第2話 陽キャ意味わからん
「高橋さん、今日は手伝える?」
「ごめん。今日も予備校なの」
昼休みに教室外でひとりメシをしようとするあたしを捕まえて声をかけてきたのは、文化祭実行委員の森くんと保志名さんだった。
「ああ……でも、予定の空く日もない?」
「ごめんね。予定みっちり入れてるから、ちょっとムリなの……」
ハッキリ断ったのに、えらく食い下がってくる森くん。あたしは内心の苛立ちを隠しながら恐縮そうに返事して、逃げるように教室を出る。
「だから言ったじゃない。やる気ない子にムダだって」
「でもなぁ、最後の文化祭だし」
「……森くんって優しいんだね」
教室を出る直前に聴こえた森くんと保志名さんの会話。毒のある保志名さんの声が一瞬で「男のわがままに理解ある女の声」に変わったことに悪寒を覚えながら、あたしはいつもの校舎裏の外階段へ行き、焼きそばパンとコーラのジャンクなひとりメシを堪能する。
「しっかし森くんもしつこいなぁ……。だいたいボス名さんの前で他の女子に話しかけるとか、どこの少女漫画の鈍感男子ですかってのよ」
保志名さんは口さがないクラスの日陰男子などからはボス名さんなどと呼ばれている、鼻筋の通った小顔をばっちりアイメイクとライトブラウンのウェーブパーマで飾った顔面強者の派手ギャルで、我がクラス女子グループのボスに君臨する女である。そして森くんに絶賛アプローチ粉かけパウダースイング女子であり、彼女の前で森くんと親しげに話そうものなら最悪、クラスのグループチャットで存在抹消令が発令される可能性もある恐怖の絶対女王である。
彼女の恋路の相手の森くんは、夏に引退するまでサッカー部のキャプテン兼エースストライカーという、わかりやすい運動部の爽やか系イケメンモテ男子で、我がクラス男子グループのトップに輝く男である。もちろん陽キャだ。この陽キャが「部活も引退したし、最後の文化祭はクラスみんなで派手に思い出を作ろうぜ!」とか言い出して、森くん狙いのボス名さんともども文化祭実行委員に納まった。基本的に悪い人ではないが、自分が楽しいと思う陽キャ的「みんなでウェイ!」が全体の普遍的で最大公約数的楽しさであると素朴に信じている、意識は高いが想像力は低いというタイプの男であった。
この森くんが自らの価値観に基づいて、文化祭へのクラスメイトの全員参加を促してくるのが今のあたしの悩みの種だった。
「自分はスポーツ推薦決まってるからいいけど、受験組のことも考えろっての。三年は自由参加だって先生も言ってんだし」
ぶつぶつと愚痴りながら、焼きそばパンを頬張る。パサパサとした炭水化物としっとりとした炭水化物が、焼きそばソースのジャンクな味と混じり合って口の中に広がり、それをコーラの刺激と甘さで流し込む。
糖質がもたらす至福のひとときにホッとひと息つきながら、口に付いたソース汚れを指で拭う。煩わしさの多い学校生活で、一番気の休まる昼休みのひとりメシ。人目を気にせずに穏やかな昼下がりを堪能できる最高のゴールデンアワー。思考を無にできる心の聖域の時間。
「――はぁぁぁ~……」
けれどそれも一瞬の忘却で、すぐさま脳裏の思考に浮かんでくる現状の面倒くささに、どうしても重い溜め息を漏らしてしまう。ほんと、どうしてこうなった。
こんな校舎裏でひとりメシをしている時点でわかるように、あたしはぼっちの陰キャ女子だ。生まれてこの方どうにも集団生活の中で共感と承認を求めて否定と肯定の駆け引きを繰り返す人間関係のパワーゲームというものに馴染めず、適当に周囲の人間関係を読みながら面倒くさいマウンティングの標的にされないように目立たず騒がずパーソナルな部分に踏み込んだり踏み込まれたりされないように立ち回り、「孤立している訳でもないが深い付き合いの人間もいない」という立ち位置を保ってきた。つまるところ孤高というヤツだ。
そこにクラス内格付け一位の男子が、自分にアプローチしている格付け一位の女子を引き連れて、あたしにゴリゴリと声をかけてくるのだ。
こうなると対応が難しい。森くんの誘いを断るのは角が立つが、下手にOKして脈あり女子だとボス名さんに思われたら存在抹消令を発令されるリスクがある。そこであたしは受験を理由に森くんのメンツを傷つけない回避行動を取ることにしたのだが、これに想像力の低い森くんがゴリゴリと追随してくるのだ。
大半のクラスメイトはクラスの男女ツートップに迫られて、否応もなく参加させられていた。口さがない日陰男子どもも陽キャの圧に膝を屈して今や無償の労働力である。
しかし、あたしはそんな周辺状況でも立場を変える訳にはいかなかった。そもそも文化祭参加の説得の最初の相手に森くんが選んだのが何故かあたしで、ボス名さんの視線がその時点で警告を発していたのだ。すでに目は付けられている。しかし森くんは謎に懲りない連日の勧誘をしてきて、今さら崩せない建て前をあたしは死守し続ける他なくなった。
「あー、陽キャの思考わかんねー」
見上げた秋の空は高くぽっかりと広がっている。そこに薄い雲がひとつきり浮いていた。明るい陽射しの中に孤高の雲は、今にも空に消え入りそうだった。
「能天気には雲の影なんて必要ないんだろうね」
昼メシの残りを口に放り込む。焼きそばのなくなった焼きそばパンの端っこの味はパサパサのパンの味で、あたしはそれを温くなったコーラで一気に流し込む。
げっぷが秋空に鳴った。
「あ、高橋さん! こんなとこにいた!」
「げ」
そこに声が降ってきた。森くんの声だ。上の階から現れて階段を降りてくる。
「もうちょっと話そうぜ! 予定見直したら、手伝えるところあるかもしれないし!」
「いや、無理だから!」
「ちょっ、待ってよ!」
あたしは反射的に立ち上がり、昼メシのゴミもそのままに階段を駆け降りる。すると上から響く階段を踏む音の間隔が速くなった。追いかけてきている。なんなんだこのしつこさ。そこまでクラスみんなの思い出づくりが大事か? 陽キャわからん意味わからん! 逃げる意味もないのに身体が勝手に逃げ出しちゃってるレベルで意味わからん!
「あ!」
「え?」
その声とともにガンゴンと派手な音がした。立ち止まって音の方を見上げると、森くんが上の階段の踊り場に倒れていた。さすがにそのまま立ち去る訳にもいかず、引き返して様子を見る。
「だ、大丈夫?」
「なんかビニール踏んで滑った……くぅ~痛てぇ~」
「あ」
サッと血の気が引いた。それはあたしの昼メシを入れていたビニール袋だった。森くんから逃げるのに置き捨てにしたこれを踏んで転んだらしい。
「ご、ごめん、そのビニールあたしの……」
「あ、やべ。足くじいたかも」
立ち上がろうとして顔を歪める森くん。それにあたしの顔も罪悪感にギュッと歪む。
「とりあえず保健室だな、こりゃ。ごめん高橋さん、手ぇ貸して」
「う、うん」
手を引いて立ち上がらせたが、挫いた足が思った以上に痛むようで、森くんはあたしの手を掴んだまま顔を俯かせてなかなか動こうとしなかった。
「肩も貸すよ」
「お、おう」
森くんの腕を肩に回して身体を支える。少し抵抗するように身じろいだ森くんだったが、足の痛みに負けたのか諦めるように体重を預けて歩き出した。
無言で保健室にむかって歩く。状況的にこうするしかなかったが「この姿を誰かに見られて保志名さんに知られたらマズイ」などと気が気でないあたしの頭の中は「早く保健室へ!」の一心で、陽キャの森くんがこの無言の間に考えていることについて、まったく気を回すことができなかった。
「あのビニール、高橋さんの?」
だから口を開いた森くんの言葉は完全に不意打ちで、あたしはそれにうまく対応することができなかった。
「ご、ごめん」
「謝んのはいいから」
咄嗟の謝罪を遮って、森くんはあたしの顔を見つめると、にっこりと陽キャらしい屈託のない笑顔を見せて言った。
「文化祭、どう?」
本当に最悪に卑怯が過ぎるタイミングで、陽キャマジ意味わからんと思った。




