賭け試合と闘技会
男、族長、七姫とその付き人ら四人がしばらく歩いていると、正面の建物の隙間からコロセウムを思わせる外壁の一部が見えた。 わかる高さからもそのサイズはそうとう大きいと思われた。
さらに歩きそのコロセウムの前まで来ると、建物の外ではあるが大勢の男たちが群がる場所が見えた。
「あれは?」
男が族長に聞く。
「あそこじゃな」
族長が答える。
「ほう?」
「闘技場は、年に一度の大会でしか使われん。
それ以外の日は、外で掛け試合が行われているのじゃ」
族長は、手早く説明すると今度は少し先の小屋を指さす。
「あそこで、掛けるのじゃ」
「ほう、それで稼げと?」
「いや、お前は参加してみんか?」
「そういうことか、あんたが言うなら勝算があるってことだよな?」
男も、あっさりと族長の提案を受ける算段だ。
「ああ、もちろんじゃ。 勝てば賞金が出る、それと我が掛けて儲けるということだ」
「そんなにうまくいくのか?」
「意外と慎重なのじゃな」
「生まれた国がそういうお国柄だからな」
「ほう。 その話も今度聞かせるのじゃ。 安心せい、多少の怪我なら、わしが治してやる」
「痛いのは変わらんよな」
「痛いのは慣れてそうじゃがの~」
「なんか嫌な表現だな」
族長と男が話をしているうちに、姫様は既に掛け試合を見学していた。今、付き人が手を引っぱりその場から引き離そうとしている。フードで顔を隠していても、少数だが観客が何かささやき始めたのだ。この場所では少女というだけで目立つのもある。
「姫様はこれが見たかったのかのう」
族長は、そう言いながら男の手を引いて小屋の方へと歩いて行く。
手続きは族長が嬉々として行い、あっさりと男の参加が決まった。
「この世界って娯楽不足なのか?」
「どうなんじゃろな。
でだ、相手に強い奴を希望したら次に入れてくれたぞ、ちょうど対戦相手が腹痛で棄権したらしい」
なぜか、族長は表情を抑えている。
「その説明、そのまま聞くと、対戦相手が逃げ出すほどの奴ってことだぞ?」
「ああ、気にするな。 ここに出る奴でお主に叶うやつはおらん。 わしが保証する」
「さようですか」
「で、ルールじゃが、武器と魔法の使用は禁止、上半身裸、あと男であればよい」
「それルールって言うの? 参加条件なんじゃ」
「そうかぁ? あ、も一個あったぞ、殺したらだめじゃ。 それ以外は、好きに戦うといい」
「そうだろうね」
二戦目ということで、とりあえず前の一戦を眺めながら会話をしていた。
戦場は、リングがある訳でも無く、特に柵や線が引いている訳でも無く、なんとなくの距離で観客が丸く取り囲んで居る。
目の前で戦っているのは、どちらも筋肉自慢だろう屈強な者、人間では無く獣人の様だ。体中の剛毛と猫に似た顔。 顔は置いておくと、この大型の野獣のぶつかり合いは、まさに殴る蹴るのただの喧嘩の様相であり、双方流血しつつの容赦の無い戦いだった。流血の理由は打撃によるものもあるが、ほとんどは爪の攻撃だ。 数分続き、片方が降参して終わった。
「どうじゃ?」
族長が男に聞く。
「激しいな……というか、猫はずるくない? 武器じゃん、あの爪」
男は、愚痴の様に感想を言う。 既に異世界を認識した男には、獣人の存在事態は受け入れやすかったろうが、なんでもありの条件であの戦い方は受け入れがたい。
「では、がんばっての……あ、指輪は外して行け、魔法は禁止じゃ、たとえ呪われたやつでもじゃ」
「そうだね。 あ、これ、預かっといてね。 じゃ、行って来るよ」
指輪と念のため時計も外して、脱いだ服とあわせて族長に渡し、ただの出かけの挨拶でもする様に応じて歩き出した。
観戦者の囲む中央、空いた空間に歩み出ていく。
既に相手らしい者は、そこに居た。 二メートルを超える大男、とはいえ人間の様だ。
身長が高いが、バスケの選手の様に細く見えるバランスでは無く、プロレスラーをスケールアップした様に全身の筋肉は盛り上がっている。
ウェイトは男の二倍か三倍はあるだろう。
「あの見た目、力だけの相手なら、まぁ行けるか」
男は近づきながら分析する。
向かい合った。
二人の間にレフェリーらしい男が立ち、
「*#$%%%、ごら~えんざ~」
と言って、対戦相手を指し、
「じゃん~」
と尻すぼみに言って、男を指す。
観戦者達は小屋の前に集まり、受付だろう者達から札の様な物を買っている。
その観戦者達が、改めて輪を作る。 今、気付けば、全て人間の男だ。 獣人は参加のみか。
その間、姫様は動かずに最前列と思わしき場所を死守していた。
男は、その姫様に向けて右手で親指を立てて見せたが、特に反応は返っていない。
輪が落ち着いたのか、掛けが済んだ合図でもあったのか、レフェリーが手を上げて、
「*+%$」
と言って下がる。
男は、開始の合図と理解できただろうが、動かない。 念のためフライングを気にして相手の様子を見たのかもしれない。
その相手は、確かに合図とほぼ同時かほんの数舜早く動いていた。 タイミングが慣れで判っているのだろう。
小さい相手だ捕まえていい様にしようと思ったか、打撃では無く掴みにでてきた。
男は、左腕に伸びて来た相手の腕を取るとひらりと翻り腰を入れて投げた。 一本背負いだ。
そのまま勢いよく地面に落とす。自らの体重は仇となるだろう。
「受け身取ってくれよ」
と言いながらだったが、相手は、まともに叩きつけられていた。
それでも立つらしい。 タフさは見た目通りか。
「うお、立つのかよ。 もしかして、頭から落としてもよかったかなぁ」
立ち上がるとすぐにまた腕が伸びてきた。
今度は腕を避ける様に後方に反りながら、丁度いい高さに来た顎に蹴りを入れる。
顔が少し斜めに向く。昨日、最初に会ったモンスターと同じだが、その時よりは威力は控えめだ。
そして、動きが止まり、そして倒れる。脳振盪だ。
周囲からブーイングと思われる嬌声が溢れかえった。
レフェリーが、相手の状態を確認し、すぐに男の右手を取って掲げた。
「あの……あの、あなたを雇いたいのですが」
戦いを終え、族長の元に戻って服を着ていた男に姫様が恐る恐る声をかけてきた。
「姫様にさっきの指輪を渡すのじゃ」
男は、思い出した様に族長にもらった指輪を渡した。
その時、付き人が男に指輪を渡す。
「どれがどれかわからんが、機能するのか?」
渡された指輪を嵌めてから、ぼやく。
「お願いします。あなたを雇わせてください」
姫様は、指輪を見て理解したのだろうか、改めて願いを告げた。
「お嬢様、やはりそういう目的でしたか」
付き人は、その理由を知っているらしい。周りを気にしてかまたお嬢様呼びだ。
「雇う?」
男は、少し驚いた様に聞き返す。 相手は姫様なのだ。
「はい。 えと、わたしの後援で闘技会に出てくださいませんか?」
「後援でってどういうこと?」
「参加費が高いです。 あ、賞金はその分大きいですよ」
「ほう」
「賞金とは別に報酬もお支払いします」
「その高いと言う参加費、報酬をあんたが持つほどの理由の方が聞きたい」
「それは……」
言葉に詰まるが、答え難いと顔に書いてある。
「命がけ?」
これは、族長の方に聞く。
「そうじゃの、死人が出る事もある。ほんとにルールが無いからの。 そして、今回は、とんでも無いのが出るかもしれんな」
「族長様、やはりご存じで」
「こいつにもちゃんと教えてやるといい」
「そうですよね。 でも、引き受けてもらえないと、言えないのです」
「そうじゃの、話を聞いて逃げられたら、秘密がばれるとな」
「おいおい、物騒だってのは、どんどん伝わってるんだけど、今なら断ってもいいのよな?」
「そうですけど」
答える姫の目には、涙が浮かんでいる。得意技を出してきたのかもしれない。
「泣くなよ」
男の困り顔で涙に弱いのがよくわかる。
「参加してから、危険だと思われたなら、逃げても良いですので」
「今、逃げるか、やってみてから逃げるかじゃな」
族長は面白いのか男を煽る。
「逃げ前提で言うなよ。 お前、煽るのうまいな」
「え? では、お受けいただけると……」
「報酬は先に提示してくれ。 危険度を計る為じゃ無い、俺の先の生活に有用かどうか知りたい。 だから、それで決める」
「報酬は二百万Gです。
そして、優勝賞金は百万Gです。 参考に参加費五十万Gです」
「この指輪何個分?」
「数千個は買えるんじゃないかの」
族長が補足する。 姫様が物価を把握してるとも思えないのだろう。
「まて、金額がすごいんだか、指輪が安いんだか、わからなくなった」
「では、この街でさえ十年くらいは遊んで暮らせる。 で、どうじゃ」
「え? そんなに……」
「それに、闘技会終了までの宿の滞在費と食事代もこちらで持たせていただきます。 謝礼ももう少しなら増やせます」
「そうだな、報酬の金は要らない。 代わりに、職を斡旋してほしい。 あと、宿代と食事代と必要経費、そして参加費だ」
「どうして?」
「俺は働き者なのさ……賞金はもらって貯金するけど」
「いいのかや? 魔法使いや亜人など、ほんとにどんなのが出て来るかわからんぞ、さっきも言ったがルールが無いに等しい」
「え?」
掛け試合の延長、より強い者が出る程度と想像していた様な反応だ。
「参加費が高いのはの、大手の商業家たちも、名誉のために参加するからじゃ。
後見した戦士たちが活躍すれば、良い宣伝になるしの」
「なるほどな。 だけど、この世界で、俺の力を試してみるいい機会だ。 強いやつに出てもらわんと、それこそ出る意味が無いさ」
「わたし、置いてきぼりになってるけど、お二人の本当のご関係は?」
交渉のメインのはずの姫様は、少し不機嫌気味に聞く。
「わしの男じゃ」
「違う。 昨日、ちょっと手伝って、めしをごちそうになった」
「これもプレゼントされたのじゃ」
族長はハンカチリボンを自慢しながら言う。 相当気に入ってる。
「それは、交換しただけだ」
「一緒に寝たのをお忘れかえ」
「だから、そっちに話を持っていくな。 まぁ、強いて言うなら友達だな」
「エルフの族長が、見た目通りの子供に見えますよ。 そして、その族長を友人と言える男、信じて良いかもしれませんね」
付き人が、くすくすとしながら割って入った。 実際、姫様を本気で止める気は無かったのかもしれない。
「そじゃの、こんなにわくわくするのは何千年ぶりじゃろうか」
詳細を知っていてそう答えるのは、娯楽の少ない世界というだけでは無いだろう。
「よかった。 引き受けていただけるのですね。 本当に、ありがとうございます」
姫様が男の手を取り天使の微笑みで礼を言う。 涙は残っている。
数分後、四人は、一軒のレストランに居た。
姫様に連れてこられたのもあるが、高級そうなのは雰囲気でわかる。 途中、食事処っぽい店を数件スルーして到着したことからもそういうことなのだ。
そして個室、昼食のためとしては大げさだが、姫様ということをつくづく納得させようとしているかの様だ。
「わしは、飲み物だけで良い」
族長がメニューに目を通しながら言う。 確認したのだろう。
「承知しております」
付き人が応じる。 男も、エルフの村での食事を思い出して納得する。
「あなたは何が食べたいかしら? なんでもいいわよ」
姫様は男に施したくてしょうがないと言った勢いで聞く。
依頼を受けてもらった事とは別に、助けられたお礼もしたいのだ。
「すまん、俺はこの国の字は読めない」
「肉を食いたいそうじゃ」
族長が助け船を出してくれた。
「だそうよ。 一番良いやつでね」
付き人に指示する。
「では、コースにしましょうか。 彼の分は、お肉を多めにしてもらいます」
「それでいいわ」
「ところで、名乗りが遅れたが俺の名はジョニーだ。 好きに呼んでくれていい。 さっきは”じょん”と呼んでもらった」
族長が勝手に登録した名前が”じょん”なのだ。
「わたしは知ってるかもだけどアンリリアンよ」
姫様なのだ、名前を知らない者の方が少ないだろう。
「わたくしは姫様付のまとめ役セリアンでございます。 姫の無理な依頼を受けていただきありがとうございます。 そして、ご期待にお応えください、よろしくお願いいたします」
「それにしても、七姫殿は、噂通りお転婆じゃのう」
挨拶合戦が場を硬化させたと見ると、族長が話題を提供してくれた様だ。
「そんな噂あるわけ……無くもないかな」
姫様は言いながらけらけらと笑う。 付き人が頭を抱える。
「七姫?」
男が気になった部分を声にした。
「そうじゃの、この国には姫様は七人おる。 この方は七女になる。
ついでに言うと、王妃は六人じゃ」
「ええと、わたしは双子の一人、姉さんが居るわ」
姫様本人が補足する。
「ああ、なるほどって、王妃六人? 一夫多妻制、王制なら不思議じゃないか」
「そのうち、見られるじゃろ」
族長が言う、闘技会でということだろうか。
「さて、食事にしましょう」
付き人は、ちょうど食事が運ばれ始めたのもあるが、会話を切るかの様なタイミングだ。
その後、食事を取りながらの会話だが、
まず、男からはあまり素性を詮索しないことを願い、族長の客人として承諾してもらった。
姫様からは、助けてもらったお礼を改めてされ、こちらも、闘技会に関する事情は詮索しないで欲しいとされた。男側の条件をのんでもらった以上無下にはできず承諾。 誘拐未遂については、きっと付き人に後で怒られただろう。
付き人は、今後、男から姫に会うには、自分の許可が居る事を告げた。
つまり、特に重要な内容は、お互い会話にできなかった。
食事が終わりレストランを出ると、当然の様に豪華な馬車が待って居た。
馬車で一分も走らずに着いたのは、街でもかなり高級な宿だ。
木造ではあるが、使われてる宝石の大きさや輝き、落ち着いた雰囲気にあしらわれたデザインがそう見せる。
中に入ると内装と調度品がさらに高級感を醸し出す。
男と族長を降ろした後、七姫と付き人はそのまま馬車で去って行った。 宿の手続きは済んでおり、闘技会について何か決まれば後日連絡をくれると言う。
「わしは、自分の用事を済ませたら、今日は村へもどるぞ。 だが、予選は見に来るのじゃ」
居場所を確認したからか、族長もここからは別行動らしい。
「ああ、ここまでありがとうな」
「もっと感謝してもよいぞ……あ、時計の場所教えなんだな」
「そうだった」
「ほれ、あそこにあるぞ、こういうお高い宿なら置いてあるものよ。 広場に行きたければ宿の者にでも聞け」
天井に大きな丸い板、針らしきものが一つ。 時間を示すだろう位置や装飾にはもちろん宝石が使われている。男には豪華な装飾に見えるが、やはり当たり前なのだろう。
屋根の上にある太陽時計から魔法で繋げて動かしている。 ゆえに日が出ていない時間は正確には機能しないが、いちおう魔法でそれっぽくは進むとのこと。
「あんなとこに……時刻合わせは……まぁ、計れる手段があるなら、なんとでもなるか」
腕時計の時刻合わせを思案したのだろうが、まずはこの世界の一日を計って換算する必要があるだろう。
「では、またの」
族長は少女の笑顔で手を振りながら出て行く。
「ああ、またな」
族長を見送り、案内された部屋に入ると、想定外の豪華さにさらに驚く。後で聞いた話では、一番高い部屋と言う。もちろん風呂もトイレも付いている。 手荷物もほとんど無い旅人には広すぎるくらいだが、いろいろそろっている点はありがたいだろう。
そして、早速、族長に譲ってもらった指輪が本当に役に立っていた。いちいち相手に付けさせるのは面倒だが、それを差し引いても十分過ぎた。
落ち着いてから、男は、おもむろにベッドに横になる。伸びをして、天井を見つめた。
「姫様か、めちゃくちゃ可愛いかったな、あれが可憐というやつか……だが、なぜか、それほど惹かれない……そして、俺に何をさせたい?」
男は、ふと、そうつぶやいた。
男が部屋へと入り数刻したころ、扉をノックする者が居た。
トントンと何度かノックし、「じょにー#$」と呼ぶように言葉を発するのを繰り返している。少女のような声で。
いつの間にか寝ていた男は、その何周目かで気付いて飛び起きた。
「俺としたことが……ここまで落ちてるとは」
辺りを素早く見回しながら、とんでもない失態をしたかの様に言葉を漏らす。
次に「じょにー#$」と声がした時。
「あ、すまない……って、わからんか」
扉に近づき、ノブに手を掛けようとしていったん止まる。
「まぁ、無いか」
そう呟いて扉を開けた。 男が躊躇したのは、この世界に起因するものでは無い、元の世界の職業柄といったところだ。
そして、声の主を見た。 また、異世界の住人が立って居た。
美少女、そして頭に犬のような耳が付いている。肩まである髪で、人間の耳の部分は隠れているが、そこは優先して気にするところでは無いだろう。
ぱっと見える範囲は人間の様だが、長そでにロングスカート、足はタイツか、露出部分が少なく不明である。
尻尾がスカートの下から出て居る事にも気付くが、そこにも触れないらしい。
とにかく、昼間見た猫顔の男よりは人間に近い。
その時、お世話係を手配するので、夜には着くだろうと付き人が言っていたのを思い出した。 姫様付の一人を行かせるという。
当然見張りも兼ねるのだろう。
彼女は、今回は廊下側の扉から来たが、内扉でつながった隣の部屋に滞在するらしい。
「*+*@+*#$」
と言いながら、指輪を渡された。
「ええと、どうぞ」
男は、指輪を付けて、すぐに部屋内へと誘導した。
「ありがとうございます。
わたくしは、ミーリンと申します。 今日から、身の回りのお世話をさせていただきます。
よろしくお願いいたします」
「右も左もわからないから、こちらこそ、いろいろお世話になります」
男も笑顔で答えていた。少しだけ、にやけ顔だったたかもしれない。
「早速ですけど、何かすることはありますか? 特に無ければ、まずは、お食事を準備してまいります」
「今は無いかな。
あ、世話はほどほどでいいから、飯の後でいろいろ教えてくれないか」
「はい? わたくしで判る事でしたら」
世話をしに来たのに世話がいらないという部分に少し戸惑ったのだろうが、言われることにノーの返事は無いのかもしれない。
「おお、ありがたい。 あ、食事の世話はお願いしてもいいかな?」
これはお世話になるので、あらためて言い直したのだろう。
「もちろんです。 では、準備してまいりますね」
そう言って尻尾をふりふりしながら部屋を出ていった。
食事は部屋でとるということらしい、さすが最上級の宿とその部屋だ。
ミーリンは数分で戻ってきた。
押してきたワゴンから、いくつかの品をテーブルに並べる。
宿の者で無いのは、そういう契約なのだろうか。
準備された食事は、魚系の料理がメインで、男の口に合うその味は、昼食の肉料理とあわせて今後の不安をまた少し解消していた。
その後、ミーリンにこの世界について教えてもらうことになった。
男が、とりあえず聞こうと思っているのは二つ、そしてお願いが一つ。
聞くのは、この世界の地理と産業レベルで、行動指針を決める参考にするためだ。 願いは、読み書きを習う事。
ミーリンは自分のできる範囲でならと快諾してくれたが、実際自分もあまりわからないから一緒に勉強することを提案されての承諾だ。
なお、ここまでのミーリンとの会話を、ふと、犬語?なのかもしれないと男は思った。
そして、まず、地理から教わり始める。
すぐに本棚から本を一冊取り出してきた。部屋に入って直ぐに寝むってしまったから気付かなかったが、いろいろな本が置いてありそうだ。
その本の内容は、宗教関係と思われたが、開かれたページにはざっくりとした世界地図があった。今は、充てにするしか無い。
ミーリンは、指でくるくると指しながら、いろいろと説明を付けてくれた。
この世界(星)は、大雑把に見ると、ほとんどが陸地であり、北から南へ流れる大きな川で二分されている。
川の行きつく先は、果てしない遠くで滝になっているらしい。
その大きな川に大きな中洲、大陸の一つと言っていいほどの大きさで書かれている。
それが今いる場所で、中州全体で一国だ。
上流からの流れは速く、中州を過ぎるにつれ徐々にゆるやかになり、過ぎたところで合流する。
合流してから先は幅が広がり深さも増すため、流れはさらにゆるくなっている。 大きさから海と言ってもいいのかもしれないが、ミーリンには海が分からないと言われた。
左右の大陸には他の国がある。ほとんどが流れの穏やかになる下流に面して並ぶ様に位置する。
とはいえ、陸地のほとんどは前人未到、探索に向かった者がいても戻ることが無く、どこまで行きついたかがわからないため、この世界地図は完成していないという。 もしかすると未踏の地の先に海があるかもしれない。 だが、そういう伝説さえ欠片も無いと補足された。
そして、狂暴な生き物が居ると言う噂は各地にたくさんあるらしい。なるほどだ。
国の無い上流側には、木材を伐採するための小さな町がどこの国とかではなく木こりのための停泊地としていくつかできているそうだ。
木材は川を流されいったんこの国の最北にある施設で受けて、選別後左右の収集所へ移動させてから、それぞれの国に渡す。 主要産業と言えるだろう。そして、利権の多くはこの国が有するのだ。
また、中洲と両大陸には橋が架かっている。川幅が最も狭くなるためだが、この急流での建造は不可能と言われている。だが、昔、干ばつで水量が減った際になんとか作れたらしい。ゆえに、以降現在に至っても追加では作れていない。
流れの緩やかな側では船が使えそうだが、水中にはとんでもない化け物がたくさん居り、船で出ようものならあっというまに襲われると言う。川を渡るには、橋を渡るのが唯一の方法となる。
橋の先にある大陸に国が出来たのは、橋が掛かってからである。 両大陸に、獣人族は居たが、下流の方で、時を経て交流が始まり、現在に至る。過去に侵略行為があったのは容易に想像が付くが、現在の状況は落ち着いているということらしい。
橋は、言わば国境でもあるため、通るには通行料の徴収と検問がある。ゆえに橋の両端には各国の大使館的な建物が並び大きな街を形成している。 これも、当然この国が利権の多くを有している。
それでも、橋の両端にあるそれぞれの国は、連なる国を束ねるが故にそれなりには強大である。
つまり、実質三強状態だ。 もっとも、小国の合併や吸収はしょっちゅうで、遠くに新しい国もできたりする。
それから、エルフの村は、この国のみに存在するが、国には属さず独立している。その寿命と妖精の存在から、政治的にも宗教的にも同列に扱えないからだ。
そして、今居る街は城下町であり、中州の北の端方にある。
城の敷地は、そうとうな広さで、本城の他に各王妃それぞれが城を持つ。
現在、七つの城があり、王の居る本城を取り囲む様に配置され、城で働く者達や関係者の住居エリアもあり、円形のメイン道路を常に周回する乗り合い馬車も運行されている。
独占産業のおかげで金が余っているのだろうと容易に予測できる。
その産業については、機械化された工場は無く、道具を使った手製がほとんどだ。
とは言え、魔法が補助として使えるから、困ってもいないのかもしれない。
魔法と言えば、この世界にしか無い産業だろうか、さまざまな魔法効果を武器、防具、衣類、道具などに装飾された宝石に付加する技術がありそれを生業とする者達が居る。 翻訳指輪や速度指輪もそのひとつとなる。
宝石の種類によって付加できる魔法にも種類があるらしい、特に赤は速度系のみに対応すると言う。
やはりこの世界に金属は無い。
金属並みの強度が必要な場所には、木、石、布などと魔法で強化した宝石を組み合わせて利用しているのだ。 存在は不明でも、元素はあると想像できる。だから、技術が無いのだ。
そして、ついでに気になっていた事をもう一つ聞いた。王妃の数と子供がほぼ同数と言う事だ。
なんと、一人が妊娠できるのは一回のみで、さらに男性の出生率は一割程度。 なお、双子以上は五割を越えるらしい。
男子が欲しければ、生まれるまで嫁が必要ということだから、六人であきらめた王様は、そうしなかったと言う事になる。
男は、この世界の人間は、元の世界の人間と見た目は酷似していても、いろいろ違うところがありそうだと思った。
それ以上の事柄については、今後必要に応じて教えてもらうことにした。
翌日、朝食後に、街を案内してもらうことも約束して、今日は休むことになった。
ミーリンは律義に廊下にいったん出て隣に戻った。
普段、内扉は基本的には使われない、主の側に用事があるとき、または緊急時用だそうだ。