第三章|学びの階段は、水平ではない
春、啓翔学園の入学式。
翔太は真新しいブレザーの襟をいじりながら、校門の前で立ち尽くしていた。両隣には高級ブランドの革靴を履いた男子生徒たち。親たちはスーツに身を包み、玄関前で記念写真を撮っていた。
翔太の母、真理はコンビニで買った白いスニーカーを履いて、スマホで一枚だけシャッターを押した。
「いってらっしゃい。…うん、似合ってる」
「……行ってくる」
翔太は笑わなかった。
昇降口で靴箱を探すと、自分の上履きだけが、どこか安っぽく感じた。底のゴムはすでに少し剥がれていた。
「おーい、翔太!」
誰かが声をかけてきた。隣の席の生徒、加賀美理玖。父は商社勤務、母はインターナショナルスクールの講師という家庭。初日から、彼の名は教師の口からも親しげに呼ばれていた。
「これ、うちの母さんが焼いたケーキ!初日だし、配ってる。食べる?」
翔太は首を振った。
「いや…腹、減ってない」
「そう? じゃ、またあとで。教科書、マジで多いぞー」
理玖は軽やかに階段を上っていった。翔太はその背中を見つめていた。
階段は、同じ角度で作られているはずだった。
だが、踏み出す重さが、明らかに違っていた
五月のある放課後。
職員室の隅で、翔太は進路指導担当の牧村教諭と面談を受けていた。
「西村くん、君の奨学金の継続には、内申点が8割以上必要です」
「はい、がんばってます」
「君の努力は評価してる。ただ…提出物、たまに遅れてるよね」
「はい…母が夜まで仕事で、家に一人の時間が多くて…」
牧村は微妙に眉をひそめた。
「事情は理解するけどね、君が“努力してる”ということを、“数字”で示すのがこの学校の方針だから」
翔太はうなずいた。
だが胸の奥では、何かがふるえていた。**努力の重さに、測定単位があるのか?**と
ある晩、真理は啓介に呼び出されていた。
「翔太くんのこと、聞いたよ。加賀美理玖の親がうちの同僚でさ、たまたま話に出た」
「……なんて?」
「真面目だけど、ちょっと距離があるって」
「そりゃ、そうよ。うちだけ、弁当が冷凍食品詰め合わせだもん」
「支援、続けてもいいよ。生活費も」
「いらない。それしたら、翔太が壊れる」
「じゃあ、せめて俺が何をしたらいいか、教えて」
真理は黙っていた。
ふと、目の前のグラスに映る啓介の目が、自分ではなく“何か別の制度”を見ている気がした。
「翔太には、“勝つ”必要があるの。対等になるために。でも、教育って、勝ち負けじゃないって、信じさせてくれる大人が、他にいない
七月。翔太のクラスで、道徳の授業参観があった。
テーマは「職業と価値」。
父親たちが次々に名刺を配り、自分の職業を語る。
弁護士、コンサル、医師、起業家。
翔太の順番が来た。
「うちの母は…派遣社員です。病院の受付とか、電話対応とか、色々してます」
一瞬、教室が静まりかえった。だが翔太は目を伏せなかった。
「…でも、俺に嘘ついたことがない。約束も破ったことがない。だから、俺は、尊敬してます」
窓の外で、蝉の声がした