第3話『封印された記憶と顔のない契約者たち』
ユナは、夜の城をひとり歩いていた。
紅い月が窓から差し込み、廊下の影を長く引き伸ばしている。
その影の中に、何かが“いる”気配がした。
「……誰か、いるの?」
返事はない。
ただ、壁に飾られた肖像画が、微かに震えていた。
肖像画の人物たちは、皆顔が塗り潰されている。
だが、よく見ると――その“塗り潰し”は、絵の具ではなかった。
それは、黒く乾いた血だった。
「この人たち……契約者?」
ユナは、地下へと続く階段を見つけた。
そこには「封印区画」と書かれた鉄の扉があり、鍵はかかっていなかった。
扉を開けると、冷たい空気が流れ込んできた。
地下室は広く、壁一面に契約者の記録が刻まれていた。
名前、契約日、進行度――そして、最後に「消失」と記された者たち。
「……こんなに多くの人が、感情を失って消えたの?」
ユナは奥へ進む。
そこには、ガラスの棺が並んでいた。
中には人間のような姿が横たわっているが、顔が――ない。
「顔が……ない……!」
ユナは思わず後ずさった。
だが、棺のひとつが突然“カタリ”と音を立てた。
中の存在が、動いた。
「……かえして……わたしの……なまえ……」
その声は、ユナの頭の中に直接響いた。
棺の中の契約者は、顔のないまま、ユナに手を伸ばしていた。
「かえして……わたしの……“愛”……」
ユナは叫びながら後退し、扉を閉めた。
その瞬間、背後から声がした。
「見てしまったか」
振り返ると、そこにはヴァルドが立っていた。
彼の瞳は、いつもより冷たく、そして――哀しみに満ちていた。
「彼らは、契約に失敗した者たち。感情を失いすぎて、自我が崩壊した。
顔を失うのは、“存在”が曖昧になる兆候だ」
「どうして……そんなことを……!」
「この世界は、感情を糧にして成り立っている。
契約者の感情は、王族の力となり、世界の均衡を保つ。
だが、代償は大きい。お前も、いずれ“顔”を失うかもしれない」
ユナは震えながら、胸元の紅い紋章を見た。
それは、微かに脈打っていた。まるで、彼女の感情を吸い取っているかのように。
「……私、まだ“愛”はある。だから……まだ、消えないよね?」
ヴァルドは静かに頷いた。
「だが、“愛”は最も強く、最も危うい感情だ。
それを失えば、お前は完全にこの世界に溶ける」
ユナは決意を込めて言った。
「なら、私は“愛”を守る。たとえこの世界がそれを奪おうとしても――絶対に」
その言葉に、ヴァルドの瞳が微かに揺れた。
それは、かつて彼が失った感情――“希望”のようだった。




