10、フェルム辺境伯領へ
昼下がり、フェルム辺境伯領と隣接する領の境にある森の中を、四つの人影が進んでいた。
ダンジョン入り口の周辺に設置された陣地は、人も含めて吹き飛ばしたままにしておいた。
『雷砲』で気を失った騎士達が倒れ伏していたが、その場を離れる事にした。
「ミルトを始末しにきた奴らだが、私に気を失った者達の息の根を止めて回る趣味は無い」
とのトニトルスの意見に、全員が賛同した形だ。
(どちらにせよ、トニトルスの『雷咆』を受けてから逃げ出した下級騎士のうち、何人かは無事に帰路に着き、俺の生存とバルゴアの死について報告しているだろうから、ここに寝ている騎士をどうこうしても意味は無いからな)
自家の騎士に攻撃された事で濡れ衣を着せられ、お尋ね者にされる可能性はある。今のところ実家絡みでミルトを擁護する者が居るのかどうか、それも分からない。
(情けない話だが、以前の俺は本当に何も見てなかったんだな。せめて実家の動向は探りたい)
彼らを生かしておくのであれば、このまま辺境を離れてしまいたいところだが、どちらにせよガルマックス伯爵家が今回の事態を引き起こした真相は知っておく必要がある。今回の件を実家がどう捉えているのかも含めて。結論に至った一行は、ミルト実家であるフェルム辺境伯家に“挨拶”に行く事になった。
(バルゴアが、奴の兄から指示を受けていたと『共感』で読み取った。奴の実家のガルマックス伯爵家嫡男──名前は確か、グシバルだったか? 俺を殺して奴に何の得があるんだ?)
ミルトの疑問と情報は全員で共有する事にした。
トニトルス、プルフル、パイシー。三人の美女達は、ここからもミルトに同行してくれるらしい。
「当然だろう。私はミルトから離れる気は無いぞ?」
「離れるわけない」
「ウチも離れる気ぃあらしまへんえ?」
「ありがとう。心強い。これからよろしく頼む」
(こんな頼もしい三人とパーティーを組める日が来るなんてな。死の淵を彷徨っていた数日が夢のようだ)
フェルム領都の外壁が見えたところで、今後について相談する為、木陰で休憩を取ることにした。
◇
「私の考えを話していいか?」
ミルトの知る限りの現状を説明すると、トニトルス話し始めた。
ミルトは「聞かせてくれ」と返す。
「話を聞く限り、わざわざミルトを始末する必要はあるまい? 言い方は悪いが、ミルトが実家で期待されていなかったのなら、推挙する者もいなかったのだろう? なら普通にその実弟を擁立すれば良いだけだ。危ない橋を渡ってまでミルトを始末す理由が分からん」
「ああ、やはりそこだな。実弟の──トワイトと言うんだが、トワイトを辺境伯の座に就けたい連中では無いのかも知れん。となると他の兄弟か⋯⋯実弟と同い年の、ラプターという異母弟は居るが、大人しい奴だからなぁ⋯⋯」
(今も俺を慕ってくる、あの能天気なトワイトが俺を狙うとも思えんし、異母弟のラプターは読書しているところしか見たことが無いくらい、大人しい性格だ)
「ミルト君、貴族なんやったら心の内を隠して生活する事もあるんとちゃうの?」
「それはまあ、そうか。俺は実家にいる頃は自分の事しか見えていなかったから⋯⋯。違うな。自分がどう思われているか分からず、がむしゃらに努力していただけだったからな」
(今の俺ならば⋯⋯見えるだろうか)
顔を上げると、風に揺れる木々のざわめきに気付く。
(あまり家族が俺の命を狙ったとは思いたくないんだがな)
涼やかな木陰に、プルフルの寝息が穏やかに響いていた。
大きな木の根元に体を預け、彼女はスヤスヤと眠っている。
「⋯⋯気持ちよさそうに寝てるな」
プルフルの寝顔を見てミルトが呟くと、隣のパイシーがケラケラと笑った。
「ほんまに、この子はプカプカ浮いて移動しとったのに、よぉ寝る子やねぇ。前世は猫とちゃう?」
「前世?」
「そや、前世。生まれ変わる前の姿やね」
「なるほど、そう言う思想があるのか⋯⋯。ふふ、ああ、確かにそうかもな。よく寝てる」
ミルトの頬が緩んだのを見て、パイシーは嬉しそうに微笑んだ。
だが、ミルトの心は浮わついてはいなかった。
フェルム辺境伯領主邸。生まれ育ったあの屋敷に、再び足を踏み入れる。
(随分と昔の事のようだ)
たった三日程度離れただけだが、その経験が濃密過ぎた。他人の家の様な錯覚を起こしている。
ダンジョンの死者を相手に『共感』を使用して、受け取った他人の感情と記憶とが、ミルトの中で経験値として蓄積されている影響だ。
死者の持つ感情の全てを飲み込むことは出来ないが、他者の経験を得たミルトの心は大きく変貌しており、家を出た時とは精神構造自体が異なっていた。
(実家での暮らし──何があったかな)
思い出したのは、あの広い屋敷の大理石の床。吹き抜けの回廊。壁に飾られた歴代領主達の肖像画。
(三年前は自分の絵も加わるものと信じていた)
「ミルト様、今日の剣術稽古は及第点です。特に最後の構えからの剣筋、格段に良くなっております」
幼い日の記憶。長身の剣士が、自分に目を細めてそう言ってくれた日の事を思い出す。
ミルトは剣の素質があるわけではなかったが、努力だけは惜しまなかった。
屋敷の誰よりも早く起きて、誰よりも多く稽古した。手の平は豆だらけで、風呂に入るたび泣きたくなる事もあった。
魔力量も、人並み外れて多かった。
「次期当主は、ミルト様で間違いないな」
賛辞を受ける事が当たり前の日常だった。
昼には領地運営の記録を読み、夜には書庫で一人、古き法典にも目を通す。次期当主に相応しく、誰よりも積み重ねていようと努力した。
他の書物も読み込んだ。歴代の辺境伯の外交記録、戦略文書、王都との通達書簡──子供には難解なそれらを、噛み砕いて頭に叩き込んだ。
「知っているだけでは意味がない。使いこなし、そして辺境の地を守る事こそが、我らの務めだ」
父の言葉だった。威厳に満ちた声、大きな背中。純粋に憧れた。父のような誇り高い男になろうと思った。そして父も、ミルトの努力に目を細め、時折『お前ならばやれる』と肩を叩いてくれた。
だが、ミルトの成人の儀を境に、その言葉は二度と聞こえなかった。成人の儀の日、家族総出で教会へ赴き、そして彼の人生は変わった。
──成人の儀で得たスキルは『共感』
他者に寄り添い感情を“合わせる”だけ。そして寄り添うだけで何の解決もしない。戦えない、治せない、魔力すら使わなければ、物を動かす事もない。
その時の父の顔を、ミルトは一生忘れないだろう。驚愕し──静かに、しかし確かに失望を滲ませたあの目。それから直ぐに見せた、誰より自分に期待していた男の背中。
正室である母も、引きつった笑みを見せて目を逸らし、黙ってミルトに背を向けた。
正室か側室かに関わらず、弟や妹はそれでも変わらず慕ってくれた。
だが、周囲の大人たちは──。
次第に部屋に来る教師の数は減り、書類に目を通す役目も回ってこなくなった。剣術指南も「怪我をしても困るから」と取りやめにされた。
誰も明言はしないが、ミルトは理解していた。
──自分は“脇へ置かれた”のだ
しかしミルトは、その事実に目を逸らして努力し続けた。三つ下の実弟の成人の儀が迫っていたあの年、彼はもう一度だけ、父の前で剣を振る機会を得た。
半ば、祈るような気持ちだった。自分を見て欲しい。自分を諦めないで欲しい。
「そんな事はしなくていい。お前はもう、剣を持たなくていいのだ」
父は一瞥もせずそう言った。もしかしたら優しさのつもりだったのかも知れない。
だがミルトにとってはトドメだった。
そして──弟が成人し、それが武威を示すスキルであると判明すると、あっという間だった。
弟は武芸の素質こそあったが、領政には興味を示さず、気ままに日々を過ごしている。それでも、成人の儀を終えた彼の元に、家中の者が集まるのをミルトは見ていた。
傍系の者や辺境に隣接する貴族家が、屋敷に顔を見せ始めた。父は彼らを丁重に迎えたが、ミルトには挨拶すらなかった。
かつて賑やかだった中庭は、今では弟とその取り巻きだけのものだ。ミルトの姿に気付いても、誰も声はかけない。婚約者候補とされていた令嬢達も、ミルトを一瞥もしない。まるでそんな事実など無かったように。
成人の儀から三年で、彼は次第に自分の存在意義を見失いそうになっていた。いや、既に半ばまで心は折れていた様に思う。それでも、努力する事だけは止めなかった。
スキルを使ってみた事もある。だがそれは、ミルトの傷を広げる結果にしかならなかった。
自分と居ると不機嫌になる人のなんと多いことか。
空っぽの心で淡々と過ごす日々。自分はなんの為に生きているのだろうかと考え始める。
ある日、普段から接する事のある使用人に「ミルト様にお会いしたいと仰る方がお待ちでございます」と呼び出された。
──今思えば期待してしまったのだ
外に出ると、あまり見覚えのない騎士達に囲まれて、馬車に乗った。知っているのは傍系のバルゴアくらいだった。あまり良い気分ではない。
あまりにも荒い馬車の操縦──道中で違和感に気付き、騎士を突き飛ばして逃げ出した先は、越境する森の中だった。
隠れる為に洞穴に逃げたが、追跡するスキルを持つ者がいたのか、追い詰められた。奥に進むと運良く──何かの黒い扉を開き、扉の影に隠れたつもりが、足元の縦穴に転落した。
そこは死者の蠢く地下ダンジョンだった。そしてスケルトンキングのトニトルスとの出会った。
無数のアンデッド達の無念と後悔、彼らの人生が終わるまでの絶望を受け取った。
国に家族を残し戦場で散った者。
政争に敗れ打ち捨てられた者。
多くの人を陥れ復讐された者。
人外の策謀で家族を奪われ命を絶った者。
生まれた頃から影に生き闇の中で死んだ者。
共感する度に自分の心が軋み、変質してゆくのを感じたが、生きる為にはスキルを使うしかなかった。
しかし良い事もあった。死者の怨念を受けて気付いたのは“自分は随分と甘い環境にいた”という事実だった。
時期当主になる為──正室の子として──父に認められる為──周囲に認められたい
──スキルがダメでも努力をすれば
つまらない価値観で生きていたものだ。
温かい食事が食べられる──温かい風呂に毎日入れる──身体を綺麗に整えられる
服は全て自分用に誂える──寝具は皺など一つも無い──
将来の伴侶すら数人を勝手に見繕われていたのだ。
死者の記憶に照らし合わせれば、この世に生きる誰もが羨む生活を、産まれた時から当然として享受し続けた十八年。これで時期当主として認められないなどと嘆く、甘ったれた子供。それが数日前までの自分だ。
「反吐が出る」ミルトは、小さく呟いた。
かつて目指した“次期辺境伯”。今となっては、何の興味も持てないが⋯⋯。
「ケジメは、つけなきゃな」
口にしたその言葉に、パイシーがぴくりと眉を動かした。
「コワい顔して、どないしはったん?」
「いや⋯⋯実家に行くのが憂鬱でな。すまない、不安になるよな?」
「そんなことあらへんで。ウチはそういう顔も好きや。それに、ちゃんと決めてから動く人はカッコええと思うわ」
ミルトは疲れていて上手く笑えなかったが、パイシーの気遣いに心が暖かくなるのを感じた。彼女もまた過去に生きる事は叶わず、そして孤独を知る者だ。だからこそ、何気ない言葉が沁みる。
「ありがとうパイシー」
「ふふ、もっと褒めてもええんよ? なんならウチと──」
軽口を交わしていると、プルフルが木陰からむくりと起き上がった。
「パイシー、近い」
起き抜けの眠たげな目でプルフルがパイシーに注意を促す。
「はいはい、イゴキヲツケマスワァ」
パイシーが両手を上げて、素直にミルトから離れる。隙があればミルトとくっつきたがるパイシーだが、仲間との関係を悪くしてまでスキンシップを望むわけでは無いらしい。
「プルフルが起きたなら、ミルト、出来る範囲で今後の流れを話してくれ。共有しておいた方が咄嗟の時に動きやすい」
トニトルスがミルトに計画の立案と共有を促す。
「ああ、そうだな。とりあえず予定たが⋯⋯ここから歩いて外壁まで行く。右に周ると領都に入る為の貴族用の門がある。普段は馬車でしか通過出しないが、今回は仕方無い。流石に俺は徒歩でも入れるはずだ。その後は屋敷に行って今回の顛末を確認してから⋯⋯」
ミルトは言い淀む。
「どうするつもりだ?」 「どうするの?」 「どないしはるん?」
三人が心配して問いかけてくる。彼女たちの今後にも関わる話だろうから当然だ。
「俺は家を出るよ。出来れば貴族籍も抜けておきたいところだな」
「良いのか?」トニトルスが確認する。
「ああ、俺の中にある様々な死者の記憶を受け取って、思ったんだ。この世界は、貴族社会に居ては解決出来ない問題と──何より、面白い事がありそうだからな」
ミルトの含みのある物言いに、トニトルスは意味有りげに笑い返す。
「拠点は欲しい。転移で帰れる寝床。それに、ほら⋯ぁ⋯ぃの巣? ⋯⋯家は欲しい」
プルフルはフィールドワークは賛成だが拠点は欲しいらしい。
「わかった。なるべく皆の意見を取れるようにしよう。まずは辺境伯領主邸へ向かう」
ミルトは出発の為に立ち上がると、トニトルスが応える。
「了解した。⋯太陽が、傾いたな。そろそろ出発しよう」
トニトルスとパイシーが立ち上がり、プルフルが宙に浮き上がって進み出す。
(そうだ。貴族令息など呑気にやっている場合じゃない⋯⋯。死者達が絶望の中で死んだ理由の幾つかは同じだった。記憶の中で見た人外の連中)
──世界に混乱を齎す者達がいる
スキル『共感』で死者の記憶を継承しなければ、恐らくは知ることの無かった事実。
(もしもそいつらが、この時代でも暗躍しているとしたら⋯⋯)
──騒乱が起こる時代の節目に現れる人ではない者達
歴史書には残らない、この世界の裏側に──魔族と呼ばれる者達がいる。




