1,地下墓地
縦穴の闇に、少年の身体が吸い込まれて消えた。
暗間の中、どれ程の高さから落下しているのか、それすらも分からない。
浮遊感から落ちている事だけは理解できた。
全身に、突然の衝撃。
少年の身体が、砕けた骨と錆びた武具が、うず高く積み重なる頂上に打ち付けられた。
叫ぶ暇など無い。肺から全ての空気が押し出されて呼吸も出来ない。
なす術もなくただ落ちて、少年は痛みと共に意識を手放した。
◇
「────っ!!」
少年は生きていた。
頭が痛くなるほどの強烈な腐臭と共に目覚めた時、彼の傍らには、砕けた骨の残骸と、武器や防具が散らばり、それらが折り重なった山があった。どうやら自分は残骸の山の頂きに落ちて、ここまで転がったらしい。
(尖った骨や錆びた武具の中に落ちたのか。──生きていただけ運が良かったのかな)
そう思い立ち上がったものの、頭にモヤが掛かったように考えが纏まらず、ここが何処で、自分が何故ここにいるのかも思い出せない。全身が気怠く、特に右足は酷く痛んでいた。
(行かないと)
歩く事も困難で、激痛に意識を失いそうになる。それでも朦朧とした頭で、少年は這いながら瓦礫の山を越えた。そして覚束ない足取りのまま、ダンジョンの深部へと歩き出す。
その姿はまるで、何かに導かれるようだ。
少年の居るこの地下ダンジョン。現代では名を知る者は殆ど居ないが『静謐の冥廟』という。王都から遠く離れた辺境に存在し、古代から続く呪いにより、死者の気配が満ちていた。誰もその正確な場所を知らず、訪れた者の殆どは帰らない為、ただ伝承と名だけが存在する、墓場だった。
真っ暗な通路を手探りで進むうち、少年は少しずつ自分の事を思い出し始めた。
少年は、貴族の子として生まれた。歳は十八。長男だ。嫡子だった。
(そして──そうだ、スキルは『共感』だ。思い出した)
『共感』──他者の感情に寄り添う能力⋯⋯それだけの能力
戦闘力も、治癒力もない。それが成人の儀で判明した時の⋯⋯──少年は頭を振った。あまり深く思い出すと足を止めてしまいそうだった。あの時の家族の──当主の──顔を⋯⋯
少年が一人息子であれば、周囲の反応も違ったのかも知れない。だが彼には三つ下の弟と、四つ下に妹がおり、側室の子も合わせると六人兄妹だった。少年が跡取りに成らずとも、家としては問題が無い。
そして成人の儀から三年、長男であり嫡子として据えられながらも、次期当主としては期待されない微妙な立場のまま、実家の辺境伯家で過ごす事になる。だが少年は、次期当主として扱われずとも、ひた向きに努力し続けた。
しかし、日常は突如として奪われた。自分以外の兄弟の誰かを担ぎ上げたい者達がいる事は、理解していたのに⋯⋯。何故、自分が害される事は無いと高を括っていたのか。
(国境を守る辺境伯家の長子⋯⋯いつも言われてたのに、意識が、足りていなかったのかな)
毎日あれほど勉強していたのに、歴史から何も学ばなかったのか。頭に入れただけでは何も役に立たない⋯⋯自分の身に降り掛からないと解らない。
(想像力も、足りていなかったなって、もう遅いかな。でも、それでも何が起きたのか、何が出来たんだろうって思い出さなきゃ。今度は気を付けないと。まだ死んでないもんね)
生真面目な性格の少年は、自分が今、何故こうなっているのかを必死に思い出す。
(部屋に、見慣れた使用人が呼びに来た。自分に会いたいという方がいると、その方が外で待っていると、そう言われて頭の中で勝手に“偉い人”だと思い込んだ。だって⋯⋯)
──縋り付くような思いだったから
のこのこと着いて行き、そのまま馬車に乗った。何人かの護衛が馬車を囲んで進み出す。その中には、傍系の伯爵家の、少年の事をいやな目で見る者も居た。あの時は、たまたま護衛の顔をよく見ていた。そこだけは自分を褒めてやりたい気持ちになる。そうでなければ既にこの世には居ないから。
馬車の窓からずっと外を見ていた。森の景色に違和感を覚え、確信に至る。
──このまま付いて行くと自分は殺される
車内の護衛に体当りして、走る馬車のドアから転げ落ちて、そのまま逃げ出した。しかし既に森の中。森の奥にしか逃げ場が無かった。追い詰められ、偶然見付けた洞穴に逃げ込んだ所に、黒い扉が──
違和感を無視して中へ逃げ込んだ。他に選択肢なんて無かったから。
光の少ない通路を必死に走った。どうやったのか、追っ手はそれでも追い掛けて来た。そして彼は追い詰められ──暗闇に足を踏み入れて──そのまま穴に落ちた。
「間抜けだ⋯⋯ああ⋯⋯情けないよなぁ」
涙が溢れそうになるが、この場で泣くことは、なけなしの自尊心が許さない。少年は絶対に泣くものかと、歯を食いしばる。身体の痛みに呻きながら右足を引き摺って歩き続けた。
通路を曲がったその先──遠くに微かに光る、小さな何かが少年の目に留まる。
痛む身体を必死に動かして、少年は光に近寄った。光っているそれは、小さな宝箱だった。つまり──ここはダンジョンだった。銀細工の装飾が美しいそれは、どう見てもこんな墓場の様な場所には場違いだった。
鍵は掛かっておらず、開けてみると中には虹色の液体が入ったガラス瓶が五本。暗闇の中でも液体は虹色に輝き、ふわりと薬の香りが立ち昇る。宝箱の香りだろうか。
「⋯⋯水、じゃないのか」
液体の揺れる様を見て、少年は喉の渇きに気付き、喉を鳴らす。
一瓶を開け、匂いを嗅ぐ事もせず一息に飲み干した。
すると少年の身体に、信じられない様な変化が起きた。身体が眩い光に包まれ、曲がっていた足が、音を立てて元に戻る。知らずに痛みを堪えていた、ひびの入った肋骨、負傷していたらしい内臓の痛みまでもが消えていった。呼吸が楽になり、全身に力が満ちる。
「な、なに⋯⋯なんだこれ……」
残った瓶に刻まれた古代文字の様な──掠れていて判読は出来ない。現代では製法の失われた回復薬なのかも知れないが、詳細は分からない。だが効果が回復である事は間違いない。彼は、一瓶を除いて三つの瓶を布で包み、腰に縛りつけた。淡く光る虹色の液体は足元を照らす為の光源になるので、一つは手に持つ。
そしてまた、今度は足音を殺して歩く。どうやらさっきまでの自分は、脚が折れたままで歩いていたと気付く。自分も結構やるじゃないかと、少年は自分を褒めてやる。体調と共に、少し気分を持ち直した少年は、先程よりも軽快に歩き出す。
光源のお陰で薄っすらと見える曲がり角の先、何か乾いた物が転がる様な音が聴こえた。少年は咄嗟に身を隠す。どうするかと思案した後、試しに自分の持つスキル『共感』を、曲がり角の先に意識を集中させて発動してみた。
(練度が低くて他人の機嫌くらいしか読み取れないけど、この先の"何か"の情報が掴めるかも知れない)
──死者が歩いている
心臓がドクリと音を立てた。自分以外に聞こえていないかと不安になるほどの大きさで⋯⋯。
声も出せない恐怖に、少年の身体が固まる。
少年は角から少しだけ顔を出して確認する。薄っすらと見える道の先、カラカラと乾いた音を立てて骸骨が歩いていた。名は知っている、スケルトンという骨だけの魔物だろう。生まれて初めて遭遇するアンデッド。共感した事で強い怨念に触れ⋯⋯それが元が人間で、死者である事実に感情が揺さぶられる。
乾いた音を立てながら、骸骨が通り過ぎるのを、少年はじっと息を殺して待った。
骸骨が通り過ぎた後も、うずくまったまま立ち上がれない。死者の怨念に触れた恐怖から、脚の感覚が曖昧になっている。背中にかいた汗も気持ち悪い。
それでも何とか時間を掛けて、立ち上って少年は歩き出した。
しかし、それから後も何体かの死者達と遭遇する事になった。
何度目かの遭遇で、個体により気配に差がある事に気付く。どうやら怨念の量によって差が出るようだ。気配が強いスケルトンは危険という事だと少年は判断した。気配が強ければ、息を止めるだけでは足りない。相手を把握する為に『共感』を使うと、死の痛み、恐怖、怒り、恨み、哀しみ――それらが波のように押し寄せる。その度に感受する死の気配に、心が擦り減るように思えた。
それでも、少年はただ奥へと進んだ。
◇
そして、やがて少年は辿り着く──ダンジョン最奥にある『王の間』へと。
少年は愕然とした。気付けば、既に王の間の中に居たのだ。
王の間はダンジョン最奥のボスがいる部屋。そして、少年の知識では、王の間は“誰かが開かない限り閉まっている”はずなのだ。
(いや、既に攻略されていれば問題は⋯⋯)
巨大な棺と玉座が並ぶ、黒曜石の広間。そこに――それは居た
薄汚れた、それでも色褪せず輝くミスリル製の鎧を身に纏い、玉座の横に巨大な剣を立て掛けている。
殺意の気迫に満ちた──スケルトンキング
無数の死者を従える、ダンジョンの支配者。その眼窩に、紅く光る魔力が宿るのを、少年は呆然と見つめていた。息を呑んだまま呼吸を忘れている事に気付く。だが既に、紅い視線が少年を捉えている。
王が玉座から立ち上がる。決して大きな体躯ではない。だがその存在感は周囲の空気が歪んで見え、物理的な圧力を感じるほどだ。ゆっくりとした動作で、玉座の横に立て掛けていた、鞘に納められた巨剣を、背中に背負った。
そのまま背中の巨剣が鞘から引き抜かれ、しかし構えることも無く、音もなく急接近した来た。骨と鎧だけの身体で、恐ろしい速度で少年に迫る。少年は恐怖に押し潰されそうになりながらも、スキル『共感』を発動した。彼は武器など持っていない。これしか出来ないのだ。
少年の意識が、深い奈落に沈んでゆく。
――克己 ――痛み ――怒り ――孤独 ――渇望
ここに至るまでのアンデッド達と違う――誰かが居る、僕を呼ぶ声の――。
そこには、一人の女性騎士がいた。
国境を守る辺境の貴族家に生まれ、意に沿わぬ才を得ても克己心により成り上がる。
だが周囲に疎まれ、政争に巻き込まれた。
家族は処刑され、家臣と共に脱出した。
追っ手は、裏切った騎士数名と、冒険者崩れの成らず者。合わせて数十人。
追い詰められ、ダンジョンへ。
味方の全てを失い独りになろうとも剣を振り続けた。
相手も目的を果たせず退く事は無い。最後まで戦った。
生き残った者はいない。
怒気と殺気を放ち続ける、既に致命傷の彼女だけがその場に残った。
息を引き取るはずが、死してなお僅かな自我を保ち、殺意のみの存在に変貌する。
その悲しみと怒り、そして痛みが、少年の心に深く刺さる。
「ああ、もうやめて⋯⋯っ! やめろぉー!!」




