第六王妃の来訪と猫の夜襲
男が宿に着いた頃には既に太陽が傾いていた。
「遅いっ」
七姫が怒りながら内扉を開けて部屋に入ってきた。部屋の借主ではあるしお姫様という上位者ゆえか、礼儀を知らずの行動だ。 そして、ついて来たミーリンは心なしか焦っている様に見える。
「俺が逃げたとでも思ったか?」
七姫の頭をぽんぽんと軽く叩きながら答える。
「そ、そうじゃ無いですけど」
声は怒ったままの低音だ。
「剣の鞘が欲しいのだけど、手配をお願いできないか? 入ればいいから、お城の倉庫に眠ってる古いので十分」
「へ?」
「知らない? 剣って刃が出てたら普段危ないじゃん」
「知っていますっ」
さっきの怒りとは、ニュアンスの違う怒り顔は、自分の話を一瞬で流したくせに頼み事をされた事への複雑な反応なのだろう。
「そうか。 で、お願いできる? ちょっと自分で買いに行く時間が無くて」
「そのくらいなら……あ、そうじゃ無くて、これ付けて」
翻訳指輪を渡される。
「何?」
男はそう答えながら指輪を付けた。
「こんばんわ」
第六王妃が二人の後から部屋へと入って来て挨拶をする。 七姫が、礼儀どころでは無かった理由だろう。
身長は七姫よりも低く、どことなくエルフのサイズ感だが、胸だけは谷間は見えていないがサイズを主張している。 その、高貴なお姫様という見た目は、濃い目の化粧が無ければ王妃といわれてもピンと来なかったろう。
「ああ、こんばんわ」
男は、既に、第三者の気配は感じていたのだろうか、特に驚く状況でも無いらしい。
「先日は、大したお構いもできず申し訳ございません」
「いや、第一王妃様に呼び出されてたからな。 それに、十分ごちそうになった」
「さて、いつも姫を一人にさせて居るのですか?」
「はい~?」
「あなたは、この娘の戦士なのでしょう?」
「すまない、話が見えない」
「どういうことです?」
第六王妃が七姫に向かって聞く。
「ええと、彼は闘技会へ参加していただくだけなの……です」
「護衛に召し抱えるわけではないのですか?」
「は……い。 そういう話にはしていません」
「では、あなたがここに居る必要はありませんよね?」
「そうなのですけど……」
「わかりました。 少し席を外しなさい」
第六王妃は、七姫に隣の部屋へ行くように指示した。
「くっ……わかりました」
七姫は第六王妃の行動を把握できず不安だという感じだが、すごすごと隣室へと移動した。 当然ミーリンも付いていく。
「さて、わたしと賭けをいたしませんか?」
二人が部屋を出たところで、男に向き直って問いかけた。
「は?」
男は、豆鉄砲をくらった。
「条件は、闘技会で決勝まで勧めるかどうか」
「こういう場合、優勝じゃないのか?」
闘技会の単語が出たことで男は意識を取り戻した。
「それでは賭けになりませんから」
「なるほどね。
で、何を賭ければいいんだい?」
「あなたが勝てば、七姫を差し上げましょう」
「は?」
「それほどの実力があるという証明ですから」
「は?」
「そして、もし途中で負けたならば、
……わたくしの頼みを一つ聞いてください」
「それは、今言ってくれよ。 対価になってるか判断できん」
「七姫の価値をあなたがどう計るかです」
「言えてる。 面白れぇ、だが、娘とはいえ他人を賭けるのは無しだよ。 だから、あんたでいいかい」
「…………ぁ」
ここまで表情を一切変えなかった第六王妃の顔に動揺が浮かぶ。
「どうした? 娘は賭けられても自分は無理なのか?」
「……ぐっ」
そして、少しだけ恥じらいの表情に変わる。
「だめなら、この話は無しだ。 聞かなかった事にもしてやる」
「いえ、構いませぬ……ですが、後悔なさるなよ」
この後悔という言葉の意味も含めて、この時点で男には何も把握できていなかった。
「ああ、頑張って勝つよ」
それでも、強気を見せる。勝算があっての賭けだ。 とはいえ、その計算が合っているかは、まだ不明であろう。
第六王妃は、用事が済んだのか部屋に設置された呼び鈴を鳴らす。
ミーリンと一緒に七姫も部屋に戻ってきた。 ミーリンは、そのまま扉の横に付く、開け閉めの為だ。
「では、帰ります」
第六王妃は、既に扉へ向かいながら七姫に指示した。
「は……い」
ノーと言う選択肢は無いのかもしれない。
「おじゃまいたしました」
第六王妃の挨拶は定型文の様に聞こえた。 賭けの対象になったことでの動揺だろうか。
「また、来ますね」
王妃に聞かれたくないのか七姫は小声で言う。 いつもの元気を封印しているのを察することは容易だ。
「ああ、またな。 お母さんも、また」
第六王妃は、廊下で待機していたのだろう付き人達と共に去って行くのが判った。部屋を出る際に、目を一瞬合わせた視線だけを残して。
その視線には、妙な違和感を覚えた。 男の声に答えたタイミングだが、よく見られていないからだろうと納得した。
ミーリンは、慣れているのか扉の開け閉めがさまになっていた。
そして、残ったミーリンに聞く。
「あの人、いくつなの? どう見ても、七姫より下だよね?」
「第六王妃様は、三十歳です……が、これは極秘事項ですので決して他言されませぬ様に」
「普通、先に他言無用って言うよね。 俺への絶大な信頼があるのかもだけど」
「え、あ、そ、そうですかね」
「ああ、でも、言わないよ誰にも。 教えてくれてありがとう。 しかし、あれで三十かよ」
ミーリンによると、外見の成長は魔法で止められるとのこと、ただ内臓のほとんどには効果が無いため寿命はあまり変わらないという。
かなり重要な設定がこんな事であきらかになるとは、男も思っていなかったろう。
そういえば、若い女性しか見ていない気がした。あえて言うなら、美人しかみていない。さらに、胸が大きい女性ばかりだった気がする。
ミーリンを隣の部屋へ戻し、ベッドに横になり、第六王妃の来訪について思案する。
「だけど、何をしに来た?
あんな賭けをしに来たわけでも無いだろう。 いや、思い付きでああいう内容にはならんか。
ただ、七姫を連れ戻しに来たのだけは明確だ……
あの帰り際の視線、嫌な予感しかないのは、ドラマや映画の見過ぎ……じゃ無くて職業病か……
あ、逆か、今夜何か起こると警告してくれてるとか。
警戒しておくか。
ミーリンは、どうしよう……
フィニ、今夜、俺の護衛はいいから、そっちお願い」
最初から、フィニへ聞こえる様に声に出していたのだろう。
「御意」
「あ、一応、さっきの賭けは目的を知りたいから受けただけだからね。
不自然すぎるでしょ?」
フィニの返事は特になかった。
「もう隣へ移ったのかな……失敗したかも……だって頼み事の内容知りたいし……七姫を掛けるほどの……
……ん?、掛けとか無しで頼みだけ聞けばよかったんじゃ? それに、会話の内容を思い返すと、俺、ただのエロ親父みたいじゃん」
男は後悔の念を口にしながら内扉に鍵を掛けた。
「あぁあ、今夜は、久々に静かに寝れそうだね~」
これは、誰かに話しかける様に少し大げさに呟いた。
そしてもう一つ考える。
「あの時、族長は、なぜ一人で俺に対峙した?
護衛が五人いたなら、いや、六人か……何か思惑が入ってるな。
フィニを俺に付けたのも関係あるのだろう。
それでも、俺がこの世界に来た事について何かしらの手がかりを見つけるなら、
闘技会自体は無関係であったとしても、重要イベントであるのは間違い無いだろう……
そういう風に流れてる、流されてる。
せめて、俺である理由と何をさせたいのかが知りたい。
今となっては、誰がとか、戻り方とかはその後でもいい」
男は、思案を巡らせているうちに眠りに落ちていた。
そして、外を歩く者も無くなり、無音とも言える静けさの訪れた深夜。
男は、いきなり掛けてある毛布を蹴り上げた。これが寝相なら、とんでもない悪癖だ。
だが、やはり寝相では無い、意思を持って蹴り上げたそれには、何者かが絡まって落ちてくる。天井から降りてきたであろう侵入者だ。
男が落下者を避けてベッドを降りた瞬間、窓が開き、そこから侵入してくる影が二つ。
その影二つは、床に着地し態勢を起こそうとしたとたんに、にゃぁとかぎゃとか苦鳴の声をあげて左右へ転げる。
男の手には、石ころがいくつも握られている。振り返りざまに放ったお得意の指弾である。
今室内に居るのは、暗がりではっきりと視認はできないが、三人とも猫の様な様相だ。 にゃぁと聞こえたのはそういう事なのだろう。
窓から進入した二人が立ち上がり一瞬短剣を構えるが、すぐに入ってきた窓から飛び出て行った。
残った一人も毛布を振り払って立ち上がり、やはり窓へ向かおうとするが、そこで動きが止まる。 男が、その片腕を掴んでいた。
そのまま引き戻して空いた腕を首に巻き付ける。 猫は、もがくように暴れるが、しばらくして締め落とされ大人しくなった。
「ふぅ、一匹でいいよな」
男が溜息まじりに呟いた。
腕の力を抜くと意識の無い侵入者の体はずり落ちそうになる。 それを支えようとした時、窓の外から矢が飛来した。
飛来した矢は三本、そのうち二本を男は掴み防ぐが、残り一本は、捕まえていた侵入者の下腹部に突き刺さる。掴みに動いた男の手を、その下腹部に縫い付けられる形となって。
男は、次弾を警戒するべく急ぎ窓からの死角へ移動する。 捕らえた侵入者は意識を失っているため、多少手間取ったが、次弾は無かった。
矢の痕からは、結果的に男の手で押さえる形になってはいるが血が流れ出てきたのだ。 傷はかなり深い。
そのままにはでき無いとの判断か、手を縫い付けられたまま移動したのも手間取った理由だ。
「フィニっ」
男が呼ぶと、直ぐに内扉が開きフィニが入って来る。 鍵は持たせている。
「マスターっ」
襲撃されたことは当然把握しているだろうが、珍しく声が大き目だ。
「窓に気を付けて、矢が来る」
「はいっ」
返事を返すと屈みながら男の側へ来る。
「そっちは平気?」
ミーリンの方についてだ。 ちなみに、ミーリンはぐっすりの様だ。
「はい。 追いますか?」
侵入者が逃げたことも把握できているらしい。 すぐに来なかったのは当然指示されたミーリンの護衛のためだ。
「いや、矢を抜くから、処置をお願いできる? あと、ほんとに大丈夫だった?」
「やってみます。 それから、ほんとうに大丈夫です」
「おーけー。 じゃ、それっ」
勢いよく矢を抜くと、襲撃者の傷口から血が噴き出て来る。
「俺じゃない、このこの方」
当然、男の手からも血が出て居る。
「申し訳ありません」
「どう?」
「傷が深いです。 わたしでは、止血するくらいしかお役に立てそうにありません。
それに、近くの世界樹までは持たないかもしれません。
でも、マスターであれば、なんとかできると思います」
「俺が?」
「はい、お勧めではありませんが、いかがいたしましょう?」
「なんでもいい、教えてくれ。 救急馬車とか?」
「一緒に横になることで、妖精様の力で回復可能と思います」
「なるほど、え?」
「でも、この傷ですと一人では時間がかかるかもしれません。 肌と肌で接すれば効果は上がるとは思いますが……」
「一人って妖精の数? 三匹いるのよな? え? 肌と?」
「回復能力持ちはお一人だけです。加えて解毒と防御で三人。 あと、匹は失礼になります」
「そうなのか? それは、失礼した」
「わたしが回復妖精を宿していればよかったのですが、修行不足で……」
「修行がいるのか……は、今はどうでもいいし、君のせいじゃ無いよ……
で、肌って、上半身だけでもいい?」
「も、もちろんです」
フィニの動揺は、何か想像したのかもしれない。
「あ、はい」
男もつられる様に、どもっていた。
照れ隠しでは無いだろうが、フィニは、今気づいたように窓を警戒しつつ閉める。
「逃げたようですね」
男の側へ移動し侵入者の衣服を最低限脱がしながら言う。
「そうか。 じゃ、見張りお願いできる?」
男は、ベッドに侵入者を寝かせて隣に寄り添う。背中から抱きつくような感じだが、尻尾が微妙にじゃまだった。手の位置も悩む。
「お任せを、そのままごゆっくりお休みください。 それから、手の位置は、楽になさってください」
男は、楽にの意味を思案してから、手を首の隙間と腰のあたりにだらりと横たえた。
「俺より先に起きたら、自由にしてやってくれ。 よろしく頼む」
捕まえた時は何か聞くつもりだったのだろうが、それほど重要視していないのか。
「御意」
こちらも、この状況で暗殺に来た者を、ただ逃がせと言う無謀な支持を意図も確認せずに従う。信頼か従順、それともすでに惰性か……。
なお、この状況で宿の従業員や他の宿泊者が来なかったのは、それほど大きな音は出ていなかったからだ。
男は、眠りに落ちるまで思考を走らせた。
(……第六王妃が首謀者の可能性、七姫がいなくなったタイミングを狙ったとしか思えんしな……実際、七姫の護衛や監視の気配が全て消えていた。
だが、窓から飛来した矢は、タイミング的にこの娘毎狙われた。 口封じか、それとも単に別なチームか……。
とにかく、俺、けっこう邪魔者ということなのか? であれば、優勝の脈ありと解釈してもよいのか?
殺しに来てる時点で、そんな安直でも無いか……。
さて、次は何が来る? 鬼が出るか蛇が出るか、いや、この世界観、悪魔が出るか竜が出るかかなぁ……とか言って見ると、なんかわくわくしてきた……)
いつのまにか眠りに落ちた男は、背中に触れる暖かく柔らかな感触を夢に見たかもしれない。世界樹の元で寝た時と動揺の感触を。
翌朝、男が目を覚ますと、ベッドの横で椅子に座るフィニと目が合った。
「彼女は?」
徹夜でそこに居てくれたのだろうフィニに聞く。
傷付いていた侵入者の姿は無い。 男自身の手の傷も消えている。
血を拭いたり、片付けもやってくれたのだろう。
「明け方、予想より早く起きられて、お帰りになられました」
「なら、君は休んでくれてよかったのに。 で、何か言ってた?」
「マスターが何者なのかを問われました」
「あらら、向こうが聞くんだ」
「エルフ族の客人と答えました」
「答えたんだ」
「獣人の者であれば、そう聞けば以降は手を出さないと思います」
「ほう……エルフってすごいんだね」
「昔、獣人達がたいへんな時に助力したと聞きました。 それに、エルフは精霊に一番近いですから」
「妖精さんや精霊さんがすごいのもわかった。 そりゃ匹数で数えちゃいかんな」
「はい」
「わたしも、お聞きしてよろしいですか?
マスターが何者なのか……」
「族長には、何も聞いて無いの?」
「はい。
昨日の襲撃者達は、恐らく暗殺者。 その様な手練れ三人を相手にされたのですよね。
魔法も使われていない様ですし、普通の人族とはとても思えません。
それに、族長様が気にかける人間というだけでも気になります。
先日、いつかお話くださるとのことでしたが……」
「君に興味を持ってもらえるのは嬉しいなぁ。 昨夜は、まぁ、指輪外してただけなんだけどね」
「それは、やはり能力低下の指輪なのですか」
族長ほどの知識は無いのだろう。
「ああ、だから昨夜は本来の力に戻ってた」
「でも、答えになってないです」
「そうだね。 とりあえず、闘技会が終わったら教えてあげるよ。 俺の世界の話をする約束も忘れてないから」
「わかりました」
「じゃあ、あらためて約束だ」
右手の小指をフィニの顔の前に出す。
「これは?」
「出して」
にっこりとしながら急かす。
「は……い」
フィニは、戸惑いながら左手を同じ様な形にして上げる。
「反対の手ね」
「……はい」
そう答えつつゆっくりと差し出す右手を、男は左手で掴んで引き寄せ、上げさせた小指に自分の小指をかけ、そのままさらに必要以上に引き寄せると付いて来たおでこにキスして言う。
「約束だ」
お約束の呪文を言うのは男には照れ臭かったのか、単純な一言だけで直ぐに離した。
「あの?」
フィニはおでこに指を当てながら行動の意味を問う。
「まぁ、絶対守るって言う誓いみたいなもんだ。 忘れないでしょ?」
「は、はい」
きっと、はぐらかされたと感じているに違いない。
「手も小さくて可愛いな」
追い打ちも忘れない。
「……知りません」
フィニは、小さく言葉を残してすっと消えた。