第二章:あの春の選択
登場人物(更新):
•西村 真理:派遣事務員。シングルマザー。息子の進学を巡って葛藤する。
•西村 翔太:真理の息子。都立中高一貫校を目指していたが、模試でD判定が続く。
•担任・村田先生:翔太の中学校の進路指導担当。冷静で理屈派。
•塾講師・須賀:進学塾「アーク個別指導」の非常勤講師。大学生バイト。やや理想主義
三月、朝の光は濁ったガラス越しに柔らかく差し込んでいた。
団地の窓辺には、翔太の受験票が無造作に置かれていた。
真理は炊飯器の蒸気の立ち上る匂いを感じながら、財布の中のクレジット残高をスマホで確認していた。
残額、3,213円。
次の入金は四日後。だが、今日が都立第二希望校の入学金の〆切日だった。
「翔太、ほんとにいいの? 都立やめて滑り止めの私立行く?」
返事がない。
部屋の隅、布団にくるまっていた翔太が、うつ伏せのまま唸るように言った。
「…どっちも行きたくない」
「でも、どっちか行かなきゃ、もう」
「疲れた。無理して勉強して、結局ダメで、意味ないじゃん」
「意味は、あったよ。ママ、頑張ってるの見てた」
「頑張ってても、金ないじゃん」
その言葉は、真理の胸にナイフのように刺さった。
先週、翔太が行きたがっていた「啓翔学園」から合格通知が届いた。だが、入学金が24万円、制服代と教材費でさらに15万。一括支払い。分納不可。
母子家庭には重い。
塾講師の須賀に相談に行ったのは、その翌日だった
「推薦取れなかった時点で、もう都立第一志望は正直、厳しいラインです。でもね、西村さん――翔太くんには、僕、可能性を感じてる」
須賀はファイルを開き、翔太のノートを見せた。隅に書かれた詩のような英文、歴史年表の整理。
「この子は、頭の中で物事を立体的に捉える癖がある。普通の子が覚えることを、この子は“組み直す”。それ、才能ですよ」
「でも、うち、そんなお金ないんです。才能って、金でつぶされるんですか?」
須賀は言葉に詰まった。
ほんとうは、否定したかった。だが、現実は残酷だった
雨のあがった午後、真理は意を決して啓介にLINEを送った。
返事は10分で来た。
《今週金曜の夜なら空いてます。食事でもどうですか?》
地下街のビストロ、テーブルにワインと前菜。啓介は昔話をしながら笑っていた。真理はふと、切り出した。
「お願いがあって…」
「うん?」
「…貸してほしいの。24万円。翔太の、入学金」
「……」
一瞬、啓介の表情が止まった。その瞬間の無音が、真理には永遠のように感じられた。
「真理さん、俺が金を出すって、どう見える?…恩か、施しか?」
「どっちでもいい。あの子の可能性を、金で消したくないの
数日後、団地の郵便受けに「啓翔学園」の入金確認通知が届いた。
翔太はその封筒を見て、言った。
「…ママ、ありがとう。でも、返すよ。いつか。必ず」
真理は笑わなかった。ただ、そっと背中を押した