遥か遠きに見ゆ
自らの憶せぬところに存在する、ただそれだけで自己としての実存が肯定されること、私はそんな事実を視て見ぬふりしていた。蒼茫の大地、震え得ぬ巌の塑像。流れ往く時の風に身を移ろわせ、其処にやおら残ったものは、私の残骸であった。
何もかもを虚ろに思え、心の奥底に空洞が出来上がった終わりなき侵蝕の始まりを、徐々に気づいて行った。雨が滴るような冷たさが、私自身をパレットとして描き出している。
何時しかこうなっていた、という事実は骨身を貪る。思えば、月日経った過去の出来事を思い返したもの、例えば消えた太陽も、堕つ朧月も、全て一つの「仮象に近い事象」であった。
人間の脳髄は、人間の肉体に関する研究をドコドコ迄も行き届かせている。解剖、生理、病理、遺伝と、あらゆる方面に手を分けて、微に入り、細に亘らせている。どれもこれも病気の治療同様に、内科、外科、耳鼻科、皮膚科、眼科、歯科と数を悉くして研究を競わせているが―――それらを以てしても、私の空いた空洞を埋めることは不可能だろう。
私は死の勝利へ進みゆくイッポリータである。
私が私自身をどう思ったか、考えただけで数多の見方が浮かぶ。しかしどれも儚く空しい。案ずるは産むが易しと言われるが、それは死産であり続けた。だから私として意味深長な思わせぶりを見せる必需性はなくて、且つ意識の中で眠る変革も蒼氓のうちで言えば専ら大したことのなく、人口に膾炙する事も無い。だが、そんな私の東雲はとっくの昔に消え、今や暗雲が立ち込めた宵闇の様である。ああ、何故なのだろうか―――私は考えた。
洞察し、省察し、鑑みて、ありとあらゆる脳髄を果たしても「それ」は類推されず、また演繹されなかった。人間のか弱さ、逆して自己のひ弱な態度に改めて溜め息が出る。
こう言った「死産」が出来たのも、私としての心が占有されることが無かった所以だ。
アルコールと、ニコチンと、阿片と、消化剤と、強心剤と、催眠薬と、貞操消毒剤と、毒薬と―――どうも頭がこんがらがって、齟齬が生まれていく。
私はそんなものでは無かった、「そんなものでは」無かった、のだ―――だが、もう遅かった。私は何時しか現実と言う鳥籠に閉じ込められた哀れな小鳥の一匹で、また、其れは儚く辛い。唯物的科学思想の建てかえ建て直しだ、現実的空想論の破壊だ、理性的活用性に於ける心理学なぞ最早意義も為さぬ。
何時しか私はこうも狂ったような、其れこそ狂悖性を受け持つように為って、誰からも寛容されない一匹狼の主観性を許容するようになっていった。
私は、何時しか「それ」を本当に好きになっていたのかもしれない。
ただただ浸食される心の空洞、其れを作り上げていた驟雨に近い雨粒は、そう言った感情の雪崩そのものではないのだろうか。こうも考えると涙が出て、悲泣に暮れてしまうのだ。こんな事に導かせた原因。やはり分からなかった。嫉妬か、とち狂った感情か、はたまた暴走か。
私は、まるで生きた死体そのものだった。燐光のオーラを纏ったようで、四肢は俯き、感情はパズルのピースが散乱したように崩壊した。私の名は、死であった。
こんな無様な様子を、彼らは何というだろうか。彼なら心配の声をかけてくれそうだが。
そう言った不安の払拭、自己意識の欠片すらも創痍したアクロトモフィリアのようにした原因を突き止めるため、私は動いた。動かざるを得なかったのだ。
私は虚ろさの首を持つサロメである。
かつて光あれと述べた者は、今や私を蔑み、その身を焦がす程の呪いを私に掛けただろう。
此れで私は「そんなもの」となった―――待っていてほしい、現実は、理想は、確かに吝嗇で蒙昧なものであるが、無聊な感情を照らし出す燦然たる太陽を受け持っているのだから。驟く理念は天壤の理を以ってしても、結局は自身の不安を反芻させてるだけ。憐憫、同情を求める求道者に過ぎない。
自らの憶せぬところに存在する、ただそれだけで自己としての実存が肯定されること、私はそんな事実を視て見ぬふりしていた。蒼茫の大地、震え得ぬ巌の塑像。流れ往く時の風に身を移ろわせ、其処にやおら残ったものは、私という名の存在であった。