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第3話 調子のんなよ

 窓の外に夕暮れの空を眺めながら、あたしは手洗い場でせっせと空き缶を洗っていた。


「……最悪」


 あたしは冷たい水に悪態を吐きながら文化祭の手伝いをしていた。結局、森くんの怪我は湿布を張るくらいで済む軽い捻挫だったのだが、怪我をさせたという事実がある以上あたしに拒否権などなく無償の労働を捧げることになった。これが責任という奴である。

 文化祭を手伝うことに渋々同意したあたしに、「高橋さん、ありがと!」と屈託のない笑顔でサムズアップしてくれた森くんはなかなかの最低ぶりで、時にポジティブは邪悪を生むという人生の苦味を教えてくれた。あたしはそのお礼に頬を全力でひきつらせて皮肉に塗れた笑顔を返してやったが、森くんの笑顔がますます輝いただけだったので視線を逸らした。陽キャ怖い。

 それはさておき文化祭である。ジャンクフードアートである。

 SNSのアート系投稿などに触発されたらしい我がクラスのジャンクフードアートは、高校の文化祭の展示としてはやたらと立派だった。制作場所として借りている空き教室の床には二メートルくらいある大きな石膏ボードが五枚も横たわり、それぞれのボードにウォーホルのマリリン・モンローを元ネタに、流行りのアニメキャラやゆるキャラをポップにリデザインした似顔絵アートの原画が描かれている。美術部の川本くんの絵と聞いたけれど、なかなかたいした仕事である。この原画に指定された配色指示に従って、制作班の面々が色の合うジャンクフードの容器や包装ラベルにチラシ写真などをモザイク状に貼り付け、食品パッケージに多い赤、白、黄色の暖色系の色合いで作品をポップアートらしい彩りで飾っていた。これを五枚も並べ、さらに空き缶やペットボトルで作ったオブジェで周囲も飾るというのだから、完成すればSNS映えしそうな大作アートになるだろうことは簡単に想像できた。

 実際にそのつもりらしく、この制作作業は動画撮影しながら進められていて、後で編集してメイキング映像として展示するとともにSNS配信もする予定だそうだ。配信による全世界公開なんて、陰キャのあたしなんかは『食べた食品の包装を使うなんて不衛生ですね』みたいな、ネット上の正義感が強く心配性な意識の高い方々のありがたいご指摘を頂いて、炎上とかするのではとネガティブな想像をするけれど、森くんみたいな陽キャでウェイウェイした方々は、実にポジティブに漂白された思考で自分たちの楽しいや凄いを外の人とも共有すれば、同じように楽しくなって凄いと思ってもらえると素朴に考えているのだろう。同じ人類か疑う億千万光年くらいの思考の隔たりを感じる。


「まあ、その撮影には映らんで済むからまだマシか……」


 さて、そんな世界配信予定の大作の制作現場から離れて、どうして手洗い場で空き缶なんか洗ってるのかというと、文化祭実行委員の保志名さんの指示で洗浄・分別班へと回されたからである。洗浄・分別班とは集めたジャンクフードの容器や包装紙などの素材に付いている汚れや臭いを洗浄し、さらに洗った素材を材質や色などで分別して使いやすく仕分ける仕事をする班である。

 早い話が下っ端がやる汚れ仕事だ。


「絶対、睨まれてるよなぁ……」


 最初、森くんは自分の所属する制作班の仕事をあたしに手伝わせようとしたのだが、これに保志名さんが異を唱えた。そりゃ自分の狙っている男子が経緯はどうあれ自分以外の女子を横に置こうとしたら、なんでも理由を付けて引き離しに掛かるのは当然だ。保志名さんは要約すると「散々参加拒否してた途中参加の新参が、ここまで頑張って作品を作り上げてきた制作班の仕事にいきなり加わるなんて身の程を知れ」という内容のことを、森くんに嫌われないように可愛らしく、周囲の賛同を求めながら主張した。あたしからしても敵意抜きに「仰る通りです」と思う意見で、ともかく考えていることがわからず気持ち悪い森くんから離れられるならむしろ願ってもないお話と、この提案に便乗して進んで洗浄・分別班へ加わった次第である。


「まあ、森くんのことだから、深く考えずに自分の仕事を手伝わせようとしただけだろうけど、ここまでわかりやすく気持ち見せられて全然気付いてない森くんって、やっぱちょっとおかしいよなぁ……」

「なにがおかしいって?」

「はわっ!?」


 いきなり背後から声を掛けられて跳び上がるように振り返る。見れば独り言の話題にしていた森くんで、あたしは心臓をバクバクさせる。


「ややや、なんでもないなんでもない独り言」

「そう? なんか準備の進行で変だなとか思ったら、遠慮なく言ってくれよな」


 孤高のぼっち癖で周りに人がいないと、ついつい思考だだ漏れの独り言をしてしまうが、そこにご本人登場のドッキリは本当に心臓に悪い。そのご本人は保志名さんならトゥンク間違いなしのニカッと爽やか満面笑顔でアイドルのようにキラキラと輝いている。億千万光年の心の隔たりあるあたしにも届く、森くんのスターな笑顔の輝きに畏敬にも似た感心をしながら、「変と思ったこと」で頭に浮かんだのは洗浄・分別班に回された同僚の顔ぶれのことだった。

 洗浄・分別班には明らかにクラスの中心メンバーから距離のある人たちが多い。ボス名さんなどと言っていた口さがない陰キャ男子どももここではあたしの同僚だ。クラス内のヒエラルキーの縮図がありありと表れている。全員参加を目指しながら、こういうところに気が回らないのが実に想像力不足な森くんらしい。


「変だなんてないよ。みんなこんなに立派な準備進めてて、凄いなって思ってたところ」

「そう? 照れるな」


 さりとてそれを口にしたところで森くんは理解しない――というか、理解されて行動されても騒ぎになるだけなので、作り笑顔で当たり障りのない回答をする。これに懐いた犬のような可愛らしい照れ笑いを浮かべる森くん。保志名さんに見られたらヤバいから、照れている暇があったら早くどっか行ってくれ。会話ノルマは達したよ? お願いだから早く消えてもらえませんか?

 しかしあたしの念は通じずに、なにか言いたげにポリポリと頬を掻きながらこの場に居座る森くん。業を煮やしたあたしは仕方なく訊ねる。


「用事?」

「あ、いや、悪かったなと思って。ほら、こっちの仕事に回しちゃって」


 どうやら森くんにも洗浄・分別班は下々のする仕事という認識があるらしい。凄いな。全員参加のスローガンを掲げながら仕事の貴賎に自明の差がある矛盾に、葛藤を抱かないでこんな発言を無意識にできる鈍感さがあれば、そりゃ人生陽気に楽しめるはずである。


「気にしなくていいよ。あたしだけずっと手伝えてなくて申し訳ない気持ちの方が強いから大丈夫。それに目指してるゴールは同じだし、仕事に良いも悪いもないでしょ?」


 とはいえ保志名さんという虎の尾がある以上、この仕事は現状選択できる最適解であるので、むしろ願ったり叶ったりであるということを原型がわからないほどのオブラートに包んで伝えると、なんだか森くんがやたらと感心したような顔でこちらを見てきた。


「なに?」

「高橋さんって、やっぱカッコいいんだな」

「は?」


 いったいなんの話だ、コイツ?


「森くーん」


 素で怪訝な顔をしそうになったところで森くんの後ろから声が掛かった。森くんの振り返った先を見て血の気が引く。保志名さんだ。


「探したよー。ちょっと川本くんが制作スケジュールで相談だって」

「わかった、すぐ行くよ。じゃあ高橋さん、またね」


 猫をなでたら出てきそうな声で話す保志名さん。すぐ行くと言いながら、あたしににこやかに手を振ってからこの場を離れる森くん。やめろ。その笑顔をこの場であたしに向けるのやめろ。

 その背中をすぐに追わずに森くんが廊下の影に消えた瞬間を見計らい、保志名さんが冷え切った目でこちらを一瞥した。


「調子のんなよ」


 先ほどの猫なで声と同一人物とは思えないハスキーな低音で、保志名さんはそう言い残して去っていった。


「むしろ調子悪くなってきたよ……」


 どんな弁明も火に油になりそうな空気を漂わす保志名さんに、あたしはげんなりと溜め息を吐いた。

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