12,大浴場と晩餐と密談
ミルトは眠そうに頭を揺らすプルフルに、子供をあやすように優しく話しかける。
「街に下りて飯屋を探そう。それから風呂のある宿に泊まろうか。プルフル、もう少し我慢してくれ」
フェルム辺境伯家の応接室のソファで、眠そうにするプルフルに、ミルトは提案した。プルフルはソファの背にもたれかかっていたが、素直に頷いた。
「やわらかい布団、あるなら。その前にお風呂」
「ああ、分かったよ」
ミルトは眠そうにするプルフルに優しく答え、頭の中で宿代などの計算をする。自分の所持している小物などを質に入れれば、纏まった金にはなるだろう。
(元は実家の金で買った物だが選別に貰っておこう)
既にミルトの意識は市井に染まって、というか図太くなっていた。『共感』で繋がった死者の中に、孤児から這い上がった冒険者が居て良かった。死の間際の憎しみまで受け取ったので有り難いだけではないが。
「済まないオルム、条件に合う宿を知らないか?」
動き出そうとしたミルトに手の平を向けて制止し、父であるフェルム辺境伯エルネストが言った。
「ミルト。今夜は⋯⋯泊まっていけ。急に出て行くことはない。身辺整理もあるだろう」
「⋯⋯」
「もう日が暮れる。こちらも外聞が悪い。プルフル嬢らの寝所も用意させる。食事もだ。それとミルト、お前は医者の診察を受けろ。顔色が悪いぞ」
彼の声は静かだったが、拒否の余地を与えぬ強さがあった。今のミルトには効果が無いが、仲間を引き合いに出されては断り辛い。
何らかの思惑があっての事だろうが、ミルトはやむなく頷いた。
「分かりました。お言葉に甘えます。ただ、医者は要りません。ただの寝不足です」
◇
その夜、女性陣は領主邸の奥にある、貴族用の大浴場へと案内されていた。
白大理石の湯船は広く、温泉を引いているのか、湯気が高く立ち上っている。蒸気が立ちこめる中、三人は湯船の中でゆったりと身体を伸ばした。
パイシーは、くるくると銀色の髪をまとめながら、湯船の縁に腰をかけて脚を揺らした。身体を湯の温度に慣らしてから、ゆっくりと肩まで湯船に浸かる。
「ハァ〜。極楽極楽ぅ〜ほんま生き返るわぁ〜」
彼女の豊満な胸は、水面に浮かんで弾むようだ。躍動感を感じる均整の取れた身体つきだが、全体的に柔らかな肢体は、本人の性格に違わず包容力を感じさせる。
「このお湯、温泉だ。⋯⋯ほんと生き返る」
プルフルは湯船の縁に背を預けて、艶のある黒髪を湯船に拡げて肩まで湯に沈めながら、まぶたを半分閉じて、ぼんやりと天井を見上げていた。
白い肌に、小柄で華奢ながら、その胸元は湯に浮かび、彼女の豊満な体つきが隠しきれずに揺れている。
「ミルト⋯⋯大丈夫かな。一人でお風呂」
呟くようなその声に、パイシーがニヤリと笑う。
「子供やないんやから。それにミルト君は恥ずかしがり屋さんやからなぁ、一緒に入ろ言うても断るやろ。ウチの胸元見て目ぇ逸らすとこ、めっちゃ可愛いんや」
パイシーはクスクスと笑いながらミルトを思い出す。
「ハァ〜。強くて優しくて可愛いくて。ウチに安心をくれて⋯⋯せやけど傷付きやすいんやなぁ。何があったらあんな不安定な状態になるんやろ」
「ああ、2人に会ってからは、他の死者にスキルを使っていないからな。ミルトがああなった理由は──」
トニトルスは、身体の芯まで温まる湯に沈みながら、ミルトとの出会いから話し始めた。
トニトルスの体は筋肉質でしなやかだが、しっかりとした女性らしい丸みを保っている。長く伸びしている、光を透かしたような金髪は、後ろで結っている。
「ミルトが⋯⋯生きる為にした事」
プルフルが温泉の熱で頬を上気させながら呟く。
「ああ、出会った時のミルトでは、とてもダンジョンから生きて出られる程の胆力は無かった。本人もそう感じたからこそ、死者にスキルを使う事を止めなかった。私も止めなかった。戦う度に劇的に強くなっていったからな」
「人格が変わるほど他人の絶望を追体験するっちゅーのは、ウチには想像出来んなぁ。頑張ったんやなぁミルト君」
「その時私が傍にいたら抱き締めてた」
プルフルが悲痛そうな表情で呟く。
「⋯⋯私も出来る限り傍には居た。最初の頃は泣き叫んで暴れて大変だったよ。静かになったと思ったら、歯を鳴らして震えていたりな。2日ほどで慣れたようだが⋯⋯自分の事を僕と言っていたのが、俺になった頃からか、恐らく殆ど寝ていない。不安定なのはそれもあるだろう」
「やっぱりなぁ⋯⋯本人も寝不足や言うてたもんなぁ。眼の下にめっちゃクマ出来とるし、寝られへんのやろか。悪夢でも見るんか?」
「そうらしい。私は数日くらいなら寝なくとも影響は無いが、ミルトはまだ鍛え始めたばかりだからな⋯⋯かなり辛いだろう」
「分かった。添い寝は私がする」
「ウチも喜んで手伝うわ」
「⋯⋯ミルトに聞いてからにしてくれ。流石にここで添い寝はしないが。ミルトは恐らく、明日にはここを出るつもりだろうから、それからだな」
トニトルスは2人の顔を改めて正面から見つめる。
「2人とも、これからよろしく頼む。パイシーも過去の事は水に流してくれると嬉しい」
「こちらこそ。ミルトの為に」
「こっちこそよろしゅうな。過去の事言うても、どっちも骨の化けモンで、とち狂っとったさかい、その事はもう忘れたってや?」
「フッ、そうだな。分かった」
「あ、でもミルトにベタベタするのはダメ。私の⋯⋯王子様、だから⋯⋯」
「プルフルはドえっちな見た目に反して乙女やねぇ。了解や、目に付くとこでは自重するわ」
そこからは、他愛ない過去の話と、生きた時代の話などで盛り上がった。
「それと、お前達もミルトのスキルで繋がったなら気付いているだろうが、ミルトはまだ自信が持てないようだ。だからこそ、私は弟のように見守って、鍛えてやりたいと思ってる」
「ウチの体術も教えたいわぁ。ミルト君はもっと強くなるはずなんよ」
「私は、魔術の手解き。特に魔力操作の手解きは、してあげる」
ふわりと香る湯の中で、3人はミルトの事を考えながら、しばらく静かに湯を楽しんでいた。
◇
領主の執務室では、部屋の主であるエルネストと執事オルムが、火を灯した暖炉を背に語らっていた。
「ミルトは成人の儀以降の三年間も多くを学んでいた。鍛錬を怠らず、書を読み、戦術も歴史も心得ている。だが──」
「フェルム辺境伯に必要な、戦いに向いた性格ではありません。ええ、わたくしもそう同意しました」
オルムの回答に、エルネストは一つ頷き、更に言葉を繋ぐ。
「それに加えて俺の息子はスキルに見放された。そう、思っていたんだがな⋯⋯」
「寄り子に婿入りさせるか、内地の方で安全な領地を分けて管理を任せるか、そういう話でしたな」
戦えないミルトが安全に暮らす為にと、親として考えた安定した将来だった。
(大きな魔力はあっても魔術の才は無く、剣を振るうにも迷いがある。だが最低限、貴族としての礼儀も弁えていた。当主にならずとも、このまま辺境伯家の一員として貢献してくれれば良いと⋯⋯)
「あいつのスキル『共感』は相手の心に寄り添う事しか出来ん⋯⋯はずだ」
三年前の成人の儀で発現したスキルが『共感』という、役に立たないスキルでさえ無ければと、父として悔やまない日は無かった。
「そうですな。特に今は、本当に生きておられるだけで、辺境の調和が取れていますから」
「まさか今更ミルトが狙われるとは⋯⋯クソッ! 俺の考えが甘かった。トワイトの周りを固めていれば問題無いと思い込んだ自分を、殴りたい気分だ!」
エルネストは椅子の背肘掛けに、拳を落として自戒する。オルムは慣れたもので、主の怒りには取り合わず淡々と話を続ける。
「敢えて次代を公表しない事で、膠着状態を作った意味が無くなりましたな。⋯⋯仕方ありません。ミルト様が長子である事は変わりませんし、貴族年鑑の嫡子登録はミルト様のままですから」
エルネストは大きく溜め息を吐いて、気持ちを切り替える。
「実際に危険に晒された以上、ミルトの意思は固いだろう。仕方あるまい。⋯⋯だが、あの変化はなんだ? 俺はミルトが自分の息子なのかと⋯⋯いや逆だ、間違い無く俺の息子だと、初めて血の繋がりを強く感じさせられた」
「男子三日会わざれば刮目して見よ、と申します。戦場から生きて帰った者に、稀に見られる変化ですな」
「変わり過ぎだ。見た目はミルトの面影を残した歴戦の猛者が目の前に来たのだぞ」
「相当な死線を越えられたのでしょう。未踏破のダンジョンだそうですからな。しかも最下層からの脱出など、想像も出来ません」
「ああ⋯⋯生きていて良かった。後は⋯⋯」
「はい、件の使用人は既におりませんでした。しかし目星は付いております。残念ながら御館様のご想像の通りで御座います」
腹心の家臣の言葉に、辺境伯当主エルネスト・フェルムは、深く溜息を吐き出した後、激昂する。
「ここは辺境だ! 椅子取りゲームは中央でやれ!」
「⋯⋯御命令はいつでも。わたくしは完璧をもってお応え致しますので」
オルムは右手を腰に回し、左手を胸当てて頭を垂れる。礼の姿勢だが眼光が鋭く鈍い輝きを放っていた。
「すまん、取り乱した。⋯⋯だがその時は。いや、一先ずはミルトを説得したい。公表するつもりは無いが、今のミルトの状況ならば周囲も納得するだろう」
「御意」
「あの3人の女達──特にトニトルスと名乗る者。あれは只者ではないぞ」
「確かに、あの殺気は尋常ではありませんな。それでは、その点につきましてご報告をさせて頂いても?」
「頼む」
「ダンジョンの出入り口での戦闘の痕跡を見るに、殆どが下級騎士とは言え、あの場をあの程度の損耗で"手加減"して退けたのは、まさに彼女が強者である事の証でしょう。なぜ生かしておいたかは分かりませんが」
「あれ程の殺気を放つのだ。経験が無い訳では無かろう。殺しを忌避している訳でもあるまいが⋯⋯」
「ええ、そこは不明です。そして彼女だけではなく、あとの2人も只者では⋯⋯」
「あの殺気の中で平然としておったな。トニトルス単独で一個中隊を手加減して退けるうえに、か⋯⋯なぜミルトと共に居る?」
「そこは不明です。ですが、ミルト様を守っておられましたな」
「そうだな、理由は分からんが、俺がミルトに意を向けた途端に空気が変わった。⋯⋯あれ程の殺気、今まで何処にあの様な強者が居て、何故ミルトと共に居るのだ」
「さて⋯⋯同姓同名の方なら存じておりますよ。御館様もご存じの方ですが」
「⋯⋯それは俺も考えた。だが250年前に隣国で政争に巻き込まれ、行方不明になり、果てたとされる者だ。⋯⋯しかし見た目も装備も、記録にある通りと言うのは⋯⋯」
──『雷姫』トニトルス・レックス
「何らかの超常現象が起きたのやも知れません。そう考えねば辻褄が合わぬ程の強さです。戦の無い昨今に於いては規格外の力を有しておられる」
「他の2人もだな。⋯⋯まあ良い、このタイミングで現れてくれたのは僥倖だ。利用させてもらう」
「ええ⋯⋯あの者達が傍に居る限り、ミルト様の身の安全は保証されますからな」
エルネストは眉をひそめ、机に置かれた酒を一口含む。グラスを置き目を細める。
「俺もそう思う⋯⋯だから、周知させる事にする。オルム、明日は朝から演習場を使うぞ」
「なるほど、承知致しました。段取りは全てお任せ下さい」
◇
その夜、食堂には豪勢な料理が並べられていたが、ミルト一行とエルネスト以外、家族の姿はなかった。使用人は立っているが、弟や妹たちは別室での食事を命じられていた。
「⋯⋯」
食事を並べ終わり、給仕が下がった後、ミルトは父が口を開くのを待つ。
「明日の朝、騎士団の精鋭4人を相手に、それぞれ試合をして貰いたい。勝てば旅の準備も、その後の支援も約束しよう。ミルトの貴族籍についても検討しよう。──どうだ?」
場が静まり返った。
「ふふっ、面白そうやないの。ウチは賛成するわ」
最初に口を開いたのはパイシー。
「確かに面白そうだ。我ら古き戦場で育った者。現代の騎士の剣──愉しませて貰おう」
トニトルスも口元を吊り上げた。
プルフルは椅子にもたれ掛かったまま既にパンを齧り、空いた方の手で髪を払い、ぼそりと呟いた。
「⋯⋯怠いけどいいよ。面倒事は早く片付ける」
ミルトは三人を見回し、軽く目を伏せた。
「⋯⋯勝手な話だが、破格の条件だ。彼女達が納得するなら俺も、全力を尽くそう」
エルネストの瞳が鋭く光った。
「では明朝、騎士団演習場にて。そなたらの力、確かに見届けよう」




