第8話 あたしはそんなあたしが嫌いだよ
結果としてあたしのクラスの文化祭は大成功に終わった。
完成したジャンクフードアートの作品が派手にぶっ壊れる動画がSNSでバズったのだ。これで壊れたアートが気になって見に来る野次馬的な客が想像以上に集まり、あたしたちの文化祭展示は大盛況の内に幕を閉じた。
アップされた動画はうまい具合に編集され『危機を機転で乗り越えて団結したクラス』という誰も悪者のいない物語としてまとめられた。しかし、この映像にはもちろん作品を破壊したあたしの姿がばっちり映っている。アップ前に映っている全員の目の部分を黒ベタ修正する顔バレ対策はされていたが、知っている人が見れば誰が誰だかすぐにわかるレベルの対策だ。あたしのやらかし映像は、半永久的にネットに残るデータとして世界に刻まれたのだ。
そうだ。罪は消えないのだ。なのにこの罪はなかったことにされ、今あたしは文化祭の打ち上げのカラオケに参加していた。いや、参加を許されていた。
「文化祭の成功を祝して、かんぱーい!」
カラオケのパーティールームのステージ上で乾杯の音頭を取る森くんの声に、クラスのみんなが「かんぱーい!」と手にしたグラスを次々と持ち上げる。その中であたしだけが動けずに、居場所のない感情を抱えたまま手の中のグラスを握り締めていた。
コース料理のピザやポテトを食べながら、ポップスやアニソンなんかを歌って、めいめいに盛り上がるクラスメイト達。あたしはその輪に入らず、部屋の隅でひとりずっとグラスを握ったまま動かなかった。周りは禁忌のように近づかず、誰もあたしの罪に触れようとはしなかった。だってあたしは許されているから。みんなが許してしまったから。
「えー、じゃあクラス表彰始めまーす!」
そうあたしが羞恥に打ちひしがれている間にも打ち上げパーティーは進み、気が付けばステージの上に森くんと保志名さんが立っていた。
「最初は『たくさんゴミを集めたで賞』! 田中くん!」
「え、俺!?」
保志名さんに名前を呼ばれた田中くんがステージに上がると、森くんから「表彰。あなたはクラスで一番ジャンクフードアートの素材集めに貢献したことを称え、ここにそれを賞します」と賞状を渡され、パーティーグッズの表彰メダルを掛けてもらっていた。みんながそれを拍手で祝う。どうやら文化祭に貢献のあったクラスメイトを表彰するという企画らしい。『よく撮れたで賞』やら『手先が器用で賞』、『神デザインで賞』などなど、準備で活躍した人達が拍手の中でステージに呼ばれ、次々と表彰を受けていく。
あたしはその様子を別の世界の景色のように眺めていた。許されてしまった罪の壁に隔てられたあたしには、それはもう交わらない世界線の話であるのだから。
「最後、『結果オーライで賞』!」
だから、あたしを勝手に救い、あたしを勝手に許した男が、そんなふざけた賞を作り、
「高橋さん!」
あたしの名前を呼ばせて、この壁すらないものとして扱うことを、あたしは心の底から許してはならないと思ったのだ。
立ち上がったあたしはステージへ向かう途中のテーブルでマイクを拾い、バツの悪そうな保志名さんを横目にしながら、賞状を広げて疑いない善意の笑顔であたしを迎える森くんの前に立った。
「表彰。あなたは――」
「森くん」
賞状の読み上げを遮り、あたしは大音量のマイクで彼の名前を呼んだ。
キィー……ンとマイクが鳴り、集まった注目がみんなのざわめきを一瞬に払う。
空白。
「ふざけんな」
そこにあたしの怒声が静かに響いた。
「結果オーライ? そんな言葉であたしが許されると思ってんの?」
静かな、けれどマイクで拡声された確かな怒りの言葉に、森くんは怯んだように顎を引いて首を横に振り、
「あ、いや、許すとかそんなんじゃなくて、えーと、別に最初から高橋さんが悪いとは思ってなくて」
そう最初からあたしの罪なんて存在しないと否定して、
「でも高橋さん気にしてそうだったから、表彰したら気にしなくていいって思ってくれるかなって。実際に結果オーライだったし」
これはあたしを想っての励ましだったと釈明し、さらに結果がよかったのだからそんな罪悪感など不要だと主張して、
「でも気に障ったなら謝るよ。ごめん」
最後になんで怒っているのか理解できていないけど、これで気が済むならと、あたしに頭を下げたのだった。
頭に血が上った。
「そういうのが許せないって言ってんだよ!」
怒鳴り声とともにマイクを床に投げつける。叩きつけられたマイクの音がゴスッとスピーカーから鳴り響き、その残響が場の空気を一瞬で張り詰めさせる。驚きに顔を上げる森くん。その胸倉を掴んであたしは叫んだ。
「あたしのことをあんたが決めんな! あんたはあたしのなんなんだ!?」
フラストレーションが爆発する。
「予備校あるって言ってんのに無理やり文化祭に引き込んだり、許してもないのに勝手に一緒に昼メシ食べたり、頼んでもないのに勝手にあたしを許したり、それであたしが喜ぶと思ったの? あたしの顔見てた? 少しでも喜んでる顔してたかよ!」
胸倉を揺すりながら勢い任せに捲し立てる。ああ、そうだ。コイツはあたしを見ていなかった。自分の独善にあたしを取り込もうとしていただけだ。あたしを善意に生かされる従順な愛玩動物に変えようとしただけだ。
許してはならない。許されてはならない。結果クラスで爪弾きになったとしても、あたしはあたしの尊厳を賭けて森くんの独善に噛み付かなければならなかった。
「ご、ごめん。でも、その、俺さ――」
あたしの気迫に気圧される森くんは最初こそ目を泳がせて戸惑っていたが、謝りながらも徐々に目の焦点をあたしの顔に合わせていき、そして眉に力を込めると意を決したように口を開いた。
「高橋さんと仲良くなりたくて――」
知っている。そんなこと、とっくに知っている。そしてコイツがこの場でその言葉を発した理由こそ、あたしとコイツとの決定的なディスコミュニケーションの証明で、
「――その、高橋さんのことが好きだから」
だから続けて投げられたコイツのまっすぐで純情に溢れた独善の告白を、あたしは正面から容赦ないフルスイングで打ち返したのだった。
「あたしは大っ嫌いだよ、バカヤロー!」
言い捨てて、あたしは森くんの顔も周りの顔も見ずにカラオケルームの外へ出た。
言った。
言ってやった。
言ってやったぞ。
思った以上に後悔はなかった。たとえこれで逆上した森くんに殴られることになったとしても、あの屈辱を抱えたまま生きる方があたしには絶対に無理だった。あたしはあたしを取り戻した。達成感が足取りを軽くする。
「待って、高橋さん!」
そこで後ろから腕を掴まれた。森くん。掴まれた腕からゾクリと走る悪寒に身体が強張るあたしに、森くんはフラれた直後とも思えない紅潮した顔で自分の想いを熱っぽく語り出した。
「俺、前からクラスで誰ともつるまない高橋さんのことクールでカッコいいと思ってて、自分があって、我が道行ってて、こうちょっと大人っていうか――」
その言葉にあたしは目を開く。それは意外な事実だった。あたしは孤高を気取っていた。それがあたしを追い詰めたコイツの好意の理由だったのだ。
「でも近づくきっかけがなかったから、だから文化祭でって――」
「あたしはそんなあたしが嫌いだよ」
森くんの言葉を遮って吐き捨てた言葉は冷たく響き、その声が心の中に反響する。
あたしはあたしをそんなに好きじゃなかった。人目を気にし、厄介な人間関係を避け、リスク回避に奔走し、面倒にならないように面倒に立ち回り、日々を小賢しく、小狡く、八方美人にやり過ごし、それをパッサパサな青春だなんて自虐に浸って一人でうそぶく小物な自分のことが、あまり好きじゃなかった。
「でもさ」
それでもだ。それでもあたしはあたしじゃないあたしにされたくはなかったのだ。
「自分のことが嫌いな自分は割りと好きなんだ」
そう心の底から言えたのは、きっと森くんのおかげで、
「だからあんたの愛じゃ、あたしはあたしを愛せない」
だから森くんの顔をまっすぐに見据えて、あたしはあたしへの愛を告げることができたのだ。
けれどこの宣言を正面から告げられた森くんの反応は想像の斜め上だった。
「――でもさ、友達とかからワンチャン!」
「ねーよ!」
だめだコイツ、国語力がなさすぎる! スポーツできれば大学入れる制度って本当にクソだな、とか訳の分からない怒りが湧いてくる。ええい、手を離せバカ! ヤバい、腕を振っても離してくれない! 「ワンチャンでいいから」じゃねぇんだよ! ヤバい、手が離れない! ヤバい!
「だっさ」
その声が聞こえた瞬間、森くんの顔がはたかれた。
横を見ると保志名さんがいた。彼女が森くんを平手打ちにしたのだ。
「フラれたら身ぃ引けよ」
そうドスの効いた声で吐き捨てた保志名さんは、呆然としている森くんの手からあたしを解放すると、そのままあたしの手を引いてカラオケ店の外へと連れ出してくれた。
「あ、ありがとう……」
保志名さんに助けられたことに驚きながら、ともかくお礼を言う。外はすっかり夜で、カラオケ店のある駅前の繁華街は雑多な看板の照明で賑やかに輝いていた。その灯りを横に受けながら振り返った保志名さんは、陰影に見えない表情のままあたしの後ろを指差して言った。
「ちょっと付き合える?」
指差す先へ振り返ると、赤色に輝くファーストフード店の看板があった。