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19/55

19、初めての酒場で⋯⋯

 夕方の街の喧騒を抜け、ミルトは荷物の重みを肩に確かめながら歩いていた。


 商店街で最初に購入した革袋には保存食、干し肉、果実のジャム、油を染み込ませた松明、水袋、そして少し値は張るが、軽銀の針金──これは簡易の罠や、即席の防御柵になる。らしい。


 本で得た知識と、冒険者の記憶からの情報だが、強い糸は様々な場面で役に立つらしい。街の雑貨屋で揃えた品々だが、金を払う価値はあったと思う。


 恐らく似たような物を実家が用意してくれるのだろうが、こういう事を自分でやってみたかったのだ。死者から受けた経験は、生きる術、死なないための術として、ミルトの記憶に焼き付いてはいるが、それは自分の経験ではない。


(何事も自分で経験しておいた方が良いはずだ)


 3人の仲間とは別行動中だ。何となく気まずくなって距離を取りたかった。少し冷静になりたい。このままではパーティ崩壊の危機だ。


 ギルドで別れて数時間、恐らくトニトルスたちは、既に宿で休息を取り、情報整理をしている頃だろう。


 ミルトは死者からの“フェルムならあの酒場に行けば情報をくれる”という記憶を頼りに、歓楽街へ向かっている。


 志半ばで斃れた死者達が今際の際、最期に求めた残り香──そういったものも酒場に残っているらしい。


(行ったこと無いから知らないが、一度は行っておいた方が良いと死者達の声が聞こえる気がする)


 石畳の坂を下り、夜の気配が濃くなる大通りを抜けると、目的の歓楽街が見えてきた。表には酔いつぶれた男が転がり、化粧の濃い客引きの女達、窓からは赤ら顔の客の姿。


(小さな酒場は当たり外れがある、か。目的地は大きくて大衆向けじゃない酒場だったか⋯⋯確か目印は)


 死者の記憶を頼りに歩く。


(フェルム出身の冒険者が居て良かった。⋯⋯いや、怨みを残して死んだから、良くは無いのか。ああ、ここだ)


 目についたのは大型魔獣の骨に、店名が刻印された看板。大きな酒場だ。スイングドアを押して店内に足を踏み入れると、麦酒と獣肉の匂いが、むわっと顔に押し寄せた。冒険者ギルドとはまた違う、食欲を刺激する油の匂い。


 慣れないざわめきの中にミルトは足を踏み入れた。


 酒場の規模は、真ん中にある小高いステージを外して、テーブルが10、だいたい40席。カウンターを入れて50席だろう。2階もあるようだ。


「いらっしゃいませ! お好きなお席にどうぞ!」


 まだ開店して間もないからか、席を選べる。


「よし⋯⋯。ここだな」


 冒険者の記憶を頼りにカウンターに座ると、正面から体の大きなスキンヘッドの男が話し掛けてくる。


(記憶では髪があったが⋯⋯色々あったのか)


「見ない顔だな。メニューは上に書いてるのを好きに頼め。字が読めないなら予算を言えば適当に出す」


 ミルトは黙って銀貨を2枚置く。1枚ずつ、音を立てて──。一人で食事をするには高額だ。


「⋯⋯オイ、客だ」


 カウンターで銀貨を受け取ったスキンヘッドは、ミルトから遠く、カウンターの奥の方でジョッキを傾けていた中年冒険者風の男に声を掛ける。


 そいつはにやりと笑い、ミルトを手招きする。


 席を移して隣に座ると、杯を傾けながら独り言のように話し始めた。どうやら冒険者の求める新しい情報を、まずは勝手に話すルールらしい。


 山道に出没していた大規模盗賊団が先日、領主軍に討伐された話、交易路に流れ込む新素材の武具の出所について、隣接する国の貴族が密かに雇った傭兵団は魔導車を保有している──ミルトは興味深く耳を傾ける。


 聞いている間、ミルトの席には、焼いた肉と炒めた野菜の入ったプレートが置かれる。飲み物は麦酒だった。


(麦酒か⋯⋯ワインしか飲んだことが無いんだが。まあ何事も経験か)


「ざっとこんなもんだな。他に聞きたいことがあれば1つだけ受け付けるぜ?」


 ミルトは上品に切り分けた肉と、野菜を一緒に口に放り込んでから質問する。麦酒は苦いが、舌で味わわずに飲み込むと、肉と合うという死者の言葉に習ってみたが、苦いものは苦かった。


「領主の娘について何か知らないか?」


 中年冒険者──情報屋の雰囲気が剣呑なものに変わる。


「⋯⋯おい、ここの領主に迂闊な事を──」


「危害を加えたい訳でも接触したい訳でもない。ただ領主の娘をアンタが知っているかを知りたいだけだ」


「⋯⋯変な奴だな。まぁ良い、領主の娘は第三婦人の産んだフィラメリア嬢とミーティア嬢だな、確か年齢は──」


「正室の娘は?」


「あん? 正室に娘は居ねぇよ。息子が二人だ」


「それは、この街の皆が知る事か?」


「?? ⋯⋯ああ、まあそうだろうな。ここは辺境だ。貴族と平民の距離は割と近い。領主様の子供が産まれると街全体で祝うんだよ」


「分かった。それで充分だ」


「そうかい? 毎度あり。おっと交代の時間だ。またな坊っちゃん」


「ああ」


(坊主とか坊ちゃんとかいつまで呼ばれるんだ俺は)


 ミルトも貴族の家に生まれたからか、自分の見た目がそこそこ整っている事は知っているが、若く見えるのは何故だろうか、と、席が埋まってきている酒場を見渡して、はたと気付いた──。


(もしかして、日焼けしてないからか?)


 だからまだ、労働に従事する者にも、冒険者にも見えないのか、などと益体も無い事を考えていると、ふと隣に誰かが腰掛ける気配がした。


 振り向くと、見目の良い若い女がいてミルトの顔を覗き込んでいた。踊り子のような軽やかな衣装に身を包み、肩を出した薄布が柔らかく揺れている。


 下品にならない程度に紅を引いた唇、癖がなく真っ直ぐに下ろされた艶のある黒髪に栗色の瞳、微笑むその顔に思わず目を奪われる。


 若い女は小首を傾げてこちらを見上げる。


「今晩は〜お兄さん。初めましてよね? 随分と荷物が多いのね?」


 低く柔らかい声。


 頭に警鐘が響く。誰かの声が聞こえた気がした。

 ミルトは咄嗟に『共感』を発動──


 女の感情がミルトに流れ込む──


 ──疲労の奥にある好奇心

 ──認められたい欲求

 ──死に別れた家族への回帰

 ──若い男への少しの情欲

 ──心を通わせたい寂しさ


 女に敵意や害意が無い事は分かった。だが俺ミルトの心は少し乱される。女性のこういった感情に疎い部分が刺激されてしまうのだ。


「え、うん。ああ、ちょうど旅の準備をしてたんだ。旅はこれからだが」


「ふふ、ちゃんと教えてくれるのね。お兄さんって真面目そう。ねえ、少しお酒に付き合ってくれない?」


「構わない。どうせ1人だ。良ければ一杯奢るよ」


 ミルトは一度も女性とお酒を飲んだ事などないが、冒険者の記憶を頼りに、必死に格好を付けてみた。



「ふふ、お兄さん凄く可愛い♪ ねえ⋯⋯別の部屋でもう少し飲まない?」


 適当に記憶にあるフェルムの冒険者達の話をしながら何杯か飲んだ後、踊り子の彼女──リーシャというらしい──は、そんな事を言ってきた。


(? なぜわざわざ別の部屋で⋯⋯あっ)


 言葉の意味を理解すると、ミルトは耳まで赤くなった。思わずジョッキを握り締めて中身を飲み干す。


 呼吸を整えようとしたその瞬間、また頭に警鐘が鳴るように、誰かの声が聞こえた気がした。


 ミルトは動揺して無意識に女の心を探る。


 心の奥には「認められたい」「触れられたい」ただ人としての温もりを求めて、相手にも求められたい、そんな感情が見える。確かにミルトには好意を抱いているようだが、それはほんの些細なもので、恐れと商売と倦怠感が大半を占めている。


(彼女が本当に欲しいものは、俺との触れ合いなんかじゃないんだろう)


 ミルトは彼女が欲しがるものを満たすように、言葉を選ばず口にしていた。


「それより俺は、リーシャの踊る所が見たい」


 彼女の瞳が少し大きく開き、眉が寄った。彼女の心の奥に、少しの安心と驚きが広がるのが分かる。俺は言葉を続ける。


「冒険者ってのは人を救うんだ。人にはそれぞれに世界がある。なら世界を救うのと同じだ。リーシャは踊りで世界を救ってるんだろ? この酒場の誰もが、君に救われるのを待っている。そしてそれは俺もだ」


 女の肩がゆっくりと緩むのを感じた。胸の内に押し込めていた孤独や寂しさが、俺の声に触れて少しずつ溶けていくようだった。


「なあにそれ? 変な口説き文句ね。⋯⋯ねえ、もしかして私、お兄さんに振られちゃったのかしら?」


 ミルトが遠回しに部屋に行きたくないと伝えた事で、夜の顔ではなく一人の人間として、目の前で安心して呼吸が出来る相手として認識してくれたようだ。だが女としてのプライドは傷付いたらしい。


「そんな訳無いだろ。今この場にリーシャ以上に魅力的な女性なんて居ない。ただリーシャの踊りで、俺の世界を救って欲しいだけだ」


 ミルトは踊り子の目を真っ直ぐに見て、彼女が真に欲する言葉を投げ掛ける。


「⋯⋯ありがとう⋯⋯。誰も、そんな風に言ってくれたことないから⋯⋯嬉しい。ちょっと大袈裟な気もするけどね?」


 胸の奥にぽっと温かいものが灯る。微笑みながら、彼女は目を潤ませた。俺は微笑みを返し、彼女の感情をそっと撫でるように『共感』し続けた。


「例えば踊り終わった君が、疲れた顔をしていても、息を切らせていたとしても、俺にとっては十分に価値があるから、踊ったらここに戻って来てくれるか? 待ってるから」


 彼女の瞳に光が戻る。微かに震えていた唇が、少しずつ落ち着きを取り戻したのを感じる。酒場の喧騒に埋もれた小さな声で、感謝の言葉が漏れた。


「褒め過ぎ。それに台詞もキザ過ぎ。でも⋯⋯ありがと、じゃあ1曲踊るわ、ちゃんと見ててね? お兄さん。戻って来たら名前を教えて──」



 若い踊り子がステージの中央に立つ。


 客の注目が集まったところで、ハイヒールの踵でリズムを取り始める。


 気が付けば、楽器を演奏する者も参加していた。


 灯りに照らされる薄布の衣装は、赤と金の糸で刺繍された流線模様が光を受けて揺れ、踊るたびに柔らかな布が空気を切るように動く。


 肩や背中の露出した部分は、優雅な曲線を描き、彼女の身体の動きに合わせて滑らかに光る。


 踊り子は、両手を軽く広げ、足首を柔らかく使いながら旋回する。指先の先まで気を抜かない、緩急を織り交ぜたステップで客を魅了する。


 小さな跳躍の瞬間、布がふわりと空気をはらみ、観客の視線を吸い寄せる。彼女の目は柔らかく微笑み、唇の端が微かに揺れる。踊りを通して、先ほど言葉で満たされた歓喜の心が、身体全体から伝わってくる。


 周囲の客も、最初は酔いにまぎれた雑談をしていたが、踊りのリズムに次第に耳と目を奪われていく。ジョッキを手にした男たちも、笑いを止めて視線を向ける。


 若手の冒険者は、口をぽかんと開け、魅入られた様子で動けずにいる。中年の冒険者たちも、酒精に任せた喧騒を忘れ、手を止めて彼女の舞いに魅了されていた。


 踊り子は次第にテンポを上げ、軽快なステップで回転しながら前方に進む。布地が風を切り、肩越しに揺れる髪に照明が反射して輝く。


 瞬間──ミルトと踊り子の視線が交差する。一瞬確かに心が通じ合うのを感じた。『共感』で触れた感情が、まるで目に見える形で返ってきたように感じる。


 息を整え、最後のターンで華やかに両手を広げ、背筋をピンと伸ばす。観客の視線が全て彼女に注がれ、一斉に拍手と歓声が湧き、ステージにチップが投げ入れられ、店の手伝いの子達が回収しだす。


 踊り子は優雅に一礼し、花開くような微笑みを浮かべたまま、踊りを締めくくる。


 その華やかな所作は、言葉以上の喜びを伝えていた。ミルトは思わず微笑む。


(彼女の願望は2つ。子供の頃からの夢である踊りで人生を掴み取り、世界に自分を刻む事。もう1つは、帰る場所が欲しい。幼い頃に家族と離れてしまった事で、帰る場所を常に求め続けている)


 ミルトは死者の経験から、先輩冒険者のおかしな言葉遣いを真似て伝えたが、上手くいったようだ。


(見ているか──。彼女は美しく踊り切ったぞ)


 彼女は俺の言葉に触れ、心が満たされた事を踊りで表現していた。世界と呼ぶには小さな舞台。だが純粋に踊りを愛し、世界に訴えかける彼女の熱意は、酒場全体を情熱で満たしていた。


 なにより“帰る場所がある”という安心感が、彼女の才能を十全に発揮する土台となっていた。


 客の拍手と喝采を受け、踊り子は手を振って愛想を返していた。



 頬を赤く染めながら、少し荒い息遣いで走り寄って来た。上気した頬のせいか先程より色気が増している。


「お兄さん、どうだった?」

「ああ、凄かった。見惚れてた」

「ふふ、お兄さんも、ちゃんと救われたかしら?」

「勿論だ。本当に⋯⋯」


 ミルトは貴族の踊る社交ダンスしか知らず、酒場の踊り子の踊りを見た事は無い。


 だが死者の記憶から、彼女が子供の頃から夢を語りながら踊りの練習をしていた事を知っていた。


「本当に、素晴らしかった。俺の世界は救われたよ──イヴ」


 踊り子が目を見開いて、固まった。

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