15、紫紺の瞳
「一人で勝ち抜くとはな。想像もしなかったぞ」
演習場に迎えに来たオルムに連れられて、執務室に移動したミルト達に、辺境伯は真っ直ぐにミルトの目を見て話し始めた。
「父上の思惑は理解してるつもりだ。彼女達の戦闘力を周知させる事で、辺境伯暫定次期当主の俺には強力な味方が居る、周知する目的だったんだろ?」
当然、ミルトが勝つなどとは考えておらず、ミルトは負けて辺境伯領に残り、強力な三人に護られている事で、次期辺境伯候補として据える事を周囲に納得させるのが今回の目的だった。
「そうだ。気付いていたか。ミルト⋯⋯お前に一体何があった? そこまでの洞察力、いや想像力もだが、お前はもっと⋯⋯」
父が言い淀んだので代わりに言ってやる。
「愚鈍だった──か?」
「⋯⋯ああ。厳しく育てた積もりでは居たが、一途ではあっても視野が狭く落ち込みやすかった。なにより、形にはなっていたが、あれほど圧倒的な武力はなかったはずだ」
「もう、報告は受けてるんだろ? 例のダンジョンで、文字通りの死線を潜り抜けたからだ。それに、剣術は昔からずっとやっていた。スキルのインパクトが強くて忘れてるんだろうけどな」
父がゆっくりと頭を振って応える。
「そうか⋯⋯そうだったな。お前は努力を惜しまぬ子だった。実戦によって昇華されたか」
「まぁ、トニトルスという剣の師に出会えた事も幸運だった。スキルが戦闘寄りでも、身体が動かないと意味が無い⋯⋯努力は無駄じゃなかった」
ミルトは、スキル『共感』の及ぼす効果について詳しく話すつもりは無い。目の前のフェルム辺境伯は、息子の努力をスキルの優劣で見限った男だ。その事実は変わらない。そこまで話す義理はもう無いだろう。
「⋯⋯」
父は押し黙ったまま、口を閉じた。
「約束通り、ここに残る理由は無いから俺は行く」
「⋯⋯」
(なんとか言えよ⋯⋯)
「ハァ、皮肉で言うわけじゃないが、これ以上、継承問題に巻き込まれたく無い。俺には向いてない」
辺境伯次期当主として邁進していたつもりが、現辺境伯家の第一夫人と第二夫人の確執や、生家の思惑にも気付いていなかったのだ。自分に貴族は向いていなかったと、ミルトは実感した。
「⋯⋯すまなかった」
その一言に、様々な想いが乗っている事は、ミルトに伝わった。既に遅いが。
「もういいさ。俺が未熟だったのも本当だ」
「そんな事は無い⋯⋯お前はひたむきに努力していた。お前のスキルに勝手に期待して、辺境と中央の都合に巻き込んで、勝手に失望したのは俺だ。周りにお前の努力を周知させなかったのも俺だ」
ミルトは、意外だという意思を隠そうともせずに父の顔を見つめる。
(“俺”なんて言うのか、父も)
「⋯⋯だがミルト、貴族籍は残しておけ。いざという時の“盾”にもなる」
「それは俺が長子じゃ──」
俺が言いかけると、父は静かに言った。
「今のお前ならばその立場を存分に震えるのではないか? ここを出て行く事を止めはせん。そういう約束だからな。だからこれは⋯⋯そう、依頼だ。フェルム辺境伯エルネストからの依頼だと思ってくれて良い」
「⋯⋯暫定的に嫡男としての地位を持ったまま、囮になれと?」
「それがこの国を、そしてトワイトを守る事になる」
(トワイトを引き合いに出すか。狡い言い方だな。⋯⋯俺の父親ながら、食えない男だ。流石は国防を担う辺境の守り手というところか)
ミルトは、先程から黙っている仲間に目をやる。3人共、特に意見は無さそうな表情で頷きを返す。賛成か、ミルトの決定に従うつもりなのだろう。
「⋯⋯いいだろう。だが支援は渋るなよ?」
「当然だ。オルムから家名章を受け取れ」
(家名章⋯⋯確か大陸の何処にでもある銀行に行けば金が引き落とせて、買い物もツケで精算できる、貴族家の財布用魔道具だったか。俺も使った事は無いが)
「分かった。充分だ。期限はトワイトが当主に就くまでだな?」
「そうだ」
ミルトが貴族籍を抜くとどうなるか──それは、先ほどエルネストが少し漏らしていた“辺境と中央の都合”だ。
伯爵家出身の第一夫人の次男トワイトと、公爵家出身の第二夫人の長男ラプターの年齢が同じ。つまり第二夫人の方が立場は下でも生家の後ろ盾が強い。
ここから生じる軋轢を放置したまま、トワイトが当主になった場合、公爵家からの暗殺の危険が常に付き纏う事になるだろう。敵は家中にあるのだ。
ラプターを推挙する勢力に対して何かしら手を打てるまでは、ミルトからトワイトへの継承権の移譲を先延ばしにするしかない。
今まではミルトは長子ながら期待されていない、だが嫡子である、という周りの侮りが、次期当主の座を宙ぶらりんにする事で均衡を保てていた。もしくは、ミルトが優れたスキルを得ていれば、次期の座に口出しする者がいない程に、ミルトは期待されていた。
(ラプターを軽くあしらったのは失敗だったかもな)
ミルトならばラプターを抑え込めるという構図を周知させてしまった。実際にはミルトを推挙する勢力など今は全く居ないのだが、そう見えてしまうだろう。
だが仮にラプターが当主になった場合、公爵家が国境を越えた先に手を伸ばし──国防の観点からも良くない想像が出来る。
第二夫人の生家である公爵家は、現王家と対立している。と言うか単純に王権を欲しているらしい。これは父に『共感』を使って読み取った情報で──父の苦労を知り、自分の境遇への不満を加味しても、あまり強くは言えない部分だ。
昨日までは、貴族であることが下らなく思えていて、かつ家を出てからの目的もあるため、さっさと出ていくつもりでいた。だがラプターの本性を見た後では、同腹の弟の為にも自分の籍を残しておくという選択肢が、ミルトの中に生まれていた。
これまで何不自由ない暮らしをさせてくれた恩返しくらいは──そうミルトは考えた。
「分かった。けど俺は当主になるつもりはない。父上が当主の座を明け渡す前に、問題を片付けておいてくれよ⋯⋯。と、俺が言う事じゃないか」
「いや、お前は私が不甲斐ないせいで殺されかけたのだ。言う権利はある。⋯⋯それに、元はと言えば私の撒いた種でもある」
「⋯⋯それは本当にそう」
「読んで字の如く“撒いた種が”が原因やからねぇ」
「いつの時代も貴族の悩みは変わらないものだな」
三人の美女の容赦無い感想に、父は何とも言えない表情で「う、む⋯⋯面目ない」と呟いた。
「ま、まあとにかく、旅の支援は約束しよう。籍を抜かずに元気でやってくれ。たまには手紙でも寄越せ。それと、冒険者ギルドへ行って登録しておくといい。冒険者か商人ギルドのカードを持っていない者は、領都から出る事が出来ないからな」
父の言葉には、わずかに情が混じっていた。ここに来てようやく腹を割って話せている気がする。もう別れの時だと言うのに⋯⋯
「そのつもりだ。支援は感謝する。手紙は、まあ時間があれば書く。それじゃあ⋯⋯父上も元気で」
「ああ。⋯⋯それとミルト、余計な世話かもしれんが、休んだ方が良い。顔色が悪過ぎる」
「⋯⋯ああ、分かってるよ」
◇
正面玄関で待ち構えていた、弟のトワイトと妹達と、少しだけ言葉を交わす。同腹の妹の他に居たのは別の側室の娘だ。
母は体調を崩したままらしい。ミルトは、母の感じていた重圧を知った今となっては、ゆっくり休んで貰いたいと思っている。
トワイトはミルトが出ていくことを理解していない様子で「兄上! 行ってらっしゃいませ! お便りをお待ちしています!」と元気に言ってきた。
何故こうも正室の子をのびのびと育てているのか──ミルトもそうだったが、色々と経験した今となっては、謎だ。
(まあトワイトは武芸の才に愛されているからな。辺境伯として武威を示せたら、それで良いんだろう?周りに優秀な者を揃えておけば何とでもなるか⋯⋯)
妹にも別れを告げた。相変わらず顔がよく見えない。妹はすれ違いざま「⋯⋯兄さま、お元気で」と、抑揚の無い声で呟いた。
どうやら妹は今生の別れになるかも知れないと気付いているのかも知れない。
(昔から賢い子だったな。何を考えてるのかは分からないが⋯⋯あ)
『共感』──発動
──劇的な変化 ──不確定要素
──対応を再検討 ──膨大な魔力量
──接触は危険 ──潜入を継続
(──っ!?)
咄嗟に妹を振り返る──横目にミルトを見ていた。
感情の無い、空虚な紫紺の瞳が。
(なんだ──? これは感情じゃない。妹からは共感する為の感情を、受け取れない。妹の──)
⋯⋯⋯⋯⋯⋯妹だ。名前は──?
妹の名は──・フェルム
妹の名前は⋯⋯⋯⋯? ──思い出せない。
自分の妹だぞ? 彼女はいつ産まれた?
──ああ、トワイトの1年後だ
そうだ4つ下だ。
男児を二人も産んで直ぐに作ったのか?
──そうだ。
赤ん坊の頃は⋯⋯覚えがないぞ?
──可愛かったよ
(なんだこの思考は? 矛盾してるだろ!?)
妹の存在を否定する要素を浮かべると、それを否定する回答が勝手に生まれる。自分の意思では無い。
『共感』という感情に起因するスキルを使うミルトだからこそ気付く違和感。
(これは、これを俺は知ってるぞ⋯⋯まさか)
ミルトはこの思考に覚えがあった。
ダンジョンで見た。いや、感じた。死の間際、記憶を改ざんされていた事を悔やみ、相手を呪って死んだ者。その記憶の中に、同じ思考の展開があった!
『娘は? 私の娘は何処だ? エオラは何処だ!? ああ⋯⋯あ⋯⋯ぁ⋯⋯ぁぁぁあああ!!! エオラ!? 返せ! 娘を返してくれ!!!』
突然、頭の中で男が叫ぶ声が響く。
死者の感情がミルトの中に鮮明に映し出された。




