11、実家で一触即発
ミルトが門に近付くと、門兵が走って迎えに来た。話が通っていたのか、直ぐに馬車を用意されて領主邸へ。
3日振りに踏み入れた屋敷の空気は、ひんやりとしていた。知っている筈なのに他人の屋敷の様だ。絨毯の感触も記憶とは違う気がする。
知らせを受けていたのだろう、母が驚きと安堵の入り混じった顔で歩み寄る。
「ミルト⋯⋯良かったわ、生きていたのね」
その言葉に、ミルトは微笑を返し、母に対し『共感』を発動した──。
「⋯⋯ご心配をおかけしました、母上」
淡々とした口調。ミルトの口から出てきたのは、まるで他人に返すような言葉だった。
「良いのよ。よく戻って来てくれたわ。顔色が悪いわ。医者を呼びましょうか?」
母親の中に垣間見えたのは、自らが産んだ子を次期当主に育てなければならない、という使命感。長男への愛と期待を失った後の不安と罪悪感。だが今の感情は、弟がミルトの行方を知りたがり、勉強が手に付かない事を気にしているだけだった。
(自分は何か、期待でもしていたのか?)
3年前までは、次期当主として育てられたのだ。期待されなくなってからの態度を思えば当然だ。
「結構です。医者は要りません」
共感して初めて知ったが、母も生家である伯爵家からの期待に、プレッシャーを感じていたらしい。攻めるつもりは無いが、それを呑んで接するには、まだ自分の中で消化しきれないものもある。
ミルトの中に残っていた、寂しい子供の部分が泣いているのだ。
「お初にお目にかかります、ミルトの母上殿。トニトルスと申します」
「初めまして、プルフルです。ミルトの⋯⋯こ、こぃ──」
「お義母さま、パイシーです。よろしゅうに」
仲間の3人がずいっと前に出て来て勝手に挨拶を始める。母は、圧倒された様に固まる。
3人共に絶世の美女だ。その美貌と存在感は、中央貴族出身の母をも圧倒していた。
3人に視線をやると、優しげな目でミルトを見ていた。
自分の心情を慮ってくれた事に心が落ち着くのを感じる。ミルトは微笑む事で感謝を伝えた。
「母上、また後でトワイトにも会いますので。オルム、案内してくれ。父上にも会えるんだろう?」
オルムは領主館を取り仕切る家令。子供の頃から知っているフェルム辺境伯家の古参の家臣だ。
「⋯⋯は、勿論です。お館様が報告をお待ちしておりますので、皆様もこちらへ」
部外者が三人いるせいかどうかは分からないが、何故か応接間へ案内された。母も同席している。
オルムはミルトの外見の劇的な変化に、何かを感じたのか、様子見する事に決めたようだ。
応接室で母親に勧められたが、ソファには座らず4人共に立って待つ。
やがて、父である辺境伯が従騎士を伴って応接室に姿を現した。
国防を担う権威と威厳に満ちた男。だがその表情には、わずかに困惑があった。
「⋯⋯生きて帰ったかミルト。報告を──」
「お初にお目にかかります、ミルトの父上殿。トニトルスと申します」
「初めまして、プルフルです。ミルトの⋯⋯こ、こぃ──」
「お義父さま、パイシーです。よろしゅうに」
母の時に続いて、仲間の3人がずいっと前に出て来て勝手に挨拶を始めた。
どう見ても顔色の悪い息子に、案じる言葉の一つも無く報告を促した男対し、3人は思うところがあったのかも知れない。
「⋯⋯ああ、報告は受けている。ミルトに手を貸してくれたらしいな、感謝する。謝礼は後で──」
「謹んで辞退しよう」
「ミルトは命の恩人」
「ウチは暴れただけですよってに」
「うむ⋯⋯そうか⋯⋯。ミルト、まずは報告を」
以前のミルトであれば、傷付いていたかも知れないが──
「──では報告を。使用人に呼ばれてのこのことついて行ったところ、騎士に囲まれて馬車に乗せられました。街外れに向かうという話でしたが、通り過ぎたまま森に入ったので、隙を見て逃げ出したら追われまして、色々あって見知らぬダンジョンに入り、穴に落ちてダンジョンの下層に──」
「待て⋯⋯その馬車に家紋は? 追われたとは?」
父は眉をひそめ、横に控えていた母は知らなかったのか、驚いたように目を見開いた。
ミルトは静かに告げる。
「さぁ? 家紋は見ていませんが、私を始末したい者には、今日の朝に会いました。傍系の⋯⋯ガルマックス伯爵家の次男、バルゴアに命を狙われました。⋯⋯もう死んでますが」
言葉の端に、わずかに毒が混じった。それくらいは言ってもいいだろうという気分だ。以前のミルトであれば決して父にこのような言葉は言わなかっただろう。
だが父は、何を返すでも無くソファに腰を下ろし、腕を組んだ。
「⋯⋯その件は、いま初めて聞いた。座れ。⋯⋯確かに捜索を受け持つと、ガルマックス家が我が領で下級騎士数名を動かしていた。しかしそれはお前の失踪の報を受け、探索に向かわせたものだ。誰もお前を殺せなどとは命じていないぞ」
「なるほど、そうですか」
ミルトは着席を促されたが座る素振りも見せない。口元に浮かんでいるのは、笑顔に似たなにかだった。その目に、感情は無い。
「信じるべきですか?」
「当然だ。⋯⋯だがそれは、お前が決めることだな」
「そうですか。それが真実なら、尚更⋯⋯もう、ここに期待する理由が無いな」
その場が凍りつく。母は口元を押さえ、父は表情を崩さず静かに息を吐いた。
ミルトは無表情で、じっと父親を見る。国境を守る辺境伯当主だけあって、表情を見ていても真意は分からない。ここまでずっと躊躇していたが、ミルトは父に対し『共感』を発動した。
⋯⋯⋯⋯⋯。
「──俺は出ていきますよ。今後も、この家には戻りません。後は勝手にやって下さい」
その一言に、父は立ち上がった。
「それは駄目だ。馬鹿なことを言うな。当主である私が許さ──」
だがその言葉を遮るように、トニトルスが一歩前へ出た。
「止めるな」 その声音は低く、だが鋭く響く。
空気が震えるほどの殺気が放たれ、従者として付いてきていた騎士達は、剣の柄に手を触れる事も出来ずに固まり、室内の者たちが一斉に息を呑んだ。プルフルは勝手にソファに座り、無表情に父を見つめている。辺境の騎士達が固まっている中、パイシーも勝手にソファに座った。飄々とした様子で腕と足を組んで事態を見守っている。だが目だけは冷ややかだった。
ミルトは言葉を続ける。
「次期当主になる可能性が薄い俺にとって、ここに居場所は無い。だから、これで終わりだ。これまで育てて頂いて、ありがとうございました」
ミルトは父に向けて頭を下げた。
「待て、ミルト⋯⋯次期当主では無いと言った覚えは無い。お前は次期当主となるべく努力してきたのだろう。その全てを無駄にするつもりか?」
トニトルスの放つ、重く鋭い“鉄の塊の様な殺気”を正面から受けながらも、父、フェルム辺境伯は初めて感情を露わに言葉を発した。その声はかすかに震えていた。怒りか、それとも恐れか。
だが、それでもミルトには届かない。かつて慕ったはずの父の顔は、苦悩に満ちているが⋯⋯。
(知ったことじゃないな)
ミルトは頭を上げ、真っ直ぐに目線を合わせて答えた。
「はい。その全てが無駄でしたから。俺の居場所は、もうここには無い。フェルム辺境伯を継ぐのはトワイト、俺はいないほうが良い。何より、俺にとっても居心地の良い場所じゃない」
父の目がわずかに揺れ、拳を強く握る。その手が動きかけた──が。
「⋯⋯動かんとってね?」
柔らかな声音。だが、室内の空気が、またしても一瞬にして凍りつく。先ほどからトニトルスの殺気に固まり、額に玉のような汗が滲ませながらも、主の後ろで控えていた従騎士達はもう、立っている実感すら無くしていた。
今まで他人事の様に茶菓子を食べていた銀髪の女──パイシーが足を組み替えながら、闘気を開放した。その口元は微笑みを保ったまま、だが目は完全に笑っていなかった。見開かれた碧瞳の奥、黒い深淵のような魔力が渦巻いている。
「まさかとは思いますけどね? ミルト君に手ぇ出したら⋯⋯二度と手ぇ使えなくなりますよ?」
囁きのような声。だが、それは音ではなく、空気そのものに刻みつけられるように響いた。東方由来の戦闘用ドレスは太腿の横が大胆に開いていて男性の目を引きやすいが、誰もそんなものに注意を払う余裕など無い。まるで“溶岩の前に身を晒している様な熱量を持った殺気”だった。
二人の絶世の美女が放つ、身体を抑え付けられ喉を締めつけられるような殺気に、部屋中が満たされている。だがその殺気にミルトは、心が暖まるのを感じた。
(守ってくれたのか。不甲斐無い限りだな)
ふと目線を上げると、母である辺境伯婦人は呼吸を忘れて、顔色がおかしくなっていた。
「トニトルス、パイシー、俺の為にありがとう。不安にさせたな。だが母が倒れそうだから抑えてくれ」
二人は即座に殺気を消し去った。部屋の圧力が下がり、辺境伯夫人は水から上がった直後の様に荒い呼吸を繰り返し、従騎士達は危うく膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えた。
「オルム、母上の顔色が悪い、別室で休んで頂いた方が良いだろう」
ふと見れば、今のやり取りでも普通に立っていたオルムに、ミルトは声を掛けた。額に汗を滲ませてはいるが、それ以外に変わった所のないオルムに興味を惹かれて『共感』を発動する。
(⋯⋯そうか、フェルム家にも暗部があったか⋯⋯国防を担う貴族家だ。当たり前か。俺の知らない事ばかりだな。次期辺境伯を目指すなど、分不相応な目標を持っていたものだ)
「畏まりました。お前たち、入って来なさい! 奥様、侍女を付けますので、お部屋でお休み下さい」
辺境伯夫人は真っ青な顔で必死に頷き、侍女に支えられながら部屋を退出した。これが今生の別れかも知れないと、ミルトは母の後ろ姿を見送った。
一息ついてから、改めて父親に向き直り、今度は腹を割って話そうと──
その時、しっかりと起きていたはずのプルフルは、やはり退屈していたのだろう。
「ねえ⋯⋯お風呂とご飯は? そろそろ限界」
彼女の一言で部屋の空気が軽くなった気がした。
こんな時でも自分のペースを崩さない、頼もしい仲間にミルトは微笑んだ。




