蛮勇
子供時代にあったのに、もう随分前に取り壊されてるとのことで、私の記憶が結構風化しちゃってるので、残しとこうっていう謎の使命感。
長いけど書いていきます。
日本の武家屋敷風に白い塀に囲まれた見る限りガチ武家屋敷だった。
北海道の個人邸ってのはだいたい6LDK以上あったりで、都会からすると考えられないくらいに、庭付き駐車場ありの土地的にも大きなお家が多いんだ。
そこはそんな家家の、はるか3倍はある。
そんな立派なお屋敷なのにバラ線ってわかる?
有刺鉄線で何が何でも入れない入らせないって封鎖されてるお屋敷だった。
空き地だらけの真ん中にドーン!と建つお屋敷。
お屋敷の周りは空き地なのに、その空き地を囲む様に住宅街が広がってて、子供時代は空き地で粉塵爆発やバクチク遊びとか、まぁ、悪さしまくった。
空き家ってのはガキどもからすると、だいたい全部、あそこ幽霊が出るんだぜと話題になる。
ただそのお屋敷だけは、大人までもがガチガチの本物だったとみんな口を揃えて言うんだ。
元は都会からお偉い人が奥様の療養生活のために建てたんだが、精神的に病んだ奥様が、安楽椅子で服毒タヒしたあと、売りに出されマル暴な親分が妾さん囲うのに買ったんだと。
その妾さんがテカに手ぇ出して、親分が詰めた後に、日本刀で殺傷事件になったんだ、とか。(ちなみに高校生んとき気になって調べたがそんな事件は無かったよ。公になってないのかもしれないけど。)
だからあんな、田舎にそぐわない黒塗りな車がたまに横付けしてるから近寄るな、とね。
それでもクソみたいに悪ガキだったもんで、中見たいわけじゃん。
どうにか入れないか?と仲間と計画立てたり土塀の周りをウロウロするわけ。
そしたら草に埋もれてるけど、壁の下に穴が開いてる。土塀が崩れてて子供なら入れそうな穴。
よし、入ろう!と悪ガキ仲間で計画立てた。
懐中電灯持ってくる係とか、地図作ろう!とか計画したり、放課後はそれで結構盛り上がれたくらい、熱心に計画を立てた。
わたしを含む5人だったか、6人だったか。
悪ガキ仲間で土曜日のお昼を食べたら集まろうと決まり、血判状とかなんとか言いながら『大人にはしゃべらないこと、兄貴達にはバレないこと、お菓子は持ってこないこと』とかくだらない取り決めを真剣に決めて、自由帳に書いた。ついでに中に入ったらコックリさんをして霊を呼ぼう!とか言いながら藁半紙みたいなザラザラの紙に55音を書いたのも覚えている。5円玉は誰が持ってくる?とかでも結構揉めた。
あほである。
さて、いざ鎌倉ではないが決行の日。
黒塗りの車が無いか、周りに大人はいないかをドキドキしながら背丈ほどもある草むらに身を潜め、ガキ大将の号令と共に土塀の中に入った。
廃屋あるあるのゴミなどはなく、庭に池があるとかもなく、草茫々のなか、ひょっこりと難無く入り込めてしまった。
入れるじゃん 怖くないじゃん、と謎のテンションの高さで、それでも当時流行っていた〇〇グチ探検隊のように勇気を出すんだ!と中を進む。
木の大きな両開きの扉が土塀にある。それを背にしながら、母屋を見る。
玄関ドアは普通だった。開かないといいなと思いつつ、押して見るが案の定開かない。
窓から入る?とか、諦めるか?とかゴニョゴニョ話し合って、それでもぐるりと屋敷を回ってみよう、とゴソゴソ歩き回った。
入り込んだ丁度裏側。庭っぽい空間と大きな窓。窓に分厚いカーテンっぽい布が掛かってるけど、布の真ん中が開いて中が覗けた。
武家屋敷なのに、奥に暖炉というかマントルピースがある。うわ、ほんとに金持ちだ!と思った。
特に中にも入れなさそうで、帰りに駄菓子屋行きたいなとか、キン消しガチャやりたいなとか考えてた。ウォーズマンが欲しかった頃で、毎回バッファローマンか便器みたいなのか、ミートくんしか出ないわたしだった。その頃から推し運がなかったんだろう。 そんな余所事を考えてたら男児二人が中に人がいる!と泣き出した。
首の切れた女の人がいるー!と。
そうしたら、もうひとりが二階の窓に人が血まみれでいる!と騒ぎ出した。
逃げろ、とガキ大将が先に走り出した。
わぁ!!!と泣きながら走った。
後ろで誰かが、待って!置いてかないで!と多分転んでたが、振り返れなかった。
どういう順番で外に出たのかとか、全く記憶にない。
ただひたすら逃げた。
自転車を停めた空き地で泣きながら皆で集まって、絶対居た!見た!とか、大騒ぎだった。
ひとりが何かで切ったのか膝から下、向こう脛まで血だらけで、あー、こりゃ怒られるわー。と思いながらその日は多分解散したと思う。
夜になって、ドリフターズを見ていた時だ。電話してた親が突如般若になって首根っこ掴んでわたしを車に放り込んで走り出した。無言だったと思う。
物凄い重圧で、こりゃヤバい。絶対バレたなとわかった。
どこかの道場みたいな板間の広い場所で、悪ガキ仲間全員集合。その後ろにそれぞれの親が物凄い般若顔。
怒られるんだ、と震えた。
真っ白い着物と真っ赤な袈裟を着た変な婆さんが出てきて、列んで座れと言われた。変な水を掛けられて『あ、ヤバいやつだ』と思った。水が掛かった時に自分の意識はあるのに、勝手に『ケタケタケタケタ』と体を震わせながら大笑いしだしたんだ。しかも泣きながら。
それがわたしだけでなく、おばけを見たっていう三人、そして怪我した奴までが、笑いながら泣いてて、阿鼻叫喚ってのはこういうのだと思ったり、でも笑いは止まらないし体は勝手に動いてて気持ち悪いしで、助けてって思った。
変な婆様が変な灰をうちらの額に塗りつけて、お経を唱えながらグルグル廻りだしたのまでは覚えてる。
気がついたときには自分のベッドのなかで、その後怪我した奴が引っ越しちゃったり、おばけを見た一人が入院したまま引っ越しちゃったりで、その場所の話は誰もしなかったし、親から怒られるってことも無かった。
随分立ってから親に聞いたらそんなことあったか?とキョトンとされた。
ガキ大将とは幼馴染なので高校生んときにコソッと聞いたら『あの場所の話は厳禁って誓約書書いたから言えない』といわれたよ。
真相と言えるのかはわからないし、わたしは見てすらいないけど、廃墟探検の結末でした。
中学生高校生になると、バンドやったりバンドのお兄さん追いかけたりに、忙しすぎて武家屋敷跡には全く寄り付かなかったんだ。
ふと思い出して検索したら、もう無いと知り、そんな話を書いておこうと思った次第です。信じるか信じないかはアナタ次第です。
つるかめつるかめ どっとはらい