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20/55

20、今晩は⋯⋯の続き

 踊り子の彼女の表情が固まった。


 一転して、ミルトを警戒する心が伝わって来る。


「⋯⋯リーシャよ。お兄さん。イヴって誰?」


 余計な事を言ったのは分かっている。だが言わずには居られなかったのだ。ミルトの耳には今も尚、死者の声が聴こえている──。


 イヴの兄ナキアスの、妹を救えなかったと嘆く無念の声が、生きていてくれたのか、という喜びの声が。


「そうか、リーシャ。ならそれで良い。生きていてくれたなら、それで良いんだ。ただ、ナキアス──君の兄と知り合いだったから、君が生きていてくれて嬉しいんだ」


「っ──!? 兄を知ってるの!? どこ! 兄は今何処にいるの!?」


 イヴが少し汗ばんだ身体を近付けて詰め寄る。微かに香水の匂いが鼻腔をくすぐった。


「残念だがもう、ナキアスはこの世に居ない。期待させて済まない。彼は最後まで君が死んだと思い込んで、死に場所を探し続けて、戦場で散ったんだ」


 ミルトの言葉を聴いたイヴは、両の目に涙を溜めて、顔を覆って泣き崩れる。ミルトはゆっくりと彼女の汗ばんだ背を撫でる。驚異的な集中力を発揮し、絶対にいやらしくならないテンポを死守する。


(ナキアスの声が聴こえる気がする⋯⋯)


「イヴ⋯⋯じゃなくて、リーシャ。君が生きていてくれて、本当に良かった小さい頃からの夢を叶える途中なんだな」


 漸く泣き止んだリーシャに、改めて感謝の意を伝えた。


「グスッ、もうイヴで良いわよ⋯⋯今更じゃん」


「そ、そうか? ならイヴ⋯⋯生きていてくれて」


「もう、それももう聞いたってば」


「う、うん、そうだな。──泣き止んでくれたか」


「ハァ〜。貴方って顔は綺麗なのに、全然女慣れしてないのね。──そこが可愛いけれど⋯⋯ところで兄とは何処で知り合ったの? 貴方くらいの歳だと⋯⋯あ、ごめんなさい今更だけど、名前訊いても良い?」


「そう言えば約束してたな。俺はミルト。お兄さんとは──地下のダンジョンで知り合った。いや、有りのままを言うと、アンデッド化したナキアスと出会って、記憶と感情を受け取ったんだ」


「うそ──お兄ちゃん、アンデッドに⋯⋯?」


 イヴは顔を真っ青にして驚く。咄嗟に幼い頃の呼び方をしてしまっていた。身内がアンデッドになっていればショックを受けるのも当然だろう。


「大丈夫、心配しなくていい。今はもう楽園にいる」


 楽園とは人が死んだ後に行くとされる場所の事だ。


「そう──感謝するわ、ミルト。兄を送ってくれたのね。 ところで、記憶と感情を受け取るってどういう事?」


「⋯⋯そういうスキルなんだ。他人の感情に共感する。強い感情だと記憶も流れ込んでくる。ナキアスもそうだった。今も君に会えて嬉しいという感情に共感している。一人にして済まないと──っ!?」


 イヴがの手が、カウンターの上にあるミルトの手に重なった。驚いてイヴの顔を見つめると──瞳が潤んでいた。


「ミルト、私の感情も覗いたでしょ?」


 ミルトは、余計な事を話したかも知れないと、少し後悔した。


「それは、すまない。けど、それで初めてイヴがナキアスの妹だって──っ!?」


 イヴと手を重ねた所から、気付けば指を絡められていた。心臓の鼓動が大きくなる。


「バカ正直に言っちゃって⋯⋯。貴方、本当に可愛い人ね。ねえ、私の今の感情も、受け取ってるのかしら?」


「あ、いや⋯⋯今は使ってないから、その──」


「そ、じゃあ言葉にするわね。ミルトに応援されて、踊るのがを愉しいって、また感じる事が出来たわ。ありがとう」


(なんだ、感謝を伝えたかっただけか)


「そんな事なら気にしなくていい。俺も──」


 イヴは憂えた表情で少し視線を下に向けて、ミルトに話し出す。


「兄の行方を知って、でも直ぐに死んだと知った。今も凄く哀しい気持ちよ。家族を思い出しちゃったの。父と母が居たお家を⋯⋯戦争で失って、そして兄と生き別れた。独りぼっちで生きて来たの。──ねえ、ミルトは本当に、私が生きていて嬉しい?」


 泣いたせいで化粧が少し落ちているのに、先程よりも圧倒的に色気が増していた。


「ああ勿論だ! 俺にとってもイヴが幸せなら──」


「嬉しい──。ねえミルト」


 イヴが、ミルトの手を両手で掻き抱く。潤んだ瞳で真っ直ぐに目を見ながら話し出す。少し頬が赤らんで見えた。ミルトは彼女から目が離せない。


「寂しいの⋯⋯。今までの色んな事も思い出しちゃった。いま独りぼっちはイヤなの。⋯⋯だから今夜、部屋に戻ったら、幸せじゃなくなると思う。一人じゃ眠れないの──だから、ね?」


 食い気味に返事をしたせいで、イヴの顔を真正面から、至近距離で見つめてしまっている。更に指も絡め取られていて離せない。


(どうする!? さっきからナキアスの声もうるさい!)


 イヴを見付けてからずっと頭の中で警鐘を鳴らすかのように叫び続けるナキアスの声にツッコミを入れるが、状況は何も変わらない。


(これはマズい──だいたいイヴは美人だし愛嬌もある⋯⋯踊り子だけあってスタイルも良いし香水のセンスだって良い、というかこれは香水じゃない何か凄くいい匂いまでしてる!)


 ミルトも、イヴには幸せで居て欲しい。そのイヴがこんなにも寂しそうな顔で──縋るようにして、潤んだ瞳でお願いしてきている。


 ──今夜、彼女を一人寝させるのが冒険者のする事か?


(まだ半日だし何の依頼も熟してないだろ)


 気の所為か、声まで聞こえた気がする。何となく他の冒険者出身の死者達までもが、囃し立てている気がする。いや、何なら騎士や貴族までもが混ざっている気もする。


(誰だルイスの方がマシとか言った奴! あんなのと一緒にするな!)


 ──だがルイスはお前と違って積極的だったぞ?


(あれは積極的とはまた違うだろ。だが確かに、こんなにも可愛いイヴが、こんなにも俺を求めてるんだよな⋯⋯。ああ、わかったよ、腹を括る! もうここで⋯⋯今夜俺は⋯⋯)


 ミルトは決意する。


 ──どうせなら格好付けろ。冒険者の名が廃るぞ。


(もう普通に聞こえてるな、死者の声が。もしかして酒のせいか?)


 こういう時は結託するらしい。相変わらずナキアスは凄くうるさいが。


「イヴ──その先は言わなくていい」


「ミルト⋯⋯」


 イヴは恥ずかしげに頬を赤らめて、だが嬉しそうに、まるで花が開くような笑顔を向けてくる。


(可愛いな。俺は何を悩んでいたんだ)


「わかったよ。今晩は⋯⋯」



 ──その瞬間だった



 ──静けさを裂くように、空気が震えた



 酒場の入口から、膨れ上がるような“強烈な気配”が押し寄せる。その場にいる者達は、身体全体を押さえつけられるような、圧倒的な圧力を感じた。


 濃密な死の香りと、血肉を剥がされるような感覚。魂を削られるような冷気が、酒場全体を包み込む。


「ひっ、ひぃッ!」

「なんだ!! なんだってんだチクショウ!」

「やべぇ⋯⋯やべぇぞ。なんか来やがる⋯⋯」


 酒場の客達はその場に膝をつき崩れ落ち、冒険者たちは手足を震わせて動けなくなった。


「脚が、脚が動かねぇ! あ、あああ⋯⋯」


 気配が近付くにつれ、空気が重くなる。喉が詰まる。まるで大気そのものが意思を持ち、この場を支配しようと迫ってくるような圧力。


 正体も分からぬまま、恐怖だけが膨らむ。

 ミルトは、眉根を寄せて入口を鋭い目で見つめる。


「はっ──はぅ⋯⋯」


 失神して倒れ込むイヴの身体をミルトは支える。


 圧倒的な存在感が、店の入り口まで迫っている。ミルトはイヴを支えたままで、警戒を最大まで引き上げ、臨戦態勢に入った。


 酒場のスイングドアが、場違いに軽快な音と共に、ゆっくりと内側に開かれた。


 店内に“何か”が入った途端、酒場から逃げ遅れた全ての人間が失神し──床やテーブルに倒れ込む。


「⋯⋯今晩は。ミルト、何してるの?」


 入店したプルフルが、口だけで薄っすらと笑いながら挨拶をする。瞳が紅く輝いている。


「今晩は。どうしたミルト、改まって挨拶などと。『わかったよ。今晩は⋯⋯』その続きはなんだ? 今晩はの後を教えてくれないか我が弟子よ」


 その今晩は、は挨拶じゃないが、もうそれで良い事にしたい。トニトルスの瞳も紅く輝いている。


「はいはい今晩は〜ミルト君。随分と葛藤しとったらしいですなぁ〜⋯⋯ん〜? これはまた、と〜っても香ばしい匂いがしますわぁ〜♪ クンクン⋯⋯う〜ん、この香りは、アレやねぇ──ミルト君、立派なチェリーの香りやねぇ?」


(チェリー? カクテルの香りが残ってるのか? よく分からんが⋯⋯イヴが気を失っていて良かった)


 さっきまであんなに煩かった死者の声もピタリと止んでいる。


「──三人ともどうしたんだ?俺は情報収集の為に酒場に来ていたんだが情報は買ったから今直ぐ帰る所だ。一緒に宿に戻らないか?」


(つい早口になってしまうのは何故だ⋯⋯)


「そうだな、そうしたいところだが、どうやら今夜は一人では眠れないという娘が、この酒場に居ると聴こえてな⋯⋯ミルトが困ってるのかと思ったんだが?」


(トニトルス、どこから聴いていたんだ⋯⋯)


 トニトルスが俺だけに向絞って圧力を掛けてくる。ミルトは息を呑むように喉を鳴らし、呼吸を整えてから、毅然とした態度で答えた。


「⋯⋯いや、知らんな」


 ミルトの言葉に反応したのはプルフルだった。


「そうだよね? トニトルスが、ミルトがそう言われて困ってるって言ってたから⋯⋯ねえところで、さっきからミルトが抱っこしているソレは?」


 途中から声の質が変わり、低い声でイヴを指差して問い掛ける。失神したイヴを支えたままなのを忘れていた。


「ああ、多分その娘だミルト。違うか? どうやら一人で眠る事が出来たようだな?」


「ああ⋯⋯そうかも知れない」


(なんで俺は詰められてるんだ!?)


 ナキアスも他の死者達も何も言って来ない。さっきまで頭の中で喚いていたのに、今こそ何か役に立つ事を話せ、とミルトは憤慨する。


「⋯⋯ソレ、いつまで抱いてるの?」


 ミルトは、全身の毛穴から針を突き刺されたかの様な錯覚に陥った。プルフルが地の底から絞り出したような低い声で問い掛けてくる。


「起こせば良い?」


「あ⋯⋯ああ、出来るのか? いや、優しく頼むぞ? 知り合いの妹さんなんだ」


 嘘ではない。嘘ではないのに、何故か冷ややかな視線で3人が見て来る。


「本当だ」


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯


 分かった」


 不服そうな顔を隠そうともせず、プルフルが全身から薄く魔力を解放する。瞬く間に店内に魔力が行き渡る。プルフルが短い呪文を唱えると、肌に少しだけ刺激を感じた──途端、店内で気を失っていた客や店員が目を覚ました。


「へ? なんだ? 俺寝てたのか?」

「うえっ! 顔に肉がへばり付いてるじゃねぇか!」

「きゃー! 麦酒こぼしちゃってる! 店長〜」


 店内は阿鼻叫喚の様相を呈した。

 イヴも気が付いたようだ。


「あら? 私⋯⋯あ、ミル⋯⋯ト⋯え、誰?」


 まだ混乱しているところに3人が話し掛ける。


「今晩は〜気ぃついたぁ?」

「我々はミルトの保護者だ」

「起きたなら早くミルトから離れて」


「え?え?なに?なんなの?」


(誰が保護者だ。パーティメンバーだろ)


 気が付いて早々に敵意丸出しの美女3人に詰め寄られるのは辛いだろうと、ミルトはイヴに声を掛ける。


「イヴ、落ち着け。君は少しの間、気を失ってた。まだ本調子じゃないかも知れない。部屋に戻って横になった方が良い」


 イヴはパチパチと目を瞬かせて、口を開く。


「あ、じゃあミルトもいっしょ──」



 ──瞬間、地面が揺れた。



 腹の底に響く程の衝撃。重い何かが落ちた様な衝撃が酒場の床を伝い、酒場全体を揺らす。酒場で騒いでいた客達も黙り込み、身を守るために体を丸めた。


 ミルトが震源地を確認すると、パイシーの足元の床が、右足を起点に波紋のように波打っていた。


(絶対こんな場面で出す技じゃないだろ!)


「ほな、そろそろ宿に帰ろか〜。作戦会議するんやろ? まさかとは思うけど、すっぽかそうとしたんやないよなぁ? ミルト君がウチらに言うたんやで? さっきおぅたばっかりの酒場の女にしなだれ掛かられて、頭から抜けてたんやないよなぁ? なぁ?」


 パイシーは東方由来のガラの悪い口調でミルトを責め立てる。語尾にゴラァッとか付きそうだ。


「いや⋯⋯そんな事は無い⋯⋯少し遅くなったかも知れんが」


(⋯⋯しくった。パイシーの言う通りだ)


 3人の、恐ろしく冷え切った視線を当てられて、ミルトは自分が小さくなった錯覚を覚えた。ここに居るのは良くない、早々にこの場を離れた方が良さそうだと判断する。


「イヴ⋯⋯今日は部屋でゆっくり寝てくれ。必ずまた──」


 混乱したままほイヴに向けて話している途中に、トニトルスとプルフルに腕を掴まれ、両方とも腕を組まれて立たされ、そのまま出口まで並んで歩かされる。


 まるで二人の美女をエスコートする様な形だが、実際には連行されている状態だ。


(約束を忘れてたのは⋯⋯俺が悪いよな)


 外に出ると、冷たい夜風が頬を冷やす。酒気や恐怖心を少しだけ和らげてくれた。


 改めて3人の顔を見ると──まだ目が紅く光っていた。まるでダンジョンにいた時の、スケルトンだった頃の様だ。


「ミルト君、今度から一人で行動すんの禁止な?」


 可愛いが獰猛な笑顔でミルトの行動を勝手に規制するパイシーに、ルトは溜め息混じりに返事を──


 その時、目の端で何かが動くのが見えた。


 路地の奥に目を向けると、フードを深く被った小柄な影が見える。肩の揺れ方、歩き方の癖──見覚えのあるシルエット。


「⋯⋯あれは」


 妹。記憶に刻まれた後ろ姿と酷似していた。心臓が高鳴る。パイシーの声が背後で呼ぶより先に、俺は駆け出した。


「追うぞ」


 石畳を踏む靴音が夜の静けさに響く。影を見失う訳にはいかない。作戦会議の議題も、答えはあの小さな後ろ姿の先にあるのだから。


(⋯⋯助かった)


 ミルトは偽物の“妹”に、今だけは感謝した。

あのシーン好きだったのでもう一度書こうとしたらコミカルになってしまいました。

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