感など出来る筈が無い。死者達が怨嗟の声を上げる訳だとミルトは納得した。
これが──魔族。




