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16、柔らかな温もり✕2

少し長くなってしまいました。

『きさまぁあ!!よくも娘を!エオラを返せ!!』


『何を仰っているのかしら? ホホホ! 喜んで娘を差し出したじゃない? 手を掛けたのも貴方よ? お腰に着けたそのナイフで、ね?』


 私の眼の前にいる幾何学模様の入った肌を持つ女が、大口を開けてニヤついている。


『貴様が!!! 俺の頭を弄くったんだろうが!! よくも娘を殺したな!!』


『だって貴方、私は訊いたはずですよ? 本当に愛娘を捧げるの? って。喜んで差し出したのは貴方じゃない? 娘は泣き叫んでたのに? ねぇ~? ホホホ!』


 女は心の底から嬉しそうな顔で語り、嘲笑った。


『貴様が、貴様がぁぁぁぁああああううぅ⋯⋯エオラ、エオラ⋯⋯ぁぁあごめん⋯⋯エオラァ⋯⋯』


 男は目の前で高笑いする女に掴み掛かるが、何らかの力で阻まれ、弾き返された。


 思考を操られ、知らぬ間に幼い娘を生け贄に捧げさせられた。恐怖に泣き叫ぶ娘を手に掛け、その死を見守った記憶が蘇る。


 死の間際に意識を正常に戻された男の絶望と、後悔と、身を焦がす様な自分への怒り──自らを殺したくなるような悲痛な感情が、ミルトに訴え掛ける。


「返せ⋯返せ⋯」


 それを愉しげに見つめる──紫紺の瞳が妖しく輝いていた。



(これは、つまり俺も記憶が改ざんされているのか?)

 ──そんなはずがないだろう

(俺に妹なんて居たか?)

 ──目の前に居る

(いや、違う)

 ──なら目の前の少女は誰だと?


(違う、違う違う違う! 俺に同腹の妹は


 ────────────────いない


 いない。最初からいない。


 ならいつから居た?


 憶えが無い。気付けばそこに、妹がいた)


 ──紫紺の瞳の奴ら⋯⋯人外ども


 心臓がドクドクと音を立てて動いているのに、血の気が引いている。混乱して足元がフラつく。地面に足が着いていないような感覚に陥る。


 気付けば、妹の立ち場に居る少女がミルトを正面からジッと見ていた。


(既に──俺の家族に──)


 気付けば右腕に固い物が当たる。トニトルスが優しく右腕を絡めていた。ミスリルの鎧が触れていた。


「歩けるか? 支えるから馬車まで行こう」


 トニトルスが気遣うように囁く。ミルトの心音の乱れに気付いたのだろう。いち早くミルトの傍に回り込んで身体を支えてくれていた。


「ミルト君どないしたん? はよ行こうや♪」


 パイシーがミルトの右腕をぎゅっと抱えて引っ張ってきた。彼女から伝わる体温で、少しだけ現実に引き戻された気がした。


 そっと両肩に手が添えられた──これは背後で浮き上がっているプルフルの手だ。


 まだ前後不覚に近い状態だが、三人の存在を感じる事で、ようやくミルトは歩き出す事が出来た。支えられて促され、領主邸を出て正面にある馬車に乗り込む。領都の冒険者ギルドまでは、辺境伯家の馬車を貸してくれる。


 馬車に乗り、三人掛けの座席に、プルフル、ミルト、パイシーの順に座る。トニトルスは向かいの席に座り、呆然とするミルトに話し掛けた。


「ミルト、落ち着け。さっきから鼓動の音がおかしい。感情が乱れているぞ。肺の空気を全部吐き切ってから深呼吸をしろ」


 ミルトは言われた通りに息を吐ききって、深呼吸を繰り返した。


「ミルト君、大丈夫か?」


 パイシーが背中を擦ってくれる


「⋯⋯ミルト」


 プルフルがミルトの肩に頭を乗せる


「さっきは妹を見ていたな? ──何に気付いた?」


 ミルトは勢い良くトニトルスの顔を見て、目を合わせる。

 不安気にこちらを伺う彼女の表情に、ミルトは心を落ち着けてから、言葉を絞り出した。


「⋯⋯⋯⋯俺に妹⋯⋯なんて⋯⋯居ない」


 ミルトが、吐き出した内容に、三人は顔を見合わせて怪訝な顔をした。


「アレは妹じゃ⋯⋯ない」


 そこまで言って、ミルトは馬車に揺られたまま気を失った。


『必ず殺してやる


            魔族ども』


 死者達の怨嗟の声を聞きながら、ミルトの意識は闇へと落ちていった。



 ミルトは深い闇の底に沈んでいた。


 絹を裂くような悲鳴が、どこからともなく聴こえてくる。

 いや、頭の中に直接響いていた。声は無数に重なり、涙と血の匂いが入り混じる。



 ギルドで仲間と酒を酌み交わす。

 これは冒険者の視界。

 次の瞬間には仲間の魔法使いの首が飛ぶ。別の仲間の手に血の付いた斧。

 それが自分に向かう。その横に立つ斥候の女の、泣き笑いの様な顔。


 ──それを下から見ている自分。


(そういうことかよ⋯⋯地獄に落ちろ)



 視界が切り替わり、瓦礫となった家の前。


 脱力し、物言わぬ座り込んだ若い女。縋り付く小さな白い手。その手をそっと引き離し、ボヤけた視界で歩みを進める自分がいた。


『守る。俺が、妹を守るんだ』


 目が焼ける。視界が切り替わり、先程まで自分と共に戦った仲間と死体の山で寝る自分。

 守るべき者を失い、数多の戦場に死に場所を求め続けた末路だ。


『守れなかった。守れなかった⋯⋯ごめんなイヴ⋯⋯ゆる⋯して⋯くれ』



 視界が切り替わり、美しいステンドグラスが輝く教会。


 荘厳な光に照らされて、自分は跪く。顔から身体に向けて神秘的な模様の描かれた美しい女が、紫色の瞳を光らせて優しく笑い掛ける。


「貴方の娘を救う方法が一つだけありますわ?」


 自分は期待に満ちた目で縋るように頷く。


「でもその為には貴方の愛娘を神に捧げなくてはなりません、どうされますか?」


「娘が助かるなら、喜んで差し出します!」


 その声に従い、解体用のナイフを振り下ろす自分の手。商人は女に感謝の言葉を並べ立てた。


 娘はそのまま壁に飾られた。


 ──これでエオラは助かる

 死でいるのに?

 ──もう苦しまなくて良い

 死んだからだろ。

 ──もう辛い顔を見なくて良いんだ

 もう笑う事もない。笑う事も⋯⋯


「ありがとうございます! これで娘は救われ⋯⋯まし⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯へ?」


 次の瞬間、術を解かれていた。


 目の前には全身を拘束されて、臓腑を晒した身動き出来ない娘。その瞳は恐怖で凍りついて動かない。


 喉が裂けるほど叫び、泣きながら何度も何度も自分の頭を壁に叩きつけ、血まみれの唇で「返せ⋯返せ⋯」と呻き続けたまま、俺は沈黙する。


 紫紺の瞳の女が美しい声で高笑声が聞こえた。



 視界が反転し、別の光景。黒く煤けた地元の道を歩く。


 戦場から戻った自分は、家の中に散らばった黒い羽根と焦げた骨を見つめて立ち尽くす。声が出ない。肩が震えるたび、視界がボヤける。家を離れた自分を恨み続けた。


『全て失った、もはや何も要らん

 幸福も、安らぎも、二度と私には訪れない

 私の人生の一滴残らずを憎しみに変えて

 奴らを滅ぼす為だけに使い尽くそう⋯⋯』


 俺は血が滲むほどに槍を握り締めた。



 鎖が擦れ合う音。また別の光景。

 腰布を撒いて、裸足のまま剣を握らされ、闘技場に押し出された。

 下卑た歓声の中、相手の首を刈る、刈る、刈る、刈る、最後には自分の首が落ち、血が砂に吸い込まれていくのを見つめていた。


『⋯⋯自分はなぜ生まれてきた』



 宮殿の奥。また視界が切り替わる。

 金糸の服を着た貴族の自分は、柔らかい椅子に腰かけ、葡萄酒を傾けて笑う。


 胸元から剣が伸びた。驚いて振り返ると、信じていた家臣の顔が満面の笑みで自分を見ていた。


 顔に⋯⋯魔法陣? 模様??


『こやつ──よくも⋯⋯よくも!!』



 視界が切り替わる、曽祖父の代から受け継がれてきた大切な書斎が、血に染まっている。


 自分は、人に擬態した魔族が国の中枢を食い破っていることに気付いてしまった。

 机の上の書類に崩れ落ちる。

 口から溢れる血で、必死に集めた重要な証拠が滲み、消えていく。


『伝えなければ⋯⋯陛下⋯⋯⋯このままでは⋯⋯』



 視界が暗転する。また死んだらしい。

 まだら模様の混沌とした闇が、にじり寄る。


 気付けば、見慣れた屋敷の廊下。

 妹が振り返り、横目にこちらを覗き込んでいる。

 紫紺の双眸が妖しく揺れる。


 これは妹のフリをした何か。

 唇がわずかに吊り上がる。

 肌に魔法陣の様な幾何学模様が浮かび上がる。


(身体が動かない──誰か──誰かいないの!?)


 ミルトの背後から、腐臭と共に気配が溢れ出す。

 身動きの取れないミルトに向けて、死者達が視界の端から迫り来るのが見えた。


 死者に触れたら最後、彼らの怨念が強制的に意識を侵食する。死者の意識に飲み込まれてしまう。


(駄目だ動けない! 助けて! 誰かいないの!?)


 ──その瞬間、『共感』が反応した


 その時、存在しない他者の温もりを感じた。

 死者達が動きを止める。まるで怯える様に。


 ミルトは必死にその温もりを感覚で辿る──そこに行けば助かる──自分はそれを知っている。



 ミルトは息を飲み、瞼を開く。

 そのまま天井を見つめて息を吐き出すと、冷たい汗で背中が濡れている事に気付く。


「わっ、びっくりしたで。良かった~ミルト君起きたんか。おはよ~さん♪」


 声の聴こえた自分の右側に視線を動かすと、白銀の柔らかな髪が、自分の腕に絡み付いていた。その先を辿ると、美しい褐色の肌の娘が、自分に密着しながら自分を見上げていた。


「⋯⋯⋯⋯⋯⋯パイシー」


 視界に入る光景に現実感が無い。ミルトは確認するように、認識出来た対象の名前を呼んでみた。


「せや、パイシーちゃんやで。うなされとったから声掛けとってんけど、ミルト君ぜんぜん起きひんから、いつの間にか一緒に寝てしもたみたいやわ〜♪」


 改めてミルトの腕に抱き着いて、パイシーが明るく話し掛けてくる。掛け布が捲れて見えるパイシーの肢体は、どう見ても下着だけ⋯⋯。そのあられも無い姿を、呆けた顔でミルトは見つめる。


 先程まで見ていた光景が現実的過ぎた。まだ目の前の光景に実感が湧かない。


 目の前の光景が既に非日常である事も、現実感が伴わない理由ではあるのだが⋯。


「んぅ⋯⋯? あ、ミルト。起きた?」


 ミルトを挟んで、パイシーの反対側で添い寝をしていたのはプルフル。

 艷やかな波打つ黒髪が、ミルトの身体に這うように流れている。


「おはよ」


 ほんの少し微笑みながらミルトの腕にしなだれ掛かり、あどけない声で挨拶をしてきた。


 そしてやはり、プルフルも下着姿──。


「⋯⋯おはよう。いや、ちょっと──状況が⋯⋯これは、まだ夢か?」


「そうそう、まだ夢の中やから、ウチにもっとくっついたらええよ?」


 パイシーが更に密着して、柔らかな温もりの面積が増える。ミルトは硬直して動けなくなった。


 対して、プルフルも小首を傾げて腕をぎゅっと抱きしめる。こちらも柔らかな温もりを肌に感じる。


「嘘は駄目。今は朝。まだ寝る時間」


「いやなんでやな、朝は起きる時間、いや夢の中⋯⋯もうええわ。ミルト君、お腹空いてへんか?」


 パイシーが、ミルトの腹に腕を回し、腕に頭を擦り付けて話し出す。


「え、お腹⋯⋯ああ、お腹が空いたな。⋯⋯トニトルスは何処だ?」


 ほんの数秒前まで凄惨な光景と死者の怨嗟の声を感受し続けていたはずが、今この身に受ける柔らかく甘美な感触とのギャップにより、ミルトの頭の中は混乱の極みにあった。


 焦ったミルトは、3人の中で一番、話が通じそうなトニトルスの行方を訊いた。


「トニトルスやったら隣の部屋で寝てるはずやで」

「もう起きてると思う。耳が良いから呼んだら来る」


(確かに耳が良いから聞こえてそうだ)


 ちょうど木製のドアがノックされて、ドアが開かれた。盆の上に朝食を載せたトニトルスが入って来た。しかし彼女は眉根を寄せてベッドの上に居る3人に鋭い視線を送った。


「起きたようだな。ミルト、調子はどうだ?」


「ああ、昨日より良い。すまない、世話を掛けた」


 恐らくここは街の宿で、3人が運び込んでくれたのだろう。


「気にするな。昨日までずっと寝不足だっただろう。それに殆ど何も口にしてなかっただろう? 朝食を持って来た。腹に何か入れておいた方が良い


 どうやら、領主邸で出された晩餐に、殆ど手を付けなかった事を見ていたらしい。夜寝ていなかった事も⋯⋯。


「ありがとう。ようやく腹が空いたから、頂くよ」


 トニトルスは、ミルトの返事に優しく微笑み「そうか、安心した」と言って小さなテーブルに盆を置く。


「ところでお前達、一旦部屋に戻れ。ミルトの食事の邪魔になる」


 トニトルスがプルフルとパイシーに部屋に戻るよう促す。先程からミルトは、触れている部分から固まっていたので、本当に助かった。


「それは無理や。ウチは今からミルト君にア~ンてしたらなあかんのや」

「食べるとこ見てたい」


 2人は抗議の声を上げてミルトに密着する。


「それが邪魔だと言ってるんだ。あと服を着ろ。なぜ脱いでるんだ。夜になっても戻らんから看病しているのかと思ったら、添い寝していとは⋯⋯今は破廉恥な事は慎め」


 トニトルスは、ため息混じりに説教を飛ばす。


「ハレンチて言葉使う人、初めて見たわ」

「これが夜の正装」


 2人の態度にトニトルスは溜め息を吐き出して言葉を返す。


「そんな訳あるか。良いからさっさと服を着て部屋に戻れ。少し遅いが私達は下に降りてから朝食だ」


 トニトルスの言葉にブーブーと文句を言いながらも、ミルトに気を遣ったのか、2人はベッドから抜け出した。ミルトは2人の後ろ姿を見ないよう天井に目をやる。


(知らない天井だ⋯⋯当たり前か)


 ミルトが心を遠くに飛ばしている間に、二人が服を着てトニトルスと部屋を出ていく。


「また後でね」

「しっかり食べるんやで?」

「食べ終わったらまだ休んでいて良いぞ」


 3人でミルトを気遣ってから、ドアを閉めた。


 気付けば、先ほどまで見ていた悪夢が、頭から乖離している事に気付いた。朝からの過剰なスキンシップも騒がしさも、あの2人なりの気遣いだったのかも知れない。うなされていたミルトが起きた時に、悪夢を引きずらない為にしてくれたのだと思う事にした。


(本当に、彼女達には救われてるな)


 ミルトは感謝しながら、ベッドを出て朝食に取り掛かった。

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