第1話『異世界で吸血鬼王と血の契約を結ぶなんて聞いてません!』
赤い月が空に浮かんでいた。
それは、現実とは思えないほど不気味で美しく、まるで絵画の中に迷い込んだような光景だった。
「……ここ、どこ?」
ユナは目を覚ました瞬間、そう呟いた。
周囲には見たこともない黒い森。木々はねじれ、風は冷たく、空気はどこか甘い匂いがした。
彼女は確か、学校の帰り道で車に轢かれそうになって――その後の記憶がない。
「異世界転移……? いやいや、そんな都合のいい話あるわけ――」
そのとき、森の奥から足音が響いた。
重厚なブーツの音。ゆっくりと、しかし確実にこちらへ向かってくる。
ユナは反射的に身を縮めた。
そして、木々の間から現れたのは――漆黒のマントを纏った青年だった。
「……人間か。珍しい」
彼は長身で、肌は雪のように白く、瞳は深紅。
その瞳がユナを見つめた瞬間、彼女の心臓が跳ねた。
「わ、私……ここに迷い込んだだけで、敵意はなくて……!」
「敵意など、どうでもいい。問題は、お前の“血”だ」
「……血?」
青年は一歩、ユナに近づいた。
その気配は、まるで猛獣。威圧感に満ちていて、呼吸すら忘れそうになる。
「この世界は“契約”によって成り立っている。お前の血は、特別だ。
契約を結べば、この世界で生きられる。だが代償として――感情の一部を差し出してもらう」
「感情……?」
「恐怖、怒り、悲しみ、そして――愛。お前が何を失うかは、契約の進行による」
ユナは言葉を失った。
この世界で生きるために、感情を差し出す?
そんなの、まるで魂を売るようなものじゃないか。
「……断ったら?」
「この世界に適応できず、数日で消える。存在ごと、な」
あまりにも冷酷な言葉。
だが、彼の瞳にはどこか哀しみのようなものが宿っていた。
「……名前は?」
「ヴァルド。この世界の王だ」
「王……吸血鬼の?」
「そうだ。だが、かつては人間だった」
その言葉に、ユナは目を見開いた。
彼もまた、何かを失った者なのかもしれない。
そして、彼の瞳に映る自分の姿が、どこか懐かしそうに見えたのは――気のせいだろうか。
「……契約、する。生きたいから。帰る方法を探すためにも」
ヴァルドは静かに頷き、指先でユナの胸元に触れた。
すると、紅い紋章が浮かび上がり、彼女の肌に刻まれる。
「契約は成立した。ようこそ、紅の世界へ」
その瞬間、ユナの運命は大きく動き出した。
感情を代償に、吸血鬼王との奇妙な関係が始まる――。




